〜遭遇(そうぐう)〜
そこは遥か未来
————人も動物も森も、互いに支える手を失って久しい世界———
高度な技術やテクノロジーを持った人々は、過酷な自然環境から逃れる為、巨大な人工都市を創った。
未だ、自然の残る地域では、自然との共存を目指す思想を持った人々が、
最新の医療さえ拒み、己の国と思想を守る為、武器を手に戦う者以外は、天寿を全うし、死んでゆく。
どちらがより幸福か。それは、論じるだけ無駄だろう。
どちらも、この世界に確かに存在しているのだから……。
そんな世界の中にある。科学技術や高度な医療技術に恵まれた人工都市、エアクロイツ。
この都市の地下には都市と同じか、それ以上の広さを持つ、食料を栽培、飼育、加工等をする為の施設があり、地下都市によってエア・クロイツのi 衣食が支えられていると言ってもいい。
栽培加工場や人工栄養の工場で働くのは地下都市の人間だ。地下都市の人間は人権を持たず、それぞれに持ち主が存在し、家畜のように売り買いされる。
ほとんどの地下都市の人間は、一生地下都市から出る事も無く、毎日働いて、死んで行く。
ある者達は売られ、奴隷や食用とされる。
他の国や都市から輸入される肉が、貴重という事もあるだろうが、長年エアクロイツの人々は、食用として人間を飼育、改良して食べてきた歴史がある。
人の肉を喰うという行為の発端は、エア・クロイツの地上で暮らす、言うなれば弱肉強食の強者である人々でさえ、ごく一部の人間しか真実を知らないだろう。地上に住む彼等は、何も知らされず、軍の実験材料にされていると言っても、過言ではない。
この都市を統べる人工知能“イブリス”の〝鍵〟をDNAの中に受け継ぐ“イブリス”創始者五人の血統と、真実この都市を造った人々の〝鍵〟を手に入れる為に、軍はその血脈の人間の肉に、様々な特殊な加工を施し、DNAに刻まれた情報を取り込もうと試み、あがいている。
その実験の一つが、地上の人間に安価な肉として、その人肉を食べさせ続けて、“イブリス”を手に入れる事。
その軍の思惑ゆえに、地下都市の食用人間を食べる事は、エア・クロイツの地上で生まれ育った人間にとっては、当然の事になっていた。
エアクロイツの医療技術があれば、人工太陽しか浴びた事の無い地下の人間でも、病気にも罹りにくく育てられる。
しかも味もまんざらではなく、馬鹿げて高価になるよう、税金をかけられる牛や豚の肉を買う金のない、地上の一般の地上の人間は、合成剤以外のタンパク質として人間の肉を食べる。
それは誰に非難される事も無く続いてきた事実なのだが……。
最近地上の一部の人々が、食人反対運動をしていて、エアクロイツの中でも、多少の軋轢が生まれつつあった。
エア・クロイツの義務教育は十二年で、一般的に貧富の差に関係なく、入学し勉強出来るシステムで、学園と呼ばれている。一般的に六歳から教育を受ける。
シアンも十二年ある義務教育を終え、今年その上の学院へ入ったばかりだった。学院は授業料もかかるし、ある程度裕福な家の子女が通うのが普通だ。
シアンの学院生活は始まったばかりだと言うのに、都市機能とこれからのエネルギー利用についての講義で、早速にその教師に、地下都市の環境システムについてのレポートを言い渡された。
シアンは、生まれて初めて入る地下都市への不安と好奇心から、落ち着かない気分だった。
そして生まれて初めて、地下都市へ降りる手続きを取って、地下都市に入ると、いくつかのグループに別れ、それぞれのテーマにそって予定通りに施設の見学をしながら、シアンは細かくメモを取っていったのだが、地下都市の高い技術や、合理的で無駄の無いエネルギー循環システムに、シアンは正直感心してしまう。
だが同じグループになっている他の三人は、必修の課題だと言うのに、興味がないらしく、終始かったるそうにしてメモパッドをだす事すらしていない。
あまり仲も良くなかった三人だったので、シアンは放っておく事にした。
〘レポートが出来なくて困るのは、本人なんだしな。関係ないよな〙
そう思いながらも、ポケットに入れたままにしておいた、首から下げられるように鎖の通された認識票を探り出し、一応用首にかける。
彼等は何かと言うと、シアンを目の敵にしてくるので、当然の用心だろう。
この認識票は地下都市へ入る際、地下都市の人間と間違えられる危険回避の為に、網膜チェックと住民登録番号を申請し、発行してもらうものなので、上の人間の誰が何の目的で出入りしたかが、一目瞭然なのだ。
