特別編 聖竜祭
いつものようにまた、朝日が窓から侵入する。
だが今日の朝は、いつもと少し違った。
「ふあぁあ……って、あれ?」
アリウスが下に降りると、今日は一段と部屋が騒がしかった。
ゴーレム達は木や飾りを持って部屋と外を行き来し、シャディも木の枝を咥えてその流れに加わっている。
そして、コノハは何かを薬鍋を一生懸命かき混ぜていた。
「……今日、何の日だっけ?」
アリウスは頭の中に確認を取るが、今日は何もない平日という情報以外出てこなかった。
「コノハ、これは……」
「えっと、ここでクグロドとシャークリザードの脂を入れて……あぁっと、ユーランオレンジの皮も入れなきゃ、えっとえっとーー」
コノハは呼びかけに応じない。スイッチが入るとドラグニティの超感覚も機能しないらしい。
アリウスは無言でコノハの背後に回り、
「質問に答えろ!」
「ムギュ!!」
その頬をキュッとつねった。過去にパン生地と称されたそれは、相変わらずモチモチだ。
「お、起ひてたんれすか、あ、アヒウヒュ!?」
「さぁ答えろ、何をしてるんだ」
「わはりまひた、わはりまひたから離ひて!」
アリウスが手を離すと、パン生地ほっぺは元の姿に戻る。そしてすぐさま、小さく膨らんだ。
「今日は聖竜祭なんですよ、だからその準備です」
「聖竜祭? 聞いた事ないな、何をするんだ?」
「ドラグニティだけに伝わる行事ですからね。簡単に言うと、その日は竜の神様にお祈りして、ワイバーンのお肉を食べて長寿を願う日なんですよ」
「へぇ……」
竜の神に祈りを捧げ、長寿を願う祭。
アリウスの故郷にも近しい行事があった事を思い出す。こちらは自然全てに感謝を捧げ、その日に獲れた獲物をみんなで食べるというものだった。
だが本来ヒューマンには行事自体が少ないため、レオズィールに来た時は困惑したものだった。
「なんか手伝うよ。何をすればいい?」
「え? いや、アリウスはしなくてもいいんですよ。だってこれドラグニティの……」
「まぁそう言うなって。俺も興味あるんだ、協力させてくれ」
「……」
コノハは少し考え込むような仕草をしていたが、やがて頷くとアリウスに向き直る。
「それじゃあアリウス、聖竜祭にとって一番大事な大仕事があるんです。付き合ってください」
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いつもの森の中、しかし今日はいつもとは違う道を進んでいく。
今までに見たなだらかな苔道ではなく、木の根が這う険しい道のりだった。アリウスも途中で何度も転びかけていた。
「っと、あぶね。また木の根か。コノハ、この辺気をつけーー」
「うわぁっ!!」
と言ったのも束の間、コノハは一際大きな木の根に躓いて転んだ。付いて来ていたシャディと隊長ゴーレムがすぐさま駆け寄る。
「あはは、大丈夫ですよ」
「ピガァ……?」
「フゴ……?」
「ほ、本当です!」
今のは言葉が分からないアリウスでも伝わった。本当に大丈夫なのか、心配でたまらない様子だ。
「俺が背負っていくか?」
「えっ!? な、何てこと言ってるんですか! 私そんなに子供じゃないです!」
「いやいや、リュックの方」
と、アリウスはコノハが背負うリュックを指さす。本来アリウスが持っているのだが、空っぽならば持てるとコノハが自ら背負ってきたのだ。
しかしコノハの身長ではリュックを背負うのに若干足りなかったようで、動き辛そうだったのだ。
「あ、そっちですか、そうですか。いいですよ別に、大丈夫ですもん」
「何で不貞腐れてるんだよ。」
「不貞腐れてません」
コノハは口を尖らせると、そっぽを向いて木の根に座り込んでしまった。
さて困ったとアリウスが眉をひそめたその時。
ギギギギギギギギィ!!!
