130話 「話したいことは山のように」
それからも私たちは色々話した。内容は主にこれからのエリミナーレについてだ。
リーダーのエリナがいないので、話しても無駄と言えば無駄なのかもしれない。ただ、彼女がいないからこそできる話というのもあるわけであって、だから、この会話が無駄だとは思わなかった。
狭い部屋の中でのんびりと話していると、いつの間にか六時を過ぎていた。
それに気がついたレイは、腰掛けていた椅子から立ち上がり、「もうこんな時間」と笑う。青空のように爽やかな笑みが、彼女の凛々しい顔立ちによく馴染んでいる。
「あたしはそろそろ自分の部屋に帰るよ。エリミナーレの会議だからって言って無理矢理出てきたから、いつまでも出歩いてたら怒られそうだしね」
「レイさん、やはりまだ体調が?」
「ううん。あたしはもう元気だよ。でもお医者さんが安静にしてろってうるさくて」
言い終わり、苦笑するレイ。
医者が面倒臭い、とでも言いたげだった。
「モル、あたしの部屋においで」
「……レイの、部屋?」
「お菓子あるよ。確か、みかん饅頭とか、コンビニのぜんざいとか」
「行く……!」
モルテリアは即答した。
やはり食べ物の誘惑には勝てないようだ。
モルテリアは既に、レイがあげた食べ物に心を奪われている。宙をぼんやりと見つめながら、うわ言のように「みかん饅頭……ぜんざい……」などと漏らすくらいに。
「沙羅ちゃん、武田、後は二人で楽しんで」
「あぁ。気遣い感謝する」
「それじゃあね」
レイは手を振りながら、モルテリアと共に退室していった。
結局また武田と二人きりだ。
私はひとまず、先ほどまでレイが座っていた椅子に腰掛ける。
すると視線の先にはちょうど窓。徐々に日が落ちてきて、空は暗くなりつつあった。繊細な水彩画のように、いくつもの色が混じりあい、淡いグラデーションを生み出している。
武田と二人になると、時の流れが急に遅くなった。会話があまりないからだろうか、一分一秒が長い。いや、時の流れの速度自体は何も変わっていないのだろうが。
「もうじき日が暮れますね」
私はそんなことを言っていた。
どちらかといえば、空を眺めていたら自然と口から出ていた、という方が正しい。
「そうだな」
武田は窓の外に広がる空へと目をやり、返した。呟くような小さな声だった。
「もしエリミナーレがなくなったとしたら、武田さんはどうすると思いますか?」
「……なぜそんなことを聞く?」
武田は視線を再び私に戻す。それから怪訝な顔をして聞き返してきた。
私はさらりと答える。
「特に深い意味はないです。ただ、武田さんならどうなさるかなって、少し気になって」
これは完全な真実だ。先ほどの問いに、深い意味などない。
「なるほど。そうか、エリミナーレがなくなったら……か。そんなこと、今まで一度も考えてみなかった」
「それは私もですよ。今日初めて考えました」
エリミナーレのみんなと過ごせる時間は凄く貴いもの。それは分かっていて、しかし、いつからか当たり前だと思うようになっていた。だから、みんなと別れることなど、微塵も考えてみなかった——これは事実だ。
だがそれは私だけではないのだろう。武田の表情を目にすると、そんな気がした。
「私は、新しい職に就けるよう努めるだろうな。そうでなくては、沙羅と共に歩めない」
武田の答えは妙に現実的だ。しかも淡々とした調子で述べるものだから、なおさら現実的に感じる。
夢がない。ただ、武田らしさはある。
「沙羅はどうするんだ?」
「そうですね……自分から尋ねておいてなんですけど、すぐには思いつきません」
「ならいいんだ。それも一つの答えだからな」
私が曖昧な答えしか出せなかったことを彼は咎めなかった。
それから数分。