もちろん同様のシステムで、地下都市の人間も地上と出入りする時はチエックされ、すぐ分かるようになっている。
認識票があれば地上の人間は、簡単な手続きで地下都市から地上へ帰れる。
そのかわり、紛失してしまったりしたら、身分を証明するのに何日もかかったり、下手をすると地下の人間として処理されてしまう。
地下都市の一番最奥にある、大きな研究所の一角で人工太陽システムの説明を受けた後は、もう帰るだけだった為、シアンはレポートの方へすでに思考がいっていた。
街から外れた、優に大型車トラックががすれ違える幅の広い道を、四人で地下都市の管理局で借りた小型ホバーに乗って移動していたその時、突然前を走っていた三人が止まったので、シアンもホバーのブレーキをかける。
「どうかしたのか?」
三人はホバーを降りてスタンドを立てると、シアンに近寄ってくるなり、おもむろに胸ぐらを掴んできた。
「すました優等生面かましやがって……前から気に食わねぇと思ってたんだよ、今日こそ腹に据えかねた」
「父親が政治家だから、なんにもされねぇ、とか思ってんだろう?! バッカじゃねぇのか?! あぁ?」
〘なに言ってるんだ。そんな事言ってる時点で、お前等の方が莫迦っぽいよ……〙
シアンは胸ぐらを掴まれたまま、もみ合いながらも、繰り出される拳や蹴りを躱そうとする。
幼い頃から護身術程度なら習っているとはいえ、自分よりも図体のデカい男三人が相手では、どうしても不利になる。
「あのなぁ! 俺が気にくわないのは構わないけど、父親が政治家だからとかってっ!だからいい気になってるなんてっ、おかしいだろうが?!なってなんかないっ!」
」
殴りかかってくるアネモニの手を、とっさに避けると、どこにそんな連携できる脳みそを持っていたのか、素早くプラネカがシアンの脚を払う。
バランスを崩したシアンを、三人がかりで引き倒し、舗装された路面に押さえ込むなり、誰からともなく手が伸びてきて、シアンの首から認識票を奪い取った。
「っ?!莫迦!よせ!シャレじゃ済まなくなるぞっ!?」
押さえ込まれ、踏みつけるように蹴られながら、そう言ったシアンの声を気にする様子も無く、三人は満足そうに視線を交わし、下卑た笑いを浮かべている。
「食用人間になって、パパに助けてもらえばいいだろ〜?なぁ?」
「食人反対とかふざけた事言いやがってよォ〜お金持ちはイイよな。おキレイ事だけ並べ立てて、食ってけるんだからさ」
仕上げとばかりに三人がシアンの腹に、力いっぱい蹴りを入れると、そのままホバーに乗って走り去って行く。
「クソッ……馬鹿が……」
口の中で呟くが大声は出ない。
体のあちこちが痛みを訴えている。
〘まいったな。肋にヒビぐらいは入ってそうだな。脳ミソが足りないのは分かったけど、それでも普通加減するだろうが……阿呆め……〙
誰も通らないのを良い事に、道のド真ん中で転がっていようかとも思ったが、うっかり轢死体になるほど酔狂ではないので、痛みに顔をしかめながらも起き上がったシアンに、突然声がかかり、シアンの肩が跳ね上がる。
〘?!ホバーのエンジン音も、車の音もしなかったのよな?〙
不思議に思いつつシアンが振り返ると、シアンと同じような年頃らしい、漆黒の髪と、青みを帯びて見えるほど黒い瞳の女性が、地上では見かけないタイプのホバーから降りて来るなり、心配そうにシアンの目の前にしゃがみ込んだ。
「大丈夫ですか?事故ったんですか……?」
〘スゴイ。まっ黒い瞳だ……綺麗な象牙色の肌。長い髪の色も染めてない……本物みたいだ……黒髪なんて珍しい。少なくとも地上では、染めた人間以外は滅多にいないな……〙
「立てますか?緊急搬送車を呼びましょうか?」
少女の本心から心配そうな、涼やかで優しい響きの声に、無理にでも笑って応える。
「いえ。大丈夫ですから」
そう言ったシアンの顔を、少女のアーモンド型の、形の良い切れ長の目が、まじまじと見つめ、驚いたように瞠られる。
「シアン様?……シアン・ケンプ・リンドグレーン様、ですよね……?もしかして、地下都市の人間に何かされたんですか……?」
〘なんで……この少女は、どうして自分の名前を知っているんだ?!〙
その事もとても気になったが、まずは認識票の心配と、痛みを訴える身体の方が優先だと考える。
それに少女の黒い瞳はとても澄んでいて、地上の人間であるシアンへの憎悪や害意が、まるで無いように思えたので、名乗ってもいいとシアンは判断した。
