8ページ目 大切な友達だから
静寂に包まれる。
ただコノハの叫びだけがこの空間に木霊していた。
「…………ごめんなさい」
ただ一言、そう言うと共にコノハは店を飛び出していってしまった。
「コノハ……」
アリウスは虚しく呟く自分が堪らなく情けなく感じた。先程までのレンブラントとの言い争いが、今ではどうでも良い程に。
後を追おうと、アリウスが一歩踏み出した時だった。
「…………すまないね」
レンブラントが弱々しく声を掛けた。振り向くと、その表情は曇っていた。
「騎士だって言ってたから、心配になってカマかけてみたんだけど……まさかコノハがあんなに怒るなんて思わなかった」
「……あんた、俺がそこで『はいそうです』なんて言ったらどうしてたんだ?」
「その場で首捩じ切ってたね。私、一応魔法使えるし」
どうやら本気な様だ。その目が語っていた。
「だけど、何であんなこと……」
「あんた、ドラグニティが外でなんて言われてるか知ってるかい?」
アリウスは苦い顔をする。知らずうちに握り締めていた拳が内出血を起こすほどに。
「竜に魂を売り渡した者。よってその者らは竜と同等、否其の物より低俗也。竜は今日、我らが資源也。よって……その者らは…………我らにとって…………!!」
その瞬間、アリウスは声にならない呻きと共にカウンターに額をぶつけた。
「低俗なのは俺たちの方だろうが!! 神を気取って馬鹿なこと言った野郎に言ってやりてぇよ!!」
「それ以上はよしな」
呪詛を叫ぶアリウスに、レンブラントはミントシガーの煙を吹きかける。怒りに満たされた頭を、爽やかな香りが埋め尽くす。
「ヒューマンにだって良い奴は沢山いるさ。他の種族を想って怒れる、あんたとかね」
「…………」
「あの娘は昔からそのせいで虐められててね。でもそれで泣いた事は無かった。年上の私ですら、泣くほど辛いネタだったのに」
種族の違いからの隔たり。
ヒューマンは特にそれが酷い。結果、他の民族から邪険にされ、本当に交流を持ちたいヒューマンすらも犠牲になる。
「だからあいつも……」
「ん? 何だい?」
「いや、何でもない。それよりコノハを追わないとな」
「……だね」
そう言うレンブラントの笑みは、まるで妹の事を心配する姉のものだった。
そう感じた時、アリウスはあの疑問を思い出してしまった。
「な、なあレンブラント」
「コノハってーー」
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まだ陽は落ちていない筈なのに、路地裏は暗い。コノハは行く当てもなく歩き続けていた。
「お腹……空きました……」
こんな気分だというのに体は空気を読む気が無いらしい。空っぽの胃は食べ物の要求を止めようとはしない。
歩く気力も無くなり、道の脇に座り込む。空腹は嫌な記憶も呼び覚ます。
ーーうわぁ、ドラグニティだーー
ーー見ろよ、うなじに鱗があるぜ。気持ち悪いーー
ーーおい、こっち見んなよ。呪われたらどうしてくれるんだーー
思えばあの時からだった。レンブラントが騎士やヒューマンに対して警戒心を抱く様になったのは。
レンブラントを変えてしまったのは、自分だ。
自分が近くにいたせいで、レンブラントまでもあの視線に晒してしまった。
自分が、彼女にとやかく言う資格は無かったのに。
「だけど……アリウスは違うよ……」
あの森で息絶えたゼオ・ライジアの亡骸の事を話す時、彼は辛い表情をしていた。シャディを育てるのを選んだのも彼だ。
自分がドラグニティだと言っても変わらず接していた彼を、疑うことなんか出来ない。
「どうしたら、どうしたら良いんですか!?どうして皆分かり合えないんですか!? 皆仲良く……仲良、く……うぅ、えぐっ、うぅぅぅ…………」
とうとう、泣き出してしまった。
涙が幾ら流れても、辛い思いは一向に流れ落ちない。このまま涙と一緒に、地面に溶けてしまいたいぐらい辛かった。
「それは、”自分”があるから」
聞き慣れた声が耳元に届く。
涙でクシャクシャに濡れた顔を上げると、そこには若草色の髪が風に揺れていた。
「はっきりした自己は必要だぜ。だけどそれは時々、他の考えを否定する。それは仕方がない事だ。だけど、その一言で終わらせたら一生他者を理解出来ないだろうな」
アリウスはコノハに手を差し伸べる。
「お前の夢はとても大きくて、とても難しい物だよ。嫌な現実も沢山見なきゃならない。……辛くなったら、俺たちに頼ってくれよ。絶対、力になるから」
「ピィ」
シャディも同調するように翼膜をパタパタ振る。
コノハは手を握る。春の木漏れ日の様な、優しい温かさが伝わる。
「良い友達だな、大切にしろよ」
「え……?」
