115話 「沸き上がる想い」
武田と宰次が言葉を交わしている間、私は何となく考えていた。なぜここに宰次がいるのだろう、と。
建物の入り口では最上階へいるというようなことを仄めかせていたが、ここは二階。つまり彼がいたのは二階なので、話が違うではないか。それに、私の父の姿もない。
くだらないことだが、一度気になりだすと気になって、考えずにはいられなかった。
私が考え事に夢中になっていると、唐突に宰次が言う。
「さて、沙羅さん。では早速ご対面といきましょう。心の準備は大丈夫ですかな」
「えっ。ご対面って……?」
「お父さんとご対面、という意味ですよ」
直後、背後でガタンと物音が鳴った。私は音に反応して振り返る。
するとそこには、私の父親が立っていた。間違いなく私の父親だ。しかし黒服の男に両腕を拘束されていた。まるで罪人のようである。
それを目にした武田は、さりげなく寄ってきて、「本物か?」と尋ねてきた。眉を寄せ、訝しむような顔つきをしている。
私は静かに「本物だと思います」と答える。この目で確認したのだから、さすがに偽者ということはないだろう。
「お父さん、これは一体どういうことなの?」
事情を知るには本人に聞くしかない。そう思い、私は父親に尋ねた。不用意に刺激しないよう、落ち着いた調子を意識しながら。
しかし父親は答えない。
「…………」
父親は俯き、だんまりを決め込む。私には一切目を合わせない。怒りを露わにして「これが娘に対する態度か!」と言い放ちたくなるような様子だ。
「沙羅、拘束を解いた方がいいか?」
武田は恐らく、父親のことを言ってくれているのだろう。
私は悩みながらも頷いた。
罪を犯したかもしれない、悪人の味方をしたかもしれない——そんな人間を、父親だから「助けてほしい」と言うなど、わがままの極みだ。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
だが、拘束されている父親が目の前にいるというのは、どうしても辛い。
「よし。任せてくれ」
武田は短く言い、私の顔を見つめて頷いた。
彼の顔には微かに笑みが浮かんでいる。安心させようとするような、穏やかな笑みが。
次の瞬間、武田は私の父親の方へと歩み出す。初めはゆっくりだったが徐々に加速をかける。
父親を拘束していた黒服のうち一人が、武田に立ち向かう。
高身長で冷淡な表情に威圧感のある武田に迫られ逃げ出さないとは、この黒服はそれなりに勇敢だ。いや、単に仕事だから逃げ出せないだけかもしれないが。
「捕らえなさい!」
宰次は黒服にそう命じた。
これまた無理な命令を、と私は内心苦笑する。普通の人間が武田を捕らえられるはずがないではないか。こんなこと、少しでも武田を知る者なら分かっているはずだ。
宰次とて武田の強さを知らないわけではないだろう。にもかかわらず黒服に捕獲を命じるとは、部下に無理難題を押し付ける上司のようである。
武田は黒服を怯ませ、一瞬にして私の父親から手を離させた。
「失礼。お怪我は?」
「…………」
「なさそうですね。何かあれば……っ!?」
刹那、武田の表情が強張る。
最初は何が起こったのか分からなかった。やや距離があるためいまいち見えなかったのだ。しかし、少しして、私の父親の手元に黒く短い棒があることに気づく。
恐らく宰次に渡されたのだろうが……武器のようだ。レイが戦闘時に使用する銀の棒に酷似している。
父親はそれの先を武田へと向けた。武田は身を大きく反らせ紙一重で回避するが、隙を作ってしまい、背後から黒服に拘束される。
「くっ!」
羽交い締めにされ動けない武田の腹部を、私の父親が黒い棒で叩く。静電気のような乾いた音が鳴った。
武田は短く低い声を漏らし、一瞬脱力したみたいに膝を曲げる。
彼が傷つくのが怖い——そう思った。これは今まで何度も感じた感情だ。けれども、今日はそれだけではない。今までとは少々異なった感情が溢れてくる。
「武田さん! すぐ助けます!」
それは、大切な人を助けたいという、純粋な感情。
それは、愛する人のために生きたいという、単純な想い。
「私に構うな! お前は自分の身を護れ!」
「嫌です!」
私はまるで何かに憑かれたかのように、武田のいる方へと駆け出していた。
武装といえばナギから借りてきた効果不明の拳銃らしきものしかない。エリミナーレのみんなのように体術を使えるわけでもない。そんな私が黒服に勝てる保証などどこにもなくて、けれど沸き上がる感情は私を動かしてゆく。
「来るな、沙羅! 危ない!」
彼にそう拒まれても、私は止まれなかった。
さすがに実娘には攻撃してこないだろう。そう踏んでいた私は、父親の手から黒い棒を奪い取ろうと試みる。
私一人で黒服と戦うのは厳しいだろうが、父親なら戦闘員ではないのでいける。妙な自信があったのだ。
そして——実際、簡単に奪い取ることができた。
「沙羅! 離れろ!」
「嫌!」
「何を言って……!」
武田はそこで言葉を詰まらせる。右腕をあらぬ方向へと曲げられていたのだ。黒服は恐らく、痛めている右肘を狙うよう、宰次から言われていたのだろう。
「……くっ。嫌なところを」
彼は顔をしかめ、低い声で呟く。声が微かに震えていた。
完治していない部分を責められれば痛いのは当然。表情や声色に苦痛が現れるのも当然。だが、武田がこれほど分かりやすく苦痛を表に出すのは、少し不思議な感じだ。
その時、背後から迫る気配を感じ振り返る。
「こらっ。棒を返さないかっ」
武田を捕まえているのと違う方の黒服だった。私が父親から奪い取った黒い棒が狙いのようだ。
せっかく手に入れたのに、そう易々と渡すものか!
私は心の中で吐き捨てる。
それから、黒服に、黒い棒を叩きつけてやった。バリッと静電気のような大きな音が鳴る。
「ぐあっ!」
黒服はよろめくように数歩下がった。彼の様子を見る感じ、すぐに動き出せそうにはない。
肩辺りに当たっただけでこの威力。腹部に叩き込まれた武田はかなりのダメージを受けたことだろう。そう考えると少し胸が痛むが、そんなことに気を散らしている暇などない。
今はただ、武田を助けることに集中しなくては。
「ならこうしてやるっ」
武田を捕らえている方の黒服は、悔しそうな顔で言い放つ。そして、武田の右腕を逆方向へ曲げる手に、さらに力を込めた。凄まじい力なのか、曲げられた右肘がミシミシ音を立てている。
このままではまたしても武田が大きなダメージを受けてしまう。そう思い、黒服に棒を当てようとした刹那——武田は黒服を背負うようにして投げた。