番外編 2人の馴れ初め
ユーラン・イルミラージュには様々な種族がそんざいしている。
その中でも特に強大な力を持った種族として、ドラグニティと呼ばれる者たちがいた。
エルフに並ぶ寿命、深い叡智、そして体の内に秘めた大量の魔力。それは彼等の祖先が竜の血をその身に取り入れた事による恩恵だった。
しかし彼等は他の種族との交流を酷く嫌い、いずれも住むのが困難な、灼熱の火山地帯や天に届くほど高い高山地帯に里を築き、ひっそりと生きていた。幸いにも、ドラグニティはユーランスペルを用いてあらゆる生物との意思疎通が可能であり、彼等の力を借りながら生きていくことが出来た。
これは、ある2人のドラグニティの若者達が紡ぐ物語である。
「なにぃっ!? 今なんと言った!? もういっぺん言ってみろ馬鹿息子!!」
「何度だって言ってやる! 俺は、領主なんぞ、継がねぇっ!!」
屋敷中に響き渡る、親子ゲンカの怒声。
その様子を見守る使用人達はオロオロと狼狽え、どうすれば良いのか分かっていないようだ。
喧嘩しているうちの1人はこの屋敷の主人であり、里を治める領主である。
名をルングル・ユルドラング。若い風貌を残しながらも、たっぷり蓄えた髭と筋肉が威厳を放ち、金色の瞳が高貴さをも感じさせる男性である。
そしてそんな彼に悠然と立ち向かっているのは彼の息子。
若かりし日の、マグラス・ユルドラングである。
「親父も言ってただろう、今のままじゃドラグニティは狭い箱の中で窒息しちまう。だから外の世界に出る準備が必要なんだって!」
「だからって領主継がないはおかしいだろうが!」
「領主になったら外に出る機会なんか無くなるだろ! 何にも分かってねえなこのアホ親父!!」
「それはお前、使用人に任せればいいんだよ馬鹿息子!!」
馬鹿阿保の応酬。およそドラグニティの中で最高位の一族とは思えない、品の無い喧嘩である。
この喧嘩は今に始まった事ではない。少し前から領主の引き継ぎの件をルングルからマグラスへ伝えたのだが、マグラスがそれに反発したのだ。
「もう堪忍ならん! 外へ出ろマグラス、剣で決着をつけてやる!」
「あぁ良いだろう! これを機に女遊び癖も矯正してやるぜ!!」
「それは関係ないだろ!!」
2人は修行用の木剣を手に取り、意気揚々と庭への扉を開いた。
直後、爆風によって扉が反転。2人の顔面を打ち付け、部屋の壁に衝突させた。
「また喧嘩ですかぁ? いい加減になさいよ2人とも」
「か、母さん!?」
「聞いてたのか……!?」
壁に潰れた蛙のように張り付いていた2人は即座に縮こまる。
使用人達が一斉に頭を垂れ、風で乱れた髪を櫛で元に戻す。
彼女の名は、フウロ・ユルドラング。ルングルの妻であり、マグラスの母であり、このユルドラング家の影の支配者。
白銀の髪とブラウンの瞳。その容姿は成人したドラグニティに比べかなり幼いが、優しい顔つきから慈愛と母性を醸し出している。
だがそんな顔も今は竜の如き恐ろしい形相。笑っているが、心は全く笑っていないのがその目から伝わってくる。
優しい風貌とは対照に、ルングルが唯一頭が上がらない実力者なのだ。
「ち、違うんだ母さん。男同士、やはり言葉じゃ伝わらないからな? やはりここは剣で語り合──」
「その割に口がよく回りますねぇ? それだけおしゃべりなら口で十分じゃないですか?」
「いや…………」
「この前使用人の娘に手を出した時の言い訳もまぁ随分と饒舌だったじゃないですか? …………思い出したら腹が立ってきましたね」
「勘弁してくれ母さん、その話はもう終わ──」
「罰として屋敷全部の掃除、夕飯のおかず無し、お酒も当分禁止ですね」
「ひぃぃぃ!!」
マグラスは戦慄する。普段はニコニコと笑いながら庭の動物や花の世話をしている母。しかしその怒りは正に竜の怒りであると実感させられた。
と、今度はこちらへ顔が向いた。依然、憤怒の笑顔のまま。
