87ページ目 大掃除をしましょう!
足元が軽い。
妙な感覚に襲われ、目を開く。そこにはコノハと暮らす木の家も、竜の庭も存在していなかった。
一面の花畑。風に乗って花弁達が空を旅し、花の蜜を失敬しに蝶が訪れ、ハイラビットの番がフワフワと飛び跳ねる。
だがアリウスの記憶の中に、このような景色はない。ふと、何かに引かれるように視線が後ろを向く。
そこでは巨大な竜と、1人の少女が戯れていた。少女はおもむろに花から葉を摘み、草笛を吹き始める。このメロディにアリウスは聞き覚えがあった。
「これは……竜魂歌?」
次の瞬間、紙芝居の場面が変わるように状況が一変した。
人の悲鳴、断末魔、火薬が炸裂する爆音、建物や木が薙ぎ倒される轟音、そして竜の咆哮。
先程まで広がっていた花畑は火の海と化し、空は黒い霧で覆われている。
その真っ只中に立つアリウスの前に、あの竜が飛び込んできた。翼は1枚もがれ、身体に無数の焼け跡と槍、大型弩砲の矢が突き刺さっている。片目が潰されているが、まだ竜の戦意は消えていない。赤と青をした3つの眼を憤怒で輝かせ、天を震わせる咆哮をあげる。炎がそれを燃料に更に燃え上がり、アリウスの視界を遮った。
「っ、っ!」
目を庇う為に腕で覆うが、熱さは感じられない。
しばらくして目を開けると、またしても景色が変わっていた。
全てが焼き尽くされ、辺りに広がるのは燃え滓と人や動物の焼死体。少し前まで咲き乱れていた美しい花など何処にも見当たらない。
そして視線の先には目を背けたくなるような光景があった。
先程の竜の死骸。至る所に刺さった武器と、剥き出しになった骨が混ざり合い、両目は潰され、トドメを刺された証に額へ巨大な槍が突き立てられていた。あまりに惨たらしい姿から、入念に死体撃ちをされたのだと嫌でも伝わってきた。
次にアリウスの目は竜の背中へ視線が移る。
背に刺さっているのは十字架。磔刑に処されていたのは、あの少女だった。
「どうして……これは一体、誰の記憶なんだ……!?」
アリウスの部屋の鍵が開かれ、音を立てないように忍び寄る影があった。影はアリウスのベッドの横まで辿り着くと、そっと額を撫でる。
「アリウス〜、朝ですよ〜」
囁くように告げるのは、本音ではまだ寝ていてほしいから。
こっそりベッドの上に上がると、アリウスのお腹の上に跨る。しかし起きない。
「起きないなら〜、悪戯しちゃいますよ〜」
頬を突き、寝癖を直す。しかしまだ起きない。その者の予定ではこれで起きる筈だったのだが。
「お、起きない……な、なら、こここ、これ、なら……どどど、どうでしょう」
ゆっくりゆっくりと、顔をアリウスへ近づける。自らの唇と彼の唇の距離はもう小指の先程しかない。
「お、起きてくださいアリウス! しちゃいますよ、本当に本当にしちゃいますよ! 私は本気ですからね!」
微かな吐息を感じられる距離。もうほんの少しでも顔を傾ければ接してしまう。
覚悟を決め、目を閉じ、唇が正に触れようとした時だった。
「一体誰の記憶なんだ、これはっ!?」
「わぁぁぁぁぁぁっ!!?」
アリウスの目が開き、驚いた勢いでベッドから転げ落ちた。
「あ? 夢、か。だよな……って、何してるんだコノハ?」
「いった〜い……もう、早く起きて下さいよ! もう朝です!」
「はいはい」
後頭部を押さえるコノハを立ち上がらせ、下へと降りる。既に一階は良い香りで満ちており、テーブルの上には出来立ての朝食が。
しかしアリウスはすぐに異変に気がついた。
「……なんか、量が多くないか?」
「あ、えぇっと……ちょっと、張り切りすぎたというか、はは……」
焼きたてのパンにコーヒー、チーズ、ドラゴンパンプキンのシチュー。更にミルクポテトのサラダにノイズィチキンの干し肉。加えてスライムとフルーツのゼリーまである。それらが食卓に隙間がないくらい敷き詰められていた。
「張り切りすぎ……ね」
「と、とにかく食べましょ! ささ、早く早く!」
急かすように椅子へ座らせ、自身も椅子に着く。食事の挨拶も早々に、アリウスは朝食のパンを頬張った。
いつもの味。だが少し、味の深さがよく分かるような気がした。
「……コノハ、パン生地変えたか?」
「え、分かりました? ちょっと麹と手の温度を変えてみたんです」
「どうして? いや、美味しいからいいんだが」
