第四話 夜間飛行、しました
『夜の授業』あぁなんて甘く甘美な響きでしょう。
俺の聞き間違えでなければカマエル先生は「夜の」っと言ったはずです。決して「夜も」などと言っていないはず。
俺も男です。据え膳食わぬは男の恥ということわざがあります。
しかし、俺には既に心に決めた女神様がいます。この俺の全てを捧げると心に誓った女神様がいます。
しかし、先人の人が言ったように男の恥でございます。
あぁ。俺はどうしたらいいのでしょうか・・・。
そんな俺の困惑など、露知らず。カマエル先生は口を開きます。
「そうです。わかったら。さっさと表に出なさい。」
「外ですか!!」
なんですと!!ビギナーの俺にはいささか『外で』とはハードルが高いです。
願うなら初夜はベットの上で優しくしてほしいものです。
「なにをしているのですか。さっさと表にでなさい。」
「カマエル先生。自分は初心者です。はじめから外と言うのはいささ・・・」
後半の言葉を濁します。
「心配しなくて結構。私がしっかりとみっちりと体に叩き込んであげます。これも教育係としての使命。それに時間がありません。」
あぁ~んてことでしょうか。女神様に貞操を捧げていましたが・・まさか、夜のお勉強まで、教育係内容に入っていたとは・・。それもそうですね。熾天使になれば唯一、神と交わりを許されるのですから。
しかたありません。
待つんだ!!俺!!それでほんとにいいのか?決めていたじゃないか!!初めては女神様と!!こんなところで失っていいのか!?
「わかったらついてきなさい。」
しびれを切らしたのかカマエル先生は部屋から出て行きました。付いて行くしかありません。
月明かりが照らす廊下を庭の方に向かって歩きます。
心のなかで己と格闘しながらカマエル先生の後についていきます。
庭先に出たところでカマエル先生はこちらに振り返りました。
広くて見晴らしのいい庭先です。こんところでするのでしょうか。恥ずかしいことこの上ありません。
「覚悟はいいですか?」
しかし、俺は言わねばなりません。
「覚悟・・・。先生・・・初めてはコーレ様と、と決めています。それに、外でというのはいささか・・。」
語尾をかすめながら、恥ずかしくて身をモジモジとよじります。
「ん?コーレ様と?なにをいってるんです?」
「え?ですから。その俺の貞操の話をですね――」
「貞操?」
そうつぶやくとカマエル先生の顔は徐々に赤みを増していきます。俺は何か勘違いをしていたのでしょうか?
「は」
「は?」
「は・・は・・破廉恥はいけないことです!!」
バチン!!
カマエル先生の叫び声と共にムチの音が鳴り響きます。
「アヒン!!」
変な声が出てしまいます。
「神に仕える健全なる天使が!!なにを血迷ったことを!!!」
カマエル先生がヒステリックを起こしました!!叩かれました!!!
ひとしきりムチの攻撃を受けた後に落ち着きを取り戻したカマエル先生は乱れた息を整えた後にメガネをクイッと上げてコホンと咳払いを一つつきます。
「あなたの乱れた思考を叩きなおしてやりたいところですが、今は時間がありません。あなたにはあと三日の間で一通り戦闘訓練をします。そろそろその体にもなれてきたところでしょ?」
「えぇ。強いてなれないことをあげるのであればやはりこの胸でしょうか。」
俺は自分の大きな胸を持ち上げてみます。カマエル先生のメガネがひらりと光りました。
時間がない?
「お黙りなさい!!」
「っひ!」
ムチは飛んで来ませんでしたが喝を入れられました。
「あなたに今から覚えてもらうのは飛行と加護の使い方です。」
恐る恐る手を上げます。
「はい。アルデリッヒくん。」
「飛行はやったことありませんが、勇者をやっている時に加護はある程度使ったことがありますが。」
「その話は聞いてます。元勇者で魔王を倒したそうですね。」
「はい。あれは辛い旅でした。」
少し遠目をして勇者の時代を思い出します。勇者から天使になってさほど時間が経ったわけではありませんが、濃ゆい時間を過ごしたせいでしょうか勇者の時代が懐かしく感じられます。
「肉体への加護と魂への加護は力の作用が全く異なります。なれない体で勇者の時の様に使用すると魂が与えられた力に耐え切れず消滅してしまいます。」
怖いことを仰る!!思わずブルリと身体を震わしてしまったではありませんか。
「天使にとって肉体の破損は死ではありませんが魂が消滅すると、それは即ち天使にとっての死と同じことです。いかにコーレ様の加護を受けているといっても完璧に消滅した魂を復活させることは無理に等しいのです。」
つまり半分は霊体で出来たこの体も魂ごと消されたら二度と復活出来ないということでしょうか・・・。
死んでしまえばもう女神様を見ることが出来ない!!これほどの恐怖があるでしょうか・・いやない!!