「マグラス、領主を継がない、と聞こえた気がしましたが?」
「い、いくら母さんでもこれだけは譲れないな! 俺は外の世界を見たい、ドラグニティの力はきっと他の種族の役に立つ筈なんだ!」
「ふうん……」
「や、役に立つと、思います!!」
あまりの気迫に柄でもなく敬語が口から飛び出すマグラス。
しかしフウロの口から出た言葉は意外なものだった。
「まぁ良いんですけどね。貴方の好きにしたらいいわ」
「えっ?」
「ちょ、ちょっと母さん!? 困るよ、そうしたら誰が俺の跡を継ぐんだ!?」
「お父さんは黙ってなさい」
「あっ、はい」
口を挟んだルングルを一言で沈黙させると、フウロは更に続けた。
「確かに、私もお父さんも、ドラグニティの閉鎖的な考え方を改めるべきだと考えています」
「だったら、俺は旅に──」
「ただ結婚もせずにフラフラ放浪するなんて、親としては見過ごせません。な、の、で……」
ニコリと笑うフウロ。マグラスはこの笑みを知っている。
「昨日ですね、別の里の領主からお見合いの話をいただいたんです。同じ歳くらいの娘さんだそうよ? 世界に出るよりも先に、ドラグニティ同士の交流を深めるべき。そうは思わないかしら、マグラス?」
そしてその言葉の意味を、マグラスは知っていた。
「せ、政略、結婚……!?」
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特に何を準備するわけでもなく、見合いの日が来てしまった。
マグラスの隣にはフウロの姿。ユルドラング家にある、花が咲き乱れる庭園にて行うことになっている。
「…………」
「緊張してるの、マグラス?」
「いや、うん? どうなんだろうな?」
「あ、来たみたいよ」
使用人に案内され、2人のドラグニティがマグラスとフウロの座る場所の反対側へ座った。
「どうも初めまして、ユルドラング家の皆様」
「はい、こちらこそ。ほら、マグラスも」
「はいはい、初めま…………っ!?」
マグラスの言葉が止まったのは、挨拶をしたドラグニティの男性の隣にいた、女性を見た為であった。
深赤の長い髪、伏せられた瞼から微かに覗く宝石のような翠の瞳。その何処か儚げな雰囲気が、マグラスの心臓を鷲掴みした。
「お、おぉ……」
固まってしまったマグラスを見たフウロは何かを察したように微笑む。
「さて、レミティ家の御当主。お互いに顔合わせは済みましたので、私達親は屋敷の中で諸々のご相談を……」
「はい、かしこまりました」
「はっ? いや待っ……」
慌てるマグラスを尻目に、フウロとレミティ家の当主は庭を後にした。去り際、フウロは小さな声で、
「お父さんの血が流れているなら、女の子の1人や2人口説いてみせなさい」
と告げたのだった。
庭に2人が残される。
(……仕方がない。名前を聞くところから始めるか)
マグラスは姿勢を一旦正し、改めて自己紹介を始めた。
「自己紹介が遅れた。俺はマグラス・ユルドラング。今日はよろしくな」
「……はい」
この時点で、マグラスは違和感を抱いた。
「ん?」
「あ、あ、私の番ですね! すみません、私はウィス・レミティです、よろしくお願いします!」
「なんか心ここに在らずって感じだな。何かあったのか?」
「え、いやその、この件とは関係なくて……」
「あるにはある、と」
マグラスの中で、この女性──ウィスに対する興味はどんどん膨らんでいく。
「でも、まだ知り合ったばかりの人に言っても……」
「だからこそ気楽に話せる、って考え方もある。それに悩み抱えたまま見合いってのも、なんか気持ち悪いだろ?」
ウィスは目を閉じたり開いたり、小さく溜息をついたりして考えるそぶりを見せる。
マグラスが思い描いていた見合いとは少し違うが、何故か放ってはおけなかったのだ。
やがてウィスは意を決したように話し始めた。
