156話 「未来に思いを馳せる」
旅館の玄関口へ向かうと、エリナたち三人は既にそこにいた。私や武田が余計な話をしていた分、彼女らの方が先に着いたのだろう。
「待ってたっすよ!」
私たちの存在に一番に気づいたナギが、片手を挙げ、軽く会釈をする。高校生にも見えないことはない若さのある顔には、活発そうな明るい笑みが浮かんでいる。
彼の隣にはじゃがいもチップスをポリポリ食べるモルテリアの姿もあった。
「モル、待たせてごめんね」
「……平気」
「怒ってる?」
「……レイは悪くない」
白玉のような頬をほんのり赤らめつつ、モルテリアは微笑む。私はその姿を、純粋に愛らしいと思った。
「レイちゃん、スルーっすか!? さすがにそれは酷っ!」
構ってもらえなかったナギは騒ぐ。
厳かな空気に包まれている旅館の玄関口で大きな声を出すというのは、迷惑行為以外の何物でもない。
しかし、彼は悪気なくやっている。それが分かるから、もはや怒る気にもならない。これは恐らく、私に限ったことではないだろう。
「ナギ、待たせて悪かったな」
「……は? いきなりなんすか、武田さん」
唐突な武田の発言に、戸惑いの色を浮かべるナギ。
「私が時間をとらせてしまったんだ。沙羅は悪くない」
「ちょ、いきなり何すか? 俺、沙羅ちゃんのこと責めたりしてないっすよ!?」
「あぁ、それは分かっている。お前はそんな男ではない。念のため言っただけだ」
武田はナギへ、信頼の眼差しを向ける。
「誤解させたなら悪かったな」
「ま、いいっすよ」
真剣な顔つきで謝罪する武田と、頭を掻きながら話すナギ。
この二人の関係は、何げにかなり不思議だと思う。武田の方が年上なのに、まるでナギの方が偉いかのような空気だ。しかし、そうかと思えば武田がナギを叱ることもあり、二人の関係はとにかく謎に満ちている。
ちょうどその時、エリナが受付からこちらへと歩いてくる。恐らく、チェックアウトを終えたのだろう。
「終わったわよ」
紅の唇から発せられる声は、非常に落ち着いたものだった。冷静さが感じられ、しかし女性らしさもある。凄く魅力的な声だ、と私は思った。
こんな艶のある声、私には一生かかっても出せそうにない。
「お疲れ様っす! じゃ、これで帰るっすか?」
「そうね。ただ」
エリナは桜色の髪をかっこよく手で払い、それから、ふっと笑みをこぼす。たった少しの動作なのにこれだけ雰囲気があるのは、ひとえに、エリナだからだろう。
「事務所へ帰る前に、寄りたいところがあるの」
それを聞き、眉を寄せるレイ。
「寄りたいところ……ですか?」
エリナはゆったりと一度頷く。
「えぇ。エリミナーレが新たな一歩を踏み出すために、一度は行く必要があるところなの」
そう話す彼女の表情は、心なしか憂いの色を帯びていた。
しかし、悲しそうだとか切なげだとか、単に暗い表情というわけではない。憂いの色を帯びつつも、道を拓いてゆくような彼女らしい強さは感じられる、そんな顔つきである。
「……いえ。正しくは、私が未来への一歩を踏み出すため、ね」
するとナギが手を挙げる。
「俺との一歩っすか!?」
「調子に乗らないでちょうだい」
妙にテンションの高いナギを、嫌悪感丸出しの目つきで睨むエリナ。
彼女の睨みは、相変わらず迫力が凄い。
「俺との一歩? 何それ。ナギったら、変なの」
「真面目っすよ!」
「まったくもう。相変わらずだね、ナギは」
言いながら笑うレイ。
だが私には、ナギが真剣さのある表情なのが気になって仕方ない。
本当にエリナと何かあったのではないか。それこそ、共に歩んでいくような関係になったとか。いや、もちろん、私の勝手な想像なのだが。
「それでエリナさん。寄りたいところって、どこですか?」
「そうね、言い忘れていたわ。ここからすぐ近くの……」
エリナは携帯電話を取り出し、その画面をレイへ見せた。指で何やら指し示している。
「あ、はい。なるほど。えっと、ここですか?」
「えぇ。ここをこう行って、すぐに」
「あっ、そうでした! そっか。ふんふん」
暫しやり取りをするレイとエリナ。
私たちは二人の話が終わるのを待つ。
「こんな説明で分かりそうかしら」
「はい! では早速!」
レイはその凛々しさのある顔に、安定の爽やかな表情を浮かべつつ、旅館の外へ歩いていく。長い脚が綺麗だ。
「それじゃあ行きましょうか。全員問題ないわね」
「待って下さい、エリナさん」
「何かしら」
口を挟んだのは、私のすぐ隣にいる武田だった。
「どこへ行くのですか?」
武田が淡々とした調子で尋ねると、エリナはほんの数秒間を空けて答える。
「瑞穂の墓よ」
答えを聞いた武田は、またしても淡々とした調子で、「そうですか」と言った。眉ひとつ動かさずに。
「もういいわね?」
「はい。ありがとうございます」
武田とのやり取りを終え、エリナは歩き出す。ナギはそれを小走りで追っていく。
「……待って」
エリナとナギの後ろを行くのはモルテリア。ててて、と二人についていく。小鳥のような愛らしさだ。
「では私たちも行こうか」
「はい」
返事をすると、武田は、私の指に指を絡めてくる。
武田のいきなりの行動に戸惑っていると、「触れていたいんだ」と彼は笑った。穢れのない、無垢な笑顔。三十路を過ぎた男とは到底思えない。
「さらぼっくりを瑞穂さんに紹介するのが楽しみだ」
「え? 紹介するんですか?」
正直少し怖い。
瑞穂が本当は優しい女性だということは分かっている。意味もなく攻撃してくるような者ではない、ということも。
しかしなんというか——姑に会うかのような気がして、緊張する。
「あぁ、もちろん。私の大事な、未来の妻だからな」
「……えっ」
「何を驚いているんだ、さらぼっくり」
いやいや。
突然「未来の妻」などと言われれば、驚くしかないではないか。
「行く行くは私の妻となってくれる予定なのだろう?」
これは気が早い。
世の中にこれほど気が早い人間がいるとは驚きだ。
しかもそれが武田なのだから、世の中、なかなか謎に満ちている。
「私としては、さらぼっくりによく似た娘がほしいな……」
もはや何を言っているのやら。
「ところで、お前はどうなんだ?」
「何がですか」
「これからも、私を好きでいてくれるか?」
「もちろんです」
当たり前だ。時の経過で飽きるような好意なら、とうに消え失せていたはずである。何年も抱き続けてきたこの気持ちが変わることなど、ありはしない。
「本当か? 今も好きか?」
「もちろん」
「嫌なところがあれば言ってくれ。言ってくれれば、改善するように努める」
「分かりました」
「現時点で改善すべきことはあるか?」
「特にありません」
ただ一つあるとすれば、質問がしつこい時があるところだろうか。
しかしそれは、不器用な彼が私を思ってのことなのだろう。彼なりの気遣いである。
だから、改善するよう言うほどではない。




