136話 「出発進行」
お昼過ぎ、レイがレンタルの自動車を事務所まで運んできてくれた。大型の自動車なので、今日は全員乗れそうだ。早速、トランクに全員分の荷物を入れ、順に乗り込む。
武田はまだ傷が痛むため、運転はレイが担当するらしい。
運転席にレイ、助手席にエリナが、それぞれ座った。その後、最後列にナギとモルテリア。そして私と武田は中間の列に、それぞれ腰掛ける。
「それじゃあ、出発します! ナギ立たないでね」
レイは後ろを振り返り、彼一人だけを指定して注意していた。
前に何かあったのだろうか……?
「大丈夫っすよ! モルちゃんとお菓子交換楽しむっすから!」
ナギは、隣に座っているモルテリアにもたれかかりながら、レイに向かってグッと親指を立てて見せる。
「……ちゃんと、見張る……。だから、大丈夫……」
「ちょ、見張るって! 俺一応、モルちゃんより年上っすよ!?」
「……うん。でも落ち着きない……」
「まぁ、そうかもっすけどねー……」
モルテリアとナギがそんな風に会話しているうちに、自動車は発進した。
先日まで使っていたエリミナーレの車とは形が大きく異なるため、乗り心地も結構違う。高さの感じや座席の座り心地が違うので、少々違和感がある。
しかし、広々としていてリラックスできるため、こちらの車も悪くはない。
こうして私たちは、六宮にあるエリミナーレの事務所を後にした。
「はいっ、到着!」
レイの軽い声が、目的地への到着を告げる。
「……あ」
途中までは窓の外の景色を懸命に眺めていたものの、気づかぬうちにうたた寝してしまっていたらしい。車はいつの間にやら、旅館前の駐車場へと着いていた。
「起きたのか、沙羅」
周囲の様子を確認していると、隣の席の武田が声をかけてくる。
「はい」
「凄く気持ちよさそうに寝ていたな」
「本当ですか? ちょっと恥ずかしいです」
眠っているところを見られるというのは、どうしても恥ずかしさを感じてしまう。過ぎたことを言っても仕方がない。とはいえ、おかしな顔をしていなかったかは気になる点だ。
「おかしな顔してませんでしたか……?」
勇気を出して尋ねてみると、彼は柔らかく微笑む。
「おかしな、とはとんでもない。非常に可愛い寝顔だった」
「か、可愛いなんて言わないで下さい……」
「沙羅は可愛いと言われるのが嫌なのか?」
武田は眉間にしわを寄せつつ首を傾げた。恐らく私の発言の意味が分からなかったのだろう。
よく考えてみれば、確かに、私はおかしなことを言ってしまった気がする。武田に「可愛い」と言われて嬉しくないわけがない。それなのに「言わないで」と言うなど、意味不明の極みだ。
「嫌ではないですけど、その」
「何だ?」
「恥ずかしいです……」
可愛いと言われたことを恥ずかしいと思う人が恥ずかしいかもしれない。
「なんだか、すみません」
車から降りながら謝り、私は武田の返答を待つ。
私の後に続いて降車した彼は、こちらへ視線を向け、表情を再び柔らかなものに戻す。
「なるほど、お前はそう考えるのだな。勉強になった」
柔和な表情は、彼の鋭利さの漂う顔立ちには似合わない。真逆のものを組み合わせたような、歪な感じになっている。ただ、嫌な印象を与えることは決してなかった。
「沙羅のことは一つでも多く知りたい。だからこれからも、今のように、正直なところを話してくれると助かる」
言いながら、武田は手を差し出してくれる。
私より魅力的な女性などいくらでもいるのに、どうして私に優しくしてくれるのだろう。なぜかそんなことが頭に湧いてきたが、敢えて問うことはしなかった。
全員が降りた後、エリナが先頭となって旅館へ入っていく。すると玄関で、温かな歓迎を受けた。予想外の丁寧さに戸惑っていると、武田が、「京極家は結構な権力を持っているからな」と教えてくれた。
確かに、と思う。
働いている女性たちはエリナの姿を目にすると、「お帰りなさいませ、京極様」と言葉をかける。対してエリナは、頷き、淑やかに「ありがとう」と返す。
まるで漫画やアニメの世界のお嬢様だ。
私とは違う世界に生きる者を見ているような気分になった。
「凄いですね……」
「あぁ。ああいったところを見るのは久々だがな」
「武田さんは前に見たことあるんですか?」
尋ねてみると、彼は頷く。
「ランチに誘われ行ってみたら料亭で、料理はどれも高額で、動揺しているうちに奢ってもらってしまっていたりしたこともあったな。懐かしい話だ」
かつての同級生に会ったかのような表情で武田は語る。
それを聞いた時、ほんの少し胸が痛んだ。なぜかははっきりしないけれど、針の先で突かれたような感覚が消えない。
「……沙羅?」
「あ、いえ。ただ、エリナさんと仲良しだったんだなって、思って」
当たり前ではないか。エリナと武田はエリミナーレ結成前からの知り合いなのだから。二人が共に過ごしてきた時間は、私と武田が過ごした時間よりも長い。当然のことだ。
今気づいたわけではない。ずっと前から分かっていた。
それなのに。
なぜか今さら、それが気になり出した。一度考え始めてしまうとなかなか抜け出せず、ぐるぐると同じことばかり考えて、意味もなく落ち込んでしまう。
「いや、仲良しというほどではない。だが沙羅……どうした?」
武田は私の心が分からず戸惑っているようだった。
本心を言うべきなのだろうか。すべてをさらけ出す方が良いのだろうか。私はそう思ったけれど、怖くてできなかった。独占欲の強い女だと煙たがられてしまうかもしれない——そう考えると怖くて、本心など言えるはずもない。
「元気がないようだが、何か不快なことを言ってしまったか?」
「いえ。ただ……」
「ただ?」
こんなこと、言うべきではない。何度も止めようと思ったが、私はついに正直に話すことに決めた。
「武田さんが今までエリナさんと過ごした時間に比べたら、私たちの過ごした時間なんて短いんだなって……。私は多分、武田さんのことをあまり知らないので……」
もっとも、頭を整理できていないせいで発言が意味不明だが。
「何を言う。私と沙羅は十分理解しあっているだろう」
「エリナさんより貴方を知らないのが悔しい……です」
言ってから、私は目を閉じた。おかしな女と思われたに違いない。武田に冷えた目で見られるのが怖くて、私は瞼を開けられなくなった。
少しして、武田の声が聞こえてくる。
「沙羅。それは違う」
耳を塞ぎたい衝動に駆られる。だが、塞ぐこともできない。その瞬間だけは、本心を言うことを選んだ自分を心底憎んだ。
「お前は」
「ごめんなさいっ!」
気づけば私は、心のままに駆け出していた。
武田の顔を見るのが怖くて、傍にいるのも怖くて。
「沙羅! 待て!」
「来ないで下さいっ」
だから、一度も振り返ることなく、私は走った。当てもなくひたすら走る。彼から逃げるように、走るのだ。