113話 「分断」
紫苑は床を蹴り、エリナへ急接近する。片手には細めのナイフ。しばらく戦っていなかっただろうに、スピードは衰えていない。
すかさずエリナと紫苑の間に入るナギ。
「させないっすよ」
一直線に向かってくる紫苑へ銃弾を放つ。
だが紫苑は弾丸の動きを捉えていた。手に持っていたナイフで弾き、弾丸の軌道を変える。
そしてさらに接近していく。
聞こえるか聞こえないかのような小さな声で「消えろ」と呟き、ナギの目前に迫る紫苑。
しかし今日のナギはいつもとは違った。動揺することなく冷静な表情で、飛びかかってくる紫苑の片腕を掴み、投げる。
紫苑の小さな体は宙で弧を描くように回転した。だが彼女はそのまま上手に床へ着地する。今の投げによるダメージはなさそうだ。
ナギはそこを狙い撃ちする。
後ろへ飛び退き、迫りくる銃弾をかわす紫苑。常人を超越した反応速度である。私はその光景を信じられない思いで見つめていた。
——その時。
カラン、と金物が落ちたような音が鳴った。
何だろうと思うや否や、通路に白い煙が充満する。視界が一気に悪くなる。戦っていたナギや紫苑、モルテリア、それから少し離れていた茜——誰も見えない。
突然のことに不安を感じていると、一番近くにいた武田が私の手を握ってきた。
「沙羅、私を見失うなよ」
「は、はいっ」
武田とは一メートルも離れていない。だから彼だけは視認できる。さすがにそこまで目が悪いことはない。
「視界を奪ったということは、何か仕掛けてくるはずだ。異変に気づいたら言ってくれ」
「分かりました」
「感謝する。では次の指示を待……沙羅!」
突如武田が手を引っ張る。エリナらがいるのとは逆の方向へ。あまりにいきなりで、何がどうなったのかしばらく分からなかった。
引っ張られ移動した直後、防火シャッターのようなものが凄まじい勢いで下りてくるのが目に入る。それで初めて私は分かった。下りてくる防火シャッターのようなものに当たらないよう助けてくれたのだと。
少しして白い煙が消え去ると、目の前には茜だけが立っていた。エリナらはシャッターの向こう側なのだろう、姿は見えない。
「えへへっ。上手く分断できたねぇ」
茜はそんなことを言っている。表情は明るい。何やら非常に嬉しそうである。
「……何のつもりだ」
「畠山宰次さんがね、早く天月沙羅を連れてこいって! エリミナーレがもたもたして超おっそいから、計画を変更したみたいだねぇ」
「宰次は沙羅に何の用だ」
武田はいつでも戦いに挑めるように戦闘体勢を取りながら、低く静かな声で尋ねた。口調は別段攻撃的ではない。しかし、顔つきは冷ややかだ。中でも目つきなどは刃のようである。
「そんなの、わたしは知らないよぉ。畠山宰次さんとは友達じゃないしねぇ。えへへっ」
クリーム色のベリーショートヘアと可愛らしい顔つきが印象的な茜は、今までと変わらない笑顔でそんなことを言った。
先ほど見た紫苑とは違い、へらへらしている。だが、そこがまた不気味さを感じさせる。
「とにかく、一緒に来てくれるかなぁ?」
「断る。まともに事情の説明もしない者の指示には従えない」
「じゃあ力づくで連れていくしかないかなぁ?」
手のひらにちょうど収まるくらいのサイズの丸型リモコンを取り出す茜。恐らく起爆スイッチか何かなのだろう。彼女のことだ、どこかに爆発物を仕掛けていてもおかしくはない。
武田はさらに身を固くして、茜の行動を用心深く見つめている。警戒を怠らない。
「爆発物を使うつもりか」
「そうかもねぇ、えへへっ。あ。でも、一緒に来てくれるなら、わたしは何もしないよぉ」
そう言いつつ不意打ちするということも十分考えられる。だが、今の彼女の顔からは戦意は感じない。リモコンを取り出したのはあくまで脅しなのだろうな、と私は思った。
だから私は言ったのだ。
「分かりました。行きます」
そんなことを。
宰次と対面するのは確かに危険だ。しかも武田と二人だけでとなると、かなりリスクが高いことは承知の上だ。
私だって微塵も不安がないわけではない。だが、このままここにいても状況は良くならないだろう。
それなら、危険であったとしても、ただひたすらに前へ進むしかあるまい。
「何を言うんだ、沙羅! 自ら危険なところへ飛び込む必要など……」
「でも、ずっとここにいても何も変わりません」
「それはそうだが、しかし……」
武田は困り顔。何か言いたげだが、言葉を詰まらせている。どうも次の言葉へ上手く繋げられないようである。脳内に存在する考えを言い表すのに苦戦しているのかもしれない。
そこへ、急かすように口を挟んでくる茜。
「ねぇねぇ。本当に一緒に来てくれるのかなぁ? 来てくれないなら——」
彼女が最後まで言いきるより先に、武田が「分かった」と言った。覚悟を決めたような表情で。
「沙羅が行くと言うなら仕方ない。行こう」
すると茜はどこかほっとしたような顔をした。
「じゃあ案内するから。わたしの後ろをついてきてねぇ」
歩き出す茜。その足取りは、跳ねるように軽い。
燃えるような赤が印象的な瞳は、瑞々しさがありながらも柔らかく、敵とは思えないような雰囲気だ。
そんな茜を後ろから見つめていると、「本当はいい子だったりして」と思ってしまった。もしも敵同士ではなく味方同士として出会っていたなら……少し考える。だがすぐに「こんな思考は無意味だ」と、考えることを止めた。
敵同士で出会ってしまった。それは決して変わることのない事実。だから、別の可能性を考えるなど、一切意味のないことなのである。