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音の名

作者: 漣 沙波

―とん、とん、とん。ゆっくりとした足音が時々そのリズムを崩しながら、誰もいない階段を降りていく。

いつもはやれ移動だ集会だといって慌てて走っていく生徒の姿が、今はどこにも見られない。

それもそのはず。時刻は午後五時。みんなは絶賛部活動中である。校舎の一番隅に位置するこの階段からは、運動部の掛け声も吹奏楽部の演奏も聞こえない。

そんな、学校内の過疎地域を一人歩く少女は、抱えたノートの山と共に肩を落とした。


(うぅ、重い…。)

 小柄な私の視界を隠すように積まれたそれは、本日提出の数学の課題だ。

足元が見えないので、踏み出す度に転んでしまわないかひやひやする。

(…というか何でこんなことしてるんだっけ。)

そもそも私は数学の教科係でもなんでもない。これは本来、別の子がやるはずだった仕事なのだ。

私は目下の荷物を一瞥し、何度目かもわからないため息をついた。



 * * *



 少し前。帰りの会が終わり、クラスメイトが次々と部室やら校門やらに向かっていく中、二人の女の子が教卓の前で話しているのが聞こえた。本当の数学係の子と、彼女の友人である。

「あー、もう最悪なんだけどー。」

「これじゃ無理かもねー。」

何か困っているのだろうか。

バッグに通しかけた手を止めて、二人に話しかけてみる。

「どうかしたの?」

「え?…あぁ望月さん。」

「何か困ってるなら手伝おうか?」

すると、少し驚いた顔をしていた係の子が薄く笑ったかと思うと、教卓の上のノートを指さして

「…実はさぁー、この後アタシたち大切な用事あるんだけど、アタシ数学の係じゃん? で、コレ出しに行かなきゃいけないんだけどー。でもそれだと用事に遅れそうでー。」

と言った。友人もそれに続いて、そうそうと頷く。

二人は顔を見合わせ、こちらをちらちらと見ながら相談をし始めた。…これは、多分。

「いいよ、私が代わりにやっておくから。二人は帰って、用事? 済ませてきなよ。」

そう言うや否や二人は瞬時に目を輝かせ、

「「ありがとう、望月サン!」」

と(まるで用意されていたのかと疑いたくなる程)流れるようにお礼を言って、教室を出て行った。

…すれ違いざま、『これで限定クレープ食べれるね!』という声が聞こえたのは気のせいだと思いたい。


ともかく早く提出して帰ろう。そう思った私は、少々うなだれながらもチェックを手早く終わらせて、職員室に向かった。



 * * *

 


 先ほどのことを思い出して、再び漏れそうになった溜息を慌てて飲み込む。

自分から言い出したのだ。今更文句を言うのは的外れというもの。

私は頭を軽く振って、脳内にはびこるモヤモヤを払拭した。

引き受けた以上は、責任を持ってやり遂げる。こう見えて結構責任感は強い方なのだ、昔から。…そう。本当に、小さいときから。


 小学生の頃、教室で飼っていたカメを世話する飼育係というのがあった。仕事内容はその名の通り、カメの世話をすること。当時のクラスメイトたちはみなカメを珍しがり、こぞって飼育係をやりたがっていた。

しかし、悲しいことに子どもというのは珍しいものが好きですぐに興味を示すが、同時に飽きっぽい性格の持ち主でもあった。

案の定夏休みに入る前には、係になった男の子が少しずつサボるようになっていき、次第にその存在自体を忘れていった。

それはクラスメイトも同様であり、先生も生徒がサボっていることを認識していないようだった。 だから、私がやらなくてはと思った。彼らが忘れてしまった仕事は、私が受け継いで、一年間やり遂げた。

誰からも感謝されなかったけど、不思議と悲しみや怒りを感じることはなかった。むしろカメが元気に育ってくれたことは嬉しかったし、私にはどうせこれくらいしかできないからとも思っていた。


 中学生になると“仕事外の仕事”を任されることが増えていった。私は部活で部長をしていたわけでも図書委員になった記憶もなかったが、気づくと部活動日誌を書いて部室の戸締りをすることになっていたり、クラスメイトの借りた本を『返しといてもらえる?』と渡されるようになっていた。

