10ページ目 生命の価値観
どうすればいい?
アリウスの頭の中は真っ白に近かった。温泉を満喫していたら、ドラゴンがいた。
なんて事態を想定しているはずが無い。
そのドラゴンの頭には頭部に無数の角が生えており、口には岩石のようにゴツゴツした牙が並んでいる。丸太のように太い脚に、背中を覆う岩盤の様な甲羅。こうしてみると、亀に近い。
どうしたものかと考えていたが、アリウスはある事に気づいた。途端に落ち着きを取り戻す。
その様子を見たドラゴンが尋ねる。
「ワシが怖いか?」
「いや、ちょっとびっくりしたんだ。怖くはないぜ」
「ワシは、お前を食うつもりかもしれんぞ? ヒューマンの肉は、さぞかし美味かろうて」
「……俺を助けたドラゴンはヒューマンより美味いのを知ってたぜ。それに……」
アリウスは落ち着いた様子のシャディを指差した。
「シャディが落ち着いてるってことは、アンタに敵意がない証拠だよ」
「…………なぁんじゃ、つまらんのぉ」
ドラゴンはフシューッと鼻から蒸気を吐き出す。その吐息は温泉の様な香りだった。
ズシンズシンと地響きを鳴らし、湯にその身体を浸した。
「せっかくじゃ。ワシの話に付き合え、ヒューマンの若人よ」
「あぁ。俺はアリウス・ヴィスター。こっちのチビ竜がシャディ。よろしくな」
「ピピピィ」
「ワシはファンガルじゃ」
ヒューマンとドラゴン。向き合って温泉に入るその様子は端から見れば不思議なものだった。
アリウスは念願のドラゴンを前にして高揚感が心を満たす。聞きたいことが沢山ある。
「ファンガルは、何年生きてるんだ?」
「ふむ、何年……何百年……だったかの。覚えとらんが、お前さんが産まれるよりずっとずっと前からじゃな」
流石にスケールが違う。ドラゴンにとって、時の流れはそこまで重要じゃないみたいだ。
あの少女は過敏に反応していたが。
「何が好きなんだ? 食べ物とか」
「ヒューマンの肉じゃ」
「真面目に答えてくれよ」
「カーッハッハ、鉱石じゃよ。鉄や銀、魔法鉱石。たまにオリハルコンを食うときもある。この鉱脈には鉱石が沢山あるからの」
「なるほどな」
すると今度は、ファンガルの方が質問する。
「お主、歳は?」
「20だよ。それが?」
「そろそろパートナーがいるじゃろうて。子をこさえていてもおかしくない歳じゃ。いるのかえ?」
「あ、あー、それはぁ……」
返答に困る質問だ。パートナーというのが「仲間」的な意味なら、いる。だがファンガルの聞き方は明らかに「恋人」の意味だ。
彼女は…………
「ん〜……いないな」
「そうか。早く見つかるといいのぉ。お主はいい男じゃから、さぞかし美人な嫁が貰えるじゃろう」
「……だといいな」
その時、誰かの声が洞窟に響く。
反響していてよく分からないが、一定のリズムがある。恐らく歌声だ。
「コノハ……か?」
「ほっほ、相も変わらず綺麗な歌声じゃのう、コノハは」
「コノハを知ってるのか?」
「知ってるも何も、ワシはあの娘の爺さんの代から知っとるわい。というかお主の方こそ何故?」
「まあ、色々と恩があってな」
すると、ファンガルはフシューッと鼻から蒸気を吐き出した。それに煽られ、シャディは温泉を滑るように流される。
「とうとうコノハに連れが出来たか。お主が婿なら安泰じゃろうて」
「いや違ぇよ。コノハは恩人だから、そんな関係じゃあ……」
「ならばお主はコノハに微塵も興味が無いのか?」
ファンガルの問い詰めに、アリウスは閉口する。
興味が、無い? 思えば、彼女の竜魂歌を聴いた時のアレは何だったのだろうか。
いや、興味が無いというのとは違う。
あの笑顔が似ているのだ。
ーーアリウス! アリウス!ーー
声まで、似ているように錯覚する。
「……可愛いとは思うぜ。後、歌が綺麗で」
「コノハの歌には、命が宿っておる。命あるものが惹かれるのは当然じゃ」
「命の宿る歌……ね」
私は人の世が辛くって
逃げるように旅路を歩む
どこか、悲しく聞こえるのは何故だろう。
いつも天真爛漫な笑顔を見せ、働き者で、時に間が抜けていて。
そんな普段からは想像出来ない、切ない歌声。
「……俺、もう上がるよ。ありがとなファンガル」
「また来るといいぞ。コノハの事、よろしく頼む」
アリウスが服を着ると、シャディも湯から上がり、体を震わせて乾かした。
恋人、ではない。だが放っておけない少女。
コノハは、自分にとってどんな人物なのか。
まだ結論づけるものではない。
立ち去ろうとするアリウスに、ファンガルの声が追ってきた。
「困った時はいつでも来るといい。若きヒューマンよ」
