65ページ目 ディーヴァエノス
グレーガン達騎士団は山道を下り、村の入り口に辿り着いた。村の前には槍を持った衛兵達が見張っていたが、グレーガンを見ると敬礼し、門を開いた。
「……凄えな、グレーガン隊長」
「歴戦の兵士だからね。武器を振るう姿と強さから付いた異名が〈凶熊〉。騎士の憧れだよ」
「普段は優しいおっちゃん、って感じだけどな。でも確かに部隊長って憧れるよなぁ。王様に引っ付いてる近衛兵も良いけど、やり甲斐は断然ーー」
「私語は慎め!」
「「は、はい……」」
馬小屋に軍馬を繋ぎ、列を成して村の中を進む。村人からの視線には、訝しみや警戒の色が含まれている。遊び回る子供を家にしまう親も見える。
やはり何処に行っても騎士は鼻つまみ者だ。
「慣れないねぇ……これ」
「そうか? 俺は何とも思わないぜ。騎士は怖がられるくらいが良いのさ。舐められてちゃ、守れるものも守れないし」
「そうか……うん、そう思うことにするよ」
カリスとフリックは笑う。
すると先頭の列が、一際大きな家の前で止まる。それに伴い、カリス達も足を止めた。
家の扉が開くと、1人の翁が姿を現した。白い髭を胸元まで蓄え、低いながらも逞しい肉体、細い目から威厳を感じる出で立ちだ。
「来たか。レオズィールの騎士団よ」
「約束の日にちより、少し早く到着してしまいましたな。申し訳ない」
「それは別に構わぬ。だが魔剣の引き渡しにはまだ時間が掛かる。生憎そちらの兵全てをもてなせるほど、私達の村には余裕がない」
「あいや、それについては心配なさらず。ただ寝床だけは面倒見てもらいたいのだが」
「ここを少し下った場所に宿がある。そこに泊まればいい」
グレーガンは翁に一礼する。
「あー、聞いての通りだ。受け取りが終わるまで宿で待機だ。この厳しい行軍をよく耐え抜いてくれた。お前達の強さ、そして運の良さに、感謝する」
騎士達は敬礼する。
大半はグレーガンの後に続き、宿屋を目指す。だが2人の騎士はその場を離れなかった。
翁はすぐに気づく。
「……どうされた。若き騎士達よ」
「少しお伺いたいことがあります。僕達がここに向かう途中、1人の騎士の行方が分からなくなりました。この村で見ませんでしたでしょうか?」
カリスの問いに、翁は黙って首を振る。フリックはそれを見て、拳を握り締める。
「奇跡は起きない……ってか……!!」
「……その騎士とやらに、何が起きた?」
「崖から滑落して、そのまま川に……多分、あの川かと」
指差す先にあったのは、村の中央を流れる川だった。切り立った崖には橋が架けられており、その下を透明な川水が流れている。
翁の視線は川を向き、その上流を辿っていく。カリスはそれに気づき、疑問が浮かぶ。
「あの川の上流に、何か?」
「……いや、貴殿らには関係の無いことだ」
「で、いつまでこれを続ければいい?」
川の端から釣り糸を垂らして1時間。未だに木で出来た浮きはピクリとも動かない。
当たりが来ずに苛立つアリウスに対し、ネフェルの表情は穏やかだ。
「手伝えっていうからついて来てみれば……」
「大事だよ。お魚は色々と役に立つんだから。それに、一宿一飯の恩義があるじゃない?」
「痛い所を突く……」
クスクスと笑うネフェルを見て項垂れる。
結局、騎士団が何処にいるのか分からないまま2日が過ぎた。そろそろ目的の村に到着していてもいい頃だろうか。
だが村への道が分からない以上、その道を知るネフェルが村に行かない限り向かう事は出来ない。
「いつになったら戻れるやら……」
「戻らなくてもいいんじゃない? ここの暮らしも自由で楽しいよ?」
「あのな……!!」
「冗談だよ。…………あ、アリウス、引いてるよ!」
「あ? ……おっと」
沈んだ浮きを確認し、咄嗟に釣竿を引き揚げた。釣り針の先には足が生えた魚ーーハシリウオが掛かっていた。
「おめでとう。冬にハシリウオが取れるなんて運が良いね」
「そうか?」
釣り針から外し、魚籠の中に放り込む。するとネフェルの釣竿が大きくしなる。
「あぁっ!! 大きいの来たぁ……!!」
細い足を大きく開き、精一杯踏ん張る。竿はしなりながら左右に揺れて振りほどこうとする。身体は徐々に引きずられ、川岸に足が掛かる。
「おい大丈夫か!?」
「このくら、い、平気……あ、あぁ!?」
「ネフェル!」
とうとう足が外れ、川に引きずり込まれる瞬間。
アリウスはネフェルの体を抱き、後ろに倒れるようにして助け上げた。その拍子に、釣竿が天高く振り上げられる。
額から角が生えた大きな魚が雪の上に落下する。
「う、ん? ……あ、やったぁアリウス! 大物! 大物だよ!」
「やめろ暴れるな! おいネフェル!」
