103話 「女王は幾度も立ち上がる」
エリナは暫しその場に留まっていた。寂しそうな瞳をして、何も言わず、体勢を変えることすらせずに。そんな彼女に声をかけることは、私はもちろん、武田でさえできなかった。
だが、やがて立ち上がった時、彼女の顔から弱さは消えていた。
瞳には彼女らしい強さが戻っている。自信に満ちた、それでいて落ち着きのある表情。そこからは、すべてを振り払い前へ進もう、という強い決意が窺える。
これでこそエリミナーレのリーダー・京極エリナだ。
「大丈夫ですか? エリナさん」
私は恐る恐る尋ねてみた。
すると彼女は、こちらへ目をやり、口角を持ち上げる。
「貴女に心配されるようなことじゃないわ」
冗談めかした嫌みを耳にし、私は密かに安堵する。
ここしばらく、彼女は暗い顔をしていることが多かった。そして私はそれが少し心配だった。だから、彼女が嫌みを言えていることで、勝手ながら安心できたのだと思う。
「さて、レイの搬送先へ向かいましょうか。あちらはきっと、とっくに病院だわ」
エリナの発言でレイのことを思い出した。
レイは大丈夫だろうか……。
怪我と言っても千差万別である。軽傷ならまだ良いが、後遺症の残るようなものだったりしたら恐ろしい。
私がいつまでもそんなことを考えているということを察してか、エリナは言う。
「沙羅、心配のしすぎは良くないわよ。貴女は弱いのだから、他人より自分の心配をなさい」
「あ、はい……」
相変わらず一言余計だ。
しかし、今はなぜか、嫌な気持ちがしない。むしろ穏やかな気持ちになっている気すらする。
それから私たちはエリミナーレの車に乗り込んだ。運転するのはもちろん武田だ。
私は普段通り助手席に座りかける。しかし、今エリナを後部座席に一人にするのは少し可愛そうな気がしたので、私も後部座席に座ることに決めた。
武田は「今日は後ろなのか?」と首を傾げる。特に説明するほどの理由はないので、私はあっさりと、「はい」とだけ返事をした。
車の後部座席に座り待つこと十五分、レイが搬送されたという病院へ着いた。交通安全教室の日に私が運び込まれたのと同じ病院だ。
中へ入り事情を話すと、レイがいる部屋まで速やかに案内してもらえた。
スライド式の扉を開け、部屋に入る。そこには、ベッドに横たわるレイと、彼女を見守るナギとモルテリアの姿があった。
「エリナさん! それに沙羅ちゃんと武田さんも! 来てくれたんすね!」
パイプ椅子に腰掛けていたナギが、待ってましたとばかりに立ち上がり、温かく迎えてくれる。
「意外と遅かったっすね! 何かあったんすか?」
何も知らないナギは、曇りのない純粋な瞳で尋ねる。問いに対しエリナは、「少し、ね」とぼやかして返す。
それから話題を変えた。
「レイの調子は?」
「まだ意識は回復してないっすけど、死に至るようなものではないみたいっすよ」
「そう。それなら良かっ……」
言いかけた瞬間、エリナは突然よろける。足から力が抜けたようで、前へと倒れ込んでいく。ナギは驚いた顔をしながら、彼女の体を支えた。
「エリナさんっ!? いきなりどうしたんすか!」
「……ごめんなさい、ナギ。きっと寝不足のせいだわ」
「ちょ、寝てないんすか!?」
「ここのところ朝早かったのよ。それだけだから気にしないで……」
エリナは寝不足と言っているが、寝不足にしては辛そうだ。呼吸が乱れているし、顔は赤らんでいる。風邪かもしれない。
ナギらと合流し気が緩んだことで症状が出た、ということも考えられる。
「いやいや、気にするっしょ! 取り敢えず座った方がいいっすよ」
ナギはきっぱりと言い放ち、エリナを空いていた椅子に座らせた。
普段はいろんな意味で大丈夫かと思ってしまうナギ。だが、こういう場面でだけは、妙に頼もしく感じられる。
「ちょっと触るっすよ」
ナギは軽く予告してから、椅子に座っているエリナの額に手を当てる。
そして、ますます驚いた顔になった。「普通に熱あるじゃないっすか!」と、ここが病室であることを忘れたかのような大声で言う。妙なところだけ厳しいモルテリアに静かにするよう注意されるが、ナギはまったく聞いていない。
ナギは周囲の状況などお構い無しだ。「熱ある! 熱あるって!」などと騒ぐばかりである。
そんなナギの振る舞いを見兼ねた武田が口を開く。
「ナギ、ここは病室だ。騒ぐのは良くない」
「大事な人が体調不良なんすよ? 騒がずにいられるわけないっす!」
「己の感情で他者に迷惑をかけるのは良くない」
「アンタだって、沙羅ちゃんが体調不良になったら騒ぐっしょ!?」
ナギにそう言われた武田は、思わず言葉を詰まらせる。口元に手を添え、考え込むような仕草をしている。
少ししてから、武田は口を開く。
「……確かに、騒いでしまうかもしれない」
「でしょ!?」
「あぁ。分からないことはない。ただ、公共の場では感情を抑えることも必要で……」
「あー嫌だ嫌だ! 説教臭い男は女の子に嫌われるっすよ!」
ナギの言葉に、衝撃を受けたような顔をする武田。
彼はすぐさま私の方を見て、凄まじい勢いで尋ねてくる。
「そうなのか!?」
「え、え?」
「私は説教臭くて嫌な男なのか、沙羅」
「えっと……」
武田がこんなに凄まじい勢いで言葉をかけてくるなんて珍しい。慣れないのもあり、思わず圧倒されてしまう。
「はっきりと言ってくれ、沙羅。頼む」
このしつこさ。これは武田特有のものである。
「あの……えっと、説教臭くなんてないです。武田さんはかっこいいですし……」
何を言っているのだろう、私は。
ここ数日、色々ありすぎた。そのせいで頭が少し変になっているのかもしれない。だから普段は恥ずかしくて到底言えないようなことを言えてしまうのだろう。
しかし、武田が安堵したように微笑み「それなら良かった」と言っていたので、それはそれで良かったのかもしれない。