153話 「月明かりの下で」
解散を取り止めるよう訴えるナギと、彼の真剣な訴えに動揺するエリナ。それを不安げな眼差しで見守るレイと、じゃがいもチップスを食べるモルテリア。
そんな四人の背を、私は黙って見つめる。隣の武田を一瞥すると、彼も私と同じように四人を見ていた。
「……無駄よ。とうに決めたことだもの」
「そこを何とか!」
ナギは両手のひらを合わせ、エリナにお願いする。
「頼むっすよ!」
彼は数回断られたくらいで挫ける人間ではない。いや、百回断られたとしても挫けはしないことだろう。日頃は情けなくも見える彼だが、挫けない強い心だけは誰にも負けない。
しかしエリナはエリナで頑なだ。微かに揺れながらも、まだ自身の心を変えない。
彼女はかなり頑固者だ。それは彼女の良いところでもあり悪いところでもある。
固い意志があったからこそ、十年以上もの時を越え、宰次の悪事を明るみに出すことができた。これは彼女の頑固さが良い方向に働いたと言える。
しかし、今は逆に、頑固さが悪い方向に働いている。もっとも、私たちにとって都合の悪い方向に、ということだが。
「私の心は変わらないわ。むしろ、解散の意思は強まるばかりよ」
「えぇっ。そんなぁ……」
「昨夜の一件で私の心は決まったわ。解散しかない、とね」
そこへ、レイが口を挟む。
「解散は嫌です!」
レイの凛々しい顔は、悲しそうに歪んでいた。
「これからもエリミナーレとして、人々のために戦いたいです!」
感情的になるレイの姿を見て、モルテリアはしゅんとして俯く。
モルテリアは喧嘩が嫌いだ。意見のぶつけ合いも苦手なのだろう。だから元気を失っているに違いない。
「そうっすよ! レイちゃんの言う通りっす!」
レイの発言に便乗するナギ。
「宰次がいなくなっても、新日本から犯罪がなくなるわけじゃない! 凶悪な犯罪は起こるんすよ! だからこそ、俺らがそれと向き合って……」
「私は善人じゃない!」
ナギの言葉を遮り、エリナが鋭く叫んだ。
「善意で危険を選ぶほど善人じゃないのよ! 私は!」
空気が振動する。
エリナの悲痛な叫びを聞いては、さすがのナギも、それ以上は言えなかったようだ。
「エリナさん……」
胸が締めつけられるような感覚を覚えた。
彼女が今まで背負ってきた、重く暗いもの。それを垣間見た気がして、彼女を直視はできない。
そんな時、隣にいた武田が小さく、「あまり気にするなよ」と言ってくる。また、「お前のせいではない」とも付け加えた。
いちいち気にしてしまう質の私を気遣っての発言なのだろう。ありがたいことだ。
こうして、私たちはなんともいえない夜を迎えるのだった。
真夜中。私がふと目を覚ますと、レイが一人、窓の外を眺めていた。
三人組の襲撃事件のせいで、今夜は昨夜とは違う部屋だ。
「……レイさん。まだ起きてられたんですか?」
消灯しているため室内は薄暗い。窓から入ってくる月光だけが、私たちを照らしている。
「うん。少し眠れなくってね。沙羅ちゃんこそ、こんな時間に起きてどうしたの?」
「えっと、偶然目が覚めただけです」
深い意味などない。
本当のことを正直に答えると、レイはふふっと笑った。
「そりゃそうだよね。変な質問をしてごめんね」
「いえ」
私は隣の武田へ目をやる。
彼は布団の中でぐっすり眠っていた。大きな体は脱力し、寝顔は無防備で、私でも倒せそうと思うくらい隙だらけだ。
だが良いことだと思う。
いつも周囲への警戒を怠らない武田は、心身共に疲弊しているはず。時にはこんな風に、完全にリラックスして眠ることも必要だろう。
「……ねぇ、沙羅ちゃん」
心地よさそうに眠る武田を見つめていると、レイが唐突に話しかけてくる。
私は月明かりに照らされ青く染まる彼女へ視線を向けた。
窓の外の黒い空を眺める彼女は、どことなく寂しげな顔つきで、その表情からは哀愁が漂っている。月の光に溶けて、今にも消えてしまいそうだ。
「エリミナーレ。本当に解散してしまうのかな」
彼女は微かに唇を動かした。
月に一時的に細い雲がかかり、室内の暗さが増す。
「離ればなれになるのは……やっぱり寂しいな。まぁ、仕方ないけど」
仕方ない、と言いつつも、まだ納得できていない顔だ。
「レイさん……」
「あたしね、エリミナーレに入ってすぐの頃に妹を亡くして、一度、何もできなくなった時があったの」
彼女はゆっくりと語り出す。
「その時、エリナさんは言った。『今の貴女みたいに悲しむ人を減らすため、私たちは戦うのよ』って」
「なるほど」
「でも『無理はしなくていい』とも言ってくれた。『元気になったらまた共に戦いましょう』とも」
エリナがそんな優しいことを言うなんて、と驚く。
私の時とは接し方が違う……。
「今の私があるのはエリナさんとエリミナーレのおかげだと思ってる。間違いなく、エリミナーレはあたしの一番の居場所だよ」
声が震える。
そして、瞳から涙が溢れた。
レイは流れ落ちる涙を指で拭い、数回まばたきしてから、言葉を続ける。
「だから、エリミナーレがなくなるなんて嫌……」
それが彼女の思いだった。
彼女は誰よりもエリミナーレが好き。この場所が、みんなが、言葉にできないくらい大好きなのだろう。
だからこそ、解散が辛い。
みんなとの別れが寂しい。
恐らくそれが、レイの涙の意味なのだと思う。
「……多分大丈夫だと思います」
私は自然とそんなことを言っていた。
無責任極まりない発言だ。恐らく、レイに泣いてほしくないという心が、私の口を勝手に動かしたに違いない。
「今夜、ナギさんが説得しているはずです」
「でも……」
「ナギさんはきっとやってのけてくれると思います。あの人、意外と強いですから」
一度深く息を吸う。そして、ふうっと吐き出す。
それから私は述べる。
「信じましょう。今はただ、ナギさんを」
レイは止まらない涙を手の甲で拭いながら、ほんの少し首を縦に振った。
「……そうだね。沙羅ちゃんの言う通り、あたしもナギを信じるよ」
小さく返すレイ。
彼女はそれから、窓の外の空を見上げる。その瞳は、曇りが晴れた雨上がりの夜空みたいだった。
私は無力だ。
それでも、何か少しでも力になれたなら——。
「ありがとう、沙羅ちゃん」
こんなに嬉しいことはない。