86ページ目 私の全てを、あなたに
あの里で起きた事件から少し経った。
降り積もりつつある雪は地面を隠し、屋根にまで層を築いている。枯れた畑の野菜達はその葉や茎を雪の下に埋め、次の春が来るまで根は眠りにつく。そろそろ春も近いというのにぶり返した冬の気配に、植物達はこれ幸いと惰眠を貪る。
竜の庭は比較的暖かく、気候も落ち着いているためかそこまで積もることはない。しかし定期的に雪はどかさなければならないだろう。屋根から雪が降りかかったり、小屋の戸口を凍らされてはたまらない。
「…………」
たった1人、黙々と雪を家の庭の中心へ集めるアリウス。雪を見る度に感傷に浸っていた今までの日々を思い返す。例によって途中まで手伝っていたシャディの姿はない。寒さがワイバーンの天敵なのは百も承知だが、先程までコノハが編んだ防寒具を纏って遊んでいる様子を見た後では、仕方がないとは思えなかった。
里で畑を使える状態に戻すと、半ば追い出される形で帰って来た。領主であるユーシから事情は聞いている。畑をどう使うかは里の皆でこれから考えていくらしい。無論、アリウスが直したということは伏せて。
だが構わない。最後に里を去る時、ルリとルイの2人が笑顔で見送ってくれたからだ。
そしてコノハは、用事を済ませてから後で戻ると里へ残った。その用事が何かは教えて貰えなかった。
帰って来るまでの留守番を任されたのは良いが、畑仕事がないとやる事が少ない。日課が終わった後は釣りや昼寝をしていたが、それでもまだ時間は有り余る。
そこでアリウスはこの雪を有効活用しようと考えたのだ。
雪の高さは既に人1人が入るには十分。それをスコップで叩いて押し固め、時々井戸の水をかける。この工程を繰り返し、綺麗な半球にする。最後に入り口を掘り、人が入るスペースを確保して完成。
昔故郷で教わった簡易的な居住スペースである。猛吹雪の中、仮に洞窟が見つからなかった際に作るものだが、中々落ち着くのでアリウスは気に入っていた。
中に入り、雪を盛り上げで腰掛けを作る。外から持ち出した木の枝と木の皮で火を起こし、本を読み始める。
雪で出来ているとは思えないほど中は暖かい。
「……普段からこんなの読んでたんだな」
アリウスが読んでいるのは、コノハが愛読している薬草の知識書。マンドレイクなどの有名な物から、名すら知らないものまで網羅されている。
文字で埋め尽くされた本の少ない余白には、彼女が書いたと思しき走り書きが刻まれていた。
[これとクグロドを2と5の比で混ぜる!]
[マンドレイクの葉と混ぜると睡眠作用あり! 調合の時は気をつける!]
と、あるページにこんな走り書きを見つけた。
[アリウスの好きな味]
[アリウスは嫌いみたい。分からないように食事に混ぜる!]
[シャディのお薬。こっちも食事に]
ご丁寧にご機嫌な顔と目を回す顔の落書きまで付いている。吹き出してしまうのと同時に、様々な感情が胸の内で渦を巻く。
「気にしなくたって構わないのにな……あぁ、なんて言えばいいんだ……そうだ、これは、そう」
可愛らしい。愛おしい。
以前なら何の気もなしに言えた言葉。だが今は本人がいない所ですら口に出すのは気恥ずかしい。顔が熱くなるのは、焚き火の勢いが増しているからだろうか。慌てて火を調整するが、依然として顔の温度は変わらない。
と、雪の拠点の中に来客が訪れる。顔だけを入り口に突っ込んで。
「……シャディ?」
「ガァウウウ……」
腕輪などなくても分かる。腹が減ったと訴えている事くらい。
「自分で獲れるだろ。魚とか……」
「ウギャウウン!!」
今度は腕輪が伝える。
『お肉が食べたい! シカか羊が食べたい!』
「森にいるじゃねぇか……って言っても探すの面倒だろうけど」
『ヤダヤダ! 一緒に獲りに行くんだよ! アリウスだって食べたいでしょ!?』
「俺は別に……」
『いいから行くんだよぉ! 出てこい!』
「いや待て、あ、ああぁぁぁ……!」
敢え無く拠点から引きずり出され、狩りに付き合わされる結果となった。
追記すると、結局ハイラビット3匹という結果に終わり、2匹をシャディが平らげ、アリウスは1匹を雪の拠点の中でスープと串焼きにして食した。
「…………うん? …………あっ、寝ちまった」
見れば日は最後に見た時からだいぶ下り、もうすぐ夕方になろうとしていた。焚き火も小さくなっているが、雪の拠点は溶けたりなどしてはいなかった。
と、アリウスは自分の膝の上に1枚の紙切れが乗っている。そこにはこう記されていた。
[ただいま。帰ったらお休み中だったのでメモを残します。今日、日が地平線に沈む頃、竜の庭にある大きな木の下に来てください。渡したいものがあります。待っていますから、来てくださいね。絶対ですよ?]
