25ページ目 夏の残香と秋の風
最近、風が冷たく感じる日が増えてきた。
まだ木に付いた葉は緑を残しているものの、薄っすらと紅く色づき始めている。夏に咲き乱れていた花々は徐々に凛と伸ばした背を曲げ始めている。
そして、ハシリウオ達の動きが夏に比べて鈍くなっている。
「もうそんな季節か……」
アリウスは遠い目で畑を闊歩するハシリウオを見ていた。コノハが見たら卒倒しそうだが……。
「ピガァァウ……ピガァァウゥ……」
海に面した崖の方で、シャディが悲壮感に満ちた声を出している。
というのも、数日前からコノハは家を留守にしているのだ。詳しい理由は教えてもらえず、たった一言だけ、
「ごめんなさい、用事が出来ちゃったので、しばらくお留守番お願いします」
用事があるのは仕方ないのだが、生活が何かと不便に感じてしまう。
この畑仕事が終わっても、あの温かいご飯は待っていない。
「シャディも悪いな、毎回俺の料理じゃきついよな」
「ピガァァァウ!!」
コノハのご飯が恋しくなるのも無理はない。アリウスの料理はまだ練習の最中で、味はそれほど良くないのだから。
だがそれ以上に、シャディはコノハの愛情に飢えているようにアリウスは思えた。
「確かにちょっと物足りない気はするけどな。……さて、仕事だ仕事!」
アリウスは自分の頬を弾くと、畑の畝へと向き直る。
茎や葉が茶色くなり始めているニードルキュウリとクモオクラの隣には、新たなる畑が完成されていた。その畝からは、鮮やかな緑色の蔓が伸び始めている。
「よし、ドラゴンパンプキンは順調だな。これなら冬の入りには間に合うか」
ドラゴンパンプキンはコノハが用意していた種の一つで、夏の中盤辺りに蒔いておいたものである。旬の秋には間に合わないだろうが、冬でも元気に育つ逞しい作物だ。心配はいらないだろう。
主にドラグニティしか栽培を行っていないらしく、市場には滅多に出回らない。
「どんな奴なんだろうな?」
「ピガフ?」
農業に関しては全くの素人であるアリウスは、名前からどんな野菜なのか想像がつかなかった。これを植えたとき、コノハがニヤニヤしていたのも気がかりである。
「そのうち分かるか。後は……っと」
アリウスは立ち上がり、他の畝を見渡す。
「火吹きネギ、ブルキャロット、ミルクポテト……うわ、気づかないうちに広くなったな」
最初の頃は何も育っていない平地だった場所に、今は様々な命が育まれている。
まだまだ農場と呼ぶには程遠いが、確実に歩を進めている。
「よし、見回りは終わりだ。シャディ、一旦帰るぞ」
「……ピグ」
帰ろうとしないシャディを見たアリウスは、困った様に笑うと畑を後にした。
「恋しいのは分かるけどさ。あれじゃちょっとな、コノハ」
と、そこまで言って気がついた。隣にいつもいる赤い髪の少女の姿がないことに。
「……あー、俺もまずいかな、こりゃ」
こんなことがしばらく続くのを予感し、アリウスは頭を抱えた。
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ガチャ、という音が7日ぶりの来客の到来を告げる。それを真っ先に聞きつけたシャディは一気に飛び出す。
廊下を走り抜け、掃除をしていたゴーレムを跳ね飛ばし、玄関へ向かう。
ドアの隙間から、深紅の髪が覗いた。
「ピガァァァ!!」
「え、ひゃあ!?」
勢いよく飛び掛かられたコノハは、シャディを抱きとめた衝撃で後ろへ倒れ込んだ。
「ピガァァ! ピガァァ!」
「ま、待って待って、ふぇぇ」
顔やら胸やらに顔を擦り付けるシャディを何とか抑えようとするが、コノハの力では全く止まらない。
するとシャディの身体がふわりと持ち上がる。後ろからアリウスがシャディを抱き上げていた。
