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82ページ目 否定された理想

 

 ハーヴィンの母は、里中の誰もが尊敬する竜奏士だった。


 誰に対しても、どの種族に対しても、差別や偏見を持たずに接していた。時に近くの山で遭難していたエルフやヒューマンなどの他種族を助け、時に怪我をした動物を助けた。

 そして彼女は、義妹であるウィスの師匠にあたる人物でもあった。


 ハーヴィンはそんな母の事が大好きだった。母の話を毎日の様に聞き、その度に自分の夢を語った。



 ── 僕は母さんの様に、立派な竜奏士になるんだ ──



 その夢は、悲惨な形で打ち砕かれる事となる。


 ある日ハーヴィンの母は、山へ見回りに行ったきり戻って来なくなった。

 父とウィスが捜索へ向かい、数日後、帰って来た2人の表情はいまだに忘れられない。怒りと、後悔と、悲しみ。それらが全て入り混じった負の表情を。


 ハーヴィンが幾ら話を聞いても、何が起きたのか2人は話してくれなかった。

 しかし里の中ではこんな噂が立ち始めていた。


 ── 彼女は密猟者達をワイバーンから助けたにもかかわらず、その密猟者達に殺されたらしい ──


 信じたくなどなかった。何故なら母がいつも話していたのだ。

「みんなきっと分かり合える。母さんはその為に頑張ってるんだよ」

 皆の言う事は間違っている。それを証明する為に、ハーヴィンは里を出て真実を確かめに行った。



 皆の言う事が事実だと知った時、ハーヴィンの理想は無残に崩れ去った。


 世界を回り、様々な密猟者集団の情報を集めている最中、闇市の売人から話だった。


「ワイバーンやドラゴンを専門に狩っている奴がいてな。だが最近デカイ獲物を逃したらしい。随分気が立ってたよ。だからといって……仲間と邪魔に入ったドラグニティ殺すのはやりすぎだよなぁ」

「っ!!」

 衝撃が走り、続いて煮え滾るような怒りが湧き出した。

 其奴だ。其奴が母を殺した奴だ。真実を知りたいと願う心に、一瞬のうちに復讐の炎が燃え上がった。

「……其奴はどんな奴だった?」

「ガタイのいいヒューマンだよ。でっけえ剣背負っててな。んで、額にゃドラゴンの刺青が入ってた」

 特徴を聞いたハーヴィンは頷くと、踵を返す。

 だがその時、店主はこう引き止めた。


「あぁ、何か奴に恨みがあるんなら諦めな。ヒューマンとは思えねえ強さらしい」

「関係ない」

「本当かい? まぁ確かに出所の分からねえ噂だがよ。一度奴に獲物を取られた密漁団が数十人がかりで報復しにいったらしいが……見事に全滅。挙句、ご丁寧に其奴らの家族を探して殺し回ったそうだ」