「……いいのか?」
「お主には素質がある。竜と共生し、人とも自然とも協調する者。竜奏士のな」
「竜……奏士」
不思議な響きだった。
コノハの夢そのものの様な気がするそれの素質があるとすれば。
彼女の夢は、夢ではないかもしれない。
洞窟から出ると、コノハは既に上がっていた。
岩に腰掛け、あの歌を歌っていた。
「……コノハ」
「あ、アリウス。どうでしたこの温泉、良いでしょう?」
「あ、あぁ……」
「どうかしましたか?」
ズイッ、とコノハは顔を近づける。
モチモチとした頬は紅く色づき、妙な色気が出ていた。アリウスは知らないふりをしていたが、次第に我慢出来なくなって……両手で揉み始めた。
コノハの頬を。
「フギュゥゥ、アヒウシュ、やへてくだしゃいぃぃ!」
「お前の頬が悪い。こんなモチモチの肌してるお前のパン生地ホッペが悪い」
「ぴゃ、ピャン生地ヒョッペって、フギュゥゥゥ!!」
アリウスのモチモチ攻撃は、しばらく続いたのだった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ーー五日後ーー
「じゃあアリウス、いきますよ」
「よし」
アリウスは種の入った袋を片手に、一粒一粒丁寧に種を蒔く。肥料を撒いた畑は二つ、畝は一つにつき八列ある。今はニードルキュウリとクモオクラ、この二つを一つの畑で育てるので種は四列蒔く事になる。
今回は畑一つ分しか蒔かないうえ、二人で作業しているので速く終わりそうだった。
ちなみにシャディはというと、草むらで夢の中だ。
「楽しみですねぇ。ジューシィなニードルキュウリに、ネバネバが堪らないクモオクラ。メニュー考えなくちゃいけませんね」
「レンブラントから貰ったオレンジもあるし、これはいい調子だな」
「です!!」
しばらく種を蒔いていると、小鳥達がおこぼれに与ろうと畝に降り立つ。コノハがそれを止めさせようとした時、
「ピシャァァッッ!!」
「ピヨォォッッ!?」
寝ていたとばかり思っていたシャディが突如起き上がり、翼を広げて威嚇。小鳥達は面食らって一目散に逃げ出した。
その様子をポカンと見つめていたコノハと裏腹に、アリウスは笑っていた。
「案山子のモデルは決まりだな」
「そうですね。アリウス案山子と一緒に並べましょうか」
「え? 俺いつの間に案山子のモデルに……」
「だってディノファルコンも追い払う強い案山子ですよ。畑も安泰です」
「せいぜい、鳥の止まり木にならない事を祈ってるよ」
アッハハハ、と二人揃って笑い出す。
春風が、ほんの少し暑くなり始めていた。
「種蒔き、終了!」
天に向かって目一杯背を伸ばすコノハ。
やはり二人の時は効率が明らかに違う。会話をしながらにも関わらず、太陽が真上に来る前に終わらせることが出来た。
これなら、夏の終わりには収穫出来るだろう。
「後は、育つまで長い長い辛抱だな」
「いいえ? 初夏には収穫しますよ?」
「はっ!? いやいやそれは無理だろ!」
「フフ、ちょっとズルします」
「ズ、ズル?」
すると、コノハは両手を合わせた。周りの草が倒れ始める。風も不自然な流れ方だ。まるでコノハを囲む様に吹いている。
「お、おいまさか……」
アリウスがコノハに尋ねようとしたが、その手を引っ込めた。
「ん…………んん……!!」
その瞳はドラゴンの様に瞳孔が縦に裂け、頭巾が外れて髪が浮き上がる。そして、
「逆鱗が……光ってる」
うなじは碧に輝いていた。
両手の平に碧い光の粒が集まる。
そしてそれはすぐに弾け、まるで雪の様にヒラヒラと畑に降り注いだ。
そこからアリウスは奇跡を見ている気分だった。
先ほどまで小粒の種だったのが、一斉に土を押しのけ、天に向かって双葉を伸ばしたのだ。
「すげぇ……一体どんな魔法使ったんだコノハ?」
「ハァ、ハァ、えっと、ですね、その…………あっ……」
「コノハ!?」
直後、後ろに倒れこもうとしたコノハを、アリウスは地面ギリギリの所で抱きとめた。
「だ、大丈夫、です。ちょ、ちょっと疲れた、だけなので……」
そういう彼女の息は切れており、顔の血色は良くなかった。
アリウスはコノハを抱き上げ、木陰へ入る。水筒を渡すとコクコクと飲み干した。
落ち着き始めると、コノハは先ほどのことを話し始めた。
「あれは生き物とか、植物の成長を促進する魔法なんです。これで多分、初夏までに間に合うと思います」
「……別に初夏までに間に合わせる必要はないだろ。お前が倒れたら元も子もない訳だし」
それにしても、とアリウスは内心感じていた。
魔法を使ってそんなに疲労するのだろうか?
