100ページ目 血濡れた魂
何事もなく野営を終え、一行は再び谷へ向かって歩き出す。
温泉があった森を抜けた後はしばらく平坦な山道が続いた。少しずつ、しかし確実に下へ降りていく感覚がする。
進む程に陽の光で照らされる道は少なくなっていき、薄暗くなっていく。
「……どうしてこの辺だけ、雲がかかっているんだ……?」
「分からんが、気をつけていくぞ。先を見てみろ」
アリウスが指差す先、そこは薄暗いなどいう程度ではない。霧のようなものが掛かっているのも相まって、夜と大差ない程暗くなっている。
シャディが小さく唸る。ゼオ・ライジアはあまり夜目が効かない為に不安なのだろう。その様子を見た隊長ゴーレムが背から降りると、シャディへ縄を差し出す。先導するから咥えろ、と言っているようだ。
「……グム」
更に不安そうに目を細めるが、渋々咥える。
「フガッ!!」
すると隊長ゴーレムが気合の入った声を上げる。かと思うとその丸い目から光が発せられた。松明のように前方を明るく照らす。
「ゴーレムさん凄い!」
「こんな事出来たのかお前」
「少し前、歯車に紋様を入れて欲しいと言われたんですけど……まさかこの為に?」
皆からの賞賛を受け、隊長ゴーレムはウキウキしながら前に進む。しかし、
「グムムムムゥ……」
「何かシャディ君が不満そうな声出してるんだけど」
「基本的にライバル関係だからな、シャディとゴーレム軍団」
そんな一幕もありつつ、暗い谷を降りて行く。
下層へ降りる程、肌を撫でる風が冷たくなっていく。踏みしめる湿った土の音はいつの間にか、乾いた木を踏むような音へと変わっていた。
足元を見たカリスが低く呟く。
「これは…………骨だね」
「しかも動物だけじゃない。ワイバーンと……人間の骨もある」
「人間の……」
ヘリオスは息を呑む。なるべく足元を見ないように進むことを心がけた。
そして先程からコノハの様子がおかしい。息は浅く、自分の腕をさすっているのだ。視線も前より少し下を向いている。
「コノハさん、休憩しますか?」
様子を心配したヘリオスが提案するが、コノハは黙って首を振る。顔も酷く青ざめている。
その理由にアリウスは既に気がついていた。
創生樹の腕輪のおかげか、ここを漂う魂、ゴーストが見えていた。姿だけではない。彼らが呻く不気味な声も聞こえている。
しかしゴースト達はコノハの周りにのみ集まり、ひたすら囁いているのだ。
── おい…………見えてんだろ………… ──
── 助けろよ、なぁ…………助けてくれよ ──
「……っ!!」
目を瞑り、必死に聞こえないふりをするコノハ。だがゴースト達はそれに気がついているのか、崩れて骨が見えた手を伸ばす。
だがそれより早くアリウスの手がコノハの肩を掴み、側へと引き寄せた。
「あっ……」
「失せろ」
貫かんばかりのアリウスの眼光に、ゴースト達ですら怯む。しかし諦めきれないのだろう。ぶつぶつと何か言いながら再び近づいてくる。
今度は腰の鞘から剣を少し抜き、再び警告する。
「失せろって言ってるんだ。2度も死にたいか」
── ………… ──
沈黙の後、汚く舌打ちをしてゴースト達は消えていった。
「どうか、したのかい?」
何も無い場所を睨む友を心配そうに見るカリス。アリウスは小さく首を振り、歩き始めた。側に寄せたコノハの肩をしっかり掴んだまま。
「ありがとうございます……」
コノハは小さく礼を言う。ドラグニティの感が鋭すぎるが故、このような現象には苦労していたのだろうか。
以前ならばゴーストなど見えなかったアリウスだが、今は腕輪のおかげで見ることが出来る。少しは彼女を守る事も出来るだろう。
その後も別のゴースト達が擦り寄ろうとしていたが、アリウスが睨みを効かせるとそれ以上は近づいて来なかった。
カリスとヘリオスは見えていないがやはり何か異質な気配は感じるようで、時折腕をさすったり、不意に振り向いたりしていた。
しばらく進んでいると、隊長ゴーレムが何かに気がついた。しきりにフゴフゴ唸りながら地面を照らす。
「誰かが歩いた形跡だ。骨が踏まれてる」
「多分ハーヴィンだろうが、一応油断はするなよ」
進んで行くと、予想通り奥からハーヴィンが現れた。
「着いたか」
「お前、飛行図の方を渡しただろ。おかげでここまで面倒だったんだぞ」
「……あぁ、忘れていた。そういえばお前達は徒歩だったか」
「本当に忘れてただけだったのか……」
