106話 「麗らかな日の険悪な空気」
静かな夜を終え、翌日。
空はよく晴れ、暖かな日差しの差し込んでいる。やや強めの爽やかな風が、肌を撫で、髪を揺らす。外を少し歩くだけで春の香りに包まれる、麗らかな日である。
そんな中、私は武田と二人で病院へと向かった。意識を取り戻したというレイに会うためである。
本当は昨日行っても良かったのだ。しかし、エリナが高い熱を出しているので離れられず、結局行けずじまいである。
そして今朝。薬の効果か、エリナの熱は少し下がっていた。だから今日、レイに会うべく病院へ行くことになったのである。エリナはまだ体調がすぐれないのでもちろん行けない。だが、彼女が「行ってきなさい」と言ってくれたおかげで、私たちは気兼ねなく行くことができた。
彼女の言葉に感謝である。
「……待ってた」
病院の入り口付近で待ってくれていたのはモルテリア。
口に入りきらないくらいの物を入れ、元気よく咀嚼している。もぐもぐしているのがはっきりと見えるくらいだ。
手には、白い紙に包まれた温かそうなたい焼き。半分ほどしか残っていないが、露出した小豆が甘い香りを漂わせている。
「モル、お前は何をしにここへ来たんだ」
「……お出迎え」
「ではなぜたい焼きを頬張っている」
「美味しいよ……?」
「ここは病院だ。たい焼きを食い散らかすのは良くない」
「……ちゃんと……食べてあげるのが、優しさ。違うの……?」
ここまで来ると、さすがの武田も呆れるほかなかったようだ。これ以上は話しても無駄と思ったらしく、話題を変える。
「まぁいい。取り敢えず行こうか」
「……うん」
モルテリアはもぐもぐしながら、こくりと頷く。柔らかそうな髪がふわりと動くのが愛らしかった。
病室へ着くと、ベッドに横たわっていたレイが上半身を起こす。一つに結われた青い髪がさらりと揺れる。
「レイさん!」
私は名を呼びながら、レイに駆け寄る。
「沙羅ちゃん!」
レイは明るい笑顔を浮かべて迎えてくれた。再会を喜ぶような顔をしてくれている。
「大丈夫なんですか!?」
「あ、うん。大丈夫だよ。心配かけてごめんね」
「重傷じゃないんですね!?」
「うん。軽い火傷とかくらいだから、そこまで酷い怪我じゃないよ」
それを聞き、私は安堵の溜め息を漏らす。爆発がどうのと耳にしたのもあり、大怪我だったらどうしよう、と非常に心配していたのだ。
「それなら良かったです。……でも、一体何があったんですか?」
「それが、途中までしか記憶がないんだよね」
レイは困ったような顔をしつつそう言った。
私とレイが話をしていると、後ろにいた武田がいきなり口を挟んでくる。
「途中までの記憶はあるのか?」
問われたレイは「うん」とあっさり答えた。
すると武田は続ける。
「吹蓮と交戦したという話は聞いたが、私らと別れた後に何があったんだ」
ストレートに聞かれ、難しい顔をするレイ。
「見回りの時、途中から少し気配を感じてて。それが吹蓮の気配だって分かったから、あたし一人で捕らえようと思ったんだけど、自爆されちゃった」
「待て。なぜ気づいた時点で私に言わなかった?」
「負傷中の武田に戦わせるわけにはいかないと思って。それに、沙羅ちゃんを巻き込んでも嫌だしね」
「だが……」
言いたいことがたくさんある、というような表情を浮かべる武田。今にも口調を強めそうな彼に対し、近くのパイプ椅子に座っているナギが述べる。
「レイちゃんは武田さんとかみんなを思って一人で頑張ったんすよ? それを否定するとか、さすがに酷くないっすか?」
「頑張ると勝手に行動するは同じ意味ではない。勝手に行動するのは良くない」
「ちょ、その言い方はないっしょ。何でそんなこと言うんっすか?」
場が徐々に険悪な空気になってくる。
しかし武田は、険悪な空気など微塵も気にせず、はっきりと物を言う。
「誰にも相談せず自己判断で勝手に行動するのは良くないことだ」
淡々とした口調で言われたナギは、いよいよ攻撃的な面を露わにしてくる。
「ならアンタだって! 沙羅ちゃんが拐われた時、勝手に飛び出していったじゃないっすか!」
共通の敵に対しての時は頼りになるが、今は仲間同士だ。頼りになるならないの問題ではない。
小心者の私には、ナギの攻撃的な口調は怖すぎた。自分に投げかけられた言葉でもないのに、つい畏縮してしまう。
「確かに。だが、私は周囲にそれほど迷惑をかけてはいないはずだ。自分のことはちゃんと自分で管理するようにしている」
「いやいや、沙羅ちゃんを心配させてるじゃないっすか!」
「彼女を心配させてしまっていることは知っている。沙羅は優しいからな。だが、仕事に支障をきたすほどの怪我はしていない。次の戦いも私は普段ど……」
その瞬間、ナギは武田の右腕をがっしりと掴んだ。こればかりはさすがの武田も動揺した顔をする。
「普段通り? この怪我で? 冗談きついっすわ!」
右腕を握られた武田はほんの少し顔を歪める。
肘に直接触れられているわけではないが、それでも痛むのだろう。負って数日なので痛むのは仕方ない。
「ナギ! 止めて!」
ベッドに座っているレイが鋭く注意する。だが頭に血が昇っているナギには届かない。
「普段通り動けるつもりでいるなら、今ここで試してやるっすよ!」
「お前の力で私を負かすのは無理だ」
「挑発する気満々っすね……いいっすよ!」
病室で暴れる気か。それはさすがにまずい。危険だし、病院に迷惑がかかる可能性も高い。
なんとしても止めなくては——そう思うのだが、私で男二人を止めるのは無理だ。頼みの綱のレイはベッドから動けず、モルテリアは変わらずたい焼きを貪り食っている。
こんな時エリナがいてくれたなら。叱って制止してくれたなら。彼女がこの場にいればどんなに助かっただろう、と、そんなことを考えてしまった。