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29ページ目 痛む傷と、癒える心

 朝の光が目に飛び込み、毛布を跳ね退けた。


 アリウスが起きてすぐに頭に浮かんだのは、昨日の夜のことだった。コノハに頭を抱き締められ、挙句にその胸の中で眠りこけてしまったことを。

「はあぁ、ガキじゃねえんだから……」

 思い出すと、妙な気恥ずかしさが襲ってきた。同時にあの甘い香りと温かさも思い出す。


 まるで母親に抱かれたように安心し切っていた。


「……ちょっと得したな」

 アリウスは口元を綻ばせると、ベッドから起き上がろうとする。

 右肩はまだ動かせないが、他はだいぶ回復したようだ。意識も身体も安定している。

 ゆっくりと階段を降りていくと、まだ部屋の中は薄暗かった。冬が近づいているのもあり、少し肌寒い。


「コノハはまだ起きてないか。珍しい」

 いつもなら朝食を作っている時間なのだが、キッチンに人影はない。ゴーレム達がまだ動いていないことも、まだコノハが目覚めていないことを告げていた。

 ちなみにコノハが作ったゴーレム達は、コノハが起きた時間に起動するようになっているらしい。

 いつもはこの家で最後に起きるだけあって、アリウスにとってこの光景は新鮮だった。

「準備だけでもやっておくかな」

 とりあえず棚から食器やカップを取り出そうと一歩踏み出した時だった。


 ムギュッ

「……ピフッ」

「おっと」

 何かを踏んづけてしまい、アリウスは素早く足を退ける。

 足元を見ると、翡翠色の尻尾が左右に動いていた。

「シャディ? コノハのとこで寝てたんじゃないのか」

「……スー、スー」

 アリウスの質問には答えず、すぐにまた寝息が聞こえる。

 ワイバーンは寒さに弱いというのに、こんなところで寝ているのは大丈夫なのだろうか。

 アリウスはソファにあった毛布を一枚、シャディの身体に掛けた。するとシャディはプルプル震えた後、毛布の中に潜り込んでいった。

「ん、ん……?」

 梯子の先にあるコノハの部屋からうめき声が漏れてきた。こちらはお目覚めのようだ。

「コノハ、起きたか?」

「ん……」

 だがそれっきり声は聞こえなくなってしまった。

 二度寝してしまったのだろうか。

「……ま、いっか。ゆっくりおやすみ、コノハ」

 アリウスは静かに笑うと、日課である畑の見回りへと出かけていった。


「コノハの寝起き、ちょっと見たかったな」

 その笑顔の中に少々、残念そうな色が混じっていた。



 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「隊長、予てより監視していた密猟者を拘束完了致しました」