それというのも不思議な話しなのだが、出会ったばかりのこの少女を、信用して大丈夫とカンのような物で思うだけではなく、心の深い部分が訴える既視感のような親しみに、シアンは抗う事が出来なかったのだ。
「……確かに、シアンだけど。この怪我は、まぁ……ちょっとした喧嘩で、同じ学院のヤツらにからかわれて、認識票取られたついでに、殴られただけだから、大丈夫。気にしなくて良いよ。自分で何とか出来るし」
言ってしまってから、シアンは自分に呆れてしまう。
言葉にすると、自分がかなり情けないうえ、初対面の、しかもこんな女の子に話した所で、どうにもならないだろう。大体、痛みで殴り合いなど出来そうもないのに、どうやって認識票を取り返すというのか……。
〘そうだ。この子に頼んで、管理センターの人を呼んできてもらおうか……でも、この子は地下の人間だろうから、センターの人間が本気にしないかもしれない……何とか、無理してでもセンターまで帰るしかないな。認識票の事もアネモに達の事も、取り敢えず管理センターへ行かないと、どうにもならない〙
立ち上がってホバーを起こし、痛みを堪えつつ乗ろうとしているシアンに、少女は当然のように手を貸してくれたが、その視線は道の遥か彼方を見据えている。
アネモニ達の後ろ姿が小さな芥子粒のように見えていた。
「……シアン様の認識票を奪ったのは、あの人達ですか?私が取り返して来ますっ!」
言うなり、シアンが止める間も無く、黒髪をふわりと舞わせた少女は、エンジンをかけたまま停めてあった自分のホバーに、素早く跨がる。
「待って! 追いつけるワケないしっ!危ないからっ————」
シアンの制止する声など聞こえないらしく、ホバーは飛びだすように走り出すと、狂ったような加速を見せ、三人へ向かっていく。
痛みを堪え、シアンも急いでホバーへ乗ると、何とか少女の後を追う。
〘凄いホバーだ。改造されているみたいだけど、それにしたって異様に速い。だけど追いついた所で、あんな華奢な女の子一人で、あの三人を説得とか無理だろう。それにもし、あいつらが変な気を起こしたりしたら、危ないじゃないか。アイツ等さっきだって、俺が注意しなきゃ、一人で歩いていた女の子に酷い悪戯しかけようとしてたのに……しかし、痛いなぁ。これは本当にヒビが入ってそうだ。折れてはいないと思うけど…………地下都市の人間に人権は無い。地上の人間に殺されようと犯されようと、誰も守ってはくれない。あの少女だって分かってるはずなのに、なんで地上の人間の、俺なんかの為に……〙
地下の人間は全て生まれる前から、何らかの形で地上の人間の管理下に置かれる。
被害があれば、持ち主が器物破損程度の訴えは起こすかもしれない。
しかし、だいたいは、僅かな金さえ払えば、有耶無耶にされて終わるのだ。
必死の思いで黒髪の少女を追うと、かなり先でホバーが四台止停まっているのが、やっとシアンにも見えた。
フルスピードのまま近づいて行くと、アネモニとプラネカは、ワイヤーガンの物らしきワイヤーで、二人まとめてグルグル巻きにされて、完全に戦意を喪失し、ホバーの傍らにしゃがみ込んでいた。
二人の目の前でホバーを止めたシアンの目は、黒髪の少女の姿を探す。
道路から少し外れた、何の為なのか分からない草の生えた空き地で、あの細身の少女が、二m近い身長のテトロに怯む事なく対峙している。
テトロの視線は少女の細身の身体にぴったりと合った、黒いライダージャケットの胸の膨らみの辺りや、ピッタリとしたジャケットと同じ、高性能な合皮らしいパンツのおかげで、露な腰の線やブーツの先まで、舐めるように見てから、なんともイヤラシイ笑いを口端に浮かべる。
「なんだって〜?この仔豚ちゃんが俺様にとんでもねぇこと言いやがるから、びっくりしちまって、聞こえなかったなぁ。あぁん?もう一回言わせてやろうか? 地下の真っ黒い仔豚のお譲ちゃん〜?」
しかし、少女は表情も変えずに、テトロを見て言った。
「シアン様の認識票を返して下さい。お願いします」
「うわっ、お願いされちゃったよ!家畜に ありえなくね?!ギャハハハっ!……つーか、フザけんなよっ!てめぇっ!犯られてぇか?!その服切り刻んで、見せ物にしてやんよ!この家畜奴隷の分際でっ!!」」
少女に飛びかかったテトロの体の下に、フッと少女の体が入り込んで消えた———かに見えた。
まさかテトロに押し倒されたのか?!と思い、助けに入ろうとしたシアンの目の前で、次の瞬間、テトロは地響きを立て、背中から草原の上へ、無様にひっくり返っていた。
