28ページ目 蝕む悪夢、痛む傷
ぼんやりと、意識が覚醒し始める。
周りを見渡すと、真っ暗で、秋も中頃だというのに風も吹いていない。
一体ここは何処なのだろうか。
ピィィィ!!
突然、叫び声が響いた。アリウスはこの声に聞き覚えがあった。
「シャディ!? どうした、今い……」
足が踏み出せない。
まるで何かに足を掴まれているような感覚を感じた。ヌルヌルとした、気持ち悪い感触。
しかし進まぬ足とは逆に、体だけが前に進んでいく。
そして遂に、小さなエメラルド色の体が見えた。
「シャディ! お前こんなところで何を……」
アリウスは直後、言葉を失った。
シャディの身体には、無数の切り傷が開いていた。
既に息もなかった。
「……嘘だろ。シャディ!! シャディ!!」
いくらアリウスが呼びかけても、あの可愛らしい仕草で駆け寄ってはこない。
いくらアリウスが手を伸ばしても、触れることが出来ない。
「兄さん!! どうしたんだよ兄さん!?」
「あんたどうしちまったんだい!?」
「その声……ジークとレンブラント!?」
振り向くとそこには、自分にひたすら語りかけるジークとレンブラントの姿があった。だが2人の前に、自分の姿はない。
「ジーク、レンブラント!! 俺はここだ!! シャディが、シャディがーー」
「やめてよ兄さ……グアァァッ!!」
「ジーク! あ、ああぁぁっ!!」
2人は見えぬ何かに斬り刻まれ、鮮血を散らしながら倒れ伏した。
「ジーク……? レンブラント……? 誰だ……誰だァァァ!!?」
見えぬ何者かに向け、アリウスは絶叫した。自由に動けぬ身体で必死にもがくが、まるでいうことを聞かない。
「もうやめるんだ!」
「アリウスさん、正気に戻って!!」
「この声は……カリスとイデア!?」
その先で、2人はまたしてもアリウスの名を叫んでいた。
「気をつけろ!! ここには何かが……!!」
「きゃあぁぁぁぁっ!?」
だが虚しくも、イデアの身体は引き裂かれてしまった。
「イデア!! っ!? ガ……グハァァ……!」
続けて、カリスも同じように、散った。
「ゆ……夢なんだろ……? 覚めろ……早く覚めてくれよ!!」
上ずった声で叫ぶが、誰もその声に答えるものはいない。
その時、目の前にまたしてもよく知る人物が現れた。
「コノハ……!!」
彼女に向かって走ろうとすると、足に絡みついた呪縛が解かれた。
半ばパニック状態で、その小さな肩を掴む。
「無事だったのか! 良かった……」
「ど、どうしたんですか?」
コノハはキョトンとした顔で見つめ返す。
今のアリウスにとって、それは唯一の救いだった。
「それが俺にも分からないんだ、一体ここはーー」
「……ッ!?」
ズブリ、という鈍い音が近くから聞こえる。同時に、コノハの顔が青ざめていく。
「コノハ……?」
「どう、して……な、んで、こんな……」
「何言ってるんだ!? どうしたんだよ……っ!!」
理由は明白だった。
コノハの腹部には円を描くように血痕が刻まれ、その中心には剣が突き刺さっていた。
ドクドクと流れ出た血は、それを握っていたアリウスの手へと伝わってきた。
「なっ!!? どうして、どうして俺が!?」
「信……じ、てた……の、にぃ……」
「違うんだ!! 俺じゃない、俺じゃないんだ! 信じてくれコノハ!!」
「アリウス……その人……?」
「は……?」
そこで初めて、アリウスは自身の足元を確認した。
顔が半分崩れ落ちた少女が、足にしがみついてニヤリと笑っていた。
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「〜〜〜っ!!!」
言葉になっていない叫びを発し、アリウスは飛び起きた。
「あっ、グゥ!!」
