40ページ目 眠れぬ夜の決意
その夜。
皆が寝静まった中、一人屋根の上で夜空を見上げる人影があった。
「静かだな……」
アリウスの身体を照らす月灯りは、優しく、それでいてどこか怪しさを感じる。
月光を反射し、尚も輝き続ける海。その向こう側は闇に呑まれて見えない。
こうしている理由は至極簡単。眠れないのだ。
先程から頭の中を回り続けているのは、ジルフィウスの言葉と、剣を取り返そうとした時に感じた痛み。
死よりも辛い結末。
かつて竜騎士に言われた言葉を思い出す。破滅の未来が待っている。ジルフィウスに言われた事はそれととても似たものだった。
これらの言葉をアリウスは理解出来ないでいた。実感が湧かなかった。
「想像つかねぇよ……失くすよりも辛いことなんて」
誰かが、何かが、この手から滑り落ちていく感覚。壊れゆく感覚。それをすくい取る事も出来ない虚しさ。
「失くしたこと……あるんですか?」
突然かけられた言葉に肩が跳ねる。
振り返るとそこには、月に照らされて輝く赤い髪が風に揺れていた。
「……何だコノハ。眠れないのか?」
「眠れない怪我人さんを寝かしつけに来ました」
「そういや、まだ怪我してるんだった。もう痛みは引いててな」
「……」
コノハはアリウスの隣に座る。
そして、アリウスの右肩をギュッと握り締めた。
「っ!? いっだだだだ!!」
「治ってなんていませんよ。大人しく寝てないんですから」
「最近色々ありすぎてゆっくり寝る暇なんてないんだよ……」
肩をさすりながら、アリウスは溜息を吐く。
風が二人の髪を擽る。やがてコノハの方から、ポツポツと話し始めた。
「アリウス、さっきのお話の続きなんですけど……大切なもの、失くしたことってありますか?」
「……その言い振りだとお前もあるみたいだな?」
「質問に答えてください」
茶々を入れられたコノハの頬が風船のように膨らむ。その子供っぽさに、ついついアリウスはにやけてしまう。
「逆に大切なものを失くしたことない奴の方が少ないと思うぜ。その程度が人によって違うだけで」
「アリウスは何を失くしたんですか?」
「……別に知らなくたってーー」
「ネフェルさんって人と、関係があるんですか?」
ネフェル、という単語を聞いた瞬間、アリウスの表情が一変する。笑顔が失せ、瞳が震え始めている。
やめた方がいいかもしれない。知らなくたっていいかもしれない。アリウスとの関係を壊してしまうかもしれない。心の中で、自分が叫ぶ気がした。
だがコノハの言葉はもう止まらない。
自分から歩み寄らなければ、彼のことを知ることなんて出来ない。
「アリウスが右腕を怪我した時、うわ言で言ってたんです。大事な人なんですか? その人の夢って一体……」
「それは後で話すって……」
「後じゃ嫌なんです!」
立ち上がったコノハはアリウスの両肩を掴む。
その時の光景はいつの日か、コノハが生命魔法を使った時と似ていた。違うことといえば、二人の立場が逆であること。
「アリウスが苦しそうにしてるの、私には分かるんですよ! ジルフィウスさんと話してる時だって、ずっと辛そうな顔してました。このまま私に話さないで、ずっと有耶無耶のまま過ごしてたら本当にいつか……!!」
「コノハ……」
必死に語りかけるコノハの姿に思わず圧倒されてしまう。何故ここまで自分のことを気にかけるのか。アリウスはそれを聞こうとしたが、その言葉を呑み込む。
当たり前だ。隠し事をしておいて、それに苦しむ様子を見せてしまったら誰だって不安になる。
自分がフォンに対して感じていた不安と同じだ。
アリウスは観念したように目を閉じる。
そして左手を、コノハの頬へと伸ばした。柔らかく、少しだけ冷たい感触が伝わる。
「ネフェルはな、俺に色んなことを教えてくれた奴なんだ。ドラゴンの事、色んな生き物の事、夢を持つ事……姉みたいな人だった。それこそ、本当に血が繋がっているんじゃないかってほど」
「優しい人なんですね」
「お前に似てな。……ネフェルはもっと大人だったが」
「ちょっ、それどういう意味ですか!?」
「お前は所々子供なんだよ。背伸びしてるのがバレバレだ」
そう言いながら、アリウスは頬を揉み始める。
「ふぁ、ふぁふぇてふだしゃいよ」
「今日はここまで。また眠れない日に話してやるよ。……約束する」
手を離し、アリウスは屋根裏にある扉から中へ戻っていった。
約束した。今度は逃げるわけにはいかない。
過去に向き合わなければ。
コノハの夢を叶えるために。
