後編
私たちがダンジョンから帰って、1か月が経った。
「奏、お昼食べよ」
「そうね。食べましょう」
それまでそれほど仲良くしてなかったとはいえ、挨拶をしていたクラスメイトだ。急に仲良くなっても、それほど友人たちは驚いたりしなかった。
一緒に2人だけで食べることに、不思議そうにはされたけど、元のグループが別なのもあり、何となくスルーされた。
二人で一緒に教室を出て、外のベンチで食べる。
「ねぇ、奏」
「なに?」
「なんか、まだ、夢みたいだね」
「んー……そうね。まだ時々、起きた瞬間、びくっとすることはあるわ」
1か月もたったのに、まだ夢を見るし、飛び起きることもよくあった。
でもそれもどこか、ほっとする。あれは夢じゃなかったんだって、思える。そしてもちろん、相子のことも。相子と駆け抜けたあの日々は、忘れようとしたって、忘れられない。
相子は、とても大事な相棒だった。本当は危なくなったら盾にしようと思っていた。絶対に生き残りたかったから、どんなに仲良くしても、相子も同じことを考えているだろうし、お互い様だと思っていた。
だけど、同じ時間を過ごして、極限状況からの依存だって思っても、お互いにこっそり認め合わない状態で唇を重ねたりした。もう少しだけ友人から踏み込んだこともしたりした。
最後にはもう盾になんて考えられなくて、絶対に彼女を守りたいと思っていた。もちろんそれで自分が死ぬつもりはないけど。
でもそれも、その状況だからだと思っていた。今も、相子のことは信頼できる。きっと何があっても、私の味方でいてくれると思える。
それは当たり前だ。あんな環境を共に過ごせば、信頼関係は当たり前だ。それは不思議じゃない。ただ、不思議なのは、今も、相子を見るとドキドキしてしまう瞬間が続いていることだ。
「そっか。よかった、奏も同じで」
「もちろん。長かったもの。それに、忘れられるわけ、ないわ」
普通に言っただけだ。言葉として、何もおかしくない。会話の流れとして不自然じゃない。
なのに、相子は顔を赤くした。わずかに瞳をうるませて、じっと私を見つめた。そんな顔をされて、何も思わないほど、私たちの過ごした時間は、短くない。
「……っ、ご、ご飯、早く食べましょうか。あと5分で予鈴だわ」
「! は、はいっ」
どきどきと、心臓がうるさい。私は今何を考えた?
見つめてくる相子に、口付けたいと思った? 馬鹿な。もう、命の危機はない。明日を不安に思うことはない。なのに、お互いを求めるなんて、そんなの、ただの恋じゃないか。馬鹿げてる。私も、彼女も女だ。
戦場においては古来から、同性愛が珍しくない。だけど、今はそうじゃない。ここは平和だ。だから、そんなのは、普通じゃない。わかってる。大丈夫。こんなのはただの名残だ。夢を見て飛び起きる悪夢の続きを、残滓を感じてしまっているだけだ。
それが過ぎれば、私と相子はただの相棒として、ただの親友として、健全で正しい関係に落ち着くはずだ。だから、この胸の高鳴りは、勘違いなんだ。
「相子、今日は放課後に委員会会議があるから、先に帰っていていいからね」
「え? 待つよ。そんなの」
「あー、そう? 悪いわね」
「そんなの、全然気にしないで。だって、奏のことだもん。そんなの、いくらだって、待つよ」
「……」
な、なにドキドキしてるのよ私! 別にそんな変なこと言ってないでしょ! 普通に、普通に親友でもこんなことくらい言うでしょ!
いや確かに、今まで親友っていなかったけど、でもたぶんこんな感じでしょ。
ご飯を食べて、教室に戻る。
授業が始まってしばらくして、ふいに相子に目をやってしまう。
相子は私より前方の席だ。とは言っても、一つ前とかそんなレベルではないけど、見える。
でもそんなのは当たり前だ。今まで気にしたことなんてなかったのに、戻ってきてからは、妙に意識してしまう時がある。
ただでさえ、しばらく授業から離れた脳みそなのだから、真面目にしないといけないのに。くそ、前の席の佐藤うるさい。授業中に私語してんじゃない。
「それじゃあこの問題を、春風」
は、私!?
「はい。答えは活用形です」
なんでそこで私なんだよ。普通は真面目に聞いてない生徒だろうが。先生の目、節穴過ぎない?
「はい、正解だ。じゃあ次は」
全く。教師の対応に呆れながら顔を上げると、相子と目が合った。どきっ。
相子はにこっと笑ってから、はにかんでまた前を向いた。
「……」
く、くそっ! なんだよもう。可愛いなぁ!
いや、大丈夫大丈夫。可愛いなんて、友達にだって思うことだから。
○
「ではこれで解散します。ありがとうございました」
「ありがとうございました」
会議が終わった。会議と大層に言っているけど、決定を伝えられるくらいで、一委員の私が何をするってこともない。
解散して、相子が待っている予定の図書室へ向かう。相子ってどんな本読むのか、ちょっと気になる。おバカそうなキャラだと思っていたから本を読むって時点で驚きだ。
相子ならちょっと馬鹿すぎるくらいが可愛いって思ってたけど、それでいて本は読むってのも、意外性があって可愛いかも。ああ、もちろん普通の意味で。
図書室に入り、入り口のカウンターの図書委員に会釈したけど、本を読んでうつむいていたので無視された。
奥のテーブル席へ進むと、一人の女子生徒が突っ伏していた。顔は見えないけど、その長い髪と言い相子であることは間違いない。だいたい相子ってオーラ違うし、間違わない。
「相子ー、お待たせー」
声をかけながら肩を軽く揺らす。
「ん、んー」
相子は唸って顔を上げかけたけど、横を向くようにしてまた机の上で組んだ腕の上に頭を乗せた。起きたけどぐずってる感じかな?
