9ページ目 農作業、脳作業?
無心になり、ひたすら肥料を撒き続ける。
最初は良い。爽やかな春風と、澄み切った空気が肺を満たすからだ。
しかし、
「えぇっと、始めた時は日が東の地平線に乗っかってた。今は真上。……てことは」
約四時間ほど、肥料を畑に撒いていたのか。
「んで、この後鍬で土と肥料混ぜて、畝を作り直し……て……」
するとおもむろに肥料箱を地面に置き、アリウスは目の前に広がる海原へ叫んだ。
「ていうか、畝を何で先に作ったんだあの天然娘ぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
海は何も返さない。いや、むしろ返してくれない方が良い。こうやって定期的に叫ぶと気持ちが良いものだ。
アリウスは再び肥料箱を持ち、畑に撒き始める。
そのコノハはというと、とある事の準備を始めている。
それは、ラットライエルから帰ってきた次の日のことだった。
コノハが家計簿の様な何かのノートを開き、うむぅ、と唸っていた。かと思うと、おもむろに何かを書き留める。横でシャディが気を引こうと袖をクイクイ引っ張っているのにすら気づかない。
「おいコノハ、何書いてるんだ?」
「ん? あぁ、はい」
「い、いや、はいじゃなくて」
「はい」
「……コ、ノ、ハ!」
アリウスは耐えきれなくなり、コノハの頬をムギュッとつねった。パン生地の様にモチモチな肌がギュウウっと伸びる。
「フギュゥ!! い、痛いれす、痛いれすアヒウス!!」
「おう、やっと聞いてくれたか」
手を離すと、コノハは頬をスリスリと労わる。シャディも流石に可哀想と思ったのか、袖を引っ張るのを止めた。
「で、何やってたんだ?」
「え、えっとですね。ちょっとした大計画を立ててまして……」
「ちょっとしてるのに大計画なのか」
「むぅ、そういう事はいいんです」
アリウスの細かい茶々に今度は自ら頬を膨らませたコノハだったが、ノートを開いて見せた。
「…………これって」
カウンターや椅子、商品棚などが描かれた見取り図。隅の走り書きには様々な名前が羅列していた。
「き、喫茶店か?」
「フフフ、その通りです」
謎のドヤ顔が炸裂。
しかし、何故喫茶店を開こうとしているのかアリウスは分からなかった。
「あ、あのですね!」
表情からそれが漏れていたのか、コノハが焦った様子で説明し始める。
「人とドラゴンが互いの事を知らないと、共存は難しいと思うんですよ。ここにはドラゴン達は来るんですけど、人があまり来ないので……喫茶店が、その第一歩になれば……なんて」
「そうか、お前があんな悩んでる理由も大体予想がついた」
喫茶店、確かに交流の場としては良い選択肢の一つだ。
だが現状、喫茶店を開くための資金も無く、メニューを作る為の畑も完成していない。他にも難題が立ち塞がっている。
だが一気に片付ける、という訳にもいかない事は二人とも承知していた。
「まあ、まずは目の前の課題から、だ。じゃあ俺、これから畑作り行ってくる。それが無いと始まんないしな」
「あ、待ってください!私も手伝います」
「コノハは喫茶店の見取り図しっかり作ってくれ。こっちは俺とシャディに任せとけ」
「ピィギュゥ」
シャディはアリウスの頭の上に乗り、声高々に吠えてみせる。
「アリウス……シャディ……」
「行くぞシャディ。早めに完成させるぜ!」
「ピィギュゥ!!」
そういう訳で、こうして畑作りに精を出している。あの日から四日ほどが経ち、畑もアリウスの苦労の甲斐あって二つ分増えた。
背後では、シャディが小さな後ろ脚で懸命に土を混ぜている。もっとも、身体が小さなせいでスタート地点から全然進んでいないが。
「さぁて、そろそろ俺も土混ぜるか」
アリウスは鍬に持ち直し、小刻みに振りながら土をかき混ぜる。シャディは何故か土から出たミミズに喧嘩をふっかけていた。
風が凪ぐ音も良いのだが、ふと違う音が聴きたくなる。
「シャディ! 適当な草持ってきてくれ」
アリウスがそう言うと、シャディは草をプチリとむしる。そしてのそのそとアリウスへ歩み寄り、草を渡した。
「サンキュ」
するとそれを唇で挟み、息を吐き始める。