直後に右肩に激痛が走り、再びベッドに倒れ伏した。妙な息苦しさすら感じる。
記憶の糸を手繰り寄せていると、ガチャリと扉が開く音と共に光が差し込む。
「あっ、兄さん!!」
「あ? ジーク? 何で……ここは俺の部屋みたいだけど」
「兄さんが大変だって、コノハさんに呼ばれたんだよ……でも良かった、助かって」
「いや、危うく夢の中でも死にかけてたんだが……」
「え、えぇ? だったらまだ寝てたほうが良いよ。ゆっくりして……ンハァッ!?」
突如ジークが何かに吹き飛ばされてフェードアウトする。暗闇を駆け抜け、それはアリウスの顔を見つめてきた。
「アリウス!? アリウス!! 良かった……良かったよぉ……」
「コノハ? 何を血相変えて……ってイダダダダ!!」
コノハに抱き締められた瞬間、胸の内側がミシリとエゲツない音を立てたのだ。
だが聞こえていないのか、コノハは追い討ちのように頭を胸に打ち付け始めた。
「お母さんに連れてこられた時は血塗れで、もうダメかと思って、それで、それで……」
「イダイッ! やめ、グフッ!!」
「夜中もずっとうなされてて、ウゥ……」
最早アリウスの意識は再び失われていたのだが、コノハは気づくことなどなかった。
「に、兄さぁぁぁん!!」
「全くあんたは……」
「……分かってるよ、やりすぎたって」
コノハは鍋の中身をかき混ぜながら、反省したように縮こまる。レンブラントは呆れたようにそれを手伝う。
「でも無事で良かった……だって肩に穴が空いてたんだもん」
「あいつなら大丈夫だとは思ってたけど、流石に心配したねぇ」
レンブラントはアリウスが目覚めるまでの3日間を思い出すと、コノハの苦労を思い出して溜息を吐いた。
毎晩寝ずに、意識のないアリウスを介抱し続けた上に、優しく語りかけていたのだ。何故ここまで献身的に出来るのか疑問だったが、考えてみれば理由は容易だった。
レンブラントは密かにほくそ笑むと、コノハの頭をクシャクシャと撫で回した。
「んん……どうしたの?」
「いやぁ、あんたなら大丈夫だよ」
「だから、何が?」
「あいつの面倒見れるの、コノハしかいないって訳さ」
親指を立てるレンブラントを、コノハは意味が分からない様子で見ていた。
ゆっくりと扉を開ける。
まだアリウスは起きていないようで、微かに寝息が聞こえてくる。
コノハはベッドに近づくと、今度は怪我をしている部分に気をつけながら、アリウスの体を揺する。
「アリウス、ご飯だけでも食べましょう? 3日も食べてないと傷も治りませんよ」
「うん……? あぁ、コノハか」
アリウスは起き上がると、無事な左手だけで伸びをする。
「流石に腹減ったな。悪い、ありがとなコノハ」
アリウスは腹をさすると、コノハの持っている器を受け取ろうとした。
が、直前で引っ込められる。
「……うん? 何で引っ込めた?」
「右手がまだ動かないのにどうやって食べる気ですか? 言っておきますけど犬食いはダメです」
「そこは……」
「だ、だから、わた、私が食べさせます」
「ブッ!? お前何言って、ってイデデデ!」
顔を紅潮させるコノハに対して、アリウスはひっくり返りそうになった。その拍子に右肩に激痛が走ってしまう。
そんなアリウスをよそに、コノハはスプーンですくったポタージュをフウフウどう冷ましている。
そしてアリウスの口の前まで持って行き、必殺の一言。
「はい、あ、あ…………あ〜ん」
心に何かが刺さる音を、アリウスはしっかり聞いた。
仮にも年頃の娘に、いい年をした男が「あ〜ん」される、嬉しいのか悔しいのか分からないこの気持ち。
だがポタージュの食欲をそそる甘い香りと、口を突くスプーンの誘惑には勝てない。
アリウスが黙って口を開くと、その中にスープが注がれる。