「相子、帰るわよ」
「……」
ぐいぐい揺らしたけど、無言だ。全くの無反応だ。これは、おかしい。
落ち着いて、感覚を研ぎ澄ましてみる。ダンジョンではいつも神経を張り巡らせていたけど、こっちに戻ったらもちろんそんなことをしていない。だけど、じゃあ感覚が鈍ったかと言うとそうではない。
魔法もスキルも使えなくなったのはその通りだけど、身体能力とかはまるきりそのままなのだ。元々あまり変わらなかった相子はともかく、私はかなり変わっている。
だから、普通に隣にいる人の呼吸音を聞き分けるくらい、意識すれば簡単だ。結論。狸寝入りだ。
「……」
どういうつもりだ、と言うほど、私は鈍くないつもりだ。それにわからなくなるほど、あのダンジョンでの日々は遠くない。今すぐに、その感触をリアルに思い出して唾を飲み込むくらい、覚えている。
私たちはいつも、眠っている相手に、口付けをしてきた。
つまりこれは、とても遠回しに、キスをねだられている。
いや、いやいや。うん。相子はそういうつもりかもしれない。そもそもこの子から私の寝込みを襲ってきたわけだし。でも、私は、今、現代でキスをしていいのか?
「……奏」
「!」
戸惑っていると、相子が私の名前を呼んだ。あれ、勘違いか!? と思って唇からその目に視線をやるけど、目は閉じたままだ。え、起きた、よね?
「好きだよ、奏……」
ひょっとして、寝言、のふりをしているつもりなのだろうか。口調がはきはきしすぎだし、まつげが震えていて目を意識的に閉じていて緊張しているのが丸わかりだ。愚かしいにもほどがある。子供だってもっと上手に狸寝入りする。
だいたい、私を好きだと言葉に出すなら、寝たふりをする必要があるのか。寝たふりでキスするだけなら、なんとでも誤魔化せるのに、その思いを誤魔化したいんじゃないのか。ただ唇の寂しさだけじゃないのか。
なんて、なんて、可愛いのか。
こんな風にされて、これ以上、耐えられるはずがない。
私は一度だけ振り向いて、本棚の向こうのカウンターから誰も来ていないのを確認してから、そっと、相子に口づけた。
「……」
こんな風に、平和で落ち着いた、なんの不自由もない放課後に、相子とキスをするなんて、そんなの、恋以外の、何物でもない。
そう思うと、今まで依存だ何だと言い訳していたことが一切できなくて、認めざるをえなくて、体が熱くなる。
震える相子の唇の柔らかさも、熱さも、何度も味わい尽くしたと思っていたのに、何の言い訳もなく真正面から感じたら、愛情がたまらなく沸いてきて、震えそうだった。
「……相子」
「……」
ゆっくりと口付けを終えて、顔を寄せたまま名前を呼ぶと、真っ赤になった顔で相子はゆっくり目を開けた。開けて、それでも黙っている相子に、私はくすりと笑って、囁く声で伝える。
「私も、好きよ」
「……うん。好きぃ」
とろけるような、可愛い声で、相子は悶えるように応えた。可愛くて、私はもう一度、口づけた。
こうして私と相子は、ただの相棒や親友ではなくて、恋人になった。
「ねぇ、奏」
「なに?」
「私の宝石だけど、売ったら結構な金額になったんだ」
「え、もう売ったの?」
「うん」
え、行動早すぎじゃない? と言うか普通に売ったんだ。何というか、厳重にしまい込んだ私ってもしかして貧乏性っていうか、臆病だったのかな。
驚く私に、相子は何故かもじもじしながらあのね、と言う。
「あのね、その金額があれば、ヨーロッパのあたりに家を買って移住してもまだ生活にめどが立つまで余裕があるくらい、みたいなの」
「え? な、何でヨーロッパ?」
「え、何でっていうか、その……ご、ごめん。先走り過ぎって言うのは、わかってるんだけど、その……ヨーロッパのあたりのオランダとか、ノルウェーとか、同性婚が認められてるから」
「……」
そ、それはその、いや、別に嫌ってわけじゃないけど、ちょっとは話が唐突過ぎるっていうか。えっと。その為に換金を先にしたのかっていうか。告白より先に結婚考えてる辺り、馬鹿じゃないのっていうか、マジ可愛いっていうか。
「……幸せに、するから」
「! わ、私も、頑張るから。奏のこと、守れるよう、頑張るから、だから、その、よろしくお願いします」
相子はそう言って、真っ赤な顔で頭を下げた。たぶん私も、負けないくらい真っ赤だと思う。
もう、何だこれ。宝石だって別に、それで使い切るためじゃないだろうに。でもそりゃ、そのおかげで恋人になるきっかけになったわけで、私としても使い切っても悔いはないけど。
でもなんか、もう、結婚するためにダンジョンに行ったみたいで、なんか、話しできすぎだろうとか思う私は、ちょっとだけ性格がひねくれているのかもしれない。
でもそんな私のことを相子が好きだと言うなら、うん。まぁ、いいか。
「よろしく、お願いします」
「……あの、奏、その、キス、してもいい?」
「……どうぞ」
もうどうにでもなれ。
神様はそのつもりで宝石をあげてます。