30ページ目 ビースディア
アリウスは右腕を咄嗟に払い、噛み付いた少女を跳ね除ける。
少女は一旦距離を取ったものの、すぐにまた飛びかかれるような体勢をとる。歯を向き、その見た目に反さぬ獣のような唸り声を上げてアリウスを睨んでいた。
「お前一体何のつもりで……!?」
「ウウゥ……!!」
アリウスの返答に答える様子もなく、少女が再び飛びかかろうとしたその時、
「何してるんだ馬鹿たれ!!」
「ウウゥガアァウ!!」
毛むくじゃらの大男が、少女の服の襟を掴んで持ち上げた。
少女は必死にバタバタもがいていたが、やがて男が手を離すと船の方へ走っていった。
「大丈夫か!? 右腕を噛まれたか!?」
「いや、元の怪我の位置とは少しズレてるから大丈夫だ。……それより、あんたは?」
「あぁ、自己紹介をしていないな」
アリウスが尋ねると、男は頭の上の帽子を取る。すると、まるで熊のような丸い耳が現れた。
「俺はヴィンレイ。種族はビースディアだ。交易船の船長をしている」
「アリウス・ヴィスター、ヒューマンだ。農場をやってる」
「よろしくな。それで、さっきの奴なんだが……おーい! 出て来いフォン!」
ヴィンレイは周りを見渡すと、大声であの少女を呼ぶ。
しかし少女は船の入り口から顔を僅かに覗かせるだけで、そこから出ようとはしない。
「フォン、こっち来てアリウスに謝れ、さぁ」
「…………」
プイ、と大きな尻尾を振って否定の意を示すと、フォンは何処かへ行ってしまった。
「ったく、何不機嫌になってんだあいつは……?」
「別にいいさ。それにしてもアンタ、何でこんなところに船を? 派手にぶっ壊れてるようだが」
「あぁ、こいつは色々込み入った事情があってだな」
ヴィンレイは蓄えた顎髭をさすりながら困った顔をする。
「船長ー!!」
すると、船の甲板から一人の男が顔を出した。彼もビースディアのようだ。
「お、どうだ、直りそうか!?」
「いやダメだ、完全に魔導コアがイカれてる。修理しようにも材がねえよ」
「あぁー、やっぱダメかぁ、そうかぁ……」
頭を抱えるヴィンレイの姿を尻目に、アリウスは粒子が溢れている場所を凝視する。
「なるほど、魔導コアねぇ……」
魔導コアとは、生物や植物、鉱物に含まれる微量の魔力を抽出し、それを動力とする装置だ。ゴーレム達の動力源としても使われている。
今では基本的に鉱物を使用するため白い粒子が発生する。しかし生物や植物を使用していると、魔力というよりも生命力を抽出するため、碧色の粒子が発生する。
アリウスが思わず焦ったのはそれが原因だった。
「魔導コアの燃料は何を使ってたんだ?」
「ゼオ・ライジアの心臓だ。一匹分もありゃ半年は持つからな。ちっと高いが」
「なら、俺の連れには黙っておいてくれ。一匹、異常に怖がる奴がいるから」
「あ? それってどういう……」
「ピキュゥゥゥ!!」
その時、聞き慣れた鳴き声が頭上から飛来した。
アリウスが上を見上げると、懸命に全身を大の字に広げて降下してくるシャディの影があった。
「あの野郎!? 飛んだことないくせに!」
翼を広げているおかげで不安定な軌道を描くシャディを、アリウスはしっかりとキャッチした。が、前とは違いかなり重くなっており、アリウスの体は砂浜を音を立てて滑走した。
「ったく、何してんだお前は」
「ピキュ」
シャディはアリウスの胸にうつ伏せになり、甘えるような声を出す。どうやら朝に置き去りにされたことが原因のようだ。
「ほぉ、ゼオ・ライジアの雛か。お前が育ててるのか?」
「森の中で一匹になってたところを助けたんだ。親を亡くしたらしくってな」
「ん? ゼオ・ライジアの親が死ぬなんてこと……」
ヴィンレイは疑問に思った直後、すぐに結論が出た。
天敵がいないゼオ・ライジアを狩れる生き物など、そうそういない。
「そっか、お前……えっと、シャディか。フォンと一緒なんだな」
「あいつと?」
「ピフ?」
アリウスとシャディは同時にフォンのいる方向を見る。
どうやら本人は隠れているつもりらしいが、その大きな尻尾が甲板のヘリからフリフリと見え隠れしている。
「フォンは孤児だったのさ。両親は流行病で死んじまって、誰もあいつを引き取ろうとはしなかった。だから俺が奴を船に乗っけて引っ張り回してんだ」
「フォンは誰に対してもあんな感じなのか?」
「いや? 基本的に俺以外の奴には近寄りもしねえよ。だからあんなに毛嫌いもしないんだが……」
アリウスが甲板の方を見ていると、チラリと覗いたフォンと目が合った。途端にこちらを睨みつけ、「ガルル!!」と唸ってみせた。
「気に触ることでもしたか……?」
「もしかしてお前、フォンに色目使ったんじゃねえか? 俺たちビースディアはそういうのに敏感だからなぁ」
「誤解もいいところだよ。って、あいつ今いくつなんだ?」
