47ページ目 寒い季節がやって来ました
ユーラン・イルミラージュに、冬が訪れた。
ラットライエルの街では雪こそ降ってはいないものの、常に肌を刺すような冷たい風が人々を歓迎していた。
風が古びた萬屋の看板を鳴らす。今日の客の入りを語るかのように物悲しい音だった。
〈撫でてあげて下さい〉という板を首から吊るされたブラックユニコーンが、小さなクシャミを一つした。
「レンさーん。買い出しから戻りましたよー。…………レンさん?」
店の裏口からお使いの品物を携えたジークが入る。しかし家主の返事は無い。
一瞬訝しむ表情を見せたジークだったが、すぐに原因に気がつく。これで何度目だろうか。店のカウンターを見ると、突っ伏したまま気持ちよさそうに寝息を立てる女性が1人。
「クゥ……クゥ……」
「また居眠りしてる……」
店主が堂々と居眠りをする店など、閑古鳥が鳴いていて当然である。
「レンさん!」
「…………ンァ!?」
ジークの一喝にレンブラントははね起きた。そして頭上の棚に頭をぶつける。これも何度目か。
「また居眠りしてる。ちゃんと店番してました?」
「し、してたよ。大体ここは私の店だよ? べ、別に居眠りの1回や2回……」
「ダメに決まってるでしょう。それにこれで15回目。泥棒が入ったらどうするんですか?」
「ふ、ふん。うちなんか泥棒も入らないよ!」
「威張るところですか……?」
レンブラントはいじけた様にカウンターしがみつき、口を尖らせる。ジークはそれを見て溜息を吐く。
季節は変わったというのに、日常は何にも変わっていない。
「大体さぁ!! 私の何処がダメだって言うんだい!?」
「…………さ、さあ?」
「さぁ、じゃないんだよさぁじゃ!! ジークゥ、私は魅力がないっていうのかいぃ? ヒック」
これもいつものことだ。
ジークがレンブラントと共に暮らす様になってから一番困っていることである。
レンブラントはかなり酒癖が悪い。ジークをよく付き合わせて飲ませるのだが、ジークより早く酔いがまわる。そして絡む。
「レンさんは十分魅力的ですよ」
「適当なこと言うなぁ!! ちゃんと見ろ! 私を見ろォ!」
レンブラントは体をぐいっと近づける。ジークの目の前に豊満な胸、そして鼻に甘い酒の匂いが満ちる。
「ち、近いです……」
「お、照れたな照れたなぁ! スケベェ!」
「…………」
しばらく耐え忍んでいれば、いずれレンブラントの方から自滅する。
「スゥ……スゥ……」
すっかり酔いつぶれたレンブラントは、自らの腕を枕がわりに寝てしまう。
「…………」
皿を洗い終わったジークは一息つく。今日も1日が終わった。
自分は居候させてもらっている身。あまり偉そうなことを言える立場でないことはわかっているのだが、せめてレンブラントには自分の事を心配して欲しいと考えてしまう。
「レンさん、風邪ひきますよ」
「…………スゥ、スゥ」
「あぁ、また起きそうにないな……仕方ないか。失礼しますよ」
ジークはレンブラントの体を起こすと、肩を貸して立ち上がらせる。そしてそのまま自らの背に背負った。
毎度潰れたレンブラントを2階の部屋に運ぶ役目をこなしているのだが、苦痛だとは思っていない。ヴィルガードでたった一人で暮らしていた頃を思い出す度、今の環境がとても恵まれたものだと気づくからだ。
「さてと、レンさん、降ろしますよ」
「…………」
ジークはレンブラントをベッドの上に降ろすと、彼女の体が小さく震え始める。寒いのだろうか。
彼女の体に毛布を掛け、着崩れた寝間着を直す。これで1日の仕事は終了。
普段は自由気ままで掴み所のない、大人な女性の彼女も、寝顔はまるで子供のように無垢だ。
「お休みなさい、レンさん」
「頭いったーーい!!」
ジークが朝食の準備をしていると、騒々しい悲鳴と共にレンブラントが降りてくる。時刻は日が昇り始めた頃。街の人々も起き始める時間だ。
「呑みすぎなんじゃないですか。昨日の記憶、何処まであります?」
