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新日本警察エリミナーレ  作者: 四季
温泉旅行編
142/161

141話 「苦手を克服?」

 豪勢な食事を終え、部屋に戻って暫し休憩。そうしていよいよお待ちかねの入浴時間が来たのだが、武田は浮かない顔をしていた。


「武田さん、どうかしました? 何というか、楽しくなさそうな顔ですけど」

「いや……何でもない」

「私と一緒にいると楽しくないですかね?」


 冗談混じりに言ってみた。


 すると武田は、慌てた様子で、首を大きく左右に動かす。


「違う! そんなことはない!」


 大浴場へ行く準備をしていたレイが驚いてこちらを見たほど、鋭い言い方だった。


「そうではないんだ、沙羅。私はただ、その」

「何ですか?」

「……温泉が苦手なんだ」


 彼は非常に言いにくそうな表情をしつつ、小さな声でそう述べた。それを聞き、以前彼が「水は恐ろしい」と言っていたことを思い出す。


「もしかして、温泉に浸かれないんですか?」


 尋ねてみると、彼は頷く。


「……あぁ。情けないことだが、水はやはり怖い。シャワーが限界だ」

「では部屋でシャワーを浴びます?」

「そのつもりだ。沙羅は温泉を楽しんでくるといい」


 武田は言いながら、寂しそうに笑った。

 だが私は、彼を一人にはしたくない。せっかくだから少しでも一緒にいたいと思い、提案する。


「そうだ!じゃあ、お湯に浸かる練習をするのはどうですか?」


 今夜の練習でお湯への恐怖心を取り除いておけば、明日の夜には武田も温泉へ行けるかもしれない。


「何だ、それは」

「浴槽にお湯を張って、そこへ入る練習です」

「無理だ」


 武田は既に諦めている。


「近くにいて応援しますから!」


 私はそう言った。

 一人では無理でも二人でなら乗り越えられる、ということもあると思うからである。


 すると、武田はようやく、やる気を出してくる。


「……そうか。なら頑張る。よし、やってみよう」

「決まりですね」

「では早速。湯船にお湯を溜めてくる」


 武田は風呂場へ歩いていく。


「浅めにして下さいね」


 私はそう付け加えた。


 こうして、お湯に慣れよう計画の実施が決まった。


 私はレイにその旨を伝える。すると彼女は爽やかな笑顔で「そっか。了解!」と返し、入浴グッズをまとめて部屋から出ていった。



 それからしばらく。

 浴槽の前で湯が溜まるのをじっと見つめていた武田は、唐突に、「よし!」と声をあげた。畳の上でごろごろしていた私は、突然の発言に驚きつつ、風呂場へ向かう。


「溜まりましたか」

「あぁ! 早速挑戦する!」


 武田の表情は生き生きしている。今まで避けてきた、ある意味最強の敵との決戦を前に、やる気は十分のようだ。

 彼は一瞬にして靴下を脱ぎ、ズボンは濡れないように膝上まで引き上げる。


「まずは足湯ですか?」

「あぁ。いきなり全身は恐ろしいからな」


 恐ろしくはないと思うが。

 ……いや、水嫌いの武田からすれば恐ろしいことなのかもしれない。


「では、さらぼっくり」

「え?」

「手を貸してくれ」


 若干話についていけず首を傾げていると、彼はこちらへ片手を伸ばしてきていた。いかにも「掴んで」といった感じである。

 意図を理解しきれないまま、私は彼の手を掴む。

 すると彼は足を豪快に持ち上げた。


 いつも細い黒ズボンに包まれた足ばかり見ているせいか、肌色だと不思議な感じがする。そんなことを思いながら様子を見ていると、脛に刻まれたいくつもの小さな傷が目に留まった。既に治った傷の跡なのだろうが、近くで見ると少々痛々しい。