抱かれたままジタバタするネフェル。その身体の柔らかな部分がアリウスの身体に触れ合い、照れと焦りが襲う。
この後も日が暮れるまで、釣りに費やすこととなった。
魚籠いっぱいの魚を物干し竿に掛ける。その大半が小さい魚で、所謂雑魚だ。
「何に使うんだこの魚は?」
「乾燥させて肥料に使うの。家の裏の少し先に畑があるんだ。今は冬だから準備期間」
「畑ね……」
あまり興味が示さないアリウスの様子に、ネフェルは不思議そうな表情をする。
「肥料に魚粉とか堆肥を使うの、知らない?」
「興味もない。俺の故郷に畑なんてなかったからな」
「珍しい。じゃあお肉ばっかり食べてたんだ?」
「山だから山菜とかきのみとかも採ってた。……なぁ、聞きたいことがある」
「ん?」
魚を吊るす手を止め、アリウスは問う。
「お前、始祖の村の人間なんだろ。始祖の人、ってなんなんだ? こうして見ていても、普通のヒューマンとなんら変わらないように見えるんだが?」
「……う〜ん。難しい質問だなぁ」
ネフェルは首を小さく傾げると、魚籠を掘った雪の穴に入れる。
「少し寒いけど、歩きながら話さない? ちょっと森の中にも用事があるし」
「始祖の人。我々を他の種族はそう呼ぶ」
半分欠けた月が浮かぶ夜。
翁の後に続き、グレーガンは暗い螺旋階段を降りる。壁に掛けられた松明の明かりはあまりにも小さく、心許ない。
「だが実態はなんら今のヒューマンと変わらぬ。違う点はただ一つ。退化した魔力腺がまだ、我々の中には残っている」
「ヒューマンでありながら、魔法を使うことが出来るという事ですかな? ならば何故それを棄てたのか。何故我々は優れたものを放棄したのでしょう?」
「賢明な判断だ。あれは優れたものではあるが万能のものではない。魔力腺に巣喰い、身体を喰いつくす呪術……それを操る魔龍、ディーヴァエノスが現れた日からな」
翁の瞳が、揺らめく松明の炎に合わせて輝いた。
暗い階段を下った先に、巨大な扉が立ちふさがっていた。いくつもの鎖や錠前で縛られ、例え鼠や虫であろうと中に入ることは不可能に見える。
「あの魔剣には、奴の魂が込められている。未だに血肉を、自らの手足を求めているのだ。奴を封印するまでに多くの人々が犠牲となった」
「その呪術というのは、一体何なのです?」
「呪術っていうのは、魔法と少し違うの」
緩やかな坂とその周りに生える針葉樹の木々。ランプの灯りは足元を照らすくらいで、周りの様子を知ることは出来ない。
ネフェルの背中をアリウスは追う。
「魔法は魔力腺からの元素魔法と、個人が持つ適正で決まる。でも呪術は適正があれば、魔力腺は必要ない。そして呪術の恐ろしい所は……」
と、ある場所で彼女は屈む。そこは一際幹が太い木の根元。そこを手袋をはめたまま掘り返していく。
「魔力腺を腐食させて、脳の機能を狂わせる。そこから意識を乗っ取るのも脳を破壊するのも術者の思いのまま」
「っ……!! そんな事が有り得るのか……!?」
「それをやってのけた人物がいたの。いや、人じゃなくて、ドラゴンなんだけどね」
掘り返されていく雪の中に、黒い土が混じっていく。すると一際大きな土の塊を取り出した。
「それがディーヴァエノス。万能の叡智を持ちながら、その身を禁術に落とした邪竜。王女リクシードは多大な犠牲を払って、一振りの剣に封じ込めた」
土を払い、雪で汚れを落とすと、中から鮮やかな赤い芋が現れた。
ミルクポテト。表皮から想像がつかない程、中は白い。滴るほどの水分と栄養を中に蓄えている、冬の風物詩だ。
「そしてその剣を打った鍛冶屋の末裔が、私」
ネフェルはニコリと笑い、芋を袋の中にしまう。小さくクシャミをし、再び山の中を歩き始めた。
「この隙間から見える筈だ」
石造りの壁。そこにはわざと開けられているように僅かな隙間があった。
恐る恐る、グレーガンは目を当てた。
「…………ぬっ!?」
思わず目を閉じそうになった。
その剣はグレーガンの巨体に迫るほど長く、肉厚な刃を持っていた。だがグレーガンが怯んだのはそれではない。
脈打つ血管の様な紅い模様、乾いた血の様に赤黒い刀身。そして塚の中心で煌々と輝く、竜の瞳。
突き刺さっている竜の死体から、ドクドクと何かを吸い上げる音が響いていた。
「こうして定期的に竜を生贄に捧げなければならない。安いくらいなのだがな」
翁は呟く。
「今一度ディーヴァエノスが解き放たれようものなら、我々にもう抗う手段はない。この剣を打った者も、その技術も、もう存在しない」
続く
次回、ドラグニティズ・ファーム、
「蠢き」
マダダァ…………俺ハマダァ…………イキテイルゥ…………!!