最初のうちは何故私に頼んでいるのかわからなかったが、学年を重ねるにつれてだんだんと理由がはっきりとしてきた。

みんな、私のことを使い勝手のいいコマだと思っているのだ。頼めば何でもやってくれる“草履持ち(パシリ)”だと。

だが、その事実を目の当たりにしたときも私は怒ったり、泣いたりしなかった。例え利用されているのだとしても、任された以上はその期待に応えたいと思っていし、むしろ私が唯一役に立てることなのだから私がやらなくてはと、半ば使命感のようなものを持って仕事をしていたと思う。

 

 

 それは高校生になった今も変わっていない。今日のことも、もし仮に彼女たちが私に仕事を押し付けていったのだとして、しかしそれは“私”だからしょうがないことなのだ。

私には何も出来ないから、ならせめてみんなの邪魔にならないようにと今の立ち位置を受け入れてしまう。

本当はこんなことをして“ここにいていい理由”を作り出す自分が、みんなみたいな強い意志を持たない自分が大嫌いだ。

(でも、今更どうしようもないよ……)

唇をきゅっと噛みしめ、溢れ出そうになる何かをせき止める。…と、


『♪♪――♪♪♪―――♪―♪♪―………』

 

 どこからか楽器の音が聞こえた。私は伏せていた瞼を持ち上げ、首をかしげる。…おかしい。私の向かっている職員室は吹奏楽部のいる音楽室とは真逆に位置しているはずなのに。それに吹奏楽部にしては音が少ないというか、明らかに大人数で演奏している感じではなかった。

けど、この音は。なんというか――…

「こ、こっちから聞こえてくる、よね?」

自分の耳が正常ならば、どうやらこの音は普段は使われていない空き教室から響いてきているらしい。

その教室は特別教室としても使われていないので、入ったことは一度もない。それにカーテンがかけられており、薄暗い物置のようなになっていて近寄りがたいイメージがあった。

 

 空き教室と少しだけ距離を詰めて耳を傾けると、今度もさっきと同じ楽器の音が聞こえる。

(やっぱり、あそこで誰かが演奏しているんだ)

 この楽器は、…トランペットだろうか? やけに澄んでいて、心に直接入り込んでくるみたいに、真っ直ぐな音。でもそれでいてその音は、労わるように優しく、私の内側でじんわりと溶けていった。


 ―聴きたい。もっと近くでこの音を。

私は唐突にそう思った。決して音楽に詳しいわけではない。でも私はそれだけ強く、この音に惹きつけられたのだ。

知りたい。誰がこんな演奏をしているのか…。


『♪――♪♪―♪♪―――♪♪♪―……』


 未だ鳴り続けるその音に誘われるようにして、廊下を進んでいく。そして件の空き教室の扉に手を掛けると、音を立てないよう、そっと横へと押しやった。


『♪♪――♪♪♪―――♪♪―♪―♪』


(っう、わあー……)

壁一枚でここまで変わるのかというぐらい、その演奏、いや空間は凄まじかった。

大量の段ボールがある(――やっぱり物置だった――)にも拘らず、それを無視して飛び込んでくる力強い音。教室中の空気が震動して、まるで身体全体が包まれているかのような感覚を覚える。

残念ながら高く積まれた段ボールのせいで誰が吹いているかは分からなかったが、きっときれいな女の人が吹いているんだろうなと勝手に想像する。

でも、すぐ近くでこの音を聴いて、今はその人が誰かは知らなくてもいい。そう、思った。今はただ、暫くこの音を聴いていたい。

静かに目を閉じた私は、傍らの扉へと体重を預けた。



 * * *



「……ぇ、ちょっと、あんた。」

「…ん、うぅー……ふぁい?」


 誰かに呼ばれたような気がして、ゆっくりと目を開ける。いったいいつの間に眠っていたんだろうか。…あれ? 私どこで寝てたんだろう。記憶が曖昧だ。

何度か瞬きをすると、ぼやけていた視界がはっきりとしてくる。どうやら自分のベッドの上ではないらしい。

「ここ、どこ?」

「教室。やっと起きたね。」

独り言のつもりだった問いかけに返事が来て、慌てて体を起こす。声の主を確かめるため私はそちらに目をむけたが、同時に絶句してしまった。

「み、みみ御影君? どうしてここに…!」


 

今、私の前で本を片手に座っている人物は御影君と言って、学校内の有名人だ。長い手足に、整った顔。女の子たちが羨むようなさらさらの黒髪…。見た目だけでも凄いのに、勉強、運動においても優秀な成績を誇っていて、おまけに楽器も出来ると聞く。しかもそれでいて鼻につかない真摯な性格。まさに眉目秀麗、文武両道、聖人君子の言葉が似合う好青年であり、人望があるのにも頷ける。

