曲直瀬心療内科の不思議
曲直瀬雪臣先生は珈琲を飲む。
ゆったりと香りを堪能しながらではない。それはもう、インスタントの元をこれでもか、と言う程適当にカップに入れて、お湯を入れて掻き混ぜるだけの泥水のような珈琲を飲んでいる。
起き抜け等、さらりとした癖の無い長い黒髪をぼっさぼさにして珈琲と煙草を嗜みつつ、新聞を読んでいる。
そんな先生が、曲直瀬心療内科医院の院長室で白衣を袖に通した途端に、果敢無げだが人を落ち着かせる雰囲気を纏う不思議な医者になるのはごく少数の人間だけが知っている事だ。
人間だけではなかったりするのがやっぱり不思議な話だが。
先生が紅い目をしているのは「私は泣き虫過ぎてね」「ウサギだからだよ」「カラコンを入れているんだ。格好良いから」と毎回違う事を言っている。
そんな得体の知れない先生の元に来るのは、大人しい患者ばかり。
先生は面倒だから、と医院を予約制にしていない。だから、診察時間になると必ず数人の老若男女が居心地の良さそうな一人掛けのソファーに其処彼処に座っているのだが、お互いに目も合わせないし、観葉植物の置物で飾られたシックな、何処かで聴いた覚えのあるクラシックの流れる小さな空間に身を縮こまらせている。
男か女か分からない人も居るし、人間ではない異様な格好をした人も居る。それでも話し掛けはしないし、無言の合間に音楽が流れる心地良い空間は、皆平等に清潔で柔らかい感覚で身を包む。
先生の風変わりな性質のなせる業か。
此処は人も、人以外も訪れる心療内科。
曲直瀬先生はよくこう言う。
「人間は心が疲れるって言うけれど、人外だってそうなんだよ。最近の社会を見たまえ。人外になんと住みにくい世の中か。そんな人以外にも救いの手を差し伸べて何が悪いんだい?」
先生は自分の事を余り話さない。人間の姿をしているけれど、人間なのか、と訊かれると首を傾げる。
「さあて。人間かどうか、なんて大した問題じゃないんじゃないかな? 野菜と果物かどうかって話だろう。君はメロンと西瓜と苺が、野菜か果物か、直ぐに区別がつくのかい?」
曲直瀬先生にとって、人間と人外の区別は余り関係無いらしい。ついでに野菜と果物の区別もどうでも良いらしい。
「私にとって、大事なのは患者かどうかだよ」
そう言って何処か消え去りそうな笑みを浮かべる先生に惹かれる人は多いらしい。
先生の治療法は変わっている。
例えるなら『心の闇を喰う獏』だ。
先生は悪夢の代わりに悪い心を食べる。
心を食べると、先生の双眸からはらはらと花弁が散る。人の心によって形や色合いは様々だ。
「人の心は植物に似ている。栄養が無いと枯れてしまうし、栄養があり過ぎると他の植物を枯らしてしまう。綺麗だし醜い。一週間でも、数千年でも、必ず寿命はあるんだ」
先生がよく言う言葉だ。
「個人的には桜の花が好きなんだけれどね。残念ながらと言うべきか、桜の心の者は余り心を病まないんだ。健やかだけれど潔く果敢ない。そんな人が心療内科に来ないだろう」
そうして、溜息を吐いて。先生は整った口元を弧に描いて小さく呟く。
「だから、私が恋をするのは桜の心の人だと思っているよ」
曲直瀬先生は桜の人を求めているらしい。
先生自体の心は何の花なのかと訊くと、少し笑って「分からないんだ」だけで済まされる。
曲直瀬雪臣先生は、不思議な人だ。




