138話 「厳しい仮面、優しい心」
武田と共に戻った私は、旅館へ着くと、玄関に設置されている椅子に腰を掛けた。武田の上着を羽織っているため、寒くはない。
「大丈夫か?」
「……はい」
山の中と比べると、旅館の中はかなり温かかった。冬場ではないので暖房がかかっているということはないだろうが、なぜか妙にぽかぽかする。
「武田さん。今日は本当に、迷惑かけてすみませんでした」
段々心が落ち着いてきたので、改めて謝った。山道でも謝罪はしたが、一度謝るだけでは気が済まなかったのだ。
すると彼は、私の謝罪に対し、首を左右に動かす。
「いや、気にすることはない。……あ、そうだ。少しここにいられるか? 無事を伝えに行ってく……」
「武田! 見つかったの!?」
ちょうどそのタイミングで、外からエリナがやって来た。恐らく武田の姿に気がついたのだろう。動いていたからか、彼女の桜色をした長い髪は、若干乱れていた。
「はい。無事」
「見つかったのね!」
エリナは嬉しそうな顔をする。
しかし、椅子に座る私の存在に気がつくと、すぐに、落ち着きのある大人びた表情に戻った。エリナらしい、つんとした表情だ。
「沙羅。貴女一体、どこへ行っていたの?」
彼女は早速私に質問を浴びせてきた。鋭い口調に怯みながらも、私は正直に答える。
「山の方へ……」
答えるといっても、すべてを包み隠さず話すわけにはいかない。なので私は、一番簡単な答えを選んだ。これならエリナをそこまで不快にさせることもないだろう、と思って。
すると彼女は、片手を自身の腰に当てる。それから、はぁ、とわざとらしい大きな溜め息をついた。
「探したのよ? 子どもじゃないのだから、迷惑をかけるのもいい加減にしてちょうだい」
「すみません」
「あんな物騒なところへ一人で行くなんて。まったく。怪我でもしたらどうするつもりよ」
エリナは相変わらず厳しい。けれども、彼女が紡ぐ言葉は、すべてが私を傷つけるようなものではなかった。
探してくれていたという事実。身を案じてくれている言葉。
表向きは厳しいが、彼女の言動の端々からは、私への優しさが窺える。
それは、多くの母親が厳しいのと同じような感じなのかもしれない——そんな風に思った。
「取り敢えずレイとナギに連絡するわ」
エリナはタイトスカートのポケットから携帯電話を取り出す。そして素早く電話をかけ、二人に「沙羅が見つかった」と報告する。
それからしばらくすると、まずレイが、その後ナギが、それぞれ帰ってきた。
「沙羅ちゃん! 怪我はない!?」
「いきなりいなくなったから驚いたっすよ!?」
レイとナギに同時に言われ、私は「すみません」と頭を下げるしかなかった。二人が嫌な顔をしていなかったのが、唯一の救いだろうか。
「沙羅、今後は勝手な行動は慎んでちょうだいね。次からはもう探さないわよ」
険しい顔つきでエリナが述べると、ナギが口を挟む。
「エリナさんったら、そんなこと言っていいんすか?超心配してたじゃないっすかー!」
「な、何よ。いきなり」
「隠さなくていいんすよ?」
「うるさいわね!」
エリナはらしくなく赤面していた。ということは、ナギの発言は真実なのだろう。
「沙羅ちゃん。エリナさんは沙羅ちゃんのこと、すっごい心配してたんっすよ」
「そうだったんですか」
「あの慌てぶりったらもう……とにかく凄かったっす!」
「そうなんですね」
私はエリナに向き、「ありがとうございます」と感謝を述べる。すると彼女は、顔をほんのりと赤らめたまま、ぷいっとそっぽを向く。
「礼を言われるほどじゃないわ。心配するのは当たり前でしょう」
愛想はないが、どこか温かさを感じる言い方だった。
「ありがとうございます、エリナさん」
「何よ、改まって。止めてちょうだい」
エリナは気恥ずかしそうな顔のまま、片手で、ふわりと髪を掻き上げる。それから息を吸い込み、数秒して、ふうっと吐き出す。
「さて。それじゃあ一度部屋へ行きましょうか」
そういえばそうだった。
ここは旅館、今日は旅行なのだ。このメンバーで一緒に過ごせるせっかくの機会なので、とにかく楽しまなくては損である。
「おぉっ! いいっすね! 部屋割りとか気になるっす!」
「ナギは静かにしなさい」
「ちょ、何でっ!? 盛り上げようとしてんのにっ!」
「ここは公共の場よ、騒ぐのは止めて。せめて部屋に入ってからになさい」
なんというか……、エリナはナギの母親みたいだ。
そんなことを思いながら、私は椅子から立ち上がる。
「とにかく行くわよ。全員ついてきなさい」
エリナはそう言うと、速やかに歩き出す。すぐにその後を追うナギ。レイは私の方を見て、話しかけてくれる。
「沙羅ちゃん大丈夫?」
「は、はいっ」
「部屋割り、どうなるか楽しみだね」
確かに、部屋割りは重要だ。
そんな話をしていると、徐々に心が弾んでくる。
私は学校でのイベントが好きなタイプではなかった。中高生時代の合宿や修学旅行も、正直、楽しいと思ったことはない。むしろ嫌なくらいだった記憶がある。
だが今はウキウキして、非常に楽しい気分だ。
「あたしは沙羅ちゃんと一緒の部屋がいいな」
「楽しそうですよね」
エリナとナギを見失わないように目で追いながら歩く。
「そういえば、荷物ってどうなったんでしたっけ?」
車から降りてすぐ走り出してしまったので、荷物がどうなったのかは知らない。ふと気になったのだ。
「トランクに積んでた荷物は、もう部屋に運ばれてるよ」
「あ、そうなんですね。それなら安心しました」
「うん。よく思い出したね」
そんなたわいない会話をしながら、私たちは客室へと歩いていく。色々迷惑をかけてしまったが、みんなのおかげで、こうして笑っていられる。
だから今は、この環境に感謝しよう。