 背筋が凍りついた。男の強さにではない。

 自分に敵意を持った相手に対する、執念深さにだ。とても正気ではない。

 負けるなどとは考えていない、否、考えたくない。仮に自分が敗れれば、家族が、里の皆が、狙われる可能性がある。

 いや、既にその密猟者は探しているかもしれない。自分の邪魔をした母の、関係者を。


「奴と何があったかは知らんが、復讐なんて止めて帰れ。食われたくなけりゃ、な」




 理想など、簡単に崩れてしまう。崩されてしまう。


 だからハーヴィンは決めたのだ。


 理想などに踊らされずに、自分の手が届くものを守るのだと。


 白い2つの剣閃が、黒い1つの剣閃に阻まれる。競り合おうとはせずに、ハーヴィンは右の杖剣を横に払う。アリウスの黒い鎧に一筋の傷が刻まれる。

「あのままじゃコノハは母と同じ末路を辿る!! だから今度こそそうなる前に、俺が守らなきゃならないんだ!」

「どうして彼女を信じない。理想は自分で抱き、自分で叶えるか、自分で棄てるものだ。お前に否定する権利はない」

「だったら共に叶える事も出来ない!!」

 アリウスが黒い剣を振るう度、凄まじい烈風が吹き荒れる。だがハーヴィンは怯まずに剣を突き出し、アリウスはそれを見切って剣を振り下ろす。

 幾度か刃が激突した後、ハーヴィンは後ろへ跳ぶ。逃すまいと地面を蹴り、距離を詰めるアリウス。


 ハーヴィンは左手の杖剣を反転。宝玉が埋め込まれた杖の部分を振るうと、目の前に隆起した地面が出現。しかしアリウスは難なくその土壁を両断した。

 次の瞬間、土壁は爆裂。大量の土の破片と同時に炎が吹き荒れる。

「んんっ!」

 咄嗟に瘴気を盾にし、魔力から形成された炎と土をかき消した。だがハーヴィンは全ての炎が消える前に、右手の剣にそれらを纏わせて振り下ろす。アリウスもそれを見切り、体を反らせて躱したが、炎剣は地面を打ち付けた瞬間に爆発。アリウスの身体は宙を舞う。


 すぐさま追い討ちが来る。今度は吹き荒れる風を纏った水槍が襲いかかる。

 アリウスは空中で態勢を立て直し、触れれば身体をねじ切られるであろう螺旋の槍の上を走る。足元に濃い瘴気を纏い、地上のハーヴィンへと。

 対するハーヴィンは炎を纏った右の剣、頑強な岩を纏った左の杖を携え、水流に乗ってアリウスへ迫る。


 炎の剣と黒剣、岩の杖とアリウスの拳がぶつかりあった。


 炎はかき消され、岩は砕け散る。しかしアリウスの背に風の水槍がぶつかり、互いに地面へと落下した。

 降り立った2人は剣を払い、再び構える。


「俺はもう失いたくないんだ! 大切な人を、あんな形で!」

「…………俺も、もう失いたくない」


 アリウスが、剣を天高く放り投げた。

 ハーヴィンにはその意図が全く理解出来なかったが、すぐに距離を詰める。嵐のように繰り出された斬撃がアリウスの鎧へ無数の傷跡を刻み、頬や額を掠めた。しかしアリウスは反撃せず、ただひたすらに回避に専念する。