一瞬のことで、シアンにもはっきりと見えなかったが、少女がテトロの胸ぐらをつかんで投げ飛ばしたようだ……。
少女は息一つ乱さずに諦める事なく、テトロにシアンの認識票を返すように言っている。
〘……あの脳ミソ筋肉で、下らない事しか考えてない、親の金を食う事だけに専念してて、学院出ても全うな仕事に就けるか怪しい莫迦には、何言ったって無駄だって……〙
シアンはワイヤーで縛られている二人の前へ、ゆっくりとしゃがみ込む。二人は小心な取り巻きらしい、怯えた顔をしてくれたので、シアンもにっこりと笑ってやる。
「べつに何もしやしないよ」
シアンが二人の傍で笑顔を見せているというのに、テトロはシアンの事など忘れ去ったかのように、地下都市の少女に拳を奮うが、躱されてしまい、ムキになって一所懸命に身軽に避ける少女を殴りつけ、捕らえようとしている。
しかし少女はまるで羽毛が風になびくように、ふわり、と余裕のある動作でテトロの拳をよけながら、なおも認識票を返すよう頼んでいたが、埒が明かないと流石に思ったらしく、アネモニとプラネカ同様、巨漢のテトロも、いともたやすく、何処に携帯していたのか、ワイヤーガンで捕縛してしまう。
「……助けようと思って来たんだけど、大丈夫そうだったから手出ししなかった。傍観してただけでごめんね」
シアンの声に振り向いた黒髪の少女は、黒い瞳を輝かせて微笑む。
「いいえ。全く構いません。この人達ですよね? 認識票を奪っていったのは」
「うん。そう」
少女に笑い返し、シアンはテトロへゆっくりと近づく。
「俺の認識票、返して欲しいんだけど」
責めるわけでもない穏やかな口調だったが、テトロは答えるどころかシアンの顔さえ見ず、傍らで立っている少女に罵詈雑言をまくしたてている。
「この家畜が!今すぐ屠殺場に連れて行ってやる!ブタ以下のくせしやがって!!」
喚くテトロの首に、シアンの手がかかる。
「俺の認識票はどこかって聞いてるんだけど……聞こえてない?」
言いながらも、シアンの手はテトロの首をじわじわと締めつけていく。
「こっっ、の!!……クソ野郎っ!」
苦しい呼吸の合間で放ったテトロの脳天に、刹那、衝撃が走り、視界がちらついた。
打ち下ろされたモノが、少女の硬そうな靴の踵だと見てとるなり、テトロはカァーッと喉を鳴らし、無理に首をめぐらせ、少女の靴めがけて痰を吐いた。
それを難なく避けた少女の瞳は、黒曜石のように冷たく輝き、眉間には深いしわが刻まれる。
無言のまま、少女の靴先がテトロの鳩尾にめり込み、ぐえぇっとテトロの口から奇妙な音が漏れ、シアンは思わず、首を締めていた手を離した。
すると少女はテトロの喉へ痛烈な蹴りを入れ、テトロの体は後ろへすっ飛んで転がった。
ワイヤーで縛り上げられているとはいえ、大の男をなんなく蹴り飛ばした少女は、自然だが隙のない動作でテトロに歩み寄り、見下ろすようにして黒曜石の瞳を細めた後、ゆっくりとさえ言える動作で、黒い靴をテトロの顎の上に置いて、まるで踏みにじるようにした。
その黒い瞳はシアンを見て笑った時とはまるで別人で、シアンには感情の無いアンドロイドにさえ感じられた。
「もう一度言います。シアン様の認識票を返して下さい…………何も話したくないなら話して下さらなくても結構。この場で貴方の顎を砕き、目と指紋ををレーザーガンで焼き潰して、認識票を処分し、屠殺予定の人間が入る施設へぶち込んで差し上げます。屠殺は週に一回。運が良ければ六日は生きられますが……顎を砕かれていては、ご自分の住民登録番号も言えませんよね……?顎や喉を砕かれ潰され暴行された有り様で、あそこに持ち込まれたのなら、地下の人間ならすぐに地上の人間だと分かる。分かれば……屠殺を待つまでもなく、地上うえの人間に恨みを持った輩に、思う存分にいたぶられて嬲り殺されるでしょう。けれど、苦しみが長く続くよりか、その方がずっと幸せかもしれませんね?」
ニイッと口端を引き歪めて笑った少女に、流石のテトロも少々青い顔をして血の気を失っている。
「……っ、ここへ来る途中の草原へ、捨ててやったよ!」
ざまぁみろとでも言いたげなテトロの顔面に、ニッコリと笑顔を貼り付けたシアンが、拳をプレゼントする。
「こういう、悪戯じゃ済まないような冗談をふっかけられても、困るんだよねぇ?もう二度としないでくれるかな。あと、この事で俺を訴えようとしても無駄だから。俺の方が明らかに被害者で正しい上に、父が政治家で腕が良くて、汚い手も使える弁護士さんやらに顔が広いのは本当だからね」
