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27ページ目 逃げられない業

 

 ピクッ、とコノハの鼻が何かを察知して動く。それに気づいたウィスが何事かと首をかしげた。

「コノハ、どうしたの?」

「……お母さん」

 いつになく真剣な顔をしたコノハは、ウィスのことを見つめる。


「お母さんの作ったスープ、美味しそう!」


 焚き火の真ん中でグツグツと煮立つ飴色のスープが天に向かって白い息を吐いていた。スープからはニンジンや肉が覗いている。

「そりゃそうよ、だってお母さんだもの」

 腰に手を当てて踏ん反り返るウィス。コノハはスープを軽く味見し、身体を震わせていた。


「……昔はあんなんじゃなかったがな」

 懐かしむようにマグラスはそれを見つめていた。

「そうなのか?」

「昔はスープが焦げ付いていて、何故か野菜や肉は半生だった。俺が食えなさそうにすると、それは悲しそうな顔をしてな……」

「で、上手くなるまではその半生スープを頑張って飲んでたと?」

「寿命が縮んだかと思ったな、あの時は」

 アリウスがマグラスの苦労話に耳を傾けていると、目の前の焚き火から香ばしい香りが二人の鼻の前を通り抜ける。


 畑を整理した際に駆除したハシリウオだ。


「こっちもそろそろいいか?」

「次は焚き火から外してスパイスをふりかけろ。そうしたら炙って完成だ」

 アリウスはマグラスの指示通り串を焚き火から外し、コノハから預かった金色のスパイスをかける。材料にクグロドの実が入っているのを聞いた時は嫌な思い出が頭を過ぎったが、振りかけたハシリウオを焚き火に晒すと、爽やかな香りへと早変わりした。

