83ページ目 悲哀の竜と、救済の龍
竜の雄叫びと発せられた大量の瘴気は、里の方まで届いていた。
悍ましい気配に、眠りについていた里のドラグニティ達は次々と起床する。家の外に出れば、山からは噴煙と見まごう勢いで黒い煙が立ち上っている。それを見たドラグニティ達は、脳にこびりつく様な得体の知れない恐怖を覚えた。大人達につられて起きてきた子供は泣き出し、繋がれている家畜のワイバーン達も一斉に鳴き喚く。
それはユーシとウィスも感じ取っていた。
「あれは一体…………」
「あの感じ、確かケーブで……まさかアリウス君が……?」
「知っているのか?」
「兄さん、私見てくる。里の皆をお願いね!」
ユーシが返答するより早く、ウィスはワイバーンを停めている場所へ向かってしまった。
妹としても、竜奏士としても一目置いている。しかし今あの山で起きている出来事は、ただならぬ事だとユーシは直感で感じていた。今までにない異質な現象であると。
と、入れ替わりにユーシの元へ誰かが訪れる。小さな娘とその母親だ。
「どうしたんですか? 危ないので家の中に……」
「すみません、この子がどうしてもって聞かなくて…………」
「……何かあったのかい?」
「お願い、領主様……ヒューマンのおにーさんを助けて!」
「ヒューマン……もしかしてウィスが言っていた……」
ルリはユーシの言葉に大きく頷く。
「にぃが帰って来たの! でもハーヴィンにぃのワイバーンがにぃを連れてきて……もしかしたらハーヴィンにぃも……!!」
「ハーヴィン!? ま、待って待って、おおお落ち着いて、はい、深呼吸して……よし、詳しく、聞かせて!」
──ォォォォォォオオオオオオオオッッッ!!!!──
巨大な両腕の爪を地面に突き立て、咆哮を上げる黒い竜。絶えず溢れ出る瘴気は周りの草を枯らし、木を腐らせて倒壊させる。
「竜化した……!? だが彼奴はヒューマンの筈…………何故……!?」
ハーヴィンは立ち上がろうとするが、頭に走る激痛は更に増していく。
4つの眼がハーヴィンを捉える。一歩を踏み出すごとに地面を抉りながら迫ってくる。
「ま…………ず……!!」
巨大な爪が振り上げられ、ハーヴィンを踏みつけ、斬り裂こうとした。覚悟を決め、目を閉じた。
身体を切り裂かれる痛みはいつまで経っても訪れない。
竜は自らの爪から、もう片方の腕でハーヴィンを庇っていた。爪と腕の間からは瘴気が混じった黒い血を流している。
── グゥゥゥゥゥゥゥゥゥッッッ!!?──
「な、ぜ…………!?」
竜の方も、自分の行いを理解出来ていないようだった。ハーヴィンへと突き立てようとする爪とそれを止める腕、両者は拮抗し、動かない。
「お前は…………そん、な…………姿になって、まで…………一体…………何が、あったんだ……?」
──ゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!! ウグォアァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!──
とうとう竜は自らの腕を振り払った。再び爪を振り下ろそうとする。
しかし次の瞬間、白銀の光弾が降り注ぎ、竜の背中を狙い撃った。衝撃で半歩ほど蹌踉めき、竜は自分を攻撃した主を睨んだ。
同じくハーヴィンとシャディは見た。
見惚れてしまうほどに美しい、龍だった。白く長い体躯、赤と緑の瞳、4枚の翼。それはいつか、ケーブで機械竜を止めた時と同じ姿だった。
そしてその正体を、ハーヴィンの直感は感じ取ってしまった。
「コノハ……竜化、してる…………どうして……?」
──オオオオオオオオォォォォォォノォォォォォォォォォォォォハァァァァァァァァッッッ!!!──
破れ、醜くなった叫び声は、コノハの名を呼ぶ。白い龍には分かっていた。