「加護の制御がいかに大事か理解しましたか?」
「はい!!それはものすごく理解しました。」
思わず敬礼をしてしまいます。
「それでは加護の制御は後にしてまずは、飛行訓練をします。」
「えぇっと。なぜ夜になのですか?朝でも・・・」
「お黙りなさい!!」
「っひ!!」
「時間がないと言っているのです。あなたには覚えてもらうことがたくさんあるのですから。」
「わ、わかりました。」
よくわかりませんが、どうやらカマエル先生は何やら焦っているようです。
まぁ教えてもらっている立場なのですから、反論はありませんが・・・。
「では、まず私と同じように飛んでみてください。」
カマエル先生は四枚の羽を羽ばたかせて少し宙に浮く。
なるほど、実に簡単そうだ。これなら俺もすぐに飛べそうです。
「見ててください!一発でマスターします!!」
意気込みやよし!!さぁ!いざ行かん宇宙の彼方へ!!
おもいっきりジャンプをして二枚の羽を羽ばたかせて大空へ飛び立ちます!!
「あれ?」
飛んだはずなのですが頭から急降下です。
地面が迫ってきます!!
「あへん!!」
変な声が出ました。
羽ばたかせたタイミングで高く舞い上がれたのですが、体のバランスが崩れて頭から真っ逆さまです!!
カマエル先生は額に手を当ててため息を漏らしました。
「まずは、その場からゆっくりと浮上しなさい。」
それから数時間、夜が終わりを告げ山の縁が朝焼けで赤色に染まり始めた頃、俺はようやく一センチほど飛べるようになりました。
飛ぶというより、うまくバランスが取れずにフラフラを揺らめくと言った表現の方があっているでしょうか・・。
しかし、誤算でした。まさかこの大きな胸のせいで男だった時の(今も男だが)バランス感覚にズレがあろうとは・・・。目からウロコです。
あら?使い方まちがっているでしょうか?まぁいいか。
「まだ、おぼつかないですが。とりあえず飛べるようになりましたね。」
「は、はい!!なんとか!!しゅ、集中力を乱せば・・あっ!!」
地面に尻もちを付きました。痛いです。しかし、ツコを掴みかけました。このまま続ければきっと空高く飛べるでしょう。
「天使の戦いでは時に空中戦になることも有ります。しっかりと飛べる様になるのですよ。」
「わかりました。」
勇者のことは飛んでいる敵に苦戦しましたが、飛行が出来るのであればこれで苦戦しなくても済みそうです。
「さて、私の手を取りなさい。」
「ドキ!!」
思わず顔が赤くなります。
女性の手をにぎるのはいささか恥ずかしいというものです。
まぁ、勇者時代はそんなこと言ってられませんでしたが・・・。改めてとなるとやっぱり恥ずかしいです。
「どうしたのですか?はやくなさいな。」
「は、はい。」
おずおずと手をにぎると・・・。
「うひゃああぁぁぁぁぁぁぁぁ。」
俺は空高く舞い上げられました。いや、空高くに連れて行かれたといったほうがいいでしょうか。
雲を突き抜けて高く高く、登っていきます。
「これが四枚羽の高度限界です。」
上昇が終わり優しい声が聞こえてきました。
思わず瞑ってしまった目を開けます。
「綺麗だ。」
素直な感想です。山と山の間から朝日が顔を出した夜の闇をゆっくりと紅の光で染め上げる。
なんとも美しい光景。出来ることならこの光景をそのまま油絵で残したいと思わせてくれる風景。
「私の生徒にはいつも同じ質問をするのですが、あなたはどうありたいですか?」
「どうありたい・・ですか。」
突然の問いかけに言葉に詰まります。
「天使のあり方とは色いろあります。私のようにどの神にも所属せず後輩の天使育成に喜びを見入る者。己の力を高め序列を上げる事に喜びを見入る者。神に忠誠を誓い神の側にいることに喜びを見入る者。天使がいればその分だけ天使のあり方があります。あなたはどのような天使になりたいのですか?」
なんとも優しい声で問いかけてくれます。数日の付き合いですが、何でしょうかこの気持は・・・感謝。カマエル先生は厳しくも優しい人・・天使なのですね。
だから俺は・・・。
「先生・・・俺は上を目指そうと思います。あの人の側にいたいから、力になりたいから、いいえ、違いますね・・・俺自身があの人の一番の天使で有りたいと願うから。」
そう、本心からの俺の願いです。そっと、視線をカマエル先生に向けます。
カマエル先生は優しく微笑んでいました。
太陽に照らされるカマエル先生のメガネ越しの瞳はとても美しく、とても優しく、とても輝いて見えました。
目を朝に染められた山々に目を向けます。
「そう、頑張りなさい。」
「ん?なにか言いました?」
「いいえ。なにも。さて、朝になりましたし、下に戻って座学にしましょう。」
「えぇ!?休息はないのですか!?」
「あと二日で初級課程を終わらせます。覚悟するように!!」
「ひぃぃぃ!!」
俺の悲痛な叫びが庭に木霊しました。