89ページ目 幸せ報告はお互い様
ラットライエルへは頻繁に訪れる。食材、調味料や日用品、農具の手入れ道具など、港町でもあるここには多種多様なものが揃っているためだ。しかし、今日は少し状況が違った。
「〜っ」
「随分機嫌がいいな……」
アリウスの左手は本を抱えている。そして右手は、というより右腕にはコノハがくっついている。鼻歌交じりに歩きながら、頭と身体をピッタリと。
結晶のように尖った白い甲殻に覆われたアリウスの右腕。それを時折優しく撫でる彼女の気遣いもあり、歩きづらいなどと言えないままここまで来てしまったのだった。
「先にレンちゃんのお店で良いですよね?」
「その方がいいな」
「じゃあそれで!」
などと他愛のない会話をしているうちに、目的地であるレンブラントの店へと着いた。アリウスの腕の事もあり、人がほとんどいない裏通りを通ったのだが、この道からの方が近い事も幸いした。
「さて、2人はいるかな……ん、うっ!?」
「どうしたコ……くっさ!?」
レンブラントの店から漂う異臭に2人は鼻を摘む。まるで腐った魚と堆肥が混ざったような凄まじい悪臭。
「何だこの臭い、息吸えないぞ!?」
「ちょ、ちょっと……うぇ、も、戻しちゃいそう……」
一際感覚が敏感なドラグニティ。コノハの目はグルグルと回り始め、力無くアリウスにもたれかかる。
「とにかく、何があったのか調べなきゃな」
当然だが近づくにつれて、悪臭が強くなっていく。視界がぐらつくアリウスだったが、抱えているコノハが口から泡を吹き始めている。止まるわけにはいかない。
ドアを蹴り開け、一気に中へ突入。2人の安否を確認しようとするが、部屋は声を発する事すら不可能な程の臭いに包まれていた。
中を進むと、床に倒れ伏したレンブラントとジークを発見。見れば2人ともまだ寝間着のまま。
何が起きたのか、それはテーブルの上にある料理を見た瞬間に察した。
「こ、れは……!?」
こんがりと焼き目がついた、巨大な焼き魚が悪臭の元凶だった。
「……なるほどな。要するに調理法をろくに調べずにやった結果がこれと」
「だ、だって知らなかったんだから仕方ないじゃないさ! そりゃ私だって料理は得意じゃないさ……だからって……」
口を尖らせるレンブラント。しかしその肩は小さく縮こまっていた。
謎の巨大焼き魚は厳重に麻袋を何重にも被せて密閉。部屋の中をレンブラントが持つミントシガーを大量に焚いて消臭している。しかしあの強烈な臭いはまだ微かに残ったままである。
「港に行ったらタダで貰えたんだよ。何にして食べるか悩んでいたらジークが……」
「いやぁ、なんか焼いたら美味しいんだろうなって。はは、失敗だったね」
呑気な笑いを浮かべながらジークはレンブラントの頭を撫でる。
かつての彼ならばこんな失態は犯さなかっただろう。今までに学んだ知識も失ってしまった今、やはり彼を頼るのは無茶なのではとアリウスは感じ始めていた。
「何の肉を焼いたんだ?」
「何だっけあれ……ザガ、何たらって海竜さ。港の近くに打ち上げられてたらしくてねぇ」
「ザガ・バザエダスか」
「知ってるのかい? 意外だ」
「名前だけはな。生態とか、食えるのかとかは知らん」
海竜の名前を出したが、ジークは興味深そうに頷くのみ。だが記憶は無くとも、自分の好きだった分野は心惹かれるものがあるのだろう。
「レンちゃん、ザガ・バザエダスは焼いたらダメだよ! 焼くと肉と血が反応してすっごい臭くなっちゃうからね!」
「それをもっと早く聞きたかったよ……んで、それは?」
鍋を抱えて店の奥から姿を現したコノハ。その鍋からは先程までの悪臭とは違い、思わず溜息を吐いてしまうほど心安らぐ香りが漂ってくる。
「ザガ・バザエダスはじっくり煮込むと美味しい煮物へ早変わり、です。まだ調理前のお肉がたくさんありましたから作っちゃいました。はい、召し上がれ」
「コノハさんってお母さんみたいですよね、レンさんの」
「うぐっ!?」
触れて欲しくない話題を屈託のない笑みで突くジーク。コノハは目を回しかけたが、何とか正気を保って鍋をテーブルへ。
「ありがたく頂こうか。コノハは私の隣で良いかい……んん?」
レンブラントはコノハが座る場所を見て目を丸くした。
