149話 「散策からの……」
武田と沙羅が足湯カフェでの昼食を満喫していた、その頃。エリナらは在藻の街をのんびりと散策していた。
「いやー、街は見てるだけでも楽しいっすね! ……ね? エリナさん?」
「……そうね」
「ちょ、そんだけっすか!?」
一番前を行くのはご機嫌なナギ。その後ろに、エリナ、レイ、モルテリア、と続く。
端から見れば完全にナギのハーレムだ。しかし現実はそれほど甘くなく、誰一人としてナギには従わない。
「あっ! これ、在藻温泉限定プニちゃん!?」
一軒の雑貨屋の前で、レイは立ち止まった。
彼女は、ガラス越しに見える一つのキーホルダーに、すっかり心を奪われている。
透き通った体はジェルのようにプルプル。目を閉じたまったり顔。ネズミ感を主張してくる大きな耳。
「プニちゃん、ですって?」
レイの発言に興味を持ったのか、エリナも雑貨屋を覗き込む。
「このジェルのようなネズミが、プニ?」
「プニちゃん、です! あたし実は集めてるんです!」
「集めて、ということはいろんな種類があるのね」
「はい! これは在藻温泉限定の珍しいプニちゃんなんです!」
目の前のキーホルダーについて力説するレイ。それを聞き戸惑った顔をするエリナだったが、しばらくして、ふっ、と笑みをこぼす。余裕のある大人びた笑みだ。
「好きなのね」
「はい!」
「限定なら買っておいたら? いつ売り切れるか分からないもの」
エリナの言葉を受け、レイは遠慮がちに口を開く。
「もしかして……今買ってきても大丈夫な感じですか?」
それに対し、エリナは軽やかな口調で答える。
「もちろんよ。今すぐ買ってくるといいわ」
「ありがとうございますっ!」
快晴のような笑顔でその場から走り去るレイ。その場にはエリナとナギ、そしてモルテリアだけが残った。
レイが去るや否や、モルテリアが反対方向へ歩き出す。彼女の翡翠のような瞳が捉えているのは、昔ながらの日本建築といった感じの店。
「美味しそう……!」
モルテリアは髪がかかっていない片目をパチパチさせながら、フラフラと店の方へと歩いていく。吸い寄せられるように。
「モルちゃん! 勝手に離れちゃ駄目っすよ!?」
「……どうして」
「襲われたりしたらどうするんすか!? ね、エリナさ——」
「いいわよ、モル。でもそこのお店だけにしなさい」
「うん……!」
ナギに制止されかけていたところエリナから許可を貰い、嬉しそうな顔をするモルテリア。すっかりご機嫌だ。
「……淡々煎餅、買ってくる……!」
「気をつけなさいよ」
「……うん」
モルテリアは白玉のような頬を赤らめ、ててて、と店の方へ駆けていく。
レイに続いてモルテリアまでもいなくなり、二人きりになってしまうエリナとナギ。いざ二人きりとなると気まずく、エリナもナギも黙り込んでしまう。
ちょうどその時、気まずい雰囲気の二人の横をカップルが通り過ぎてゆく。どこにでもいそうな男とどこにでもいそうな女。しかし、距離は非常に近く、周囲が戸惑うくらいいちゃついている。
「この黒豆ソフト、美味しいね。宏くん!」
「ソフトも良いけど、みっちゃん、君の方が魅力的だよ」
「いやぁーん、宏くんったらー。もう。恥ずかしいでしょー?」
甲高い声でわざとらしく笑う女を見て、エリナは真顔になる。
「……酷いぶりっこね」
すると隣にいたナギが、珍しく静かな声で返す。
「ちょい痛めっすね」
それから、顔を合わせるエリナとナギ。二人はお互いの顔をじっと見つめ、しばらくして、呆れたように笑い合う。
「なんというか、凄かったわね」
「ホント、ヤバいカップルっす。ま、あんなんも多いみたいっすけど」
エリナはそれから腕を組み、はぁ、と溜め息を漏らす。鋭いナギはそれを見逃さなかった。
「お疲れなんすか?」
「……別に」
「いやいや! 別に、じゃないっすよ! 疲れてるんっしょ?」
「うるさいわね。黙りなさいよ」
疲れているかを執拗に聞かれ、苛立った顔をするエリナ。
しかしナギは、そんなことは気にしない。彼はエリナの体に身を寄せ、もたれかかるような体勢をとる。
いきなりのことに、エリナは、怒るどころか戸惑った顔をする。
「……何なの?」
少しして、ナギは返す。
エリナの問いに対する答えではなく、質問を。
「エリナさんって、男いるんすか?」
「は?」
剣先のような鋭い視線をナギへ向けるエリナ。
だがナギは動揺しない。いつもエリナに厳しく接されているナギにとっては、鋭い視線など慣れっこなのだ。
「彼氏さんとかいるんすか?」
「いないわよ」
「武田さんと付き合ってた時期はあるんすか?」
「あるわけないじゃない」
「一応聞いただけっすよ。じゃ、今まで彼氏さんがいたことはあるんすか?」
「ないわ。生憎、私にはそんな時間はなかったの」
エリナは答えてからそっぽを向き、聞こえるか聞こえないかくらいの小声で「モテなくて悪かったわね」と呟いた。
——その刹那。
ナギはエリナの体を引き寄せ、顔を近づける。
「じゃ、俺が一人目っすね」
一言呟くナギ。
エリナはナギの意外な行動に戸惑い、言葉を失う。
その隙を狙い、ナギは、エリナの唇へ自分の唇を重ねた。
「……っ!?」
らしくなく動揺した目つきをするエリナ。しかしナギは遠慮なく、口づけを続ける。
そして、数秒後。
唇を離すや否や、ナギはむせた。
「ゲホッ!」
腹にエリナの膝蹴りが入っていたのだ。
「……ちょ、ケホッケホッ。い、痛すぎっ……」
何度も咳をし、腹部を手で押さえるナギ。その目には涙の粒が浮かんでいる。よほど痛かったのだろう。
「ふざけたことしてんじゃないわよ!」
顔を真っ赤にしながら怒鳴るエリナ。
「何てことをするの!」
「あ、いや……ケホッ……」
「破廉恥! 警察に捕まれ!」
「ちょ……落ち着いて……」
ナギは慌てて、騒ぐエリナを制止しようとする。しかしエリナは、ちょっとやそっとでは止まらない。
「恋愛対象でもない異性に何てことをするのよ!」
「じゃあ恋愛対象ならいいんすね!?」
そして、ナギは続ける。
「俺、エリナさんのこと好きっすよ!」