118話 「この身にまとわりつくは、闇」
爆発、だろうか。結構な大きさだった。
狭い視界の中でなんとか見えるのは灰色の煙だけ。焦げ臭い匂いが鼻を通り抜けていく。ただ、状況はいまいち理解できない。確実なのは、地面に仰向けに倒れていることだけだ。
武田が上に乗っかっているのか、得体の知れない重みを全身に感じる。胸や腹が圧迫され、非常に息苦しい。
「武田さん?」
私は恐る恐る彼の名を呼んでみた。
すると、私の上にある物体がごそっと動く。そして、それと同時に、生暖かい液体が額へこぼれ落ちてくる。
動かしにくい腕をなんとか動かし、自分の額を触る。それから手を見ると、指先が赤く濡れていた。
「血!?」
私は思わず大きな声を出してしまった。
痛みはなく、傷らしきものもないのに、指先は赤黒い。私の怪我ではない、ということなのだろうが、それでも衝撃を隠しきれなかったのだ。
「……すま、ん」
武田の声が耳へ入ってくる。
目を凝らすと、彼の頬から血液が滴り落ちているのが見えた。
「後頭部、打っていないか?」
「あ、はい。大丈夫です」
彼は流血しているわりに呑気だった。この期に及んで私の心配をしているとは、やはり少々ずれている気がしてならない。
「武田さんこそ、怪我してますよ。血が出てます」
「血?あぁ、これか……というより、沙羅! お前! 額に血が!」
どうやら今さら気がついたらしい。まるで時差があるかのようである。
「一体どうしたんだ!?」
「あ、いや……多分……」
「多分?」
「武田さんのがついただけかと……」
凄まじい勢いに圧倒されながらも私は答えた。すると彼は、胸元のポケットから、慌ててハンカチを取り出す。そして、差し出してくる。
もっとも、一番の驚きは、彼がハンカチを持っていたことだが。
「これで拭け。清潔なハンカチだ」
「そんなのいいですよ」
「いや、駄目だ。他人の血液に触れるのは良くない」
「……分かりました。では甘えさせていただきます」
「それでいい。頼ってもらえると嬉しいからな」
私が大人しくハンカチを受け取ると、武田はふっと笑みを浮かべた。温もりを分けてくれるような、柔らかく自然な笑みだ。
——だが。
そんな穏やかな時間が続くはずもなかった。
「ぐあっ」
突如詰まるような声をあげ、床に倒れ込む武田。
直前まで微笑んでいたのに。
あまりにいきなりのことだったので、私はただ、呆然と見つめることしかできなかった。
「油断は最大の敵、ですな。ふふ」
それからしばらく。煙は徐々に晴れ、視界が広がってきた。ようやく周囲の状況を捉えられる状態になってくる。
倒れ込む武田の向こう側にいたのは宰次だった。
「爆発が致命傷にならないとは、驚きですな」
宰次は黒い棒を持っている。先ほど私が父親から奪い取った、電撃を浴びせる棒だ。
恐らく武田はこれにやられたのだろう。背後から棒を当てられたに違いない。それならいきなり倒れ込むのも理解できる。
「何をするんですか!」
私は半ば無意識に叫んでいた。
しかし宰次は不快な顔をしない。それどころか、軽く笑みを浮かべている。勝ち誇ったような、感じの悪い笑みだ。
「沙羅さん、ご安心を。お父さんは無事ですからな」
「そうじゃなくて! 武田さんになんてことを……!」
言いかけて、私は息を飲み込む。宰次の表情が固くなっていたからだ。
宰次はまったく怒らないわけではないが、どちらかといえば笑みを浮かべていることの方が多い人間だ。日頃あまり怒らない人間の固い表情というのは、目にすると自然と危機感を抱いてしまう。
「この男には、苦しみながら死んでもらわねばならない」
そう言った宰次の顔つきは、まるで人間でなくなってしまったかのようだった。冷たく、触れればすべてが凍りついてしまいそうな、そんな顔つきだ。
宰次はそれからも、黒い棒を使い、動けない武田を攻撃する。
「よくもこそこそとかぎ回ってくれましたな……京極エリナの下僕が!」
肩を、腕を、そして背を。
宰次は武田のあらゆるところに棒を当て、既にほとんど動けない武田へ追い討ちをかけていく。
電撃を浴びせられ続けた武田は、もはや何もできず、ただ床に伏せて震えるだけ。棒を当てられるたび、辛そうに呻き、呼吸を乱す。
このままでは彼は危ない。命を落とすかもしれない。
どうにかしなくては、と考える。けれども良い案は思い浮かばない。私一人で宰次を止めることなど不可能に近しい。
「エリナさん……ごめんなさい……」
思わずそんなことを漏らしていた。
レイがいない今、頼れそうなのはエリナくらいしかいない。しかしそのエリナともいつ合流できるか分からない状況で。
私にはもう希望はなかった。
得体の知れない黒いものがまとわりついて、私を闇へ引きずりこもうとする。底のない闇の沼へ連れ込まれるような感覚。それは凄く恐ろしい。なのに、「まぁ、もういいや」と思ってしまっている自分がいる。
扉からまたしても男が現れて、さらにどうしようもない状況になってしまった。
すべてが、私のせい。
私が茜についていく道を選んだから。そのせいで武田はこんな目に遭っている。
「ごめん……なさい……、私……」
思えば、迷惑をかけてばかりだった。私が力のない人間なせいで、迷惑をかけて、みんなを不幸にした。
結局私は役立たず。
誰も護れないし、誰かの支えになることすらできない。
「……こんな私は、もう……」
父親が宰次と手を組まざるを得なくなったのだって、私がいたからだ。弱い私の存在が、父親を罪人にした。
「いらない」
渦巻く闇が心を飲み込んでいく。
そんな時だった。
「沙羅!」
武田の叫ぶ声が耳に入ってきた。
彼はまだ床に倒れ込んでいる。だが、懸命に声を絞り出していた。
「そんなことを言うな!」
「……でも私は」
「要るんだ! お前が要らなくても、私は沙羅が要る!」
予想外の元気さ、そして突然の発言に、宰次は動揺している。もちろん、先ほど部屋へ入ってきた宰次の手下の男たちも。
それに、私も。