悲哀に塗れた黒い竜は今、助けを求めている。
痛み、苦しみ、重責。それらに心を切り刻まれている。身体から溢れ出る瘴気と背中に突き刺さった剣が、それを表していた。
──コノハちゃん……アリウスを……助けてあげて──
この姿を貸してくれている、彼のかつての想い人の願い。それを聞いたコノハは小さく頷く。
黒い竜は爪を振り上げ、白い龍を切り裂こうと猛進する。白い龍は首の周りから光弾を生成し、発射して迎撃。しかし光弾は巨大な翼の前に阻まれ、漆黒の爪が振り下ろされる。
白い龍はすぐに対応し、爪の一撃を躱すと黒い竜へと巻きついた。しかし絞め上げる様にではない。優しく抱きしめるように。
──ゥゥゥゥゥゥゥゥゥオオオオォォォォォォ!!──
振り払おうと爪を白い龍の首へ突き立てる。血の代わりに白い粒子が溢れ出し、その眼が苦痛に歪む。
爪がどんどん深く喰い込んでいく中、その光景を見ていたハーヴィンは歯を強く食いしばる。
2人はあんな姿になってまで、求めているものがある。黒い竜は正気こそ失っているものの、あの白い龍を見て確かに呼んだ。コノハの名を。
「ぐぅぅぅぅ、おおおおおっ!!」
ハーヴィンは激痛を跳ね除け、立ち上がると同時に最後の歯車を投擲。残された全ての魔力を出し尽くし、最後のゴーレムを生成した。
周りの土を限界まで押し固めて身体を形作り、黒い竜を羽交い締めにする。本来なら瘴気で崩壊してしまう所だが、隙間無く固められた土は侵入を拒み、崩壊を遅らせていた。
黒竜に迫る程に巨大化したゴーレムによって、一瞬だが動きが止まった。
「今だコノハァァァッッッ!!!」
白い龍は黒い竜の背中に回り、突き刺さった黒い剣に噛みついた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「…………ん?」
気がつけばコノハは、知らない空間に倒れていた。ひたすらに白く、何もない空間。
確か自分は杖剣の力で以前と同じ白竜の姿になり、黒い竜となってしまったアリウスを助けようとしたのだ。
「でも、何でここに……?」
「ここはね、アリウスの心の中だよ」
後ろから声が聞こえ、その主はコノハを立たせる。声と名は知っていたが、姿は初めて見た。白い髪と赤い眼。そしてコノハは気がつかなかったが、その顔はコノハとよく似ていた。
「ネフェルさん……」
「私もここから出られなくなっててさ。この中は知ってるんだ」
「出られない……?」
「この先に行けば分かるよ。……付いてきて」
前を行くネフェルへコノハは付いていく。
これが心の中だというのなら、何故何もないのだろう。
「本来なら、楽しい事、悲しい事、色んな思い出が心の中にある。でもね、アリウスの心は今、止まってる。だから何もない。あの時の雪と同じ、真っ白なまま」
どれだけ笑い、悲しみ、怒り、感情を露わにしていたとしても、それは心を閉ざしていた膜がそう見せていただけ。
中身はこんなにも白く、時が止まってしまっていたのだ。
「あの黒い剣は、アリウスの心を2年前のまま留めている。誰かが抜いてあげないといけない。…………私には出来なかった。黒い剣の影響が、外に出ないようにする事しか……」
ネフェルは足を止め、コノハへと向き直る。その顔は笑っていたが、何も出来なかった事への後悔が滲み出ていた。
「けどコノハちゃんならきっと……アリウスを助けられる。彼をもう一度、立ち上がらせて」
言い終わると同時に、ネフェルの姿が蜃気楼のように揺らぎ、消えてしまった。
いつの間にかコノハの目の前に、1つの人影が膝をついていた。
背中を黒い剣に貫かれ、白い空間を身体から溢れ出る瘴気で穢す、アリウスの姿だった。
続く
次回、ドラグニティズ・ファーム、
「解放」




