45ページ目 いつかまた、会える日まで
強まっていく雨足。次第に二人の吐く息も白くなっていく。
「ワフ……」
シャディを抱き抱えたフォンの身体が震え始める。シャディはというと、寒さのせいか身体の動きが何処かぎこちない。
「さすがに寒いな……フォン、こっち来い」
「ワフ?」
「身体くっつけてればいくらかマシだ。だからこっち来い」
「クゥン……」
フォンは何やら恥ずかしそうに身をよじる。心なしか顔もほんのり赤みを帯びているようだ。
「別に良いだろ。何恥ずかしがってんだ」
「ふ、フォン、もう、10歳だし」
「10歳でも俺から見りゃガキだよ」
「いやぁ……」
「全く……しょうがない」
アリウスは自分のコートを脱ぐと、それをフォンに被せる。優しい温もりがフォンの身体を包み込んでいく。
「これでいいだろ」
「でもアリウスは……?」
「俺は鍛え方が違ヴェッキシ!!」
盛大なくしゃみと共に、鼻水が宙を舞った。
無理もない。今のアリウスは上着一枚のみ。コートを着て丁度良いくらいだったのだから。
その様子を見たフォンはクスリと笑い、コートを深く被る。
「し、しょがない、な、アリウス」
フォンはアリウスの背後に回る。
そしてコートを羽織った状態で、アリウスを後ろから抱き締めたのだ。
アリウスは少し驚いたような表情を浮かべたが、すぐにそれは笑顔に変わる。
「何だ、出来るじゃないか」
「あ、あ、れ? ち、違、た?」
「何にも?」
背中から伝わる柔らかい温かさ。
フォンの吐息が耳にかかり、間に挟まれてもがくシャディに背中をくすぐられる。
「ア、リウス、は」
「何だ?」
「こ、コノハ、好き、なの?」
「ブッ!? 突然だなお前!」
アリウスは思わず咳き込んでしまう。
10歳だというのに随分ませた質問をするものだ。それとも女の子は皆こういう感じなのだろうか。
「どうしてそう思う?」
「な、なぁ、と、なく」
「何となくかよ……」
アリウスはげんなりする。しかし勘というものが馬鹿にならないということは、既に様々な人物が証言している。ここで変に誤魔化すのもおかしな話だ。
「好きっていうか……信頼してるよ。普段は何処か子供っぽいんだけど、時々びっくりするぐらい大人な事を言うんだ。なんか……言い方は変だけど、母親みたいな」
「……? んん? コノハて、アリウスの、お母さん、なの?」
「そうだと、良かったな」
アリウスは困ったように笑う。
実際の年齢は、親子より遥かに離れている。だが本当に彼女が母親だったなら。
「アリウス、う、嬉しそ。やっぱり、好きでしょ?」
「さてな。ほら、雨が止んだぞ」
いつしか雨は上がり、鳥のさえずりが耳に入り始める。木漏れ日が濡れた地面を輝かせる。
「帰るぞ。ほら、立て」
「んん!」
フォンは嫌だと言わんばかりに地面にうずくまる。アリウスは立ち上がらせようと肩や腕を引っ張るが、テコでも動こうとしない。
顔を上げたフォンの顔は悪戯そうな光が宿っていた。
「アリウス、おぶって」
「……は?」
「おぶってよ。フォン、足、怪我」
見ると確かに、フォンの膝に擦り傷がある。だが頑丈なビースディアにとって、この程度の傷は何ともないはずなのだが。
「自分で歩けるだろ、多分」
「いやぁ! フォン歩けないの! おぶって!」
「あぁっ!! 分かった、分かったから暴れんな!!」
先にアリウスの方が折れた。フォンがこう言っている場合、どれだけ言っても無駄なのは先ほどの件で学習済みだ。
しゃがむと、フォンはシャディを背中にしがみつかせ、アリウスの背中に飛び乗った。
温かい感触と温かい息が身体に伝わり、アリウスの顔に自然と笑みが浮かぶ。小さく歌も歌っており、何やらご機嫌な様子だ。
「フン、フフン、フフン」
「何を歌ってるんだ?」
「コノハ、歌ってた。り、り、竜〜?」
「竜魂歌か。いい歌だな」
「フ〜、ワフフ」
フォンの頬がアリウスと触れ合う。
少し前までは考えられない光景だ。話しかけても無視し、触れようとすれば牙を剥く。
そんな彼女が今、こうして自分に身を委ねてくれている。互いの気持ちを知ることが出来たのも、言葉が通じたおかげでもある。
まるで、言葉に不思議な魔力でも込められているようだ。
「右、手、だいじょぶ?」
「まだちょっと突っ張るけどな。まあ片手でも大丈夫だけど、しっかり掴まれよ」
「ん……」
フォンは申し訳なさそうに鼻をアリウスの首に押し付ける。
「ごめんね。あの時、フォン、噛んじゃった」
「良いんだよ、気にすんな」
アリウスがそう言うと、フォンは少しだけ笑顔を見せ、「ワフゥ」と一声鳴いた。
「フォン、また、会える?」
「ん?」
「こ、今度は、ち、ちゃと、話せ、ように、なてから、ね。そしたら、また、み、みんな、一緒」
「……フォン。一つ、言い忘れてた事がある」
「ワフ? ……あっ!」
2人の先に、赤い髪がたなびいている。
その人物は必死に手を振り、2人に自分の位置を教えていた。
「アリウス〜!! フォン〜!!」