テトロにそう言った後、傷にひびかないようゆっくりとした足取りで、まとめて縛り上げられている二人の傍へ行く。
「……どの辺に捨てたか分かる?」
二人のうちアネモニが頷いたのを見て、シアンのすぐ傍にいた少女が、手早く慣れた様子で二人のワイヤーを外し、そのままプラネカの腕を掴んで、背後で捻り上げる。
次の刹那に彼女ははどこから出したのか、レーザーガンをプラネカの後頭部に押し付けて、静かな、いっそ優しいとさえ言える声で、囁くように言った。
「どのみち私は食用奴隷ですから、あなた達を殺して、その事で今日屠殺されても悔しくありません。明日が今日になるだけ……唯それだけの存在なんです。だから、そちらのお兄さんもしっかり案内して下さいね?……この銃のエネルギーは、余裕で二十人は殺せるぐらい入っていますし、銃の腕には自信がありますから、なんなら、一番痛みを訴える場所から、順番にエネルギーが切れる直前まで、時間をかけて遊んでから、止めを刺してさしあげますよ……?」
慈母のような微笑みを浮かべた少女が、アネモニを見ると、彼は蒼惶として頷いた。
『殺すぞ?!さっさと探せ!』と怒鳴りつけられた方が、彼にとってははるかに楽だったろう。
ホバーに乗って一km程度戻った所で、一人でホバーに乗っていたアネモニが、道路の外に広がる人工的に整えられた草原と森を指した。
「この辺りで投げたんだけど……正確な位置は判らない」
自分の大型のホバーをプラネカに運転させて、彼の後頭部にレーザーガンを突きつけたまま、背後に乗っていた少女がシアンを見る。
ホバーを停めたシアンの傍らに、アネモニもホバーを停めプラネカも背後の少女に、怯えたような視線を送りつつ、気にしながらも、ホバーを並んで停めた。
「君達。悪いけど。探してきてくれるかな?君達のやった事だし」
シアンに言われた2人は慌ててホバーを降り、草原へ走っていく。
あまりにも焦っているのか、こけつまろびつしながら、自分達が投げた認識票が落ちたと思われる辺りを、草を掻き分け、探しながら目指していく。
レーザーガンを片手に構えたまま、二人を追って行こうとした少女を、シアンは引き止めてしまう。
「ねえ。キミは俺の名前を知ってるみたいだけど、俺にキミの名前教えてくれないかな?」
肋の痛みで立っているのも辛く、停めたホバーに寄りかかるようにしているシアンに、少女は可憐で無垢な……まるで咲き初めの、桜の花のような笑顔を見せてくれる。
「御主人様シアン。私の名前は桂花です」
「……っえぇ? マスターって、俺がっ?!」
ドッキリ番組に引っかけられているんじゃないかと、周囲を見回しつつ問い返した時、草原からアネモニが大声を上げ、手を打ち振った。
「あったぞ〜!!」
その声に桂花と名乗った少女は艶やかな黒髪を翻し、アネモニの方へ走って行ってしまう。
〘……カメラとかは無いみたいだし。あの子が嘘をついているとも思えないけど、何か誤解があるんじゃないのかな〙
アネモニの傍で何か言葉を交わした少女は、レーザーガンを上着の中のホルスターにしまうと、シアンの方へ一心に駆け寄ってくる。
シアンの前にやってきた桂花の手には、シアンの認識票が大切そうに握られている。
一緒に戻ってきたアネモニもプラネカも露骨にほっとした顔をしていた。
「ありがとう、アネモニもプラネカも……悪いけど、テトロを連れて先に帰っててもらえるかな?」
笑顔でそう言ったシアンに、二人は無言で頷き、逃げるように二人一緒にホバーへ乗り込む。
「あ!そうそう。今回みたいな事は。たしか三回目だよね……?前回見逃したからって、今回もそうとは限らないよ?楽しみにしておいてね?三人共しっかり備えて置くと良いよ。じゃぁ、来週学院でね」
爽やかな笑顔で手を振るシアンに、なんとも言えない情けない表情を浮かべながらも、の前から、二人は脱兎のごとく走り去った。
「はい、どうぞ。マスター」
まるで卵を守る親鳥のように、シアンの認識票を、両手でしっかりと包み込むようにしていた桂花の手から、認識票を受け取ったシアンは、困惑してしまう。
「あのさ、ケイカちゃん? その、ご主人様っていうの、悪いんだけどさ、誰かと間違えてると思うよ……?俺は人間を食べた事も無いし、工場とか農場とか牧場も持ってないし」
そう言うシアンの美しいアメジスト色の瞳を、黒スグリのような、何処か哀しげな瞳が捕らえる。
「いつまでも食べてもらえないと思ったら、すっかり忘れていらっしゃったんですね……それじゃあ、今日、お会いできなかったら、私の死亡連絡を受けるまで、マスターは私の事、忘れられていらっしゃったんですね……」