念押しする程の用事ならば、今行けば良いのだろうか。しかしアリウスはその考えをすぐに捨てる。
この時間に渡したいのならその時に行かなければならない。
幸い約束の時間に丁度いい位に目覚めた。アリウスは焚き火に雪を掛けて消し、丘の上にある大樹へ向かった。
その道のりはほんの数分で辿り着いてしまう程の距離であるはずだというのに。何故か遠く感じてしまう。歩みは自然に速くなり、やがて小走りになる。まだ息が白いのは寒いからなのか、自分の体温が高くなっているからなのか。
木が見えた。そしてその下で待ち続ける小さな影も。
「……コノハッ!」
思わず名を呼ぶ。人影は少し驚いたように首をこちらに向け、やがて視界の中にはっきりと、柔らかな笑顔が入った。
「待ってました。ちょっと寒いですけど……クシッ!」
「大丈夫なのか?」
「ご心配なく。……さて、本題です」
コノハは木に立てかけていたものを両手で抱え、アリウスへ差し出した。
「これを渡したくて、里に残ってたんです。どうか受け取ってください」
鞘に装飾はほとんど無い。しかし黒い鞘は魅入ってしまう程に深く、滑り止めの赤い布が引き立つように、それでいて自らを引き立てるようである。
差し出された剣を受け取る。信じられないほど軽い。長さは以前持っていたあの魔剣に匹敵するほどであるにも拘らず。
「抜いてみて、くれませんか?」
「あぁ」
ゆっくり柄に手をかけ、引き抜く。
姿を現したのは流麗な刃を双方に携えた、赤色に淡く輝く刀身だった。見ればそこには波の波紋にも、大樹の木目にも似た紋様が浮かび上がっている。
「これ……!?」
「ヴァーレカルムさんが使っていた金属を分けてもらって……高度な魔法のゴーレムの歯車にも使われている、らしいです。イルミライトっていう……」
「イルミライトって、あれ希少金属だぞ!? 少なくともレオズィールじゃ一塊で家買えるくらいの……でも、イルミライトって赤ではなかったような?」
「本当は白色です。でも、その……」
コノハはヴァーレカルムとの話を思い出す。
── これを、どうすれば……? ──
── 嬢ちゃんはひたすらこれを槌で叩けばいい。形は俺が整える。けど、寝ないで7日間ひたすら打たなきゃならねぇ。しかも剣に込める魔力が乱れねえよう、嬢ちゃん以外打つことは出来ねぇ。最後に聞くぞ……やるかい? ──
── やります、やらせてください!! ──
精一杯の魔力を、7日かけて打ち込んだ。そして疲労で倒れる寸前に完成した。その時既に白色だったイルミライトは、淡い赤色へと変化していたのだった。
ヴァーレカルム曰く、打ち込まれた魔力の質や個人の特性によって加工後の硬度や色が変わるらしい。
「少し振ってみてください」
自分の想いが本物か、確かめたい。
コノハの頼みにアリウスは頷き、足元に落ちていた太い木の枝を上へ放り投げる。
普通の剣では、腕や剣の質が一定でないと太い枝を両断するのは至難の技。
枝がアリウスの前を落下した瞬間、剣を振り下ろした。
直後、枝を半ばから綺麗に両断したばかりで無く、近くを舞っていた枯葉すら纏めて斬り裂いた。
軽いだけでなく、空気すら斬り裂く切れ味。
「凄ぇ……!」
アリウスは剣をマジマジと見つめる。かつての魔剣とは違う、温かさを秘めた刃。
それを見たコノハは安堵の息を吐く。
これで気兼ねなく、想いを伝えられる。