「あぁ、今年で10になるな」
「10歳!?」
アリウスは思わず声を上げてしまった。
理由は至極簡単なもので、その容姿を見ていたからであった。
確かに顔こそ幼いものの、身長は明らかにコノハより高く、胸の膨らみも年頃の娘くらいのサイズはあった。とても年齢にそぐわない容姿だ。
「知らないのか、ビースディアは身体の発育が早えんだよ。俺も今は35だしな」
更に衝撃の新事実が追い打ちをかける。
「ビースディアは……成長が早いのか」
「育つのが早いのと腕っ節が強いのがビースディアの取り柄だからな」
ヴィンレイは自虐的な笑みを浮かべる。それを見たアリウスは一瞬迷った仕草をしたが、やがて疑問を口にした。
「フォンが言葉を喋れないのは、もしかして……?」
「あぁ、本来はそれが普通なんだ。ビースディアにとってはな」
ヴィンレイはフォンを見ながら、遠い目をする。
「ビースディアは頭が悪いし、種族間の言語もない。ただ獣みたいに吼えりゃ、意思疎通出来るからな。……だからこそ、手玉に取られやすい。知ってるか? この世界で一番奴隷に使われてるのはビースディアなんだぜ」
「……フォンは、そういうのを見たことは?」
「ねえよ、ってか俺が絶対見させない。あんなもん見たら、フォンは本当に他人を信用しなくなっちまう」
アリウスも実はそんな光景を見たことがあった。
騎士団時代、闇市の奴隷商人の組織に乗り込んだ時だった。取引現場にいた組織の人間を取り押さえ、アリウスが奴隷のいる檻の場所で見た光景。
ビースディア、エルフ、ヒューマン、他にも様々な種族が狭い檻の中に押し込められていた。
皆、一様に死んだ目をして。
「っと、暗い話をしちまったな。まぁしばらくここに滞在させてくれ。迷惑はかけないようにするからよ」
「宿はどうするんだよ」
「そこに船があるだろう? 幸い居住スペースは無事だしな」
「ならいいが……」
アリウスの視線は、やはりフォンの方へ向いてしまう。
未だ彼女の瞳から放たれていた敵意が、口の中に苦味を残した。
「ただいま」
「ピッキュウ」
しかし、依然として家の中は静かだった。働き者のゴーレム達も物言わぬ人形となっており、無音の空間が広がっている。
コノハ一人が動いていないだけで、この家の時が止まっているようだ。
「……昼時だし、そろそろ起こすかな」
アリウスは梯子を登り、コノハの部屋へ足を踏み入れる。
「おぉ、初めて見たな」
部屋は意外と広く、アリウスの頭が天井につかないくらいだった。小さなタンスや棚があり、そこには小さな竜や動物の置物が並べられている。
アリウスは女の子の部屋を見るのも初めてだったためか、妙にむず痒い気分になっていた。
「特に花とか置いてないのに何で良い香りが……っと、そんなことはどうでもいい」
アリウスは邪な気持ちの芽をもぎ取ると、部屋の奥にあるベッドへ向かう。
「……寝てる」
当たり前だ。ここはコノハの部屋、そしてこれはコノハのベッドなのだから。しかしアリウスはそう口にしてしまう。
口を小さく開け、普段は纏めている髪が自由に広がり、小さな体が呼吸で上下している。
あの初夏に見た、可愛らしい寝顔。
起こすのが勿体無いという気持ちを心の奥に押しやると、アリウスはコノハの肩をトントンと叩いた。
「コノハ、もう昼だぞ」
「んん……んん?」
コノハは縮こまったように身震いしたが、やがてゆっくりと目を開く。
「……アリウシュ?」
「おう、おはよう」
「はい……おはようござ……っ!?」
コノハは顔を一瞬にして真っ赤にし、まるでエビのように後ろへ飛び退いた。
「ななななな、なん、なん、で!? 何で私の部屋にいるんですか!?」
「グッスリ寝てたからそっとしてたんだが、流石に昼になったし起こそうかなと」
「え、え!? 昼……ああぁ!!」
コノハは窓に目をやると、すっかり明るくなった景色が広がっていた。顔から血の気が引いていく。
「ああああぁぁ……!! どうしようどうしよう……」
「ま、まぁ焦んなよ。まだ一日は始まったばかりだし……」
だがアリウスのフォローはコノハの耳には入らない。体をフルフルと震わせると、涙を浮かべた目でアリウスを睨みつけた。
「とにかく部屋から出て行ってください!!」
「あ、いや……」
「出て行ってぇぇぇ!!!」
コノハの悲鳴のような叫びはゴーレム達を起こし、ノイズィチキンをビクつかせ、シャディを飛び上がらせ、
「ワフゥっ!?」
船の外でうたた寝していたフォンを目覚めさせた。
続く
右腕怪我してるのに、梯子を登れるなんて凄いなぁ……。
というわけで30ページ目でした。梯子をどうやって登ったかはさておき、やっとこさ新種族が出ました。これからはもうちょい、他種族を出していきたいなと思っております。
それでは皆さん、ありがとうございました!




