33ページ目 少しずつ
すっかり夜が明けた。
朝一番に宿を出たアリウスとイデアは、真っ直ぐに竜の庭へ向かっていた。
コノハに何の連絡も入れていなかったことを思い出し、アリウスは苦い表情を浮かべる。
「あ、コノハに鳩飛ばせば良かったか……」
「えっ? コノハさんに何も言ってないんですか!?」
「ちょっと色々あってな……」
「喧嘩でもしましたか?」
「いや、してない」
だがアリウスはそれ以上何も言おうとはしない。イデアは質問を変えることにした。
「先輩は、コノハさんのことどう思ってます?」
「かなり世話になってるからな。感謝してもしきれない」
「あ〜、そういうことじゃないです」
「じゃあどういう事だよ」
イデアは咳払いを一つすると、訳が分からないといったアリウスに指を突きつけた。
「コノハさんのこと、異性としてどう思いますか?」
その瞬間、アリウスの表情が固まった。考え込むように眉をひそめ、手を顎に当てる。
「異性として……?」
「そうですよ。だってコノハさん可愛いじゃないですか。なのに先輩は一緒に暮らしていても何もしない。おかしいじゃないですか!」
「俺が……手を出すような人間に見えるか?」
「それは……でも何とも思ってないなんてことはないでしょう?」
アリウスは再び考え込む。
思えばコノハと一緒に暮らすようになってしばらく経つ。しかしコノハに対して、そういった感情を抱くことはなかった。
全く意識していないわけではない。しかし特別な感情を抱くといったことはなかった。
「あまり意識したことは……ないな」
「え、そうなんですか!? ……意外」
「何でだ?」
「だってコノハさんの笑顔、同性から見ても可愛いのに……先輩の心は揺れないんですね」
ふと、イデアの言葉を機に思い出してみる。
太陽のように眩しい笑顔。
思い出した瞬間、顔が徐々に熱くなっていくのが分かった。
「確かに笑顔は、俺も好きだな」
「え? 今なんてーー」
「さて、着いたぞ」
丘を登りきると、そこには見渡す限りの草原が広がっていた。更に奥には蒼く輝く海。
それを見たイデアの瞳も、負けじと輝いていた。
「凄い……!」
「イデアは海とか見たことないのか?」
「任務でならたまに見るんですけど……ここは特別綺麗です……」
「はい、任務に行きなさい、イデア殿」
イデアは少し残念そうな顔をしたが、やがていつもの真面目な騎士の顔に戻った。
「そこの海岸の方にいるぜ。色々話を聞いて見るといい」
「はい。ご協力ありがとうございます。それでは……コノハさんにもよろしくお願いします」
「あ、あぁ……」
そして敬礼を払うと、イデアは丘を下っていった。
一人残ったアリウスは、改めて丘の上から竜の庭を見渡す。しかし目を向けたのは自然ではなく、コノハの家。
畑は春や夏の時よりも広くなっている。アリウスはこれまでにあった出来事を思い出す。
「……」
何故か今は、コノハの笑顔ばかりが思い出されていた。
1日ぶりの家。
久しぶりとは言わないが、懐かしいような雰囲気を醸し出しているように感じた。
「さて、ただい……」
ドアノブに手をかけた瞬間、アリウスを鋭い気配が突き刺した。
気圧されるようなそれに言葉が詰まる。
アリウスは生唾を呑み、ゆっくりドアを開けた。
「…………おかえりなさい」
玄関には、正座をしたコノハが待ち構えていた。
その目から放たれる怒気と、握り締めた拳がアリウスの心を掴み上げる。
「とりあえず座って下さい」
「あの、コノハ、連絡しなかったのは悪かった。だけど……」
「座りなさい!!」
アリウスは言い訳を止め、コノハの前に急いで正座する。
顔を上げるのが恐ろしく、自然と床の方に視線が移る。
「私の方を見なさい!!」
「はいっ!」
それさえダメだった。憤怒に染まったコノハの瞳に、自らの泳ぐ瞳を辛うじて合わせる。
「どうして連絡してくれなかったんですか?」
「……しようと思って、忘れてた」
「今まで何してたんですか?」
「ラットライエルをふらついて、イデアと会って、話を聞いてたら夜だったから、泊まって、用事があったイデアをここまで送った」
たどたどしくなるアリウスの口調。そしてどんどん険しくなるコノハの表情。
スカートの上で握り締められた手が、噴火しそうな火山の様に震えている。
「つまり……イデアさんと、朝帰り……ですか」
「いや、その言い方は語弊があるだろ……だから悪かったってーー」
「うるさぁぁぁぁぁぁいっ!!」
とうとう火山が噴火した。
コノハはアリウスの頬を掴むと、千切れんばかりに引き延ばす。
「イダダダダダッ!?」
「右腕怪我してるのにあちこち出歩いて、ちょっとフォンと喧嘩したら家出して!! 少しは大人になりなさぁぁい!!」
「ほ、ほれふぁふぉうおふぉふぁふぁよ!(お、俺はもう大人だよ!)」