そんな彼は私とは真逆に位置する人で、毎日クラスで顔を合わせてはいるが話したことがなく、いきなりの対面についどもってしまった。


「それはこっちのセリフ。大きな音がしたと思って見に行ったら、君が入り口のとこで倒れてたんだ。」

「入り口…?………あ。」

私はそこで全部思い出した。職員室に行く途中に空き教室に立ち寄ったこと。そしてそこで流れていたトランペットの音を聴きながら、眠ってしまったこと。

いくら綺麗な音だったからと言って学校で、しかも立ったまま寝てしまうなんて。自分のばかさ加減に呆れてしまう。

「思い出した?」

私は首をブンブンと振って、全力で肯定した。だが、一つ不思議なことがあり、その疑問を口にする。

「でも、私って扉のとこで寝てたんですよね? 何で教室内にいるんですか?」

そう。今私の周りにあるのは段ボールの山々。

ちょっと意外だったのは、ただの物置かと思っていた室内が中からみるとそこそこに整頓されていた所だろうか。

すると、それまで椅子に座っていた彼が、何とも言えない顔で立ち上がりこちらに近づいてくる。


「…運んだんだよ。あそこから、ここまで。」

「はい?」


 斜め上の回答に、思わず硬直してしまう。そんな私の心情を察したのか、御影君も言葉を続けた。

「いや、だって風邪ひくでしょ。あのままだと。…俺だって申し訳ないと思ったけどさ、風邪ひくよりはマシなんじゃないかって…。悪い。」

御影君は、他の男の子よりもいくらか高い場所にあるその頭を、私に向かって下げた。

「い、いえ!あんなとこで寝てた私の方がいけないんです。むしろ、助けていただいてありがとうございました。というか、こんな重たいものを運ばせてしまったことのほうが申し訳ないのですが…。」

その時の御影君を想像すると、自分の事ながら激しく同情してしまう。

それなのに彼は「全然。」と充分すぎるほどのお世辞をくれた。

なるほど、これがモテる人のやることなんだな、と妙に納得してしまう。


「じゃあ、それ。そろそろ返してもらってもいい?]

私が一人頷いていると、彼は私の腹部を指さしてそう言った。つられて視点を下げると、私の手には彼のものらしきブレザーが握られている。

「あの、これは?」

「えっと、…ブレザー?寒いかなって。」

彼は至って真面目な顔で、当たり前のことを教えてくれた。…まあそうなんですけどね。こういうことを素で出来るから、モテるんだろうな、うん。

彼はそのままブレザーを払ってしわを伸ばすと、自分の腕を通していく。そんな動き一つをとっても、彼のはとても様になっていた。

「それじゃあ、悪いけど俺もうそろそろ行くね。実はちょっと急いでるんだ。 …一応部室に顔出しに行かないと怒られる。」

「あ! そ、そうですよね。私、部活動中にとんだご迷惑を…すみませんでした!」

見ると、部屋の時計は午後六時半を示していた。

御影君は私が起きるまで待っていてくれたみたいだから、長い間つき合わせてしまったことだろう。

御影君の所属している部活は知らないが、きっと運動部か何かだと思う。そんな人の貴重な活動時間を削ってしまったことが忍びない。

私は腰を九十度に曲げて最大限の、謝罪の意を伝える。

すると、彼がほんの少し慌てたように付け足した。

「違う違う。その、君のせいだけじゃないんだ。…というか、ほとんど自業自得みたいなもんだから。」

自業自得?彼のせいになるべきところが見つからず、私は首をかしげる。

御影君は暫くうーん、と唸っていたが、やがて渋々ではあるものの、簡潔にその理由を教えてくれた。

「…俺がいると練習になんないから…。その、女の子たちがいっぱい来ちゃって。だからそういう日は迷惑かけないように一人で練習してる。ここなら人も寄り付かないし、迷惑かけなくてすむから。」

自分とは次元の違う話に言葉も出ない。なんというか、流石だ。



(ん? でも、あれ?)