「え〜、分かりませんか〜?」
意地悪そうな笑みを浮かべるコノハ。明らかに浮かれている様子が見て取れる。
あの日、互いの想いを伝え合った日以来、コノハの態度に少なからず変化が現れた。
今まで気遣いから隠していた本当の心を前面に出すようになった。簡単に言えば甘えたりする行動が増えた。用もないのに名前を呼んだり、執拗に抱擁を求めたり、今のようにからかってきたり。
だがアリウスも悪い気はしない、むしろ見たことのない感情を見せてくれるのは嬉しいので何も言わない。
「分からない」
「じゃあ頭を撫でて下さい。そしたら答えを教えましょう、はい」
自らの頭を差し出すコノハ。思わず笑みが溢れ、アリウスはその赤い髪を優しく撫で回す。喜びに体が震える様子が小動物のように見えて、愛おしい。
「フ、フフ……! えっと、アリウスの好きな味ってこんな感じかなーって」
「そいつは嬉しい。ありがとう、コノハ」
「え、へへ、えへへ……」
もっと撫でて欲しいと言わんばかりに席を立ち、アリウスの膝に座る。頭を胸に寄せ、その手を頬に当てる。
「アリウス」
「んん?」
「そこはアリウスも、コノハって呼ぶんですよ! やり直しです。……アリウス」
「あぁ、コノ……」
次の瞬間、アリウスの眼に映る景色が一瞬変わった。
夢で見た少女が自分を見上げ、同じように笑って、名を呼んだ。
「ね、────」
呼んだ名は分からない。しかし自分の名前ではない。だとしたらこれは…………。
「アリウス?」
「……っ、あ、あぁ、コノハ」
「はい、合格です」
太陽のような笑顔が、不安になっていたアリウスの心を落ち着けた。
今日の予定は、春の前の大掃除。家中を、清掃道具を持ったゴーレム達が駆け回っている。そしてアリウスとコノハがやる仕事は。
「今日こそ! この物置と地下室を掃除します!」
コノハはいつもの頭巾に加え、布で口元を覆って箒を持ち、宣誓した。
「ていうかゴーレム作る時に片付けなかったか?」
「あの時は無理やり押し戻しただけじゃないですか。それを片付けたとは言いません」
「にしたってここと地下室だけでもかなり広いぞ。1日で終わるか?」
「そこは私が魔法使って、ちょちょいと塵を消しますから。重たいものを片付けるのはアリウスのお仕事。さぁ、開けますよ……!」
コノハは腕をくるりと回し、物置の取っ手に手をかける。
「おい気をつけろよ。前もそれで倒れてきたんだから」
「大丈夫ですよっと!」
「はぁ、心配だ……な……?」
次の瞬間、アリウスの眼に灰色の光景が映し出された。
戸を開けた途端、コノハの頭に巨大な棚が倒れ込む。非力な彼女は成す術もなく……。
「今のはっ!?」
「へ、何か言いましたかアリウ……えっ!?」
開け放った瞬間、先程見えたものと同じ大きな棚が、コノハを押し潰そうと迫る。避けようとしたコノハだったが、足を滑らせて転びそうになる。
「ちょっ──」
「うぉっと!!」
アリウスは左手でコノハを抱き止め、右手で棚を受け止めた。埃が舞い散り、衝撃で2人の顔が近くまで寄る。少しコノハが顔を起こせば、キス出来るほどの距離。
「気をつけろって言った矢先に……」
「あ、あ、えっと……はい」
しかし顔を近づける勇気はなく、やがてアリウスは棚を押し退け、コノハを床に立たせた。
「目が離せないな、全く」
「む、それはこっちのセリフです。私はアリウスが心配で心配で……」
「わ、分かった分かった。じゃあ早く始めるとするか」
アリウスとコノハは手分けして物置を片付け始める。中からは割れた食器や農具、服、箱や袋など、雑多なものが掘り出されていく。いずれも埃塗れで、持ち上げる毎に塵が宙を舞う。
「ゲッホ! これいつから掃除されてないんだ?」
「確かお爺ちゃんとお婆ちゃんが結婚して、たまに遊びに来てた以来だから……もう200年は経ってるんじゃないですかね」
「200年前の塵か……なんか感慨深いようなゲッホゲホ!! いややっぱりダメだ!」
咳き込みながら物を仕分けていくと、アリウスは奥に何かを見つけた。山のように積み重なった埃達を押し退け、それらを取り出す。
「これは瓶か? しかも妙にでかい」
アリウスは外側を確認するが、あまりに汚れているせいで中身は見えない。
「蓋を開けるしかないか」