黒い瞳を潤ませ、それでも無理に笑顔をつくろうとする桂花に、シアンは慌ててしまう。
「あのっ、だから、人違いだって!ごめんね。泣かないでくれよ……」
明らかに困惑と戸惑いがはっきり現れているシアンに、桂花の顔にもほろ苦い笑みが浮かぶ。
「わかりました。お怪我もされていますし、地下都市の出口までお送りさせて下さい。もし機会があったら、マスターのお父上様にお尋ね下さい。【久保田桂花】で食用登録をされている、地下の人間をご存知ですか、と……」
けれんみのない笑顔で話す桂花に、疑問と奇妙な焦燥感に似た何かを感じつつ、シアンはホバーに乗る。
走り出すと当然のように桂花も、シアンのスピードに合わせて、後からついて来る。
〘……何か変な気分だ。キツネにつままれる、っていうのはこんな気持ちなのかもしれない……〙
そんな事を考えながらも、出逢ったばかりだと言うのに、どうしても……まるで魚の小骨が喉にに刺さったように、桂花の存在が気になって仕方なかった。
地下と地上の出入り口は幾つかあるらしいが、一般の人間が利用するのは、この管理棟と呼ばれている施設だが、地下の大地から空へとそびえ立つ巨大な柱のような建物で、この中に地上と地下を結ぶ貨物用や人間用のエレベーターが何十機も存在しているらしい。
管理棟の敷地へ入ってすぐの所にだだっ広い駐車場があり、その片隅に先刻ホバーを借りた歳、手続きをした小さな建物がある。
その受け付けカウンターでホバーを返す手続きをして、キーを返却する間も、桂花はシアンから一歩引くようにして、ひっそりと咲く、菫のように奥ゆかしく、じっと傍についている。
「……桂花とまた話がしたいから……また理由をつけて地下に来るよ。どの辺に住んでるの……?」
少し振り返るようにして尋ねると、黒い瞳を輝かせて言う。
「でしたら、シアン様さえご迷惑でなければ、お屋敷まで私がお送り致します。私などでお嫌でなければ、何でもお話して頂けると嬉しいです」
その提案にシアンは驚いて返事に困ってしまう。なぜなら一般的に地下の人間は地上を歩かない。
エア・クロイツで、ほとんどのものを生産しているのは、地下都市なのだから、地下で事足りるというのもあるが、普通彼等の牧場主は盗まれたり脱走される事を恐れて、地上へは出さない。
だから、地下都市で生まれ育った者の大半は、本当の太陽の光を一度も浴びる事なく死んでいく人間ばかりだと、シアンは聞いていたのだ。
「地上へ、出られるの……?」
驚きのまま、半ば呆然と口にしたシアンに、桂花は小首を傾げた。
「私を所有されていて、食べられるのも売買出来る権利があるのも、シアン様だけですから。シアン様が『地下から出るな』と命令されなければ、出られます。今までもよく地上へ行っていたのですが、禁止だったのでしょうか?……それならば、二度と地上へは行かないようにさせてえもらいます」」
「……俺の命令、ねぇ……」
全く身に覚えが無く【マスター】と呼ばれる事に、半信半疑のシアンに対し、桂花は愛くるしい子供のように笑いかけて、提案してきた。
「では、試しに確認して見られてはどうですか?私が地上へ行く為の認証手続きで、誰の持ち物なのかは、当然分かりますから」
「あぁっ!!そうか!その手があったか!よし、行こう」
つい勢いで桂花の手を取って歩き出したシアンを、桂花がたしなめる。
「手続きの場所が違いますから。マスターが先に済ませて来て下さるか、先に私の手続きにマスターが付き添って頂かなくては、無理なんです。私は一度地上へ出る手続きをした後で、このホールへは戻ってこられません。戻ってしまった場合は、また手続きをしなくてはなりませんが、たとえマスターの許可があっても、地上へ出る手続きは七日に一回の申請しか出来ないので」
当然のように、ケイカと名乗った少女に言われてシアンは気付く。
〘今日視てきた素晴らしい地下都市の技術……決して地上と見劣りするどころか、むしろエネルギーや水の再利用は、地下の方が進んでいると言う事が、シアン程度の知識しかない人間にでさえ、明らかだと言うのに、こうして離している少女は、確かに変わったくと髪と瞳だけれど……地下の人間だからと言ったって、同じ人間なのに……選挙権どころか、人権すら、無い————自分と同じ扱いを受けている人間ではない……あらためて父さんが言ってる事が、正しいのではないかと思える。昔から父さんは異端扱いをされてるけど、今では賛同者も少なくないし……でも、もし本当に彼女がシアンの持ち物だったとしたら、どうして?————いつの間に自分の持ち物になったのだろう?……しかも、食人反対派で、人権擁護のあの父さんが、なんで許しているんだ……?あぁ、何もかも、訳が分からないっ……!!〙