ハッとしたような顔を見せたハーヴィンにアリウスは苦笑い。
「話は通しておいた。後は頑張れよ」
「お前はどうするんだ?」
「この辺に用事がある。……お前、竜奏士にはまだなってないんだな?」
「そもそもどうやってなっているのかすら聞かされてない」
「この件が片付いたらウィスさんの方にも伝えておく。俺としても早く協力してくれる同業者が欲しい」
「そっか、ありがとうな」
ハーヴィンは小さく頷き、一行が辿ってきた道を戻って行った。やはり彼のワイバーンもここまでは来れないらしい。
2人の会話を聞いていたカリスはほっとしたように息を吐いていた。
「何だ?」
「君に友達が出来ているのを確認して、改めて安心したんだ」
「余計なお世話だ」
無駄話もそこそこに、遂に谷の最下層へ辿り着いた。
そこはゴースト達すら近づかない、不気味でおどろおどろしい雰囲気を醸し出す場所だった。しかし何処かそれが神聖さも感じさせる。本来生者が足を踏み入れていけない事が、肌を通じて伝わってくる。
「……いらっしゃいましたね」
霧の奥から人影が現れる。フードを目深に被り、白い肌をした口元だけが見えている。手にした杖剣には、ネディエが持っていた杖剣と同じ様に宝玉が埋め込まれていた。全ての光を吸い込む、黒い色をしている。
「あの、初めまして。私は──」
「ガイブルグ様がお待ちです。案内します」
自己紹介をしようとしたヘリオスの言葉を遮り、踵を返した。
「待て、せめて名前くらいは名乗ってくれ」
「生者に名乗る名はありません」
アリウスが引き止めるが、少女は一切応じない。仕方なく、一行は少女の後ろをついて行く。
するとようやく楽になったらしいコノハが、少女の少し後ろへと付く。
「あの、貴女はここの巫女なんですか?」
「…………」
「ここにいらっしゃる竜は、一体どのような……」
「私に答える義務はありません。黙ってついて来なさい」
変わらず冷たく突き放す。そんな彼女を、アリウスは注意深く観察する。
「歓迎されないのは覚悟していたが……」
「これだと、君にかけられた呪いなんてものも教えて貰えるかどうか……」
「それならまだいい。下手をすれば怒りを買って殺される事もあり得る。そうなったら」
「僕は嫌だよ」
言葉の先を察したカリスが先手で断った。
「そんなことしたらコノハさんに一生の傷がつく。だから絶対君だけ放ったらかして逃げたりしない」
「あのな……」
「2人なら彼女達が逃げる時間を多く稼げる、だろう?」
「いや…………うん、機嫌を損ねないよう努めるとしようぜ」
小声で囁き合いながら歩いていると、少女の足が止まる。
「…………ガイブルグ様、客人をお連れ致しました」
しかし反応が無い。辺りを見回すが、一切人の気配が無いのだ。感が鋭いコノハやシャディですら気がついていない。
その時、ヒンヤリとした生々しい何かがアリウスの首から頬を這った。というよりもその感触は、舌で舐められたものだと気がついた。
「ほぉ、お前が呪いを受けた奴……っ、っ、成る程、こんな味か」
「なっ!?」
アリウスは反射的に飛び退いた。すぐ後ろには舌を宙で踊らせる、妖艶な美女が立っていた。骨の仮面の奥から、見定める様な視線を感じる。
「いつの間に後ろに……!?」
「まぁ待て。久々の生者なんだ。味を確認したらいくらでも話を聞いてやる。次は……」
「うわ、うわ……!?」
美女はカリスの側へ音も無く近づくと、同じ様に首から頬へかけてを長い舌で舐め回す。
「っ、っ……おぉ、この味は……はは、面白い……っ、っ」
「何これ、何……?」
「…………次」
今度はヘリオスへ。
「ひっ、冷たい……!」
「っ、王族か…………それも、あの血が濃い……ふふ、懐かしい……っ、っ」
「うぅぅぅ……さ、流石に、これは……!」
「…………最後だ」
遂にコノハの元へ。アリウスが引き止めようとするが、既に舌は首を這っていた。
「あ、ちょっと……!」
「っ…………待て、これは…………っ、まさか」
ここで美女の舌は頬では無く、コノハのうなじ、逆鱗へと伸びて行く。
「待っ、ダメダメ、そこは流石にダメで……ひゃっ、あっ、あぅ、やっ!」
「間違いない……っ、っ」
「ひぁぁぁ、アリウヒュ、たひゅけ……っ!?」
怪しい様相を呈して来た光景に、カリスはヘリオスの目を塞いだ。アリウスもコノハから美女を引き剥がそうと近づくが、その直前で身体を離した。