「2、いや3杯目からフワッと……」
「何回も言ってるじゃないですか。呑みすぎると体に良くないってーー」
「お小言は後! 今日の朝食はなんだい?」
「ベーコンサンドですよ。僕はちょっと出なきゃいけないので」
「用事か何か?」
レンブラントはテーブルに座り、ベーコンサンドにかぶりつきながら尋ねる。物を食べながら話すな、という言葉をぐっと飲み込み、ジークは答える。
「森の方に行って自然の記録を行いたいんです。冬の時期でも育つ植物や生物はいますから」
「へぇ。勉強熱心だねぇ」
さして興味なさそうな返答にジークは溜息を吐く。
「じゃ、僕はもう行ってきます」
自分の分のベーコンサンドを包み、外に出ようとする。
すると、その手をがっしり掴まれた。
「……レンさん?」
細く白い指が自らの手を掴んでいるのを見たジークは驚いた表情を見せる。
「朝飯くらい、ここで食べていきな」
「でも……」
「いいから」
レンブラントの表情は、何処か寂しげな色を含んでいた。
「…………はい」
やむなく、ジークは朝食を済ませてから出発することにした。
不意に見せる悲しげな表情。その理由を聞くことは、ジークには出来ない。
聞いたら、彼女の辛い出来事に触れてしまいそうだったから。
静かな店の中、レンブラントは肘をカウンターに乗せてボーッとしていた。
今日も客の入りはない。というより、この店を利用する者のほとんどはレンブラントの顔見知りだ。それも、ヒューマンはいない。いるとするならアリウスくらいだろうか。彼が何かを買った覚えがないが。
「…………はぁ」
自然とミントシガーに火を点け、溜息と共に宙へ煙を吐く。
最近胸にモヤモヤした何かが渦巻くようになった。そして、それが何故なのか、おおよそ見当がついていた。
(寂しいんだ…………私…………)
少し前までは一人でも大丈夫だった。たまに訪れるお得意様と世間話に花を咲かせたり、ガラス細工に勤しんだり、一人を楽しんでいた。
だが一人の世話焼きな青年が訪れた時から、一人の過ごし方を忘れてしまった。
「……散歩でも、するかねぇ」
モヤモヤを払うには、体を動かすことが一番だ。扉のノブに休業の看板を提げる。
「ニド、留守番任せたよ」
ニドの鼻を撫でると、了承したように鼻を鳴らした。
「ジークにバレたら怒られるだろうねぇ。おぉ怖い」
裏道を散歩しながらレンブラントは独り言を呟く。
態度や丁寧な言葉遣い、世話焼きで家庭的。まるでコノハにそっくりだ。ならば自分はさしずめ、アリウスにそっくりといった所だろうか。
「いや、私ゃあいつほど鈍感じゃないし。全くあいつもジークを見習って……」
気がつけばジークの事ばかり考える。
本当にジークに頼りきりな自分に呆れ笑いが浮かぶ。
「いやはや、私も腑抜けたねぇ……きゃあっ!?」
乙女のような悲鳴を上げ、レンブラントは転倒する。足に何かが引っかかったようだ。
「何が…………って…………っっっ!!?」
その正体を見たレンブラントは息を呑んだ。
レンブラントより少し黒ずんだ銀髪。白い肌は煤や泥に塗れ、青いドレスは裾が裂けている。そして何より見慣れた、尖った耳。
紛れも無い。エルフの少女がそこに横たわっていた。
「ち、ちょっとあんた!? どうしたんだいこんな所…………で……?」
レンブラントは駆け寄って体を揺すった瞬間、ある事に気がついた。
少女の体は、冷たかった。気温のせいでは無い。命を灯していないかの様な冷たさだ。
間違いない、少女は死んでいる。
「そんな、一体どうして……どうして誰も……!」
と、少女の胸からあるものが落ちる。
乾いた金属音と共に地面を転がり、レンブラントの膝にぶつかった。
「これ…………」
レンブラントが手に取ったそれは、冬の太陽の光を美しく反射する。
金属で出来た、歯車だった。
「…………ゴー、レム?」
続く
次回、ドラグニティズ・ファーム、
「ヴァニティドール」
レンさん、酒癖さえなければなぁ……。