金属をすり合わせるような甲高い鳴き声が森に轟いた。
「今のは!?」
アリウスが声に反応するのと同時に、コノハが前に飛び出した。
「いましたアリウス! あっちに行けば……!!」
「待てコノハ! お前今走ったらーー」
「ふあう!!」
案の定、木の根に足が絡まり、派手に転倒した。
「あれか」
少し小高い位置から、目標を確認する。
虫の大顎のように曲線を描く角、刀剣のように伸びる鉤爪、薄い翼膜が張られた翼、逆立った鱗と甲殻が生えた体。
「……ワイバーンとは少し違うな」
「分かるんですか?」
「なんとなくな」
雰囲気や身体の各部から、アリウスはそれを感じ取っていた。
「あのワイバーン、ジェルフィールは最もドラゴンに近いワイバーンなんです。寿命もワイバーンより遥かに永く、知能も高いんです」
「なるほど、だから聖竜祭のご馳走になるわけか」
竜の力は人知を遥かに超えている。
だからこそジェルフィールを竜に見立て、その力にあやかるのだろうか。
ジークに教えたら、鼻血を吹きそうなワイバーン。思わず想像してしまったアリウスは吹き出しそうになる。
だがコノハの方を見ると、表情は真剣そのものだった。
「やっぱり、やめた方がいいかな……」
「いや、何で……」
と聞きかけて、アリウスは気づいた。
ジェルフィールは確かにワイバーンの中では小型。だがワイバーンであることに変わりはない。
下手をすれば、命に関わる。
いくら鈍感なアリウスも、それを察することくらいは出来た。
「心配するな。無茶だけはしない」
「本当……ですか?」
「あぁ」
「……約束は守ってください」
コノハが安心したように微笑むのを見ると、アリウスは丘から飛び降りる。
「グギィ……」
ジェルフィールは着地音を聞きつけ、アリウスの方へゆっくり向き直る。
「よぉ……」
「グギィグィィ……!!」
目を見た瞬間、ジェルフィールは唸り声をあげて尻尾を打ち鳴らす。アリウスも背中の剣をゆっくり抜き、肩の力を落として構える。
狩るのか狩られるのか、その行く末は誰にも分からない。
「ギギギギィッッ!!」
先に仕掛けたのはジェルフィール。長剣のような爪を振りかざし、アリウスを引き裂こうと迫る。アリウスは打ち合おうとはせず、身を翻して躱す。
ジェルフィールは乱舞のように爪を振り回すが、それら全てを躱し、時に鞘で受け流す。
はたから見ればアリウスの防戦一方だ。
「……っ!」
コノハは重ねた両手を握りしめる。どうか無事であるように。それしか願うことが出来ない自分に歯痒さを感じる。
「っと」
アリウスの頬を必殺の一閃が掠める。
戦いに意識は向きつつも、心の中では全く別のことを考えていた。
(俺が行かなかったら、あいつどうしてたんだろうな……)
だがコノハならば、無茶をしてでもやろうとしたに違いない。
目が離せない、困ったお転婆娘だ。
「ギィィィッッ!!」
「よっと!」
不意を突き、角で突いてきたジェルフィールを鞘で受け止める。しかしワイバーンの凄まじい力に、アリウスは徐々に押し返される。
「オラァッ!!」
しかしアリウスは鞘を横に薙ぎ、角を片方へし折った。
でも何故だろうか、コノハが笑うのが嬉しくて。
「ギシャッ!!」
ジェルフィールは怯まずに尻尾でアリウスを殴りつけようとする。
しかしその一撃はアリウスの一閃により断ち切られる。
だから助けたくなる、叶えたくなる。
激痛に揺らぎ、天を仰いだジェルフィール目掛けて、アリウスは剣を構える。
そして音を裂く速さで、剣をジェルフィールの首に突き立てた。
筋肉を切り、骨を砕く音だけが響き、その命は果てた。顔はどこか苦痛を感じさせない、安らかなものだった。
「アリウスッ!!」
「ピキュゥ!!」
「フゴフゴォ!」
丘を下り、駆け寄ってくる三人を見て、アリウスは顔が綻ぶ。
それが今の、自分の願いなんだと。
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乾いた空気が、星空をより鮮明に輝かせる。
今アリウス達の目の前では、炎が空へ伸びていた。。
「準備、出来ましたね」
コノハの横に、人一人分の大きさの箱が置かれている。その中には様々な香草や木の実、調味料が敷き詰められている。
「アリウス、ジェルフィールをこの中にお願いします」
神妙な面持ちでコノハが告げる。アリウスは黙って頷き、先ほど屠ったジェルフィールをその中へ納める。
血抜きはおろか、鱗や甲殻すら取り除かず、そのままの姿。
しかしアリウスはその理由を聞こうとはしなかった。直感的に、その意図を察したためだ。
「蓋を閉じて、火の中に入れて下さい」
ゴーレム達が箱を持ち、とうとう燃え盛る炎の中へ入れられた。
すると炎は力を得たように燃え上がり、天を焦がさんばかりに背を伸ばす。
「後は少し待つんですけど……」
「どうした?」
コノハは先ほどの表情から一転、もじもじとした様子になる。
「その間、唄を歌うのが普通なんですけど……なんか恥ずかしくて」
「恥ずかしくなんかないだろ。俺は聞きたい」
「ピキュ!」
シャディもアリウスの言葉に賛同するように鳴く。コノハは困ったような顔をしていたが、やがて小さな声で歌い出した。
果てのない道の半ば
丘の上に君をみる
悲しく輝く瞳の中に
私と同じ色をみる
アリウスは足元に生えた長い草を千切ると口に当てる。
メロディーが加わった竜魂歌が夜空に響く。
命が芽吹くこの丘で
竜の息吹が地に融ける
私の穢れしこの心
君なら癒してくれるのか
ゴーレム達は俯いたまま聴き入る。シャディはコノハのことをジッと見つめているものの、その眼は蕩けかかっている。
私は君と語り合う
時を忘れて語り合う
種と生きし時は違えども
私と君は同じもの
時は過ぎ行くこの丘で
旅の果てに見つけたのは
もう一つの帰る場所
愛してしまった竜の眼
「……」
だがここで、コノハは唄を止めてしまった。アリウスの草笛もつられるように止まる。
「どうした?」
「……三番は歌いたくありません」
コノハの目の端には涙の粒が溜まっていた。
竜魂歌の最後の歌詞、少女と竜の最期を綴ったもの。
「まだアリウス達とは別れないんですから、歌わなくてもいいです。だから、だから……」
「コノハ」
今にも泣き出しそうなコノハの肩を叩き、アリウスは火の方を指差す。
炎は既に消え、崩れてしまった木箱。
その中から、鱗や甲殻が落ち、狐色となったジェルフィールの香草焼きが出来ていた。
「三番を歌う前に完成したな」
「……っ」
彼女は涙を拭うと、アリウスを見上げる。
そして、
「アリウス、これからも末長くよろしくお願いします」
「こっちこそ」
「……ピィ?」
眠りかけていたシャディの鼻先に、冷たい結晶が舞い降りた。
ユーラン・イルミラージュに、冬が訪れようとしている。