そこでふと気づく。…御影君、今ここで練習してるって言った?だとしたら、もしかして。

「み、御影君!」

「っはい。何でしょう。」

いきなり大きな声を出したためか、御影君にも敬語口調が混じる。

「あの!ここでトランペット吹いてた人、知りませんか!?」

「…はい?」



 いつの間にか (――私が寝ている間に――) 姿を消していた、あのトランペットを演奏していた人。もしかすると御影君なら、その人がここを出て行った時に顔を見ていたかもしれない。

そんな淡い期待を抱き、私は御影君にその人の印象を必死に説明した。

「凄く上手な人なんです!素人目にも、こう、凄いのが分かるっていうか、グワーって来るっていうか…。とにかく凄い人なんです!さっきまでこの教室にいたはずなんですけど、見てませんか…?」

自分の語彙力の低さに絶望しつつも、身振り手振りを交えて話していく。

ちゃんと伝わっている気は全くしなかったが、どんな些細な情報でもいいから手に入れたい。そう思って聞いたのだが、御影君からは一向に反応が返ってこなかった。

暫く待ってみるものの、沈黙は保たれたまま。俯いてしまっている彼の表情はこちらからは確認することが出来ない。

何かマズいことを言ってしまっただろうか。不安感が高まり、額に冷や汗が一筋流れる。

「あの、御影くん…?」

「…………。」

意を決して呼びかけるが、それすら空気のように薄れて消えてしまった。いたたまれなさが倍増し、そろそろこの空間にいるのが限界、という時に漸く御影君が口を開いた。


「どうしてその人に会いたいの?」


それはとても短い問いかけだった。でもその真剣味を帯びた口調から、それが彼にとって大きな意味を持つ問いであることが容易に想像できた。

御影君は再び口を閉ざし、私の答えを待っている。

私は一つ息をおいて、自分の中の気持ちを形にしてから話し出した。

「感謝、したいからだと思います。」

「かんしゃ?」

御影君は顔を上げ、復唱すると、不思議そうな瞳で私の事をとらえた。その視線に小さく頷き、言葉を繋いでいく。

「私、今までずっと悩んでることがあって。さっきもそのことで落ち込んでいました。…でも、そんなときにあの音が聞こえてきたんです。真っ直ぐで、穏やかで、人の心を包んでくれるみたいな、優しい音色。私、それを聴いて直感的に“もっと聴きたい”って思いました。だから音をたどってこの教室に…。」

そこで一度言葉を区切る。目の前の彼を見ると、一切視線を逸らさず、黙って耳を傾けてくれていた。


誰かに自分の事を話すなんていつぶりだろう。私の中では、どうやら思い出せない程昔の記憶らしい。伝えることをやめた理由は何だったか。それすら分からないが、今は誰かが真剣に聴いていくれているという事実が、私の口を動かしていた。


「それで、近くで聴いたらやっぱり凄くて。何年も悩み続けてたことだったのに、その一瞬だけは、忘れられたんです。この音を聴けていたら、他はもう、何も気にしなくていいって…身を任せるだけでいいって、…そう、思えたん、です…!」

泣きたいわけではなかったのに、思わず語尾が震えてしまう。

彼もそのことに気付かないわけがなく焦ったように体が揺れたが、首を横にゆるゆると振って、平気だと主張した。

深呼吸をして心を落ち着けると、彼の目を見て最後の言葉を紡ぐ。

「あの人は私のことを励ましてくれたから、私には何もできないけど、せめてお礼が言いたいんです。『ありがとうございました。』って…。」

「…そっか。話してくれてありがとう。」

そう言った御影君の口元は、心なしか笑っているように見えた。

「ここまで話させといて悪いんだけど、俺はそいつの顔は見てない。でも、君がそんな風に言ってくれてること知ったら、そいつも喜ぶと思うよ。」

「そうですか…。そうだと、嬉しいです。」


 

残念ながらその人物に辿り着くことは叶わず肩を落とすが、御影君に話したことで少しだけ心の整理をすることができた。

心の振幅が大きかったせいか、だいぶ時間が経ったような気がして時計を見ると、針が七時を回ろうかというところでぎょっとする。 確か今の部活動は七時までに部室の施錠を完了させていなければならなかった気がするが…。