考え込んでしまったシアンに、心配そうな声がかかる。
「あの、マスター・シアン様……?」
「え、ああ。ゴメン。じゃぁ先に俺が済ませてくるよ。その方が早いだろうから。ここで待っててくれる?」
「はい!」
明るい笑顔で頷いた桂花に、シアンも笑い返して手続きに向かう。
だが頭の中は、答えの出ない疑問が、ぐるぐると廻り続けていた。
シアンが地上の人間専用のカウンターで、認識票を返し、書類にサインをしてホールへ戻ると、大きな窓辺にあるソファーに座って、桂花と名乗る少女がシアンを待っていた。
遠くから見る少女は少々小柄だけれど、艶やかな長い黒髪も綺麗で、体形も手足が長くて細身のぴったりとした服がよく似合っている。
めずらしい黒髪と青みがかった綺麗な黒い瞳には、彫りの浅い東洋的な顔立ちもよく似合って、逆に神秘的な古の美しい神のよで、そこはかとなく頼りなく感じられて中性的だが、不細工という印象は全く受けない。
話していても、少なくともシアンは嫌悪感を微塵も感じなかった。
〘……俺達地上の人間は、どうして人間を殺して食べるんだろう……飢えて本当に食料に困っていたと、食人文化の歴史でほんの少し習った昔とは違って、家畜の肉もずっと手に入りやすいし、安くはなってきているのに……むしろ人間を食べる事よりも、もっと家畜の研究に熱心になった方が、得策なんじゃないだろうか?〙
考えながら歩いて来るシアンに気付いて、桂花はソファーから立ち上がり、駆け寄ってくる。
「わざわざ申し訳ありません。でも、これでマスターの疑問も解決しますし、よろしくお願い致します、マスター・シアン様」
けれんみのない笑顔で、シアンの少し後ろについて歩く桂花に、シアンはまた困った顔をしてしまう。
「お願い。マスターはやめて。シアンでいいから……」
「え?……はい……シアン様……?」
桂花は少々の驚きと、どこか分からない、と言う顔をしたが、それでも素直にシアンの言葉に従った。
桂花が手続きの為の書類を記入し、簡単な質問を受け、指先から血液を僅かに採取して、DNAチェックを済ませると。係員が外出用の認識票を渡して来る。
手続きをしてくれているヒューマノイドのように無表情な、大柄の元軍人クサイ係員に頼んで、シアンは彼女のデータを見せてもらう。
二人の目の前に設置されていたディスプレイの画面に、桂花の写真の入ったデータが並んだ。
◆久保田桂花 クボタケイカ 十七歳 十三年前育児院で生活中に所有権の売買譲渡が行われているが、その際調査が一度入るも、問題なく譲渡。北E地区育児院から東W地区へ移動。その後、時折どういう訳か一時行方を消しているが、その間の行動は不明。所有者からも連絡は無し。東一八区画学園卒園:現在無職。食用・労働用奴隷。工場・バイオ研究所などでの労働用の知識無し。◆
※現在の持ち主の意向により、地下と地上の出入り、外泊は原則として許可されているので、最低限の確認で済ませて通す事※
〘十七歳。同じ年だ。学園を出てるのか。地下にも学校ってあったんだ。持ち主は……十三年前にホーリー・R・デビンソンファームからシアン・ケンプ・リンドグレーンに変更されてる……〙
「本当だ。住民番号も間違いない。俺だ……君が俺の持ち物っていう事になってる……」
「はい。ですから、そう申し上げさせて頂きました。私はシアン様の持ち物です」
にっこりと笑う桂花の顔を、シアンは改めて見つめる。
「でも、ちょっと待ってくれよ……?十三年前って言ったら、俺もキミも四歳じゃないか……なんで、こんな………」
「……本当に、すっかり全部、私の事を忘れてらっしゃるんですね……」
そう言った桂花は淋し気に笑うので、なんとなく見ているのが嫌になったシアンが、ディスプレイから離れ、エレベーターホールへと歩き出すと、当然のようにシアンの身体を気遣うようにしながらも、桂花は少し後について歩き出した。
待機していたエレベーターに無言のまま2人で乗り込むと、扉がゆっくりと閉じた。
地上に向かうエレベーターの中には2人しか居なかったので、シアンは先刻の続きを話しだす。
「ケイカってああいう字なんだね。東洋系ってだけでも珍しいのに、漢字の名前で、しかも目も髪も染めてるわけじゃなくて、本当にまっ黒なの……?」