コノハが魔法に不慣れだった、にしてもたった一回でこうなるのか? 竜の血が混じっているドラグニティだ。魔力は他の種族では敵わないほど多いはずだが。
だが、アリウスは嫌な事を思い出した。魔力に近しく、それより強力な力の存在。
「コノハ、本当にそれは魔法なのか?」
「…………え?」
「言い方を変えるか。本当に今のは魔力を使ったのか?」
「そう、ですよ。あ、アリウス、顔が怖いですよ。ほら、ニコッとして下さい、ね?」
「真面目に答えろ!!」
ビクッ、とコノハの身体が跳ね上がる。その姿を見て心がチクリとしたが、アリウスは変わらずコノハの返答を待つ。
すると、木のさざめきに隠れそうなほど小さく言った。
「本当は……本当は……私の生命を分け与えたんです。生命に干渉するには、生命を使うしかないんですよ……」
「……何でそんな事したんだ」
「…………」
コノハは黙りこくる。アリウスには何となく分かっていたが、辛抱強く待つ。
しかし、コノハの口からはこの言葉が紡がれた。
「関係無いです」
「…………何?」
「関係無いって言ったんです!!」
突然張り上げた声に鳥が羽ばたく。
「私の命を、私が使って何が悪いんですか!? アリウスだって、シャディを助けるために無茶した癖に。それにすぐ死ぬ訳じゃ無いんです。そんなこと、とやかく言われる筋合いなんてありません!!」
「……違う」
「何が!? アリウスに分かるわけないよ、私やレンちゃんの辛さなんて……欲しくもない、長い寿命を持つ辛さなんて! だから決めた。どうせ無駄に生きるくらいなら、みんなの為に、自分の夢の為に使うんだって!」
「そうじゃねぇだろっ!!!!」
絶叫にも近い叫びと共に、アリウスはコノハの肩を抱いた。
「それじゃあ意味がないんだよ!! なんで夢の為に自分を犠牲にする!? 人間と竜が、いや全ての種族と竜が分かり合った場所に、お前がいなかったら意味がねぇだろ!!」
「…………っ!」
「今すぐ死ぬとか死なないとか、そういう問題じゃない! お前がこの先何百年の寿命があったとしても、俺はお前にそんな使い方をして欲しくないんだ!」
「だって、だって夢が叶う前に、アリウスもシャディもいなくなったら……」
「……だったら会わない方が良かったか? あの時、俺が断っていれば良かったか?」
「違っ、そんな事っ……!」
「俺だって思ってない」
アリウスはコノハの頭を優しく撫でる。
「俺もシャディも、いなくなるのはまだまだ先だ。……せめてお前の夢が叶うまでは生きるから、な」
「ア…………リ……っ!!」
コノハはボロボロと涙を溢れさせて、アリウスの胸に顔を埋めた。嗚咽を漏らし、少し痛いくらい。
こんなに小さい身体だっただろうか。
こんなに苦しかったのだろうか。
ただ、今は泣かせてあげるのが一番だと、アリウスは彼女を抱きしめながら考えた。
数分程経った。
泣きじゃくっていたコノハはというと、
「スー……スー……」
アリウスにしがみついたまま、夢の世界へと旅立ってしまった。しかもアリウスが離れようとすると、一層強くくっつくために動けない。
「ったく、子供じゃねえんだから……おっと、これは禁句だ」
しかしこうしてみると、本当に15か16位にしか見えない。同じく長寿のエルフ、レンブラントよりも若々しいとは。流石、何百年という月日を生きる種族だ。
指で頬を突く。フニッ、とした感触が指を支配する。何だが癖になる。
だが調子に乗ってつついていると、
「んんっ! ん〜……スー……」
「ププッ、面白いな」
ーーコノハに微塵も興味がないのか?ーー
「……そういうんじゃないんだ、多分。ただ俺は……」
えへへ、と謎の笑いを浮かべるコノハ。何の夢を見ているのだろうか。うわ言で、「ほ、本当……いの……私……へへ」と繰り返している。
「アイツと重ねて見てるんだ、きっと」
アリウスは自虐するように、微笑んだ。
続く
謎の男「隊長! 少尉がほんわかファンタジーを自称している癖にまた重い話を入れました!」
謎の隊長「よし、懲罰房にぶちこめ」
というわけで10ページ目でした。アリウスの意味深な発言が目立ちましたが、それは今後分かってくると思います(でも、皆さん何となく分かりますよね)
活動報告でも述べましたが、こちらにもドゥンドゥン感想お願い致します。
以上、懲罰房からお送りしました。
それでは皆さん、ありがとうございました!