「え、開けるんですか!?」
「他にどうするんだ?」
「だって腐ってるものが入ってたら嫌じゃないですか。見なかったことにして捨てちゃっても……」
「よい、しょっと!」
「きゃあっ、開けたぁっ!?」
悪臭か、腐った液体か。それらが飛び出すと思ったコノハは廊下へ飛び出した。
しかし2人の鼻に届いたのは全く反対の、甘く芳醇な香りだった。花の香りにも似たそれの正体はすぐに判明した。
「酒だ。でもこれ、いつから漬けてあるんだ?」
「あっ、もしかたら……お爺ちゃんとお婆ちゃんが漬けたやつかも。瓶に何か書いてませんか?」
コノハの言葉通り瓶を調べると、少しだけ出っ張った部分があることに気がついた。埃を払うとこう記されていた。
《ルングル・ユルドラング フウロ・ユルドラング》
更にその下には、
《2人の愛が、この花酒が飲み頃になるまで続くように祈って》
「花酒だったのか。確か十分醸されるまで200年くらいだったような……じゃあ丁度良いくらいだ」
「お爺ちゃんとお婆ちゃんも、昔はこんな風にお互いの想いを形に残していたんですね。ちょっと嬉しいです」
「今はそうじゃないのか?」
「もちろん仲良しですよ。……お爺ちゃんがあれで女好きじゃなかったらもっと良かったかもしれないですけど」
陰りが現れたコノハの笑顔に少し恐怖しながらも、アリウスは花酒が入った瓶を眺める。
お互いの想いを形に残す。アリウスは興味を惹かれた。心という見えないものを、見えるものに与える。
「俺達も何か考えておくか」
「そう、ですね。私達も花酒にしますか?」
「俺がそれまで生きられればいいんだが……」
不可能だとは思いつつも、少しは長生きしなければと再確認したアリウスだった。
物置の掃除が終わり、最後の難関がやって来た。
地下室。普段はほとんど開くことはないが、常にひんやりとした空間が広がっている。その為か夏場は食料の保存や一時的に体を冷やすために使われる。
「でも夏場あまり使わなかったよな?」
「だ、だって怖いんですもん……真っ暗だし、音が響くし……うぅ……」
こうして話している間も、コノハはランタンを持ったアリウスの腕にしがみついている。一段一段下っていく毎に冷気が足元に纏わりつく。確かに気味が悪いとアリウスも感じていた。
やがて最後の階段を降り、地下室へと辿り着いた。ランタンの灯りを頼りに部屋の蝋燭に火をつけていく。暗闇に包まれていた地下室の内装が露わになっていった。
巨大な書庫。所々蜘蛛の巣が張られているものの、それ以外は特に汚れ等は見られない。石造りの内装も相まって、情緒溢れる部屋となっていた。
「灯りさえあれば意外と使えそうだな」
「確かに……って、今は片づけが先ですよ先! 本の仕分け、手分けしてやっていきましょう!」
作業を始めてしばらく経った。
「はぁぁ、懐かしい〜! これお婆ちゃんが読み聞かせてくれた本と同じやつ、お婆ちゃんも好きだったんだぁ〜!」
一冊抜き取る毎に読み耽り、コノハの方は全く作業が進行していなかった。
「おいコノハ、思い出に耽るのもいいが片付け……」
「はぇ!? ちょ、ちょっとだけですよ! すぐにやりますから…………あぁ! この本こんな所に──」
「こりゃ1日で終わるか分からなくなってきたな……ん?」
アリウスは本棚の整理をしている中で、ある本を見つけた。
分厚い本だが、題も作者も見たことのない言語で書かれていた。埃を払い、中を見てみるが内容を理解することは出来なかった。
「何だこの本?」
「あー、アリウスだって片付けサボってるじゃないですか!」
「なぁコノハ、これ読めるか?」
「ん? これ……うーん、ユーランスペルじゃないのは確かですけど。だったらあそこに行けば分かるかも、ですよ」
「彼奴か……勉強したこと覚えてるかな……?」
浅緑の長髪をした弟が、アリウスの頭の中で間の抜けた笑みを浮かべた。だが頼みの綱が彼1人だけなのは事実である。
「それにそれに……レンちゃんに報告したいですしね〜。えへへへへ」
「はいはい……」
何を言われるか。
頼むからからかうのだけはよして欲しいと、アリウスは切に願うのであった。
続く
次回、ドラグニティズ・ファーム、
「双葉の旅立ち」
好奇心旺盛なのは良いのですが……あぁお待ち下さい姫、違ったお嬢様!!