「ありがとうなコノハ! こんないいものを……コノハ?」
振り返った先に立つコノハの目は少し伏せられ、真剣な色を瞳が秘めていた。その雰囲気にアリウスは息を呑み込む。
「……アリウス」
「な、何だ……?」
「私、ずっと悩んでいました。このままアリウスと、一緒にいて良いのかなって」
コノハの話を、アリウスは黙って聞くことにした。邪魔してはいけない。そんな気がしたのだ。
「だって、私と貴方じゃ、ドラグニティとヒューマンじゃ生きる時間が違いすぎる。いつかどんな形であれ、別れなきゃいけません。……だから怖かったんです。自分の気持ちを貴方に打ち明けるのが」
「コノハの、気持ち……」
「どんな事になっても、辛い未来が来るのは分かっていたから。私より先に貴方はいなくなる。そんな事になったら、私、耐えられません。貴方が大切になればなるほど、いつか来る別れが辛くなる…………でも」
コノハの顔が上がる。濡れた瞳がアリウスの瞳と交錯した。
「でも……もう迷いません。未来を怖がって、貴方に想いを伝えないままでいたら絶対後悔する。だから……!!」
唇が固く結ばれる。それは躊躇いによるものではなく、意を決した証だった。
「アリウス・ヴィスター。私は貴方を………………愛しています。この世界で一番、貴方のことを愛しています!」
精一杯絞り出した告白。それはあまりにも稚拙で、あまりにも不恰好で。しかしどんなに美しい愛の言葉よりも真っ直ぐな言葉。
不安から顔を俯きかけるが、必死に耐えてアリウスを見据える。答えを待つ。
アリウスはゆっくりこちらへ近づく。やがて口が開かれる。コノハは目を瞑った。
アリウスの答えは決まっていた。迷うことなど一切なかった。
「……コノハ」
「…………っ」
「俺も同じだ。コノハ、俺をまた前に進ませてくれたコノハの事を、世界の誰よりも……愛している」
「っ、っ!! ア、アリ、ウス……!!」
どうしてもっと早く気がつけなかったのだろう。
コノハの想いに、自分の想いに。
だがもうそんなことは関係ない。
自分を救ってくれた、目の前の少女を愛している。その想いは紛れもない真実だから。
「う、うぅ、あぁ……アリ、ウ、ス……アリウス……ひぅぅぅ……!!」
涙を流しながら、よろよろと近づいてくるコノハ。アリウスは小さく両手を広げ、迎え入れる。その瞬間、コノハの足は真っ直ぐ駆け出していた。
重なり合う2人。互いの鼓動が、互いの身体に伝わり合う。
「大好きです!! 優しいところが、不器用なところが……!!」
「それはお互い様だ」
「もう、意地悪ばっかり……ふふっ、うっ、うぅぅ……!!」
小高い丘の上で抱き合うアリウスとコノハ。
シャディはそんな2人に気づかれないように、そっと近くに花束を置く。
庭の近くに生えていたものを摘んだもの。シャディはその花について知らなかったが、深い赤色の花弁に若草色の葉が綺麗だった為に選んだ。
この花の名は竜翼花。基本的には春に咲くものだが、ごく稀に冬に咲くものが現れる。そして冬に咲いた竜翼花の花弁は、長い間散らずに残り続ける。
本来の花言葉は[勇ましき君を讃える]、[私は貴方に敬服する]。しかし早咲きの竜翼花にはもう一つ、花言葉がある。
[貴方との愛は永遠に続くでしょう]
続く
次回、ドラグニティズ・ファーム、
「大掃除をしましょう!」
心機一転ですよ! さぁみんなでお掃除、開始です!