 やがて振り下ろされた一閃が、アリウスの身体をのけぞらせた。

「終わりだ、アリウス・ヴィスター!!」

 交差する軌道で繰り出された斬撃が、胴を斬り裂かんと迫る。



「だから、今度は間違えない」



 2つの剣を、アリウスは両手で受け止める。その瞬間両手から瘴気が溢れ出したかと思うと、杖剣は砂のように崩れ去った。

「何っ!?」

「今度は…………叶えてみせる」

 その時、先程放り投げた剣がアリウスの手に戻り、ハーヴィンの右肩を深々と斬り裂いた。


「ぐっ、うぅ……!?」

 大量に溢れ出す鮮血。だがハーヴィンの意識は斬られた右肩よりも、頭のこめかみに走る激痛へ向いていた。

 何かに犯され、蹂躙される、不快な痛み。意識がぐちゃぐちゃに掻き回され、もはや立っていることすら出来ない。

「何をした…………!?」

「お前の魔力腺を潰した。瘴気が回った今、もう魔法は使えない」


 ── サァ、トドメを刺せ ──


 アリウスの脳内に、あの日と同じ声が響く。導かれるまま、剣をハーヴィンの喉元に突きつける。

 ゆっくりと、少しずつ、剣先が急所へ進んでいく。

「俺の勝ちだ、ハーヴィン ──」


「ガァァァァァウ!!」

 正に剣がハーヴィンの首を貫こうとした時だった。いまいち覇気のない雄叫びが聞こえたかと思うと、ハーヴィンの身体が何者かによって突き飛ばされた。

 その姿を見たアリウスの目が見開かれる。


「シャディ…………!?」

「ガァウ!! ウゥゥゥ……!!」


 何をしているんだ。


 今のアリウスにははっきりと、シャディの言葉が聞こえた。我に帰ったアリウスは手が震えだし、剣を取り落とす。

「俺は…………」

「キュゥン、ガウガウ!」

 再び発せられたシャディの鳴き声に、アリウスの意識ははっきりと戻った。


「あぁ、あぁ……ハーヴィン、大丈 ──」


 ── ヤハリお前デハムリか。後は任セロ ──


「なん、何を ──」

 抵抗する間もなかった。アリウスの意識は一瞬のうちに闇へと引きずり込まれ、そして闇と同化した。

「キュゥゥン」

 シャディは苦しむハーヴィンを引き摺り、連れ帰ろうとしている。

 ゆっくり、ゆっくりと、アリウスはシャディとハーヴィンの元へ歩み寄る。

「ガァウ、キュゥ!」



 早く手伝ってくれ、とシャディが振り向いた瞬間だった。強烈な鞘での打突が腹部に直撃。シャディの身体は大木に衝突する。



「ガァ、ガ、キュ…………!!」

「許せ、小さき竜」



 アリウスは、否黒騎士は再び黒い剣を抜き、倒れ伏したハーヴィンの前に立ちはだかる。

「アリウス…………ヴィスターじゃないな……!!」

「もうアリウスの身体は俺と完全に同化した。多少強引ではあったがな。さて、今度こそ終わりの時だ」

 そしてまた、剣がハーヴィンへ突き立てられようとした。

 だが、

「…………っ!?」

「何故、邪魔をする……アリウス・ヴィスタァァァ!?」

 剣は大きく軌道を逸れ、僅かにハーヴィンの頬を掠めて地面を抉っていた。

「お前なら分かるはずだ!! 理想を、夢を、幸せを、理不尽に打ち砕かれたお前なら、俺の心が!! それを否定する者は決して……!!」

 徐々に黒騎士が纏う瘴気は濃くなっていき、それらは辺りを黒く染めながら、煙のように天へと登っていく。



「グァァァ……!! 俺は、俺は二度と、二度と、夢を…………壊さない……ネフェルの、いや、コノハの…………夢を……ウゥゥゥゥ……!!!」



 鎧が消滅し、その目は赤と青のオッドアイに、髪には徐々に緑色が戻りつつある。



『ウウアアアアアァァァァガァァァァァァァァァァァァァ!!! ウォアァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!』



 大量の瘴気が吹き出し、ハーヴィンの身体は吹き飛ばされる。地面を転がり、やがて倒れた木に留められた。

 そこでハーヴィンは信じられないものを見た。濃くなった瘴気と激痛による幻覚だと信じたかった。



 目の前にアリウスの姿はなく、1匹の竜が顕現していた。


 全身に纏った瘴気、一つ一つが剣のように鋭く、長い爪。兜のスリットの様に細い、赤と青の4つの眼。その下には大きく裂けた口。2つに別れた長大な尾。背中には自らを覆う事が出来るほど巨大な翼。

 そしてその背には、黒騎士の剣が突き刺さり、腹部まで貫通していた。



 黒き竜は悲哀に満ちた慟哭の様な雄叫びを、天に向かって放った。




 方向感覚を失う様な森の中を走る。


 彼らが今何処にいるのか分からないままとにかく走る。何に突き動かされているのか分からないままとにかく走る。


 その時、コノハの勘が嫌な気配を察知する。レムリアの時と同じものだ。同時に何処からか、竜の咆哮が響いてきた。


 作られたばかりの杖剣を胸に抱く。コノハには竜の咆哮が、助けを求める声に聞こえていた。



 ただの竜の声ではない。彼の声が聞こえる。



「アリウス…………アリウスゥゥゥゥゥ!!!」


 コノハの杖剣から光が溢れ出す。彼女を包んだ光は白き竜の形を取り、空へと駆け上った。



続く

次回、ドラグニティズ・ファーム、


「悲哀の竜と、救済の龍」

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