「そうか、ご苦労。まだ残党がいる可能性がある、そいつから情報を聞き出してくれ」

「了解いたしました」

 兵士は一礼し、執務室から出て行く。

 カリスは深く息を吐き、机に両肘をついた。隊長としての激務は想像を遥かに超えており、体をほぼ動かしていなくとも体力を容赦なく削って行く。


 今、あの自由な友人は何をしているのだろうか。

「手紙の一つも寄越さないもんなぁ。難しいのは分かるけど」

 彼はドラゴンズ・シンで戦死した。騎士団内ではそういうことになっている。


 死者から手紙が届くなど、笑い話で済めばまだ良い方だ。

 最悪の場合、任務放棄として罰せられる可能性すらある。


「アリウスは自由に生きるのが似合ってるしね、ハハ」

 すると、執務室の戸を叩く音が耳に入る。

「ん、んん。どうぞ」

「失礼します、カリス隊長」

 誤魔化すように咳き込んだカリスの部屋に入って来たのはイデアだった。

「どうかされました?」

「い、いや。それより、何か用かな?」

「はい、先程レオズィール港から連絡が入りまして……とある船が入港予定時刻を過ぎても現れないとのことです」

「……?」

 何故そんなことが騎士団に報告されたのか、カリスは解せないでいた。

「捜索願?」

「おそらくは。……そして、その船の経路で、最近こんな情報が出回っているそうです」

 イデアが差し出した一枚の紙。それは情報屋が定期的に配る情報紙だった。そこに書かれていたのは、


「数十年ぶりに、海竜の姿を確認……?」


 カリスは納得した。

 確かにこんな情報が出回っていれば不安にもなるだろう。海竜は獰猛だ。最悪、船が沈められた可能性も考えられる。

「……イデア、行ってくれるかい?」

「はっ! 了解いたしました!」

「頼んだよ」

 勇んで出かけていくイデアの背中を見送ると、カリスは改めて情報紙に目を落とす。

 そこにあったラットライエルの文字を見た時、カリスはまたアリウスのことを思い出し、天井を仰いだ。


「イデアさんも大変ですねぇ」

 執務室から出たイデアに声をかける人物がいた。

 紫の長髪を後ろで結んだ背の高い男。

「グラウブ隊長? 何故こちらに?」

「いや、君達がこき使われていないか心配で様子を見に来ただけだよ」

 イデアはグラウブの言葉を聞き、顔をしかめる。だが彼はそんなことを意にも解さず再び話し始めた。

「アトラスベルネ家の一人娘があんな伯爵家の人間の下に就くなんて、なんと屈辱的なんだ」

「お言葉ですが、私はそう思っていません。カリス隊長は素晴らしい方です。それに家柄など関係なーー」

「それは君が彼のことを信頼しきっているからだろう」

 途中でイデアの言葉を遮ったグラウブの表情は、まるで毒蛇のように不気味な笑みだった。背中に寒気が走り、イデアは口を噤んでしまう。

「君だって思っているんじゃないのかい? 本当は自分の方が隊長にふさわしいってね」

「そんなこと……!!」

「……まぁいい。任務、頑張りたまえよ」

 そう言って立ち去っていくグラウブの背中を、イデアは直視出来なかった。

 レオズィール騎士団、第二部隊隊長、グラウブ・ベズアグル。公爵家であるベズアグル家の次期当主候補。



 そして、イデアが次期に嫁ぐことになる人物だ。



「よっこらしょっと、これで全部か」

 アリウスは抜き取った雑草や石ころを一箇所に纏めると、背中を思い切り反らす。

 右腕はまだ吊っているが、これくらいやっておかなければ畑がダメになる原因となってしまう。

「コノハはまだ起きてないか」

 家の方に目を向けるが、ゴーレム達が動き出している気配はない。もしも疲れているのだとしたらと思うと、申し訳ない気持ちになる。ジークから意識を失っていた自分を寝ずに面倒見てくれていたことを聞いていただけに尚更だ。

「今日からは俺が頑張る番だな。さて、次は家の掃除でも……」


 次の瞬間、海辺の方から空気を震わす爆音が轟いた。


「うわぁったぁ!? 何だ何だ!?」

 アリウスは衝撃で倒れこみそうになりながらも何とか持ち直す。

 音の方角を見ると、何やら妙な光景が広がっていた。碧い粒子のようなものが天に向かって伸びているそれは、アリウスのある記憶を掘り起こす。

「あれは!!」

 アリウスは反射的に走り出し、崖の出っ張りを足場にショートカットして降りる。そしてその先には、

「……船?」

 巨大な木造の船が目の前に佇んでいた。しかしその外装には穴や凹みが目立ち、そこから先程見えた碧い粒子が漏れ出していた。

「一体何処の……」


 と、後ろに誰かの気配を感じ、アリウスは振り返る。


 岩陰から、一人の少女がこちらを見つめていた。くたびれ、裾がダボダボな服と、擦り切れたスカート。そして体からまるで狐の様な茶色の耳と尻尾が覗いている。

 ヴァイオレットブルーの瞳はただ、アリウスを見つめて静かに揺らいでいた。


「……ビースディアか?」

 ビースディア……獣の特徴を体に宿した種族の少女にアリウスは歩み寄っていく。だがその少女はびくりと震え、まるで身構える様な姿勢をとる。

「俺はここの近くに住んでるんだが、この船はお前のか?」

「……」

 少女は返答せず、一歩後ずさる。

「なぁ、何か一言くらい……」

 アリウスがそう言った直後だった。


 少女は無言でアリウスに飛びかかり、勢いそのままに地面へ引き倒した。

「ぐっ!? 何のつもり……!!」

 だが、言葉は右手に走った激痛に阻まれる。


 少女の牙が、アリウスの右手に突き立てられていた。



 続く

ワン!


というわけで29ページ目でした。やったね、みんな大好き獣耳だよ!狐耳なのに……犬?


それでは皆さん、ありがとうございました!

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