「あら? クグロドの実ってメチャクチャ生臭くなかったか?」

「それは生で食うからだ。クグロドの実は調合次第で様々な味を伸ばすんだ。……というかお前、生のクグロドの実を食ったのか?」

 如何にも馬鹿にしたような表情でアリウスを見る。アリウスは味を思い出したように口元を押さえながらマグラスを睨む。

「あんたの娘に騙されたもんでな」


 するとアリウスの足元でグッスリと寝ていたシャディが起き上がり、周りをスンスンと嗅ぎ回る。

 どうしたのかとアリウスが尋ねようとした時、シャディはウィスの元へ駆けていき、スカートの裾をクイクイと引っ張る。

「ん? どうしたのシャディちゃん?」

「……ピゥッ!?」

 しかしウィスが振り向いた瞬間、シャディは驚いて飛び跳ねた。そしてしばらく目をパチクリさせた後、今度はコノハのスカートの裾を引っ張り始めた。

「もしかして……」

「私とお母さん、間違えたの?」

 シャディは恥ずかしそうに小さくなり、そそくさとアリウスの足元へと逃げ込む。


 4人の間にドッと笑いが起きた。


「可愛いね、シャディちゃんは」

 ウィスは優しく両手を広げ、迎え入れる姿勢を取る。シャディは様子を伺うようにチラリと顔を出していたが、やがてトタトタと駆け寄っていき、ウィスの胸に頬ズリする。

「アリウス君とコノハはシャディちゃんを大事にしなきゃダメだよ?」

「? どういうこと……で、すか?」

「雛だとしてもゼオ・ライジアがここまで心を開くなんて滅多にないんだよ。彼らは誇り高いからね」

「そんな様子ないけどなぁ……」

「今はね」

「それって……」

「いつか、シャディちゃんが巣立つ日が来るかもね」

 それを聞いた2人の顔が曇り始める。


 いつかシャディと別れる日が来る。

 実感が湧かない言葉の響きだった。


「ピガァ!!」

「おっと!?」

 突如シャディがウィスの手の甲にかぶりついた。甘噛みだったようだが、予想だにしない反撃にウィスは飛び上がった。

「し、シャディ!? ダメでしょ噛んだら!!」

「ピフ!!」

「ううん、良いのよコノハ。今のは私が悪かったわ」

「え、え?」

 コノハが首を傾げていると、マグラスが呆れたように息を吐いた。

「まだそいつは子供なんだ。あまりそんな話をするなよ、ウィス」

「えぇ、今のは軽率だった。ごめんねシャディちゃん」

「ピキュウ」

 いいよ、と言わんばかりにシャディは再び丸くなった。

 かなり甘えん坊というか、本当に巣立つ日が来るのかと、アリウスは不安な気持ちを拭えずにいた。


 本当にこのままでいいのだろうか。

 シャディも、自分も。




「ふぅ、ご馳走様でした」

「ピブフッ!」

 星が煌めく空の下での食事会が幕を閉じた。風は太陽が消えたことを良いことに、さらに冷たくなって来ていた。

「ありがとうコノハ、今日は楽しかったよ」

「私も。今日はありがとうね」

 親子で軽い抱擁を交わす。まるで鏡合わせのように見え、アリウスは笑みをこぼした。

「さて、しばらく親子だけにしようぜ、シャディ」

「ピブフ」

 アリウスは食べ過ぎて体が丸みを帯びたシャディを抱き上げ、家の中へと引っ込もうとした。


 その時、


 ヒュオオオオオオンン


 風に溶け込むような美しい咆哮が聞こえた。

「い、今のは……!?」

 コノハは肩を震わせ、声がした方向へ目をやる。

 近くの森の中からだった。

「お父さん、今のは!?」

「ワイバーンか。だが今の声、何処かで……」


 直後、森の方へと走っていく影が見えた。

「アリウス!? お母さん!?」

「おい待て! 何があるか……全く、あいつらは!」





 道無き道を進み続ける。

 葉を失った枝が身を切るが、そんなことを気にせず森を走り抜ける。

 ただのワイバーンの咆哮ならいい。だがアリウスの直感が只事ではないことを告げていた。

「アリウス君、よく気づいたね」

「それより方向は!?」

「こっちでいいよ!」

 アリウスの口調は、敬語を忘れる程に焦っていた。

 嫌な予感が体中を駆け巡っていた。



「アリウス君!!」

「っ!?」

 ウィスの警告と同時に、アリウスは背中の剣を抜き払う。

 手に重い衝撃が走ると同時に、地面に何かが突き刺さる鈍い音。それが銀色の大槍だと気づいたのは、アリウスの剣が放つ淡い光を反射したためだ。

「誰だ!? 姿を見せろ!!」

 アリウスが叫びをあげると、木々が怯えるように震えた。それに紛れて、突き刺さった槍の方角から足音が鳴る。


「あれを躱すとは」

 鎧が擦れ合う重苦しい音。槍が引き抜かれると、剣の光が声の主を照らした。

 銀色の鎧に、血管のように金のラインが走っている。竜頭をかたどった兜のせいで、何の感情も感じられないのが不気味だった。

「あんた、誰だ?」

「名乗る必要がない」

「礼儀知らずな奴だな」

「非礼さで言えば貴様らヒューマンに並ぶ種族などいない」

 放たれる威圧感をアリウスは肌で感じ取っていた。

 何者なのかは分からないが、少なくともヒューマンではない。今の言葉からそれだけは分かった。


 そして、決して友好的でないことも。


「何をしに来たんだ、この森に」

「答える義理は無い」

「ってことは褒められたことじゃないってことだな」

 相変わらず騎士は答えない。その代わりに、更に重い足音が騎士の背後から迫って来た。


 月明かりを反射する、その蒼い翼が天を仰ぐ。アリウスはこんな状況だというのに、あまりの美しさに魅入ってしまった。