「……さらぼっくり?」


 湯船に片足を入れかけていた武田が、不思議そうにこちらを見てくる。


「あっ。ごめんなさい」

「どうした?」


 こういうところだけは鋭い。

 しかもことあるごとに質問してくるから厄介だ。


「脛の傷が気になって。見つめてしまってごめんなさい」


 速やかに謝っておいた。

 すると彼は、淡々とした調子「足を振り回すからな、怪我もする」と言う。そして頬を緩ませる。心配してくれてありがとう、と言いながら。



 それから、武田の湯との戦いが幕を開けた。


 最初は爪先を湯に浸ける。そこまでは平気。しかし、ここからが本当の戦いである。まだ気は抜けない。

 続けて彼は、足首まで湯の中へ入れた。これもまだ大丈夫そうだが、表情が固くなりつつある。

 険しい表情のまま、武田は、更に足を入れることを試みた。

 しかし、ほんの数秒で足を抜いてしまう。


「やっぱり駄目ですか?」

「足首より上まで浸かるのは……やはり嫌だ」

「ゆっくり、何度もチャレンジしましょう!」

「あぁ。そうだな。もう一度頑張る」


 私は一体何をしているのだろう、と自分に突っ込みを入れる。だが楽しいことは楽しいのでアリだ。


 足を上げ、再び挑戦する武田。彼はとにかく一生懸命だった。

 それからしばらく、彼はひたすら湯に挑んだ。何度も何度も、繰り返し、湯船に足を突っ込む。ただそれだけを繰り返していた。温泉を堪能したレイが部屋へ戻ってきても、彼の挑戦は終わらない。



 ——そして。



 一時間くらい経っただろうか。彼はついに、両足とも湯の中へ入ることができた。努力の賜物だ。


「やった! やったんだ、沙羅!」


 喜びを溢れさせる武田。

 浅く湯を張った湯船に両足が入った。それだけのことだが、彼にとっては非常に大きな成長だったのだろう。


「凄い喜び方ですね」

「す、すまん。つい興奮してしまった……」

「気にしないで下さい。武田さんが嬉しそうだと私も嬉しくなるので」

「そうか。それならいいが」


 彼は落ち着いた調子で言いながら、繋いだ手はそのままに、湯船から上がってくる。それから彼は私を見つめ、数秒間を空けてから、微かに目を細めた。


「お前のおかげだ、本当に」


 彼は表情を変えずに続ける。


「これで足湯くらいは入れるに違いない。感謝する」


 私は手を繋いでいただけで、別段何もしていない。だから、感謝されるのはしっくりこない、という感じもする。けれど、彼の役に立てたという事実は嬉しい。

 何も持たない私だが、大切な人を支えたいという気持ちはある。なので、役に立てたと分かってホッとしたのだ。


「沙羅。明日早速足湯へ行こう。お前と一緒に浸かりたい」

「え!? ……あ。確かに、足湯なら一緒に浸かれますね」

「よし、明日は二人でそこへ行こう」


 武田は目を輝かせていた。

 どうやら明日は足湯へ行くことになりそうだ。



 その後、彼はシャワーを浴びていた。私もシャワーだけで軽く済ませる。


 体を洗い終えると、三人で協力して布団を敷いた。怪我のせいで時折体が痛むとはいえ、やはり武田は頼りになる。レイもなかなかの活躍だった。私は重い物を動かすのが苦手なため、布団を敷くことよりも、整頓に尽力した。


 寝る順番は、奥から、レイ、私、武田の順番に決まる。つまり、私は二人に挟まれる状態だ。頭の真上には動かしたちゃぶ台。レイが淹れてくれたお茶の入った湯飲みだけが乗っている。


「じゃあ消すね。二人とも、おやすみ!」


 レイが電灯を消す。

 室内は真っ暗闇で、何も見えない。


「おやすみ」

「あっ、はい。おやすみなさい」


 武田と言葉を交わし、布団に入る。私は意外にも、すぐに眠ることができた。

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