透明な草笛の美しい音色が、風に乗る。
土に鍬が入る音もリズムをとる様に鳴る。
その場にいたシャディはウトウト瞼を上下させていたが、やがてゆっくりと微睡みへ落ちる。
先ほどまで自身の歌声を披露していた鳥達も、アリウスの草笛に聴き入っていた。
すると、
「命が芽吹くこの丘で 竜の息吹が地に融ける 私の穢れしこの心 君なら癒してくれるのか」
美しい歌声が聴こえる。
その方向へ目をやると、バスケットを携えたコノハの姿があった。
「竜魂歌、私も好きですよ。竜に恋した、少女の歌ですよね」
「あぁ、そうだな。いい歌だよ。でも……」
「最後には、二人とも死んでしまう。そしてその二つの生命は融け合って、その丘を楽園に変えた」
結末だけを聞けば、ハッピーエンドではない。だが、バッドエンドでは決してない。
不思議な空気が流れる。
アリウスは今まで、コノハに対しては友人の様な想いを持っていて、それは今でも変わらない。
だが今は、形容し難い、謎の想いが心を占めていた。
「お昼ご飯、食べましょ?」
その笑顔が、アリウスの何処かをチクリと刺した。
とても、似ていた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「ところでアリウス?」
コノハはバスケットからサンドウィッチーー卵とレタス、特製ソースを挟んだーーを取り出しながら尋ねる。
「何で竜魂歌を知ってるんですか? あれ、一応ドラグニティの民謡なんですけど……」
「あぁ〜、それは……」
サンドウィッチを口に含んだまま、しばらくアリウスは思い出す様に空を見つめる。そしてサンドウィッチを飲み込むと同時に話し始めた。
「子供の頃からドラゴンとか、ドラグニティに興味があってな。だからそれに関する本ばっかり読んでて、それでかな?」
「へぇ〜。でも草笛で吹けるなんてすごいですよ。しかもあんなに綺麗に……」
モグモグとサンドウィッチを食べながらコノハは賞賛する。こうして見ると、本当にウサギかリスに見えてくる。
アリウスはというと、隙あらばシャディが強奪しようと飛びかかるので全く気が抜けない。何故コノハを狙わないのか。あちらの方が明らかに隙だらけだというのに。
と思った矢先、
「ピギャア!!」
「おうっ!?」
手にしたサンドウィッチにシャディが飛びつき、鮮やかに奪取。翼爪と口を器用に用いて食べ始める。
「ぐぬぬ、シャディお前……!!」
「ピィ」
油断したお前が悪い、と言いたげな響きだった。
「もう、喧嘩しないでください」
コノハは溜息を吐き、肩を震わせるアリウスへサンドウィッチを差し出す。それを受け取って尚、シャディへの警戒を解こうとはしなかった。
「あ、アリウス、良かったらなんですけど」
唐突に、コノハが話を切り替えた。
「今日の夜、温泉行きませんか?」
「………………ん?」
今、この少女は何と言ったのか。
「近くに銭湯とかがあるのか?」
「いえ、渓谷の下の方に天然の温泉があるんですよ。アリウス最近頑張ってますし、ね?」
「お、おう、そうか……」
とても嬉しい申し出。断る道理などどこにもない、むしろ是非ともお願いしたいくらいだ。
しかしアリウスにとって、否、男性にとってどうしても気になる点が一つあった。
そう、ズバリ、
「ちなみにそこは混よーー」
「いいえ、岩で仕切られてるので別々です」
「あ、はい」
虚しく響く、男の呟きが空へ吸い込まれた。その様子を見たコノハの目が細められる。
「え……何でそんな残念そうに……?」
「いやいやいや、別に残念だなんて思ってなんか……」
「本当ですか……?」
「そそそそりゃあ勿論! そ、そもそも興味なんか、ななな無いし!」
「アリウスだって、結局レンちゃんみたいなナイスバデーが好きなくせに」
「よ、よし、そろそろ仕事再開するかな!!」
「あ、図星ですね!?」
二人のどうでも良いやりとりを見たシャディは、大きな欠伸をしながらやがて眠りについた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