アリウスの隣。それだけならばまだどうという事ではない。だがその椅子はピッタリとアリウスの椅子へくっつけられている。
「コノハ……あんた、どうしたんだい?」
「え〜? 聞きたいですか?」
「…………やっぱりいい」
「へっ!?」
冷めた目で見られたコノハは慌てて居住まいを正し、レンブラントが興味を持つように促す。
「あ、あ、そうだレンちゃん! ジークさんとは最近どうです!?」
「ぼくとレンさんは仲良し……」
と口を滑らせそうになったジークの後頭部を、レンブラントの手が引っ叩いて沈黙させる。僅かに紅潮した頬と伏せらた目を見るに、ジークの言葉は真実の様だった。思わぬ近況報告である。
「別に?」
「でも昨日手作りのお菓子を」
「うるさい!!」
レンブラントの誤魔化しも、最早意味は薄かった。
「じゃ、じゃあアリウス見てください! ちょっと前と変わった点が──」
「分からない、っていうか変わってないだろう?」
「うん」
何とも言えない表情で2人のやりとりを見守るアリウスを指さされ、「むぐぐっ」と頬を膨らませる。
「……何があったのさコノハに。疲れてどこかおかしくなった?」
「いやいや。ただ、あれだ。ちゃんとお互いの気持ちを伝えあって、少し関係が変わったんだ」
直接《恋人》という言葉を使えなかったのは、まだ気恥ずかしさがあったからだろう。アリウスはコノハほど喜びを前面に出せなかった。
しかしレンブラントは察しが良く、嬉しそうに口角が持ち上がった。
「良いじゃないか、ようやくスッキリした間柄になって。これで変なすれ違いも起こさないで済むしねぇ」
「ふ、ふんだ! レンちゃんだって本当は羨ましいくせに!」
「はいはい、羨ましいよ」
「もうっ!」
コノハはむくれながらスープを流し込む。すると膨れていた頬は一瞬にして蕩け、幸せそうに息を吐き出した。
「ん、ん〜! これ、は、はわ、トロットロ〜」
「どれどれ……ん、うん!? な、なんだいこれ、舌が……は、はひ、溶ける……」
女性陣はあえなくスープの虜。本当に溶けてしまいそうな表情で宙を見つめ、柔らかく息が漏れ出る。
アリウスも遅れて器に口をつける。塩辛い味の中にある優しい甘さは、海竜の肉から滲み出た脂の味だろうか。具には肉以外にも根菜類やキノコが入っており、それらの風味も味を引き立てている。
続いて肉を口へ。アリウスは魚のような食感を想像していたが、実際はスジ肉の食感に近かった。高密度の繊維が熱で程よくほぐれ、噛めば吸ったスープを溢れさせる。
「これは……確かに良いな……」
「すごいよ兄さん、口が溶けそう」
「本当に口から少し垂れてるぞ」
幸せな表情で包まれる店。あんな事があった後では開店など出来ないだろうが、果たして店の経営は大丈夫なのだろうか。アリウスはそんな疑問を早々に頭の片隅へと押しやり、スープを口へと運ぶ。
その時、店のベルが鳴り響いた。
「ん? ちゃんと閉店札下げたかレンブラント?」
「ん〜? 覚えてない〜」
「こいつ……」
完全に蕩けきったレンブラントの代わりにアリウスが店の扉へと向かう。
開けようとドアノブに手をかけるが、何やら外が少し騒がしい。どうやら男女がドアを挟んだ向こう側で言い合っているようだ。
店に用事があるのかどうかは定かではないが、店の前で喧嘩されるのも困りもの。アリウスはドアを開け、その男女へ呼びかけた。
「なんだ? ちょっと店に問題が起きてな、今日の所は……あ?」
「あ、貴方は……」
アリウスには見覚えがあった。
青い髪と紫の瞳。高貴さの中にあどけなさを残した美しい顔立ち。
その少女は確か、自分がまだ騎士団にいた時に……。
「お、おい、お前まさか──」
「アリウスなのですか!? アリウス、なのですよね!? 良かった、生きていた……良かった!!」
半ばぶつかる勢いで抱きつく少女──リオの顔には涙と笑顔が共存していた。
そしてアリウスはもう1人の存在にようやく気がつく。顔を両手で覆い、蹲る旧友に。
「カリス、説明」
「……………………はい」
続く
次回、ドラグニティズ・ファーム、
「竜殺しの鬼」
私の友人さ、怖がることはないよ。……信用してないね?




