46ページ目 鎮魂歌の谷
竜の庭より遥か東に位置する、切り立った崖。
そこでは風が通る度に、まるで竜が仲間を求めるように高く、悲痛な音が響く場所。それ故かこの場所を人々は不気味がり、近づく者はほとんどいない。
谷の中腹にある洞窟に、小さな巣が構えられていた。巣の中には卵、そして孵化したばかりの雛の姿。
親の帰りを待ち、静かに眠っていた。
その時だった。
自らの巣の中に立ち入る者に雛は気づいた。
ローブを身に纏い、錫杖を持った少女だった。長い空色の髪が風に揺れる。
本来なら敵だと認識し、親を呼ぼうと必死に泣き叫ぶだろう。しかし雛はそれをしようとせず、むしろ甘えるように喉を鳴らし始めた。
少女の顔にも優しげな笑みが浮かび、小さな喉を指で撫でる。
「小さき者よ。もうじき、お前の母君が帰ってきますよ」
少女がそう言うのと同時に、洞窟に巨大な影が入って来た。
猛禽のように短い嘴を持ち、その翼にも翼膜はなく、羽毛に覆われている。しかし身体には逆立った鱗が生え、眼は蛇のように瞳孔が縦に裂けている。
その飛竜の名はグィーブル。切り立った崖に巣を作り、その名の由来はユーランスペルで、「空に近き者」を意味する言葉だ。
そして、その片目と鼻先には深い切り傷が刻まれていた。まだ新しく、血が少し滴っている。
少女の表情は一変し、悲しげな、しかし静かな怒りを含んだものとなる。
「愚かな……こんな事をしなければ無駄に命を散らさなかったというのに……」
「グァァァオゥ」
「大丈夫。貴女達家族を脅かす者はもう現れません。幸せに暮らしなさい」
少女は柔和に微笑み、錫杖を母親のグィーブルの額へ掲げる。
「貴女達家族に、竜神の御加護があらん事を」
小さく紋章を描くと、少女は巣を去って行った。
谷の最下部にある場所。
そこは大量の骨で地面が埋め尽くされた、まさに地獄のような光景が広がっていた。
この場にやって来る者は、普段ならば骨を啄ばみにやって来た鴉以外にいない。
しかし、今日は珍しい影が歩いていた。
「安らかに眠れ」
銀色の鎧を纏った騎士が、抱えた骨の塊を地面にばら撒いた。
弔う様にぬか付き、黙祷を捧げる。
人の手により無残な死を迎えた竜の魂が、せめて少しでも楽になるように。
「竜騎士様……」
すると背後から少女の声が聞こえ、竜騎士は振り向く。そこでは憂いの表情でこちらを見つめる少女の姿があった。
「どうしたルルイ。ここへは来るなと行ったはずだが」
「申し訳ございません。ですが……」
少女、ルルイは銀色の瞳を揺らす。瞳に映る、返り血に濡れた竜騎士の鎧。
「貴方ばかりが汚れていくのを見るのは、辛いのです。罪人とはいえ、貴方ばかりがーー」
「ルルイ、思い違いをしてはならない」
竜騎士は自らを責めようとするルルイを諌める。無機質な兜からは表情が伺えない。しかしそこには確かに、ルルイに対する優しさが含まれていた。
「竜の安寧を保つために、私はこの世界に生を受けたのだ。この身が罪で汚れ、その報いを受ける覚悟はとうに出来ている。永きを生きるドラグニティに産まれた我等は、竜と共に歩み、彼らを護る義務がある」
「ならば私も……」
「お前はユーラン・イルミラージュを創造なさった竜神に選ばれた神子だ。穢れなき神の手を、血で濡らすことは許されない」
厳格な言葉。だがそれとは裏腹に響きは優しかった。
知らぬ者は竜に味方する無慈悲な悪魔としてしか彼を見ていないのだろう。しかし彼は、自らに課せられた運命を受け入れ、その役目を果たしているだけなのだ。
「ならばせめて、歌わせてください。貴方の癒しと、ここに眠る、竜達の鎮魂歌として」
「…………」
竜騎士は何も答えない。ただ静かに近くの岩に腰を下ろし、ルルイの様子を見ている。
彼女はそれを見ると骨だらけの地面に跪き、天に向かって歌い始めた。
全てユーランスペルで歌っているが、その歌は「竜魂歌」だった。
だがそれは深い哀しみに染まっていた。歌っているルルイ自身も、涙を流している。
竜騎士は耳を静かに傾け、竜達の旅路の安寧を祈っていた。
やがて雨が降り出し始めた。空も泣いているかのように。
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その者は、暗闇の中で縛られていた。
自らを縛る、何重にも巻かれた鎖を、その者は忌々しく思っていた。
腹が減って仕方がない。
ーー 腹ガ減ッタ……寄越セ……寄越セ……! ーー
その者は呻く。
誰にも届かないのは百も承知だった。しかし、いつか自らの鎖を解くものが、この声を聴くことを信じて。
その者は、呻き続ける。
ーー 竜ノ血ヲ、肉ヲ……ドラグニティノデモ良イ…………俺ハ、腹ガ減ッタンダ……!! ーー
続く
次回、ドラグニティズ・ファーム
「寒い季節がやって来ました」
ヘックション! あぁ、寒いねぇ、嫌になるよ、本当……。