「うるさい! おまけにイデアさんと朝帰りぃ!? フギギィ!!」
「アアアァァァ、ちふぃれるぅぅ!!」
数十秒の禊の末にようやく解放されたアリウスの頬は、ダルダルに伸びきっていた。
「悪かったよ……今度からはしない。約束する」
「本当に、心配したんですからね。もし戻ってこなかったら……」
オッドアイの瞳が揺れる。それを見た瞬間、アリウスの心が微かに跳ねたのを感じた。
そして誓った。もう二度と、家出はしないと。
リビングに入ると、ソファの影からはみ出た狐耳がピクリと動く。
ゆっくり振り向いたヴァイオレットの瞳と目が合った。
「ただいま」
「……」
返事もせず、ただジッと見つめるばかり。
そんなことだろうと思い、アリウスは少し離れた位置にある椅子に座る。
と、アリウスはあることに気がついた。
「……ん? フォン、何読んでるんだ?」
フォンの手には、一冊の本があった。
本の題名は「ゼゼルの冒険譚」。アリウスも昔読んだことがある絵本だ。
「懐かしいな。それ、面白いだろ?」
「……ワフン」
しかしフォンはアリウスに背を向けてしまう。一筋縄ではいかないことに思わず溜息を吐きそうになる。
「なぁ、フォン。俺の何が嫌なんだ? あの時馴れ馴れしく近寄ったからか?」
「……」
「理由が分からないと俺もどうすればいいのか分からないんだ。だから……」
「……」
「フォン……」
相変わらず、返答はない。彼女は不機嫌そうに小さく唸るだけ。
こんなにもどかしい感覚は久しぶりだ。
しかしそんな空間に、優しく響く声が割って入った。
「アリウス、フォン、ちょっとお願いがあるんですけど」
揃って首を傾げた二人に、コノハはニコリと笑みを返した。
畑には、沢山の野菜たちが収穫される時期を目指して眠っている。
その中に、真っすぐに背を伸ばし、収穫を待ち望むものがあった。
「そういえば、ミルクポテトとドラゴンパンプキンが取れ頃だったな」
「そうです。それじゃ、二人で協力して取ってください」
「……えっ?」
「……ワフッ?」
呆気にとられる二人を差し置き、コノハはそばにある石に腰掛ける。
「ま、待てよコノハ……いきなりは……」
「畑仕事を一緒にやれば少しでも距離が縮まると思いますよ」
「ワ、ワンワン!! ワン、ワフ!!」
「やり方はアリウスが教えてくれますから、大丈夫です」
「いやでもーー」
「ワフーー」
「イイカラヤッテクダサイ、ネ?」
と、睨みの利いたコノハの笑顔を向けられては、アリウスとフォンは黙って頷く他なかった。
アリウスは手袋をはめると、早速ジャガイモの収穫を試みる。
しかしフォンは手袋をいつまでも見つめているだけで、何故かはめようとしない。
「フォン? 手袋がどうかしたか?」
「……」
しかしフォンはアリウスに返事もせず、手袋をひっくり返したり、匂いを嗅ぐばかり。
「着け方……分からないのか?」
「ワフ……」
「ちょっと貸してみろ」
「ワン!?」
その小さな手に、アリウスの手が重なる。フォンが慌てて飛び退こうとするのも構わず、手袋を着ける。
フォンの手はとても細く華奢で、とても力が強いようには見えなかった。実際にはこの細腕にあっさり引き倒されたのだが。
「っし、と。これで大丈夫だ。やろうぜ」
「……ガウッ!!」
フォンは返事の代わりにアリウスの手を払い、畑へ足を踏み入れる。
そう上手くはいかないかとアリウスが苦い顔をしている間に、フォンは次々と土を掻き分けていく。
「ワンワン!」
あっという間に一つ収穫。嬉しそうに尻尾をぱたつかせ、コノハに自慢気に見せる。
「初めてなのに上手ですね!」
「ワフゥン」
今度はアリウスの方を向き、得意気な顔で見せびらかす。
ミルクポテトは表面が美しいクリーム色で、凹凸の少ない滑らかな面が特徴的だ。
「フォン……お前……」
それを見たアリウスは驚いた様にフォンを凝視する。そして、
「自分から俺に話しかけたの、初めてじゃないか?」
「……ワフ?」
フォンは肩透かしを食らった様な表情を浮かべる。確かに自分からアリウスに絡みにいったことはほぼないが、フォンが期待していたのはそんな反応ではなかった。
そしてフォンのむすっとした表情を見たアリウスも、何か余計なことを言ったのかと考え込む。2人の間に奇妙な空気が流れていた。
「プッ、フフフ」
そんな様子を見たコノハは思わず吹き出してしまった。
「なぁんだ、意外と仲良しじゃないですか」
あの2人は気づいていないかもしれないが、コノハは確かにそう感じた。
ドラグニティの感が告げたのだ。
続く
ひっさしぶり〜、農業パート! 元気してた〜?
というわけで33ページ目でした。次も引き続き収穫パートやりますよ。距離が縮まるといいのう……。
それでは皆さん、ありがとうございました!