「はい、そうです。地下では黒い髪や瞳は割りと多いです。優性遺伝ですし、変に混血しないので……黒い色は優性遺伝ですから」
なんて事ないように言って桂花は笑うが、シアンは何とか四歳の頃の出来事を思いだそうと、額に手を当てる。
「四歳の頃の事なんて、はっきりとは覚えてないなぁ。強いて言うと……その頃、毎日遊んでいた友達が、確か、黒い髪の色だったと思うけど……」
シアンの言葉に釣り込まれるように、桂花は動きを止め、じっとシアンの顔を見つめている。
視線に気付いたシアンが、桂花を見ると静かに話しだした。
「憶えていらっしゃいませんか……?シアン様の四歳の誕生日用に、シアン様のお父様……旦那様が私をご用意されたんです。生きたまま綺麗な服を着せられて、シアン様にお会いしたんです。旦那様は、シアン様に私を会わせて『欲しがっていたプレゼントだよ』と、そう仰いました。シアン様はすごく喜ばれて……私は、もうここで私は終わりなんだな。死ぬのは痛くて苦しいのかな……って考えてました」
驚いているらしく、アメジストの様な紫糸の大きな瞳を瞠っているシアンに、桂花は穏やかな微笑みを見せて言う。
「でも、シアン様は私と一緒に遊んだり、食事をしたりしてくださって……食べようとなさらないんです。それである日……旦那様が『食べる為に買ってきたのだから、殺してお肉にしようね』と、そう仰るとシアン様はとても驚かれて、『嫌だよ!!なんでそんなヒドイ事するのっ?!』と、そう仰って下さって、私を抱きしめて、泣いて庇って下さったんです」
ひどく嬉しそうに話す桂花の横で、シアンの顔色が少々青くなっている。
「きっと旦那様はシアン様がどんな反応をするのか、見たかったのかも知れません。それから今日まで私は地下都市で生きてきました。あの時、シアン様が私を食べられなかったのは、生きている子羊やヒヨコを見ると、食べられなくなってしまったりする、アレだと思うのですが……」
桂花の話に少しずつ記憶が蘇って来ているシアンも、口を開いた。
「俺、子供の頃の事って、あんまりはっきり記憶になくて……でも、四歳ぐらいの時に確かに毎日、黒い長い髪の女の子と……いつも遊んでたのは憶えてるよ……なんでだか、父さんがその子をどっかへ連れて行くって言うから、どうしてもそれが嫌で『連れて行かないで!』って、泣きついて頼んだ憶えが……」
傍らに居る桂花を見ると小首を傾げて穏やかに笑っていた。
「あの……食べて下さる気になりましたか?」
「ならないよ」
即答してシアンは頭を抱える。
「まったく父さんは……何考えてるんだ?どうするんだよ」
「あの、マスター・シアン。売って頂いても、それなりの金額になります。今、奴隷用で私のような純血の東洋系は、かなり人気があるそうなんです。私なら、もう少し違った場所でも、高く売れる場所もありますから……」
何やら必死の面持ちでシアンを見上げてくる黒い瞳に、思わず溜め息が出てしまう。
「売ったら殺されちゃうかもしれないし、酷い目にあわされるんだろう?」
「はい。大概そうなります。奴隷ですから。何をされても仕方がありません。命令に従う人形です」
「はい、って……」
桂花のあまりにも淡々とした顔と声に、奇妙な切なさを感じるが、次の言葉を探しているうちに、エレベーターが地上に着いてしまう。
〘まぁ、とりあえず俺の物だって事実は納得出来たけれど、売る気も食べる気も無いのに……どうしろって言うんだ。友達ならいいかっなて気もするけれど……地下の食用人間相手に、それはそれでちょっと難しいだろうな〙
エレベーターを降り管理棟からも出た所で、肋骨の痛みを思い出す。
「そうだ。俺ちょっと病院行かないと。ケイカにも付き合ってもらっていいかな?」
「はい。それは勿論、付き添わせて頂きますが。お怪我、そんなに酷いんですか?」
本当に心配でたまらないらしく、シアンの体を眺めてそっと背中に手を置いてくる。
見た目より案外しっかりした手だが、優しい温かな体温が伝わってくる。
「大丈夫だよ。だからそんなに心配しないで。大した事ないと思うけど、一応行って置こうと思ってね?これからのこともあるし……」
〘アネモニ・プラネカ・そしてテトロ。あの三人には誠意を見せてもらわないとね?診断書やら色々必要だし、弁護しにも連絡しないとだな。まったく……いい年して、やる事が子どもじみてて情けないっていうの〙
どことなく楽しげなシアンの笑顔に安心した桂花も、微笑んでシアンの半歩後について歩き出した。