91ページ目 黒雷襲来
ここ数日、空が青い日が続いている。
船の甲板でよく昼寝をするのだが、陽の光が全身を優しく照らし、尻尾の先まで温かくしてくれる。ウトウトと瞼が上がり下がりを繰り返し、現実と夢の境目を行き来する。
「ん〜、ん…………すぅ、すぅ……」
やがて意識は夢の世界へ引っ張られていく。尻尾が不規則に揺れ、耳は時折吹く海風を感じ取って震える。
至福の時間。
「ま〜たこんな所でサボってたか。おいフォン、そろそろ飯の時間だ。お前も手伝え」
「ムゥ…………」
は、長くは続かなかった。
甲板に現れたヴィンレイの手には花柄をあしらったエプロンが。もちろん彼が着るものではない。今日の食事当番であるフォンのものである。
「フォン、手伝える事、ないもん」
「洗い物でも配膳でも仕事は沢山あるぞ。ほら、早く」
「いやー。フォン、眠い。出来るまで、寝てる」
「おいおいお前な……」
ここ1年程でフォンの背は伸び、毛並みも艶が増し、立派な大人へと近づいている。しかしながら身体の成長が早いビースディアも、心の成長は本人次第。フォンはまだ大人になりきれていないのだ。
だが、だからこそ通じる手段も存在する。
「じゃあしょうがねぇ。フォンの分はなしって事で……」
「ムッ?」
「もったいねぇなぁ、今日はフォンの好きな海のよろず煮込みだってのによぉ」
「ムムッ!?」
海のよろず煮込み。種族を問わず、船乗り達が好んで食べる料理。スープの素は塩のみ。あとは入れた海産物達が出汁をスープ全体に溶け込ませ、濃厚な味わいをもたらす一品である。
中に入れる具材は種族ごとに異なっており、ビースディア達は古くから白身魚と貝類を主役としたよろず煮込みを作っている。
そんな海のよろず煮込みは、フォンが幼い頃からの大好物なのだ。鍋いっぱいを1人で食べ尽くしてしまう程。
「ウゥ〜、早く言ってよ〜!! フォン、早く行かなきゃ!!」
ヴィンレイからエプロンを引ったくり、船内へと駆け込もうとするフォン。
しかし、毛先を震わせる不吉な気配に足を止めた。
「どうしたフォン? 早くいかねぇと無くなる…………あ? 何だこの薄ら寒い空気……もうすぐ春も近いってのに」
「……上」
フォンは青い空を見上げる。
その時、空を覆う影が通り抜けていった。
黒い鎧を身に纏った巨大なワイバーン。それが通り過ぎた後には無数の黒い雲が立ち込め、黒雷が空を斬り裂いた。
この気配と同じものをフォンは以前感じたことがあった。
「アリウスの中にいた……のと、少し、似てる?」
そしてそれを追う、蒼銀の流れ星まで見えた。今は昼時。星など見える筈もないというのに。
「……あっち、どっち?」
「あ? 確かラットライエルだったな。そこでも荷下ろしがあった筈だったか。もしかしなくても、また彼奴らに会いたいか?」
「なんかね、また、会える気がする。だから、行こ?」
「よっし、そういうなら予定変更! 先にラットライエルに届けちまうかぁ!」
フォンはあえてあの暗雲については言わなかった。
気のせいだと信じたかった。あの時よりも悍ましい魔力を感じ取ってしまった事実を。
少女騎士のハグを半ば無理やり引き剥がし、アリウスは怪訝な表情をカリスへと向ける。しかしカリスの顔も中々に青味がかっていた。
「えっと……うん、説明……説、明……」
「出来ない訳ないだろ。こんな状況、誰が見たって2人で旅してたことくらい察せる。俺が知りたいのはどうして此奴が──」
と言いかけた時、今度はリオの手がアリウスの両手を掴んだ。2人とは異なり、キラキラと輝く瞳がアリウスを見つめていた。
「私は今、王位継承の為の旅を……え、この右手、一体……!?」
「あぁいや、これはだな……」
「ま、待って、待って下さい姫、いやお嬢様!! もうこうなったら僕が説明しますから!!」
右手を気にかけたリオの言葉に、意図せずカリスの言葉が被る。色々と混迷を極めているだけに、この場での説明は避けたかったアリウスにとって幸運だった。