野菜の甘みと微かな塩気は、久しぶりに働く胃に優しい味だった。
「美味いな」
「ひゃい、しょうですか!」
「お前がやっておいて何で照れるんだ!?」
だがコノハは止めようとしない。相変わらず丹念にスープを冷まし、アリウスの口まで持っていく。
その度に、いちいち「あ〜ん」をするのが、アリウスにとってある意味辛かったが。
ガタン
「ひえっ!?」
「アッツイ!!」
扉から響いた音に驚いたコノハは、アリウスの口の中に熱々のスプーンを突っ込んでしまう。
舌を痺れるような痛みが襲う。
「何してるのレンさん?」
「この馬鹿! 折角いい絵面だったのに!」
「ええぇ!? 僕のせいなんですか!?」
隙間から微かな光と、ジークとレンブラントの声が入り込んでくる。
「あいつら何やってんだ部屋の前で……お、おい、コノハ?」
「……フフフ」
コノハはおもむろに器をベッド横の棚に置くと、ゆらりと扉に近づいていく。
直後、隙間の話し声にコノハの怒号が混ざった。
「何してるんですか2人とも!!」
「いや違うんですよコノハさん! 僕は止めようとして……」
「いやぁ、ジークが気になるっていうから仕方なくねぇ」
「嘘つかないでくださいよレンさん!?」
「2人とも正直に話してください! じゃないと後悔することになりますよ!!」
アリウスはその言葉に心臓が跳ね上がった。自分に言ったわけではないのは知っている。だがこの一言はまるで自身を戒めるように響いたのだ。
或いはあの悪夢は、疲れ切った自身を警告していたのだろうか。
と、ガチャリと鍵がかけられる音に我に帰った。
「説教は終わったのか?」
「もうちょっとしたかったですけど、今は怪我人優先ですから」
笑いながらスープ皿を持ち、再びアリウスの横に腰掛ける。
スープを冷まそうと口を近づけると、コノハは残念そうな顔をする。
「あ……冷めちゃってますね。温め直してきま……」
「あぁっと、ちょっと待った!」
「んあっ!?」
アリウスは左手をベッドから伸ばし、袖を掴む。コノハはスープを落としそうになるが、慌てて持ち直す。
「ど、どうしました?」
「あ、いや……」
寸前で、アリウスは言葉に詰まってしまった。喉の入り口まで出かかった言葉は、寸前で戻ったのだった。
代わりに、こんな言葉が口をついて出た。
「少しの間でいい……そばにいてくれないか?」
「……はい」
コノハはスープ皿を置くと、再びベッドの横に座る。
だが更に、コノハはアリウスの頭を自らの胸に抱いたのだ。
「……はっ!? いや、そこまでしなくてもい……!」
アリウスが言ってもなお、コノハは離さない。むしろ抱く力を少し強めた。
甘い香りに、暖かく柔らかな感触。
その二つはアリウスから抵抗する力を吸い取ってしまった。直後、強烈な睡魔が襲い来る。
子供じゃないんだ、とアリウスは意識を保とうとする。しかし疲れ切った身体は言うことを聞かない。
やがて、深い眠りの世界へアリウスは旅立った。
「……」
コノハは自分の胸の中で寝息を立てるアリウスを見て、一人笑っていた。
まるで子供のようなその顔を見ていたコノハは、とある言葉を思い出す。
「ネフェルさんって、どんな人だったんですか、アリウス?」
アリウスが意識を失う直前に、自分に向けていった知らぬ名前。
その時の瞳の色を思い出すと、コノハの心がズキリと痛む。渇望するように、深く黒い色。
想い人を亡くしたような、深い虚無の色を。
続く
やべえよ……砂糖が出そう
というわけで28ページ目でした。何なんだよ……一体今回は怖い話なのか甘い話なのか、どっちかにしてくれよぉ。
というわけで、次はまた日常に戻るかと思います。
それでは皆さん、ありがとうございました!