窓から見える空がだいぶ暗くなった頃、武田が唐突に起き上がり、自ら切り出す。
「そうだ、沙羅。少し構わないだろうか」
彼が妙に真剣な顔をしているものだから、こちらもついつい身構えてしまった。姿勢を正し、彼を真っ直ぐに見つめる。
「はい」
「お互いの呼び名について確認しておこうと思ってな。今までは沙羅と呼んでいたが、それではよそよそしい気がするんだ」
どこがだろう。
名前呼びは十分近しい雰囲気な気がするが。
「なので考えてみた」
「私の呼び名を、ですか? 沙羅のままで大丈夫ですよ」
「いや、駄目だ。もっと特別な呼び名でなくては」
「はぁ。そうなんですか」
武田は恋人というものをどこか勘違いしている気がしてならない。それに加え、彼の感性は元より独特なので、結果的に色々と奇妙な状態になっている。
「熟考した結果、一つの答えにたどり着いた。聞いてくれるだろうか?」
「もちろん」
「よし。では」
ベッドの上に横たわったまま話している武田が、一度だけ、心を落ち着けるように深呼吸をした。
そして彼は続ける。
「さらぼっくり、と呼んでも構わないだろうか」
「……えっ」
「聞こえなかったか? すまない。さらぼっくり、と言ったんだ」
ぼっくり、はどこから出てきたのだろう……。
これはまた、かなり予想外な呼び名が来たものだ。私の想像の遥か斜め上を行く、珍妙な呼び名である。
「さらぼっくり、と呼んでも構わないだろうか」
大事なことだからか、彼は二度繰り返した。
しかし、私は何も返せない。驚きやら何やらがごちゃ混ぜになり、どう答えるのが最善か分からないのである。一応相応しい返答を探してみるが、なかなか良い言葉が見つからなかった。
そんなことで私が黙っていると、彼はその整った顔に憂いの色を浮かべる。
「気に入らなかったか?」
「い、いえ。気に入らないとかではなく……」
「嫌なら、はっきりと言ってくれ。何か案があればそれも。遠慮は要らない」
「えっと……い、嫌じゃないです! それでお願いしますっ!」
面倒臭くなって、つい口調を強めてしまった。
鋭く言ってしまったため、不快な思いをさせたかと一瞬不安がよぎる。しかし武田を見ると、満足そうに頷いていた。どうやら何も思っていなさそうだ。
「さらぼっくり。沙羅の可愛さが上手く表現できているだろう? 自分で言うのもなんだが、自信作だ」
武田はそう言って、子どものような笑みをこぼす。
「ただ、お願いだから二人の時だけにして下さいね」
「そうだな。他の者に聞かれては惜しい」
そんなものだろうか……。
やや違和感を感じた。
私の呼び名が決まったところで、今度はこちらから話を振る。武田の呼び名についてだ。私がさらぼっくりなのに彼が武田さんのままというのは少々不自然かもしれない、と思い、尋ねてみる。
「武田さんはこれからも武田さんで大丈夫ですか?」
すると彼は即座に答える。
「もちろんだ。そのままでいい」
三秒もかからない、恐るべきスピード回答であった。
これからは彼と二人、こんな風に穏やかに歩んでいけるのだろうか。そうであってほしい、と心から思った。
その時、誰かが病室の扉を軽く叩いた。
唐突に聞こえたノック音に対し武田は、「どちら様ですか?」と、彼らしい淡々とした声色で応じる。今のように落ち着いた振る舞いをしていると、武田も、普通の男性に見えないことはない。
「いきなりすみません。天月です」
聞こえてきたのは父親の声だった。個性の感じられない平凡な声——私の父親に間違いない。
武田は上半身を起こし、椅子に座っている私へ視線を向けてくる。それから小さく「大丈夫か?」と尋ねてきた。問いの意味がいまいち理解できないが、取り敢えず頷いて「はい」と答える。
すると武田はやや大きめの声で「どうぞ」と言い放った。