「あの、長い間ひきとめてすみませんでした! 時間、大丈夫ですか…?」

おそるおそる尋ねると、彼は時計を見て顔をひきつらせたが、すぐにもう諦めたとでもいうようにため息をついた。

「もういいよ。大人しく先輩に怒られとく。」

「ほ、本当にごめんなさい!」

「だから気にしなくていいって……あぁ、そうだ。」

何かを思い出したのか、御影君はおもむろに私が先刻まで寝ていた場所を指さして言った。

「君の荷物はあそこにおいてあるから。中身は全部入ってると思う。あと、持ってたクラスの課題は俺が代わりに出しといた。だから心配しなくていいよ。」

「課題、出してくれたんですか…! すみません、私が任されていた仕事だったのに…。助かりました。」

起きたときから鞄はあったのに課題がなかったのでもしやと思っていたが、そこまで気をまわしてくれていたなんて本当に尊敬する。


 今度からはこんな間抜けな失態を犯さないように気を付けよう、と決意を新たにしていると、ふいに横から「ねえ。」と話しかけられる。

振り返ると、少し難しそうに眉をひそめた御影君が私を見つめていた。その呼びかけの意図するところがわからず固まっていると、

「もうちょっと肩の力抜いてもいいんじゃないの。」

と言われた。同時に私の表情が凍りつく。


「そうやって何でもかんでも引き受けようとしないでさ、自分のやりやすいようにやってみたら? …今の君の生き方は物凄く苦しそうに見えるし、窮屈だと思う。」

彼は、躊躇いがちにそう続けた。

けれどその言葉をきっかけとして、私の心が渦を巻きだす。

だめだ、言いたくない。御影君に言ったって、そんなのただの八つ当たりだ。それに、こんな醜い部分を見せたくない。

だがそんな思いとは裏腹に、私の内側に溜め込まれていたものが一気に、言葉と涙になって、あふれ出してくる。

「…だったら! 私はどうすればいいの?何にもできない、役に立てない私は、どうやってみんなの隣にいていい理由をもらえばいいの? こうでもしなきゃ私はその理由を貰えない。こんな生き方でしか、私は、私は……!!」

「違うよ、理由なんていらないんだ。」

溢れ続ける私の心の暴走を止めてくれたのは、いつの間にかすぐそばまで来ていた、御影君の言葉とその手のぬくもりだった。

硬く握られた拳が、御影君の手によってゆっくりと開かれていく。

「人が人のそばに居続けるのに、理由や権利なんて必要ない。あるのは、優しさだけだよ。」

「やさ、しさ?」

御影君はそれを微笑むことで肯定した。

「…君にはそれがある。君が、…望月さんがみんなのために頑張ってたことは、俺が知ってる。」

「私にそんなのあるわけ……っ」

「俺が保証する。…望月さんの持ってる優しさは、俺が、必ず保証する。」

かぶせるように言い切った彼の目には濁りがなく、真摯な姿勢を崩さない。嘘でもなく、お世辞でもなく、彼が本心から伝えてくれた言葉。

「なん、ですかっ、それ……!」


そんなのもう、信じるしかないじゃないか。


私はこの人の事を表面的にしか知らなくて、ちゃんと喋ったのだって今日が初めてだったのに。彼は私のことを知っていてくれた。そのことが、こんなにも嬉しい。

私は彼の言葉で気づかされた。私は、自分で作りだした「ここにいていい理由」を誰かに肯定してほしかったんじゃない。私が「ここにいる事実」を誰かに知ってもらいたかっただけなんだ。


あのトランペットの演奏に惹かれた理由も、そこにあったのかもしれない。

段ボールや壁を貫く力強い音が、私の心を通った時にはその中でじんわりと溶けていった。…まるで、“あなたの心はここにある”というように。


それが分かった時、今まで悩んでいたことが嘘のように心が軽くなった。

…彼が私を救ってくれたのだ。

だからお礼を言いたかった。それなのに御影君が、「みっともなくても、情けなくても、泣きたいときは素直に泣けばいい。」 何て言うものだから、せっかく止めようとしていた涙がまた滲み出て、本当にみっともなく声を上げながら泣いてしまった。

すると彼が、幼子を慰めるように私の頭を撫でてこう言った。

「よく頑張ったね。」


その時、私の中で何かの音が鳴った気がした。それと同時に、長年滞在していた渦巻く感情の代わりに、新たなふわふわした感情が生まれてくる。…何だろう。この感覚は。今まで味わったことのないものだ。心臓がどくどくと波打っている。