正直、かつ真面目な彼女のことである。本来ならばお忍びの旅であるというのに、要らぬことまで話してしまうかもしれない。
「ま、まず……こちらのリオお嬢様は……」
「リオ? 名前はリオじゃなくてヘリ──」
「話の腰を折らないでくれるかな!? とにかく、お嬢様は世界を見て回る旅の最中。とても身分が高いお方だからこそ、見聞を広めて……」
「あの、どうかしましたかアリウス?」
場の空気が、正確にはアリウスの背が凍りついた。自分の背後からかかった声は間違いない。コノハである。
今のこの状況を客観的に考える。自分の目の前には、自分の手を掴んで目を輝かせる女性が。距離感は密着一歩手前。
こんな状況、アリウスだって疑う。
急ぎ手を振り払おうとする。しかしガッチリ組まれたリオの手は一向に離れる気配がない。
「離せ」
「どうされました?」
「いいから離せ」
「久々の再会なのですから、それほど照れなくとも」
「離せ、いや、ほんと離してくれ、頼む」
軽い足音、しかしアリウスにとって巨竜の歩みに匹敵する重い足音が、刻一刻と迫る。
「離せ、離せって、なんで離さないんだお前」
「誰と話してるんですかアリ……ウス……」
間に合わなかった。
アリウスの傍から顔を出したコノハは、ガッチリと組まれた2人の手を見つめる。
この角度からではコノハの表情は視認出来ない。しかしいずれ向けられるであろうあの凶悪な笑顔を想像し、背中に冷たい汗が流れた。
「あの……」
「はい……」
覚悟を決めた時、コノハは組まれた手を引き離した。そしてアリウスを背に隠し、頬をむくれさせてリオへ向き直った。
「どちら様ですか、貴女?」
「……ん?」
この言葉は自分に向けられたものではない。アリウスはコノハの方を見る。
相対するリオはというと目を丸くしていたが、やがて再び晴れやかな笑顔を浮かべ、
「はい、私はリオと申します。種族はヒューマン、今は王……おっと、見聞を広める為の旅の最中です」
「ふぅぅぅぅん? それで、アリウスとはどのようなご関係で?」
「はい、彼が騎士団にいた頃、よく稽古をしていました……ん、そういえば貴女は……?」
今度はリオが質問を返す。するとコノハは胸を少し張り、真面目な表情と共に宣誓した。
「私は、コノハ・レミティです。種族はドラグニティ。そして……そして! アリウスの! 恋人です!」
そして同時にアリウスの右腕へしっかりと抱きついた。見せつけるように。
今度はその場の空気が奇妙な空気に包まれる。口を開けたまま固まるアリウス、微笑んだまま小首を傾げるリオ、驚愕のあまり目を見開くカリス。
やがて再び扉が開いた音が聞こえるまで、その場の誰もが硬直していた。
「え? あんたら何やってんだい……ゲッ、あんたあの騎士かい!? 何しに来た!?」
「どうしたのみんな。スープ冷めちゃうよ?」
「……はっ!? いや違うんです、寄ろうとした訳じゃなくて、あ、いずれまた伺おうとはしてて、あぁ、と…………」
手を払うような動きをするレンブラント、スプーンを持って現れたジークへ、カリスは謎の弁明を始めた。
混迷してきた状況にアリウスが頭を抱えかけた時だった。
灰色の光景が広がる。
空から現れる、黒い鎧を纏った飛竜。天高く伸びた角から迸る雷撃。空を這う蛇のように迫る雷の行き先は……。
「みんな伏せろっ!!」
「えっ」
アリウスの叫びに反射的に反応したカリスはいち早く駆け出し、リオとレンブラントを抱えて地面へ伏せる。アリウスはコノハを抱きかかえ、ジークの頭を押さえて伏せた。
次の瞬間、空から降り注ぐ黒雷がレンブラントの店に直撃。壁を焼き、無数の破片と塵へ変換しながらアリウス達を押し潰さんとする。
やがて雷が止む。既にレンブラントの店は半分以上が瓦礫と化していた。
「オマエハ…………オレト……………………オナジ…………」
黒い鎧のゼオ・ライジアは屋根を砕きながら降り立つ。口からは掠れたような声と黒い霧を放ち、兜の隙間から赤と青の視線が見下ろしていた。
続く
次回、ドラグニティズ・ファーム、
「黒雷と蒼星」