「シャディ、少し落ち着け」
「グゥゥゥ……」
シャディは不満げな声を漏らす。
帰って来たばかりのコノハの髪や服は、シャディのおかげでクシャクシャになっている。
「おかえり、コノハ」
「た、ただいまです……」
疲れ切った声が小さな口から搾り出された。
「……実家に帰ってた?」
「はい、私も突然の事だったので詳しく話せませんでした。ごめんなさい」
コノハはそう謝ると、湯気が立つハーブティーを口にする。マンドレイクの葉を使っているため、疲労回復に良いらしい。
「コノハの実家って、ここから近いのか?」
「いや、ここから東に丸2日くらいですね。お父さんの背中に乗って」
「2日間飛べるお前の親父も凄いな」
アリウスが違う点に驚くと、コノハは苦笑いを浮かべた。
「でも実家で何かあったのか?」
「アリウスに会いたいらしいんですよ」
「……俺に、誰が?」
「それが……えっと……ウムゥ……」
コノハの瞼はまるでお守りをぶら下げられている様に閉じられようとしている。それでも何とか意識を保とうとしているが、やがて、
「私の……スゥー……」
とうとうテーブルに突っ伏した。静かな寝息が聞こえる。
「ま、疲れてたから仕方ないよな」
アリウスはコノハを椅子から降ろすと、背中に背負った。身体はとても軽く、ふんわりとした感触を感じる。
そまままコノハのベッドまで行こうとして、アリウスはとある事実に気づいた。
「あ、ハシゴ登れないじゃん……」
自分のベッドにコノハを寝かせると、毛布を身体に掛ける。
ハシゴを登れないことに気づいた時にはどうなるかと思ったが、これで万事解決だ。もしかしたら嫌がられるかもしれないが、ソファで寝かせて身体を痛めてもいけない。
「でも嫌がられたら傷つくな……きっと」
アリウスは20。コノハは実年齢こそ上だが、精神年齢はおそらく15歳くらい。
そもそも一つ屋根の下に住んでる事が本来まずいのだが。
「……今更か」
悩んでいる事がバカらしくなり、気晴らしに外に出る。
すっかり秋が来ていた。
「久しぶりに吹いてみるか」
アリウスは足元から若草を摘み、口にあてがう。すると間を置かず、草笛の音が風に乗る。
奏でている曲は竜魂歌。
頬を撫でる風の冷たさが、その音色を切ないものにしていた。
その時、風に乗って何かが聞こえて来る。
「果てのない道の半ば 丘の上に君をみる 悲しく輝く瞳の中に 私と同じ色をみる」
アリウスは驚き、その方向を見ようとした。だが何故か草笛を吹くことを止められない。
こんなに綺麗な歌を、途切れさせたくない。
「命が芽吹くこの丘で 竜の息吹が地に融ける 私の穢れしこの心 君なら癒してくれるのか」
消え入る様に、歌声と草笛の音が止んだ。
そうなって初めてアリウスは、歌声の主の姿を見た。
「あんた……!?」
似ている。深紅の髪、翠色の瞳、小柄な身体。
そしてその笑顔が、あまりにコノハに似ていた。
「ふふ、とても綺麗な草笛ね。つい歌っちゃった」
「いや、あの、誰だ、あんた?」
「あれ、分からない? 意外と似てるから気づくかなと思ったんだけど……ま、いっか」
気さくに振る舞うその女性は、長い髪をサッと掻き揚げると、アリウスに微笑みかけた。
「コノハの母、ウィス・レミティです。よろしくね、コノハのボーイフレンド君」
「あ〜、お母さん、ね……」
アリウスは放心した様にただ、一言発するのがやっとだった。驚くことさえしない。
またしても波乱が起こることを、早々に予感したのだ。
続く
カボチャを今育てるとは……たまげたなぁ。
というわけで25ページ目でした。突然の新キャラから始まりましたが、とうとう様々な種族も登場します。お楽しみに。
それでは皆さん、ありがとうございました!




