168ページ目 禍々しい生命
城としての姿は完全に失せ、しかし竜とも呼べぬ異形の姿となっていた。
腕や足は幹の様に絡み合い、翼は枝の様に突き出す。そこから垂れ下がる牙を剥いた頭は邪悪な果実を連想させる。
やがて竜の頭の一つが翼から離れ、地に堕ちる。頭を核に、手脚、翼、翼膜、尾が生長。民家程の体躯を誇る竜が誕生した。
「石や金属すら生命の源へ変える。ディーヴァエノス……器さえ相応ならば神に成り得ただろう」
だが元のディーヴァエノスの傲慢さを鑑みれば、自らの眷属を殖やす事など嫌悪していたに違いない。その発想に至らなかった、という説は、笑えもしない冗句にしかならないとグラウブは苦笑する。
「世界を敵にするならば、これでも足りないくらいだが」
次々と竜の頭が堕ち、瞬く間に邪竜の群れが形成されていく。小さなものは人間と同等、巨大なものは山と見紛う程。中には翼を持たず四つ脚で血を這うもの。あるいは四肢が全て翼となり巨大な嘴を持つもの。剣、槍、斧、槌を備えた尾を持つもの。
造られた生命達は動く事なくその場で沈黙を貫く。理由は至極単純。創造主から何も命じられていないから。
(数が揃い次第仕掛けても良いが……出方を伺ってみよう。まだこれが育ち切るまでに時間が要る)
グラウブの足元、かつてレオズィール城だった肉の塊。心臓の如く脈動するそれは、未だ真の姿へと至っていない。
彼の視線の先には、人が消えた城下町が映っていた。
(血肉でなければ生長は滞る……だが、貴女はこれを見過ごす事は出来ない筈だ)
徐に肉塊へ手を突き入れる。赤黒い半流体の液を撒き散らしながら出でたのは、グラウブの身を優に超える巨大な弓。
王の六器 ── ギアガノールの大弓。まだレオズィールが小さな国だった時代、未来の繁栄を祈って造られた祭事用の弓だった。
ギアガノールの大弓の転機は、レオズィールが領地を拡大し始めた時代に訪れた。
多くの戦果を上げたある弓兵へ当時の王女が贈ったもの。彼の手に渡る時、祈りの弓は命を射抜く弓へ姿を変えていた。
悠久の時を生きた大樹で弓幹、それを死した巨竜の骨で覆い、精錬された金属で刃を備える。生まれた時に与えられた未来の繁栄を、敵から奪う存在となったのだ。
ある弓兵 ── 後のベズアグル当主へ託されたギアガノールの大弓は、血が受け継がれていく度に持ち主を移り変わり、時代を見つめてきた。
そして今、最後の役目として世界へ牙を剥く。
禍々しい肉が絡みついた醜い姿となったギアガノールの大弓へ、グラウブは矢を番える。矢には以前スフィピルへ放ったものよりも巨大な肉の苗が植え付けられていた。
「さて、まずは肩慣らしといこう」
狙いを定めた街の名を、グラウブは宣告する。
「ラットライエル、記念すべき最初の贄へ……贈り物だ」
赤黒い軌跡を描き、災厄の矢が放たれた。
「避難命令……?」
店を訪れた騎士達に気怠げな視線を向けていたレンブラントだったが、いつもと異なる様子に違和感を感じていた。
「少し前にレオズィール城が崩壊した話は?」
「聞いてはいるよ。正直、信じられなかったけどね。結局それは内乱が原因なのかい?」
「いや、違うらしい」
騎士はレンブラントへ1枚の紙を差し出した。内容に目を通していく内に、レンブラントは怪訝な表情へ変わっていく。
「巨竜の出現により、レオズィール近辺の街に居住する者達は速やかに……向こうで一体何が」
「私達も詳細は知らない。その場に居合わせた訳ではないからな。だがレオズィールから来た騎士達によれば、事は急を要すると」
「あんたが俺達の話を聞いてくれた事なんか一度も無かったが、今回ばかりは従ってもらうぞ。見殺しにするわけにはいかない」
「……私もそこまで馬鹿じゃないよ」
店の裏から物音がしたかと思うと、荷物を抱えたジークが現れる。
「レンさん、とりあえず必要な物は持ったよ。残りはニドの背中に乗せておいた」
「ま、そういう訳さ。私達ももう出るから、あんたらは別の奴等を手伝ってやんな」
「そうか。避難場所のあてがないならもうすぐ護送部隊が出る筈だ。それについていけば ──」
地を裂く轟音が突如、騎士の言葉を遮った。
「っ!? なんだ今の音は!?」
騎士達が外へ飛び出す。レンブラントとジークも急いで後を追い、音がした方向へ目をやった。
「……なんだい、あれ」
街の外れにあるレンブラントの店から見える程に巨大な樹が、ラットライエルの中心に聳え立っていた。つい数刻前までは存在していなかった筈の、異形の樹が。
無数の邪竜を果実の様に垂らして。
「黒い樹……!?」
ヘリオスの元に上がった報告。それは各地に謎の黒い大樹が現れた事だった。
「樹に生えた竜が動く気配はまだありません。出現した場所では既に部隊を整えているとのことですが……」
「……こちらの人員と装備を一部、黒い樹の出現地に送りましょう」
ヘリオスが目配せをすると、側にいたサリーはすぐさま地図へ筆を走らせる。人の手とは思えないほどの速度で輸送路を書き記していき、
「この路で行けば、対城兵器も短時間で送れる筈」
「ありがとう。後はお願いします」
「了解」
騎士達がそれぞれ救援に向かう姿を見送り、ヘリオスもまた歩き出す。
「サリー、レオズィール城への進行路を」
「分かった。あんな怪物を攻略できる様な路、私に作れるか自信無いけれど」
「あなたが書いた路なら大丈夫です」
「……了解」
踵を返したサリーと入れ替わる様に、ヘリオスの側にノーティエが着く。
「進軍は」
「進行路が出来次第。私達の準備は出来ています。後はアリウス達の準備が出来れば……」
「青年、彼女を竜の庭へ」
竜騎士はコノハへ神剣を渡した。息づく様に微かな光を溢す刃を見つめ、コノハは受け取る。
「儀式が始まればディーヴァエノスも勘付くだろう。他の巫女は竜が護るが、彼女の身は……」
「あぁ、俺が必ず護る」
「……」
コノハは何かを言おうとして呑み込んだ。きっとアリウスには、自分を守る事よりもやらなければならない事がある。そう感じたのだ。だがそれを上手く言葉に出来なかった。
「アリウス様、お嬢様の御身は私にお任せ下さい」
その時、そんなコノハの想いを代弁する影が現れる。
「クルムちゃん……!」
「どうしてここに」
「送迎に参りました。お嬢様と、この方の」
飛竜から降りた人物を見たアリウスは、大きく溜息を吐いた。
「向こうで相当我儘言ったな、さては」
「こんな私でも、やれることはありますから」
イデアはアリウスとコノハ、そしてクルムへ一礼すると、騎士団の駐留場所へ走って行く。
「アリウス様、愛する方が心配なのは私も理解しています。ですが貴方にはやるべき事があるでしょう。お嬢様に心配をかけてまで身体を治した理由、お忘れで? ……と、お嬢様が言いたそうにしております」
「……」
アリウスはコノハを見つめる。先程、彼女が何を言いかけていたのか理解した為だ。目が合うと、照れた様に外されてしまった。
「……分かった。コノハを頼んだ、クルム」
「かしこまりました、ご主人様」
続く