36話 「つまらない悩み」
話が終わると、すぐ解散になった。
紫苑はナギらが暮らす男性部屋へ連れていかれる。その理由は、単に、ナギが見張りの役目となったからだ。
外見性格ともにボーイッシュだとはいえ、女の子である紫苑を男性部屋へ連れていくとは、少しおかしな話だ。しかし既に諦め顔の紫苑は何も言わない。ナギと武田しかいないので間違いは起こらないだろうが、それでも、男性部屋に女の子を入れるというのは「大丈夫なの?」と思ってしまう。
一日中男性部屋にいるのは、さすがの紫苑も嫌に違いない。もっとも、彼女は意見を言えるような立場ではないのだが。
それから私は、レイの仕事を手伝うことにした。
仕事内容は彼女の机に山のように積まれている書類の整理。なんでもモルテリアの分も含まれているとか。どうりで量が多いはずだ。
「ごめんね、沙羅ちゃん。関係ないのに手伝ってもらっちゃって」
「いえいえ」
仕事の範囲は幅広く、自由さが特徴のエリミナーレにも、事務仕事はあるらしい。
「沙羅ちゃんはこういう作業得意なんだね、凄く助かるよ。あたしもこういうのあまり得意じゃないから」
大量の紙を必要なものと不必要なものに分別したり、書類の文章に明らかなミスがないかチェックしたり、単純作業の繰り返し。この程度の仕事なら私にも容易くできる。
レイと協力しつつ作業を続けていると、ほんの一時間くらいで終了した。
「やったー!」
「終わりましたね」
仕事が片付くと妙に嬉しくて、レイと手を合わせる。
「ありがとう! 沙羅ちゃん、作業は凄いんだね。驚いたよ!」
作業は、と言われると複雑な気分だ。作業以外は駄目と言われている気がしてくる。彼女に悪気はないだろうし、単に私が悪く受け取りすぎなだけだろう。しかし、どうもすっきりした気分にはなれない。
そんな私の心理を読み取ったのか、レイは慌てて言う。
「あ。ご、ごめんっ。変な意味じゃないよ! 作業以外は駄目とか、そういうことを言ってるわけじゃないから!」
フォローになっていない。
だが悪いのはレイではなく、どうしようもない私。だから私には傷つく権利はない。
「いえ、気にしないで下さい。私が作業以外駄目なのは事実ですから」
ちょっとした発言なのにこれほど胸に突き刺さるのは、彼女の言葉が事実だからだろう。本当のことだからこそ痛いのだ。
——私も才能が欲しかった。
贅沢すぎると叱られそうだが、心の底からそう強く思った。
武田やレイのように圧倒的な身体能力を持っていれば。あるいはモルテリアのような料理の腕があれば。何か一つだけでも他者に負けることのない取り柄があれば、もっともっと役に立てるのに。
エリミナーレのメンバーは、誰もが抜きん出た才能や特技を持っている。欠落している部分が一切ないかといえばそうではないが、お互いに弱点を補いあって上手く活動している。しかし私だけは何もなく、完全にお荷物だ。
そんな風に考えれば考えるほど落ち込んでしまう。
「沙羅ちゃん、そんな顔しないで」
「……レイさん」
レイは私の顔を覗き込み、首を傾げる。
「何か悩んでる?」
やはり彼女は私を気にかけてくれる。温かく接してもらえることはとても嬉しいことだ。
だが、その優しさに甘えて、つまらない弱音を吐いていいものかどうか。彼女を巻き込むというのは気が進まない。
「あたしで良ければ付き合うよ? 話すだけでも楽になるかもしれないから」
レイは私の手を握る。彼女の凛々しい瞳にじっと見つめられると、「すべて話して楽になりたい」と思ってしまう。
今ここで思いを打ち明ければ、この胸の暗雲は消えてくれるのだろうか。
「……つまらないことでもいいですか?」
躊躇いつつも言ってみる。すると、レイは凛々しい顔に爽やかな笑みを浮かべ、「もちろん!」と返してくれた。
だから私は、心のうちを思いきって言うことにした。
「私、やっぱりエリミナーレに向いていない気がするんです」
レイは戸惑ったようにまばたきを繰り返す。すぐに意味が分からなかったのか、キョトンとした顔になっている。
「どうしてそう思うの?」
「……私は迷惑ばかりかけてしまいます。まともに戦えないし、事件にはやたらと巻き込まれるし」
「そんなことないよ。沙羅ちゃんが入ってから、エリミナーレは良い方向に変わりつつあると思うよ?」
優しい言葉をかけられればかけられるほど複雑な心境になる。素直に「そうなんだ」とは、どうしても思えなかった。
「武田さんにも怪我させてしまって、何と言えばいいか……」
「武田が沙羅ちゃんを庇うのは当たり前のことだよ」
「……でも」
私は言葉を途切れさせてしまう。その先は言えなかった。私の心を表すに相応しい言葉を見つけられなかったのだ。
そんな情けない私を、レイはそっと抱き締めてくれる。
「沙羅ちゃんは心配しすぎだね。そんなに重く考えることはないよ」
私は何とも言えない気分になる。嬉しさと悔しさが混じりあったような気持ちだ。
その時、部屋の扉をノックする音が聞こえた。レイはその音にすぐ気づき「はーい」と応じる。すると扉が開いた。
入ってきたのは武田だ。
「すき焼き屋の予約ができたことを知らせに来た」
武田は相変わらず淡々とした口調で話す。
「そっか。わざわざありがと」
レイは私を見てニコッと笑う。
「沙羅ちゃん、良かったね!」
「……はい」
私は明るく返せなかった。一言返すのが関の山である。
「武田もすき焼きは久々?」
「あぁ。その通り」
「沙羅ちゃんの提案のおかげですき焼きを食べられる。嬉しいね!」
「良い関係を築けるのは、望ましいことだ」
武田は私の方へ視線を移し、一呼吸おいて続ける。
「実に明日が待ち遠しい」
なんだか彼らしくない言葉だけれど、言ってもらえてとても嬉しい気持ちになった。今の一言で直前までの暗い気持ちが半分は消えたような気がする。
「はい。私もです」
私は小さくそう返した。