けれど、今はそれがどんな感情だったとしても、全てをごちゃ混ぜにして枯れるまで泣きたいと強く思った。



 * * *



「望月さんは、迎えの車をよんだんだよね?」

「はい、もうそろそろ到着するそうです。」

時刻は八時近くになっており、流石に自転車では帰れないだろうということで、私は親に迎えを頼んだ。

御影君も自転車通学なのだが、私の迎えが来るまで一緒に待っていてくれた。

結局、御影君には何から何までお世話になってしまった。本当に感謝してもしたりないくらいの恩を今日一日で貰ってしまったと思う。

「じゃあ、俺はもう帰るから。今日はゆっくり休みなよ。」

「はい。今日は、本当にありがとうございました。…おかげですっきりしました。」

御影君のおかげで、もう悩まなくていいのだ。そう考えるだけで、今までと違う日々を過ごせそうな気がしてくる。

「どういたしまして。悩みが解決したみたいで良かったよ。 …まあ、こっちもちょっとすっきりしたから、おあいこかな。」

「え?私なんかしましたっけ?」

「何でもない。気にしないで。」

彼はくすりと笑って、自分の荷物の一つを背負い一つを片手に持つと、「また明日」と手を振りながら教室を出て行った。私もそれに応えて、手を振り返しながら見送る。しかし、

(あれ……?)

こちらに背を向けて歩いていく彼の後ろ姿に、どことなく違和感を持った。でもその正体が明確になる前に彼は見えなくなってしまう。

私はその疑問を放置することができず、一生懸命頭を働かせた。 そこでふと、御影君の言葉を思い出す。


『それはこっちのセリフ。大きな音がしたと思って見に行ったら、君が入り口のとこで倒れてたんだ。』


 人通りの少ないあの場所で、私が倒れたことに気づけたのはごく少数の、限られた人物だけだ。しかもその瞬間を目の前で見ていたか、それこそその場に居合わせたぐらいのタイミングでないと、私が倒れた音までは聞こえないだろう。

ということは、もしかしたら御影君は…。

 共通しているのは強い意志と、心に染みる、あの温もり。そして御影君の態度が少し変わったのは、私があの問いかけをしたときだ。

極めつけは、さっき感じた違和感…。その正体は、彼が片手に提げていた大きな黒い、角ばった鞄。あれに入っているのは、おそらく楽器だろう。

「まじ、ですか…。」

その結論に辿り着くと、私は羞恥のあまりその場にへなへなと座り込んでしまう。

本人の前で何を言っていたのだろう。あれじゃ御影君が黙り込むのも当然だ。明日どんな顔をして会えばいいのか、見当もつかない。…でも。


(もう、うじうじ悩まないって決めたもんね)

気合を入れるために、一発、自分の頬を叩く。気持ちを切り替えたところで携帯の着信音が鳴った。

画面を見ると、親からのメッセージ。校門の近くに車を止めたと書かれている。私はそれに返信して、教室の戸締りをした後に下駄箱に向かって歩き出した。


 外に出ると、冷たい風が私の顔をすーっと撫でていった。その冷たさが泣きはらして赤くなった目元を冷やすのに、丁度良く思えた。

グラウンドを見ると、当然のように誰一人として残っている生徒はいない。無音の中をただ一人、校門を目指して進んでいく。


 御影君に会うまではため息しかつけなかった独りの時間も、今はこんなにも心地よい。

だって私は、一人でいたって“独り”じゃない。それが分かった今、怖がるものは何もない。

「♪♪――♪♪♪―――♪―♪♪―……ふふっ。」

あの教室でトランペットが演奏していた曲を、鼻歌として歌ってみる。それだけで、自然と笑みがこぼれた。

 

 明日、もう一度あそこへ行ってみよう。そして、トランペットを吹いている彼に 『ありがとう』 と伝えるのだ。出来ることなら明後日も、しあさっても、その次の日も…。今日貰った恩を少しずつ返していきたい。“彼の隣にいるため”ではなく、“彼から貰った優しさに、私の優しさで応える”ために。


(早く、明日になればいいのに…)

数時間後また日は昇り出すのに、私は待ち切れず空を仰ぐ。見上げた先では、その暗闇に飲まれまいと数々の星たちが、懸命に力強く、輝いていた。その小さな輝き一つ一つが、私の行く先を照らし出していた。

みなさまはじめまして。

なろうサイト、初投稿の漣 沙波 (サザナミ サナミ)と申します。

本当はもっと恋愛成分を多めにする予定だったのですが、作者に文才が無く、女の子の成長がメインになっております。許してください。

ですので、恋愛モノはまたチャレンジしたいです。(ちなみに作者は本来もっと暗い話が好みです)


まだまだ慣れない部分も多く、拙い文章ではございますがこれからも投稿していこうと思いますので、よろしくお願いします。


読んでくださった方々に、最大限の感謝を!

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[一言] 私には詳しいことはわかりませんが、最後のところで女の子の心情と星がマッチしているところが好きです。これからも、頑張ってください。次の作品楽しみにしています。
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