「サピヨンの花のもう一つの花言葉は、再会の運命、だ」
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それから2日後。
「よぉっし! 魔導コアも調子良し! 出港準備!」
『ウゥッス!!』
船員の返事が轟くと、すぐさま船の中に駆け込んでいく。
帆が上がり、風にたなびく中、アリウス達は海岸へ見送りに来ていた。
「本当に世話になった。ありがとう。後で礼の品を送っておくよ」
「そんな、気を使わなくても……」
「コノハよ、礼は遠慮せず受け取るのが良いぞ」
「何でお前がそれを言うんだよ……」
溜息をつくジルフィウスに、キョトンとするフィオディーネ。
困ったように笑うコノハに、つられて笑うアリウス。
たった少しだけの筈なのに、沢山の思い出と友達で溢れている。
離れるのは寂しい。だがフォンはもう泣いたり、我が儘を言ったりしない。
また絶対に、会える日が来る。いつか会いに来る。
「み、みんな。ありがとね。ふ、フォン、また、会いに、いくから」
「うん。楽しみに待ってるよ、フォン」
「達者での」
「流れ者だから俺は分からんが……また会う日まで」
「じゃあな、フォン。元気で」
フォンはフィオディーネ、ジルフィウスに軽くハグする。
コノハに対しては特に長い時間、強く抱きしめ合った。
そしてアリウスは、フォンを受け入れようと手を広げた。
だがフォンはもじもじとし、少し照れた様子で躊躇っている。
「フォン?」
「……アリウスだけ、特別、ね」
フォンはアリウスに駆け寄り、
その頬に口づけした。
「え……っ!?」
「お〜!」
「こ、これは……」
「フォン、お前ぇ……!?」
その場にいた全員が2人に釘付けになる。
あれ程仲が悪かった彼等が、今はまるで恋人のような光景を繰り広げている。
「……ワフ!」
フォンはやがて唇を離し、照れ臭そうに後ずさる。アリウスはというと、呆気にとられたような表情で自らの頬を触っている。
「じゃあね!!」
「お、おぅ……」
その隙を狙ったように、フォンは船の中に駆け込んで行った。
最後に見えた笑顔は、今までで一番輝いたものだった。
「よ、よぉし。野郎ども、出港だぁっ!! 針路はラットライエル、そこで本格的に修理してレオズィールへむかうぞぉ!!」
『ウゥッス!!』
ヴィンレイと船員達の号令が船に響き、船は海の上を進み始めた。
その影はみるみるうちに小さくなっていき、やがて見えなくなってしまった。
「さ、さあってと。俺は旅の続きに戻ろっかなぁ。じゃあなアリウス、コノハ! また会う日まで」
ジルフィウスは何とも言えぬ雰囲気に耐えかねたのか、風を纏い、空へと飛び去って行ってしまった。
「ま、まあ、何というかのぉ、コノハ。気に病むことはないぞ」
「…………」
「そ、それじゃあ妾もそろそろ帰るかの! 達者でな、2人共!!」
「あ、あぁ。じゃあなフィオ」
フィオディーネは苦笑いを浮かべながら、海の中へ飛び込んだ。
しばらくすると、遠くの海面から巨大な尾ビレが飛び出し、そしてまた海の中へ消えて行った。
あんなに賑やかだった砂浜が、今は波の音だけが響くのみになった。
「あいつ……ませた事しやがって」
だが、むしろ嬉しい気持ちだった。手のかかる妹が出来たような。アリウスの口元が自然と緩む。
「戻るか、コノ……っ!!」
しかし、アリウスは思わず息を呑んだ。
コノハの表情が、今までで一番不機嫌なものとなっていた。ムスッと膨らんだ頬も普段なら可愛らしものなのだろうが、目が完全に怒りモードだ。このまま力を解放した竜の瞳に変化してもおかしくない。
「な、ど、どうした……?」
「……良かったですね。フォンにあんなに好かれちゃって。いやー、嬉しいですー」
「だったら何でお前怒って……」
「怒ってない!!」
「はいっ!!」
肩を怒らせながらコノハは歩き始める。その後を追いながら、アリウスは怒りの原因を考える。
だが今回は、鈍感なアリウスでもすぐに察しがついた。
「フォンのキスは挨拶だろ? 子供じゃないんだからそんなに怒るなよ」
「……子、子供、子供!? 私の何処が子供なんですか!! だいたい何で私が、き、キスくらいで怒らなきゃならないんですか!?」
「子供っぽい。その反応含めて。全く、年の割に純情なんだな」
「な、ななななな!!」
コノハはプルプルと震え、拳を握り締める。
「アリウスのバカッ!! フォンみたいな子にまで鼻の下伸ばして、サイテーですっ!!」
「馬鹿ってお前! ていうか鼻の下伸ばしてねえ!」
「ご飯抜き!! ご飯抜きです!!」
「おい待て! それは勘弁してくれよコノハァァァッ!!!」
砂浜で1匹、うたた寝していたシャディはある夢を見ていた。
大人になった自分が、大人になったフォンを背中に乗せて空を飛ぶ夢。
それがそう遠くはない未来の話であることは、夢を見ている本人も知らないことである。
続く
次回、ドラグニティズ・ファーム
「鎮魂歌の谷」
竜の無念は、死して尚も生き続ける。