「このワイバーン、もしかして……」

「リンドブルム、でしょう?」

 ずっと黙っていたウィスが初めて話し始めた。目つきは今までの明るいものではなく、睨みの効いた恐ろしいものへと変わっている。

 よく見ると、その瞳孔は竜のそれへとなっていた。


「こんばんは、竜騎士さん。こんなところまでご苦労様」


 その言葉を聞いた瞬間、アリウスは全ての記憶のピースが一致した。

 蒼い飛龍に跨る、銀の鎧の騎士。

 あの日、ドラゴンズ・シンの時の、

「あの時の竜騎士だな!!」

「あの時……? そうか貴様は……」

 竜騎士は静かに槍を引き、アリウスを真っ直ぐに見据える。

「ドラゴン狩りの残党。ならばここで始末せねば」

「待ちなさい! 彼はーー」

 ウィスが制止しようとする。しかし、アリウスは静かに彼女の肩に手を置き、後ろに下がらせる。


 ただ力を抜くように剣の構えをとった。


「何の釈明もしないのだな」

「俺は殺していないからな」

「その剣から感じられるものは竜達の怨嗟、憤怒、悲哀……貴様の得物が動かぬ証拠だ」

「……俺は殺していない」

「まだ否定するか。罪からは逃れることは出来ないというのにーー」


 竜騎士が言い終わる前に、アリウスは剣を振り下ろしていた。

 力任せの獰猛な一撃が、流麗な槍の穂先とぶつかり合った。

「お前に何が分かるんだよ……俺の同僚を殺し尽くしたお前に!!」

「ヒューマンでありながらこの力は……なるほど」

 竜騎士は独り合点したように呟く。そして凄まじい力で槍を振るい、剣を地に沿わせる。ねじ切られそうな腕の痛みにアリウスの顔が歪む。

「グッ……!!」

「若き者よ、金輪際その剣を振るうな」

「訳わかんねぇこと……言うな!!」

 剣が槍を弾き返した。しかし竜騎士は体勢を崩すことはなく、今一度突き出された剣を槍で受け止める。


「何でなんだよ!? 何で皆殺しにする必要があった!? あの時既に戦意がない奴らだっていたんだ、なのに……!!」

「ドラゴンを手にかけようと集った連中であったことに違いない。芽は摘まねば、いずれ花が咲く」

「それでもそんなこと……!」

 アリウスは一度後方へ跳躍。背後の大木を足場に再度竜騎士との距離を詰め、その左肩に剣を突き出した。

 しかし竜騎士は体を捻ってその一撃を回避。渾身の突きは木の幹に止められた。

 隙を逃さず、槍が襲いくる。

「グゥ……ラァッ!!」

 アリウスは剣を無理矢理薙ぎ払い、木を切断。振り切った剣は、三度槍とぶつかり合う。


 竜騎士はまるで哀れむようにアリウスに語りかけた。

「貴様、呪われている」

「何……!?」

 瞬間、胸部に衝撃が走る。竜騎士の蹴りがアリウスを吹き飛ばしたのだ。


 油断した、と思った時には遅かった。


 空を裂いた槍の刺突が、右肩を貫いた。

 木に張り付けられるように叩きつけられ、アリウスは喀血する。右肩はそれを上回るほどの出血。

「アリウス君!! もうやめなさい、彼は貴方たちと戦う意味なんてないのよ!」

 ウィスが2人の間に割って入り、竜騎士に立ち塞がる。だが竜騎士は怯むことなくウィスに近づいてくる。

「その若者は呪われている自覚すらない。若者に対する恨みでないのが気になるが、このままでは破滅しか待っていない」

「それは!!」

「おい……竜騎士さんよ……俺を殺すんじゃなかったのか……?」

 アリウスは槍を乱暴に引き抜くと、溢れ出る鮮血が枯れた葉を潤す。そして槍を竜騎士の方へと投げ捨てた。

 竜騎士はその様子を黙って見ていたが、やがて構えを解き、2人に背を向けた。

「殺す気が失せた。貴様の背負った業は重い。一生かけて償えるか分からないが……」

 アリウスに向かって、何かを放り投げる。


 それは、血に塗れた剣だった。


「こいつらのように、死ななければ償えない程ではないだろうな」

 そう告げた後、竜騎士はリンドブルムと共に森の中へ姿を消した。



「ハ、ハハ……あぁ、なんかようやく分かった気がする」

 痛みで視界が揺らぐ中、アリウスはポロポロと涙を流しながら笑っていた。

 剣から発せられる淡い光が、共鳴するように溢れ始める。

「竜騎士は……俺がガキの頃に夢見てたような奴じゃなかったんだな」


 勇ましく竜を駆り、戦いを止めた勇者。幼き日に見た本の思い出。

 現実は竜だけの安寧を守り、そのためならば人間にも鉄槌を下す、非情な救世主。


「やっぱり、俺は……」


 カサカサと葉が踏み締められる音が鳴る。誰かの声が聞こえたが、その正体は分からなかった。

 声が、歪む。

 フラつき、倒れこむ寸前、誰かが受け止めるのが分かった。

 ぼやけてよく聞こえないが、しきりに自分の名を呼んでいる。


 その身体に縋り付く。

 見上げるとそこには、涙を流すあの少女がいた。


「ネフェル……俺が……竜奏士になれば、お前の、あいつの……夢……」

 遂にアリウスの意識は、深い闇の中へと沈んでいった。



「アリウス……!? アリウス! いやぁ……アリウスーーー!!!」


 夜の深い森の中、コノハの悲鳴が響き渡った。



 続く


ーー アリウス、悪クナイ ーー


ーードウシテ、アリウスヲ? ーー


ーー 何モシテ、クレナカッタ癖ニ ーー


ーー 竜騎士モ、許サナイ ーー

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