「聞き流してもらっても、構いません……私は──」
「双子…………ねぇ」
屋敷の中で、ルングルとフウロ、そしてウィスの両親は向かい合い、今回の縁談の背景を話し合っていた。
「まだそんな古い習慣が残っていたとは……」
「私達からも里の皆に伝えたのです。そんなものはまやかしだと。しかし里には古くから暮らしている者もいまして……他家に嫁げば、その馬鹿げた風習から2人を守れないかと」
「大方、自分達の意見を通したい連中が分裂して、2人を代理としてそれぞれ立てようとでも考えたんだろう。だからこそ、残った兄妹の1人をそれぞれ忌子に仕立て上げたいと」
「仰る、通りだと思います」
ウィスの父親の拳は固く握りしめられている。自分の大切な子供を忌子扱いされて平気な親などいない。
「ウィスは兄、ユーシに領主としての全てを譲り、自分は里を出ると…………兄妹で協力して、里をより良くしたいと言っていたあの子にとって、こんなこと…………」
母親に至っては今にも泣き出しそうな声で語る。
ドラグニティの古い習慣、否、言い伝え。
双子として生を受けたドラグニティは、どちらかが忌子となり、災厄をもたらす。
もちろんそんな事を信じているドラグニティは、今ではほとんどいない。しかしながら、古い習慣に囚われた者達はどの種族にもいるものだ。一旦それらに扇動されてしまうと、領主といえど里の人々を抑えるのは難しいだろう。
「ご両親には厳しいですが……ウィスさんの選択は正解だったと思います」
「仕方がないことかもしれないが……それで娘さんをうちの馬鹿息子に? 確かにユルドラングとレミティの付き合いは長い…………と親からは聞いていたが」
他にも宛てはあったろうに、と言おうとしたルングルの言葉を遮るように、ウィスの父親はその理由を明かした。
「あの子にとっては余計なお世話かもしれませんが……こんなことになった以上、せめて誰かと幸せな家庭を築いて欲しいと思ったんです。きっと貴方達ならそれが出来るだろうと……私と妻の、願いなんです」
「そういう事情があったんだな」
マグラスとウィスは庭の中にある大きな池の前で座る。木から落ちる花や葉が水面に浮かび、池を泳ぐ魚──ドラコカープの錦色の鱗がそれらに彩りを加えている。
ウィスの口から語られた現実は、マグラスにとってとても心苦しいものだった。ドラグニティ同士ですら他者を排してしまう世の中。自分の中の考えがどれだけ甘かったかを実感した。
「ごめんなさい、暗くなっちゃいましたね! 誰のせいでもないのに……」
「…………いや、おかげで決心がついた」
マグラスはウィスへ手を差し出す。何のことか分からず呆気にとられているウィスへ、頭から捻り出した口説き文句を口に出した。
「うちに来い、ウィス。俺ならお前を幸せに出来る。だから…………えっと、あれだ、お前から俺にも、色々な事を教えて欲しい」
沈黙。
沈黙。
いつまで経っても、沈黙。
マグラス自身の評価は100点。しかしウィスの表情は、苦笑、といった感じだ。
「……ん? プロポーズ、の、つもりだったんだが?」
「ん〜……ごめんね、これじゃあ、その……ふふ」
ウィスは今日一番の笑顔を見せた。
それがまた、マグラスの心を強く掴んだ。
「いや、今いいのが浮かびそうだ、やり直させてくれ」
「ダメです〜。また今度、ちゃんとしたのを聞かせて下さい」
「待ってくれ、今…………うん? また今度?」
言葉の真意を尋ねようとするより早く、ウィスは笑顔と共に明かした。
「これから、ユルドラング家の皆様にお世話になります! だからいつか、私を口説いて見せて下さい、マグラス!」
幸せの始まり。
これから先にある物語は、必ずしも幸せなものばかりではない。
だが2人が結ばれ、コノハが生まれ、アリウスと出逢い、新たな物語が続いていく。
2人が無事に婚約を交わし、コノハを授かるお話はまた、次の機会に。
続く




