135話 「お出掛けの朝」
解散になった後、私は武田の隣に座った。ソファは柔らかく、予想以上に体が沈み込む。感触が案外心地よく、自然と穏やかな気持ちになれた。
彼の顔へ目をやると、まるで前以て決めていたかのように、彼もこちらを見ていた。細めだが柔和な瞳がじっと私を見つめている。
合図もなく同時にお互いを見合うという偶然。
私たち二人は特別な二人なのだと、そんな気がして、妙に照れ臭い。
「そうだ、沙羅。昨日言っていた新聞を見せよう」
武田は新聞を取りに行こうと立ち上がる。しかし、腰を上げた次の瞬間、詰まるような息を漏らして顔を歪めた。膝が曲がってしまっている。
「無理しちゃ駄目ですよ!」
私が半ば反射的に注意すると、彼は顔を苦痛に歪めたまま返す。
「平気だ」
弱いところを見られたくない、というような言い方だった。
それからすぐに体勢を立て直した武田は、「待っていてくれ」とだけ残し、パソコンが置いてある机の方へ歩き出す。足取りは意外にもしっかりしている。
「ほら、これだ」
武田は一分もしないうちにソファへ戻ってきた。そして早速新聞を広げ、見せてくれる。
新日本新聞。
その一面を飾っていたのは、「畠山宰次」という名前。更に細かな文字をたどっていくと、彼が犯した罪に関することが書かれているのだと、私にでも分かった。
「こんなに早く載るものなんですね」
「あぁ、すぐに出たな」
「新聞って凄いですね! 昔ながらのですけど、改めて凄さを感じました!」
決して色鮮やかではないし、紙媒体だ。一見、このネット時代には馴染まない。
だが、こういうものから情報を得るのも良いかな、と思った。
そして、二日後。
在藻温泉へ行く日が来た。
二泊三日の日程なのだが、楽しんでばかりもいられない。というのも、この二泊三日の間に、何としてもエリナを説得しなくてはならないのだ。
もし説得に失敗すればエリミナーレに未来はない——。
朝、私は一人、家から持ってきた旅行鞄に荷物をまとめた。衣類やタオル、常備薬などを鞄に詰める。以前武田とお揃いで買ったカニのピンバッジも、さりげなく入れておく。
必要最低限の物だけにしたため、旅行鞄は案外軽く仕上がった。
仕事ではないので今日は私服だ。だから、桜色のワンピースを着た。それから髪をとかし、ほぼすっぴんに近いような薄い化粧を済ませ、リビングへ向かう。
すると既にナギがいた。
「おはよっす! あ、そのワンピースいいっすね!」
「おはようございます。ありがとうございます」
ナギは元気いっぱいだ。日頃から元気なナギだが、今日はいつも以上に活発な雰囲気を漂わせている。
「……うるさいわよ」
私とナギが挨拶しているとエリナが現れた。
寝起きだからか、テンションが非常に低い。一応最低限の化粧はしているが、髪は若干乱れていた。セット前なのかもしれない。
そんなエリナを見て、私は、彼女が朝に弱いということを思い出した。
しかしナギはエリナの調子などまったく気にせず、積極的に彼女へ近づいていく。
「あ、エリナさん! おはようございまっす!」
「おはよう」
「え。何かテンション低ないっすか?」
「朝はあまり好きじゃないのよ」
ナギの元気さについていけないらしく、エリナは小さな溜め息を漏らしていた。もしかしたら、昨夜はあまり眠れなかったのかもしれない。
「今日は旅行の日っすよ!? もっとテンション上げていった方がいいっすよ!!」
眠そうなエリナに、ナギは声をかけ続ける。
体調不良ではないのだから、そのうち元気になってくることは分かっているのだ。しばらくそっとしておいてあげればいいものを。
「なんなら俺が目覚めのキスしてあげましょっか?」
「……うるさいわね」
「エリナさんが元気になるなら、いつでもして差し上げるっすよ」
「うるさいって言っているでしょう!」
ナギの執拗な絡みに耐えきれなくなったエリナは、まだ目が覚めきらない顔に不快の色を浮かべ、鋭く言った。
「付きまとわないでちょうだい!」
吐き捨てるような言い方だ。
ここまで言われて、ナギはようやく絡むことを止めた。エリナが心から嫌がっていると理解したのだろう。
……少しの沈黙。
そして、やがてナギが、それを破る。
「すいません。調子乗りすぎたっすね」
いつもはひたすら明るく活発なナギだが、今は反省しているらしく、大人しくしていた。
素直に謝られ、エリナは気まずそうな顔をする。
「……分かればいいわ。静かに用意なさい」
落ち着きのある声で述べ、彼女はまたリビングを出ていってしまった。彼女の表情から察するに、ナギと同じ場にいるのが気まずかったからだと思われる。
エリナとナギ。二人は気が合わないことはないはずなのだが、どうもすれ違っている感じが否めない。その僅かなすれ違いさえ解消されれば、もっと仲良くなれるだろうに。実に惜しい。
その時、エリナが出ていくのと入れ違いで、レイとモルテリアがやって来た。仕事でないからか、二人とも私服だ。
「おはよう!」
「……まだ、眠い……」
レイはストライプの長袖シャツにジーンズという、極めてシンプルな格好をしている。青い髪は相変わらずさらさらで、つい見惚れてしまう美しさである。
一方モルテリアは、深緑のパーカーに足首まである灰色のロングスカートという、ゆるりとした服装だ。こう言っては失礼かもしれないが、モルテリアの食以外には無頓着なところがよく現れている気がする。自然体、といった感じだ。
「沙羅ちゃんそのワンピース可愛いね。似合ってるよ」
今日着ている桜色のワンピースは妙に人気がある。
「本当ですか?」
「もちろん。ね、モル!」
「……うん」
モルテリアも頷いていた。
「ほらね!」
「ありがとうございます」
私はこれまでずっと、服装には気を使ってこなかった。だから誰かに「可愛い」などと服を褒められることはなかった。なので服を褒められるというのは新鮮だ。
だが、悪い気はしない。
こんな私にでも、どうやら、服を褒められて嬉しいという女性的な感情はあるらしい。私はそれを今さら知った。