竜奏士になるために。
部屋に戻ろうとしたコノハは、リビングに小さな灯りが点いていることに気がつく。
扉を隙間ほど開け、中を覗いてみる。
「ワ、ワフ……ワフ……」
蝋燭を灯し、本を広げているフォンの姿がそこにあった。しかしその目は開いたり閉じたりを繰り返し、口の端からは涎が垂れ下がっている。
「フォン? 夜更かししちゃだめですよ」
「ワ、ワン!?」
コノハの声で意識が戻ったのか、隠すように本を自らの後ろに回した。そして口を尖らせながら知らないフリ。
一体何処で覚えたのだろうかと呆れながら、コノハはフォンの隣に腰を下ろす。
「もしや、前も夜更かししてましたね? だから朝あんなに眠そうだったんじゃ?」
「ワッフ!?」
ギクリとするフォンの様子に思わず吹き出しそうになりながら、背中に回している本を見る。
「ゼゼルの冒険譚、大好きなんですね。アリウスも好きだって言ってましたよ」
「ワ、ワフゥ……」
「そんなに照れなくていいじゃないですか。……ねえフォン?」
コノハはフォンから本を取ると、改めて向き直った。
「お話してみてください。練習成果、見てみたいです」
「……」
身をよじるフォン。
自信は正直ない。片言でしか話せないし、コノハの前とはいえ拙い言葉で話すのは恥ずかしい。フォンの目はそう語っていた。
そんな様子を見てか、コノハはこんなことを話し始めた。
「さっきアリウスとお話ししたんです。アリウスってああ見えて、自分の気持ちを中々教えてくれないんですよ。でも私が思ってる事を言ったら、ほんのちょっとだけ話してくれたんです」
「……クゥン?」
「だから明日、やってみましょう? そのためにちょっと練習です。自信を持って、堂々と、ね」
堂々と、自分の言葉で。
恥ずかしさが消えたわけではない。だが、コノハの言葉を聞いた途端、やってみようという気持ちが同時に沸々と湧いてきた。
「……ワ……んん……わ、かった。フォン、が、ばる」
自分の気持ちを伝えるために。
みんなの気持ちを、もっと知るために。
「街は静かだな」
街灯も消え、人影もほとんどない、夜のラットライエルの街。
そこをたった一人、フラフラと放浪するのがジルフィウスの趣味だ。
本来ドラゴンは自分の統べる領域から出るようなことは一切ない。領域を荒らし、自らを狙う愚者に裁きを下す。そのために普段は支配領域の奥で静かに力を蓄える。外界の様子は僕に探らせる。
ジルフィウスにとって性に合わない事ばかりだった。
広い世界を自ら巡って、沢山のことを知る。単なる知識ではない、体験を通して、ユーラン・イルミラージュを理解する。
だからこそ僕の反対を押し切って、世界を周っている。
「出来れば人間に生まれたかったなぁ。そうすりゃこんな面倒に縛られないのに……」
その時、何者かと肩がぶつかる。考え事をしていた上に、人通りが少なかったこともあって油断していた。
「おっと、すまない」
「いえいえ。夜道にはお気をつけて」
紳士な声が返ってくる。
しかし、それとは全く逆のものを感じ取ったジルフィウスは振り返った。
例えるなら、雛を狙う蛇のような卑しい視線。
生まれながらにこんな視線を発する人間がいるだろうか。
やがて、男は怪しむように睨むジルフィウスに対して笑いかけた。
「如何なされました?」
「……いや、こんな時間にうろつく物好きが俺以外にいるなんて驚いてな」
「少し眠れないもので。それでは、ご機嫌よう」
恭しく礼をして去って行く男から、ジルフィウスは目を離せなかった。
竜の第六感が訴えかける。
あの男は、危険だと。
「さて……」
男ーーグラウブが短く口笛を吹くと、一匹の犬が走り寄って来る。
身体は狼より少し大きく、がっしりとした体躯。白い体毛にゴールドの瞳。蒼い鎧を身に纏い、左肩には小剣を提げている。
ヴァイクウルフ。元は北の極地に棲息していた野生の個体を、騎士団用に飼い慣らした軍用犬である。
「どうだい? イデアの居場所は見つけたかい?」
「グルゥ……」
ヴァイクウルフは尻尾を振ると、肯定する様に小さく一声鳴いた。
「いい子だ。明日の早朝出発だから、今日は休んでいなさい」
今回の目的はあくまで遭難船の探索と救助。
だが思わぬ出会いがこの先待っていることを考えると、楽しみでならなかった。
続く
次回、ドラグニティズ・ファーム、
「和解」
私って背伸びしてる様に見えますか? だって別に気にしてないですもん。子供っぽいところだって、個性ですからね!