少しずつ、少しずつ、崩さない様に丁寧に盛っていく。そして遂に……
「やっと、畑一つ目、完成!!」
アリウスは勢い良く立ち上がり、両手を天に突き出した。
夕焼けの中、行儀良く整列する畝は今までの苦労に見合った景色だ。土からほんのりと果実の香りが漂うのは、コノハ特製の肥料のおかげだ。
「うぉぉ、イテテ……」
身体からはメキメキと硬い音が鳴り、服まで汗びっしょりだ。まだもう二つの畝が残っているが、それは明日に廻すことにする。
「アリウス〜! あ、丁度終わりましたか?」
振り向くと、着替えの入ったリュックとシャディを背負ったコノハがよたつきながら歩いてきた。
「あぁ。荷物は俺が持つよ」
「あ、ありがとうございます……ふひぃ」
リュックを受け取ると同時に、シャディもアリウスの頭へ飛び移る。最早とやかく言うのはやめているが、よほど気に入ったのか。
かくして二人と一匹は、温泉へ向けて出発した。
「ここ……か?」
目の前には、温泉など無かった。
まるで竜の鼻の様に、ガッポリと二つの洞窟があるのみ。その暗闇から蒸気が溢れている。おまけに、何かの唸り声の様な物も聞こえる。
「ここの奥ですよ。それじゃあ、ゆっくりして下さいね〜」
そう言うとサッサと洞窟へ進もうとコノハの肩を、アリウスはガッチリ掴んだ。
「ど、どうしました?」
「大丈夫なんだよな!? 本当に大丈夫なんだよな!?」
「何がですか? ……まさか一緒に入りたいとか……」
「一切の下心無しでそうしてもらいたい程だよ! 何かの住処とかじゃ無いんだよな、何もいないよな!?」
「いませんよもう…………私いきますね」
コノハはとことこ歩いて暗闇へ消えてしまった。
取り残された、一人と一匹。
「……ピヒャウゥ」
「な、情けない声出すなよ、男だろ? 行こうぜ」
進んでみると、外から見た時の様に暗くはなかった。
というのも、天井や壁に沢山の光る虫が引っ付いているのだ。それらはとても小さな体を時折ブルブル震えるだけで、動こうとはしない。
「ランプバグ、だっけか。こんなに沢山いるのを見たのは初めてだな」
小さな街灯を頼りに奥に進むと、次第に湯気が濃くなっていく。近づいているのだろうか。唸り声の様な物も次第に近くなっている。
「ピィ……ピィ……」
シャディが珍しく怯えている。さっきからか細い声で鳴き、体もランプバグに負けずブルブル震えている。
アリウスは静かにシャディの頭を撫でる。
「俺がいるだろ。むしろ、この唸り声に負けないくらい張り合ってやれ」
「……ピィ! シャアアア!」
シャディは頑張っているつもりなのだろうが、どうも猫の威嚇の様にしか聞こえない。うっかり、声に出して笑ってしまった。
「いいぞいいぞ。その調子だ。……着いたぞ」
そこは温泉というよりも、神聖な泉の様だった。浴槽の縁の岩には輝く鉱石が露出しており、壁のランプバグの光を反射して輝いていた。
その水面はまるで海の様に蒼く染まっていた。
「おぉ、早速入っ……ってシャディ?」
あれだけ怯えていたシャディがいの一番に飛び込んでいった。そしてパシャパシャ泳いで縁に掴まると、幸せそうに息を吐き出した。
「おいおい、俺の心配って一体……まあいいか」
アリウスも服を脱ぐと、湯の中に足から入る。
全身から、疲れが温泉に吸われていく。アリウスもシャディと同じ様に縁へ凭れかかる。
至福のひとときだ。
「湯加減はどうじゃ?」
「本当最高だよ。通いたいくらいだな」
「ほっほっ、物好きじゃのう、お主」
「物好きじゃなくても、一度入ったら忘れられな…………ん?」
アリウスはふと思った。
今、自分は誰と話しているのか。
目を開けた先には、岩の様な甲殻に包まれた巨大な生物がアリウスを見つめていた。
「…………んんんんん!!?」
続く
さあ、丸腰(どころか全裸)のアリウスの運命やいかに!?
というわけで9ページ目でした。今回はちゃんと農業しましたし、アリウスにもご褒美を……ってなわけで温泉に連れて行く作者からのプレゼントです(混浴?……知ら管)
今回、作者自身が一番驚いたのは……シャディが泳げた事です( ^o^)
それでは皆様、ありがとうございました!