アリウスの視線をたどり、後ろを向く。
涙ぐみながらも、気丈な姿をしたレンブラントの姿があった。
「あ……あぁ……」
コノハが駆け出すのと同時に、レンブラントもコノハへ駆け寄る。
深紅の髪と白銀の髪が交差し、二人の体が重なった。
「レンちゃん……ごめんね、ごめんね……」
「はは、何でコノハが謝るんだい……謝らなきゃならないのは……わ、私……」
そこから先は言葉にならない。
大切な、友を想うと、涙ばかりが目も言葉も覆い隠して。
まるでそれを拭うかのように、春風が吹いた。
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あの後、萬屋へと戻ってしばし談笑していた。
楽しい時というのは早く過ぎてしまうらしい。日は傾き始めようとしていた。
「じゃあレンちゃん、そろそろ行くね」
「もうこんな時間かい。仕方ないね」
アリウスはリュックを背負う。かなり重かったそれは、羽毛の様に軽くなっていた。
「おし、俺は先に店の外で待ってるぜ」
「ああっと、ちょい待ちな」
すると、レンブラントはカウンターの裏で何やらゴソゴソ探り出した。
取り出したのは、何かが入った麻袋二つだった。それをヒョイッとアリウスに投げ渡す。
「右はユーランオレンジの種だよ。左はユーランミント。どっちも中々手に入らないやつだ」
「へぇ、あんがとよ。でも、何でこれを?」
するとレンブラントはニヤリと笑った。
「いやぁ、オレンジは良い果実酒に、ミントはシガーになるから。育てて、その内ちょいと分けてくれないかなって。勿論、私からも何かしらサービスするからさ」
「もうレンちゃん、またお酒とシガーの話して!」
「ハッハッハ、まあいいじゃあないか」
高笑いするレンブラントを見て、コノハは頬を膨らませる。
(本当、仲良いのな)
アリウスは知らず内に口元が緩む。
レンブラントがいるなら、コノハはきっと大丈夫だ。信頼出来る友の存在はそれだけ大きい。
「じゃあ、行くか」
「あ、はい。……じゃあね、レンちゃん」
「毎度。これからも萬屋カルフュードをご贔屓に〜」
「んで、後は種を買って終了か?」
「そう、ですね。この調子だと、暗くなっちゃいますけど」
コノハはメモ帳をペラペラめくりながら口を真一文字に結んでいる。色々あって少し疲れているのか、フゥ、と息を吐いている。
「大丈夫か? 足とか痛くないか?」
「え? はい、大丈夫ですよ」
「腰とかは?」
「は、はい……」
「何なら俺が買ってくるから、どっかで休んでてもーー」
「……さ、さっきからどうしたんですか? まるでお年寄りを労わる様な…………っ!?」
何かハッとした様な表情をする。それを見たアリウスがビクリとした瞬間、彼女は確信した。
「ままま、まさかレンちゃんから歳を聞きましたね!?」
「い、いやぁ、まあ……気になるし……」
「酷すぎますあんまりです最低です!! 知ってどうするんですか!? あぁ、このまま16歳で通そうと思ってたのに……」
「てか16歳で通す気だったのかよ! 実年齢よりサバ読み過ぎだろ!!」
「 サバ読みすぎ!? もう怒りました!! アリウスこれから二日ご飯抜きです!」
「おぃぃぃ!? 横暴にも程があんだろ!」
アリウスの悲痛な訴えを聞くと、コノハはベェーッと舌を出して走り出した。
このままでは、唯一の楽しみである食事が取り上げられてしまう。
「ま、待って! せ、せめて夕飯だけは、夕飯だけは作ってくれって、たのーー」
その時、アリウスは何者かの気配を感じて振り返る。
しかし、後ろには誰もいない。確かに気配はあったはずなのだが。
「…………気のせいか? ってやばい、コノハ説得しないと飯があああ!」
今の彼にとって、優先事項は食事だった。
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「やはり、間違いない……」
建物の陰に身を隠していた騎士は呟く。彼は壁を使って手紙をサラサラと書き、片方の腕を天に掲げる。
すると間も無く、一羽の鳩が腕にとまる。
手紙を脚にくくりつけると、鳩は天高く飛翔した。
〈レオズィール王国、カリス・シャイナー氏に連絡。ラットライエルにて、ドラゴンズ・シンで戦死したと思われていたアリウス・ヴィスター氏を発見。至急、レオズィールへ連行いただきたい〉
続く
この後、アリウスは何とかご飯抜きを無しにしてもらったそうな。
というわけで、第8話でした! な、何とかほんわか終われ……たのか? くそう、最後の騎士さえいなければ!(八つ当たり)
次回は何とか農業出来ればいいね、お二人さん。
それでは皆様、ありがとうございました!




