117話 「こちらも」
沙羅と武田が宰次に対面していた頃、二階通路。
シャッターに遮られ先へ進めなくなったエリナら三人は、戦う気満々の紫苑と対峙していた。数ではエリミナーレが圧倒的に有利だが、漂わせている気迫は紫苑も負けていない。
エリナは鋭い表情で鞭を片手で軽く持ち、口紅が綺麗に塗られた唇を動かす。
「紫苑、シャッターを元に戻しなさい。手間をかけさせないでちょうだい」
大人の女性という言葉が相応しい、落ち着きのある声だ。
もしここが敵地でなかったなら、ナギはうっとりして聞き入っていたことであろう。そんな魅力的な声である。
だが紫苑は冷ややかな顔つきを崩さない。凍りつくような視線も、微塵も変わらなかった。
「それはできない」
エリナの威圧感にも紫苑は動じない。
「ぼくの役目は君たちの足止め。だから、ここから先へ進ませるわけにはいかないんだ」
「あら……」
紫苑の言葉を聞き、エリナは残念そうに目を閉じる。
それから数秒して、彼女はパッと目を開く。
「なら実力行使しかないわね!」
「……そう言うと思ったよ」
エリナとナギがそれぞれ武器を構えた瞬間、紫苑は指を鳴らす。ぱちんと乾いた音が鳴る。
すると、近くの壁の一部がくるりと回転し、数人の男が現れた。一階で戦った者たちとは異なり、私服を身にまとっている。
「ナギ!」
「オッケーっす!」
軽いノリで応じるナギ。
彼は長い金の三つ編みを揺らしながら、緩急のある動きで、力任せに迫りくる乱暴な男たちを翻弄する。
ステップを踏むような軽やかな足取り。大きすぎない体を活かした俊敏な動作。そして、確実に的を貫く射撃。
好き放題暴れて回るナギは、もはや誰にも止められない。素人染みた男が幾人か集まったところで、捉えられるはずもない。
私服姿の男たちは、ナギの緩急のついた動きに翻弄されるばかり。為す術もなく、次々と倒されていく。
一方、紫苑は、エリナを死角から狙う。その手にはナイフ。
ナギという盾が離れたところを仕掛ける作戦でいたのだろうが——エリナはそれを完全に読んでいた。
紫苑が大きく振るナイフを、エリナは背を反らしてかわす。それから、紫苑に回し蹴りを加えるエリナ。
「……ちっ!」
紫苑は舌打ちしながらバク転し、エリナの回し蹴りを避ける。そして、床に着地するや否や、数本の細いナイフをエリナへと投げつけた。
風を切り、凄まじい勢いに乗って宙を飛ぶナイフ。
「甘いわよ!」
エリナは強気に言い放つ。そして、短めに持ち直した鞭で、飛んでくるナイフを払い落とした。
その時。
エリナはふと、小さな足音に気づく。
「……足音?」
聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で呟き、眉をひそめるエリナ。彼女は、閉ざされた防火シャッターの向こう側から聞こえる、パタパタという音の正体を、探ろうとしていた。
そこへ再び迫る紫苑。
ナイフを構え直している。
「気を散らすとは、戦士の風上にもおけないね」
「……くっ」
聞こえてくる謎の足音に気を取られていたエリナは、らしくなく、ほんの一瞬反応が遅れる。だが紫苑はお構い無し。尋常でない迫力をまとい、エリナの方へ突っ込んでいく。
ナギはそれに気づき、すぐにエリナの方へ向かおうとする。しかし、私服の男が邪魔で間に合わない。
もう駄目か——そう思われた瞬間。
紫苑が転倒した。
「なっ!?」
床をゴロゴロと回転し、戸惑いを隠せない紫苑。
「……意地悪、駄目……」
モルテリアが足を引っ掛けていたのだった。
紫苑は、エリナに夢中になりすぎるあまり、周囲への警戒を怠っていたのだろう。見事に引っ掛かった。
「こいつ……!」
苛立ったように漏らし、モルテリアへナイフを投げつけようとする紫苑。しかし、エリナの鞭に絡みつかれ、妨害される。紫苑の、紫に輝く瞳が、怒りの色で満ちていく。
「そうはさせないわよ、紫苑」
「……邪魔をしないでもらえるかな」
「ごめんなさいね。可愛い部下に手を出させるわけにはいかないのよ」
口元に余裕の笑みを湛えるエリナを目にし、紫苑は不快そうに顔を歪める。憎しみと不快感を練って固めたような、お世辞にも綺麗とは言い難い表情だ。
桜色の長い髪をわざとらしく掻き上げながら、エリナはモルテリアに言い放つ。
「ナイス、モル!」
温かな声をかけてもらったモルテリアは、コクリと頷き、「うん……」と返事をした。
その頃になって、ナギがエリナらの方へやって来る。私服の男たちをようやく倒しきったようだ。武田に比べれば遅いかもしれないが、ナギにしては頑張った方だろう。
「エリナさん、大丈夫っすか?」
「えぇ。なんとかね」
「あー、良かったー! 怪我とかなくて良かったー!」
ナギは躊躇いなくエリナに抱き着く。腹部辺りに腕を絡め、まったく離れそうにない。紫苑のことなど忘れてしまったかのようである。そんなナギの様子を、モルテリアは呆れた顔で眺めていた。
しかし、数秒経って、エリナはナギを叩き払う。不愉快極まりない、というような顔つきで。
「気持ち悪いから止めてちょうだい」
「ちょ、気持ち悪いとか! さすがに遠慮なさすぎっしょ!」
「いきなり抱き着くなんて異常よ」
「う。まぁ、そうかもっすけど……うぅ……」
そんなどうでもいい茶番を繰り広げた後、エリナは紫苑に体を向けた。ナギとモルテリアも、同じようにする。
「紫苑、もう一度だけ言うわ。シャッターを」
言いかけた時、ドォンと大きな爆発音が響いた。
爆発が起きたのは視認できる範囲内ではない。しかし爆発音は空気を激しく震わせていた。近くには違いないだろう。
その瞬間だ。
紫苑が突如、シャッターを開けた。そして、開ききる前に、走り出す。
「茜っ……!」
彼女は茜の身を案じているようだった。
「ナギ、追って!」
エリナの命令が飛ぶ。
ナギは頷き「はい!」と返事をした。そして駆け出す。
「モル。貴女はレイに電話して」
「……レイに?」
首を傾げるモルテリアに、エリナは言う。
「そうよ。やはり彼女の力が必要だわ」
「でも……嫌って、言ってた」
「大丈夫。今ならレイは来てくれるわ」
少しして、モルテリアはコクリと頷く。
「……分かった」
エリナはモルテリアに「頼んだわよ」と言うと、ナギの後を追った。
武田や沙羅と合流するために。そして、今日すべきことをやり遂げるために。