「さて、大体素性は分かった。俺はこの地で魂を管理している、ガイブルグ・イルミラージュだ」
「…………さっきのあれは何だったんだ」
懐疑の視線を向けるアリウスに、ガイブルグは怪しげな笑みを浮かべた。
「何、ああした方が正確な素性を知れる。お前達人間は不要な嘘を吐くからな」
「嘘もそうだが、何も教えないのもどうかと思うぞ。自分の従者に言ってるのか?」
少女の方を見ながら伝えると、ガイブルグは少女へ首を傾げながら尋ねた。
「名前は名乗ったのか?」
「…………お言葉ですが、彼らが私の名を知る必要はございませんので」
「自己紹介に生者も死者も関係ないだろう。何より此奴らがお前の名を知らないと話が面倒だ。名乗れ」
ガイブルグに命令され、ようやく少女は名前を名乗った。
「…………ルルイといいます」
「よろしくお願いしますね、ルルイさん」
ヘリオスは手を差し出すが、やはり応じることはしなかった。しかしそれにめげず、今度はガイブルグへ手を差し出す。
「よろしくお願いします。私は──」
「お前、レオズィールの末裔だな。ヘリオス・ミム・レオズィール。薄まってはいるが、しっかり血の臭いがした」
「何故名前を……!?」
一気に顔が険しくなるカリス。しかしガイブルグは笑いながら唇に指を当てる。
「待て。さっきお前達を舌で確かめた。名前くらい知っている。素性が外界に漏れているわけじゃない」
「申し訳ないけど、会ったばかりの人を簡単に信用するわけにはいかない」
「ふ、ははは! 人と言ったか。この姿だと無理もないか。ならほんの少しだけ姿を見せてやる」
するとガイブルグの身体から霧が発生。美女の姿は霧に溶け、瞬く間にその姿を巨大な竜へと変えた。
「ドラゴン……!」
「ご名答。お前達人間も伝承くらい聞いているだろう。ワイバーンなんぞ比べ物にならない、世界を管理する四竜の話を。まぁ俺からすれば、あいつらなんぞ悪餓鬼みたいなものだがな」
再び美女の姿へ戻る。
「お前、ヒューマンの割に面白い魂の色をしている。この地に来ると分かった時から気になっていた」
「どういうこと?」
「シュタイナーの血だったな。確か3代目女王の代から側近として仕えていた公爵家」
「待ってください、シュタイナー家の爵位は伯爵だった筈です」
ガイブルグの言葉を遮り、ヘリオスは声を上げる。アリウスはあまりその話を真面目に聞いていなかったが、確かに彼女の言う通りカリスの家系は伯爵だった気がした。
しかしそれを聞いたガイブルグは、むしろ面白そうに笑いながら首を振る。
「いいや、シュタイナー家は最初公爵家だった。だが爵位を下げられたんだ。14代女王、リクシードの時に」
「……どうして爵位を下げられたんだ?」
アリウスが尋ねると、ガイブルグはその問いを待っていたと言わんばかりに人差し指を立てる。
「レオズィールが戦争をしなくなったのはリクシードが女王の時だ。それで、もうシュタイナー家は必要なくなった。だから当時伯爵だったメーセンビレッジ家と入れ替わるように、爵位を下げられた」
「必要、なくなった?」
「本人が一番良く知っているだろう。話してやったらどうだ? 俺もお前の口から聞きたい」
ガイブルグの言葉に、皆の視線がカリスの方を向く。彼は小さく溜息を吐くと、控えめな声で話し始めた。
「シュタイナー家はですね、何というか、戦での切り込み部隊を率いていたんです。自らの命を守るより、敵の命を奪う事を最優先に、生きて名誉を得るより死んで名誉を得ろ、それが家訓でした」
「……全然想像がつきません」
「僕も未だに信じられませんよ。それでも、戦争があるうちは良かった。……戦争が終わると、シュタイナー家の家訓は必要ない、いや、下手をすれば反逆者になり得ると言われる時代になりました。リクシード女王は慈悲深く、賢明な御方でした。だから追放はせず、爵位を下げて立場を低くしたんです」
「リクシード女王は、やはり素晴らしい御方だったのですね……!」
「どうかな?」
そのやり取りに、ガイブルグの声が重なった。
「確かにリクシードは賢い奴だ。だが善意だけで爵位を下げたとは考えられん」
「つまり……?」
「シュタイナーの血を恐れていた。その刃が自分の、自分達の家族に向けられる事を。そしてカリス・シュタイナー、お前は今まで俺が見てきた中で、一番シュタイナーの血と遺志が濃い。何かの間違いで道を違えればそこの娘を──」
「ありえません!」
ガイブルグが言い切るより早く、ヘリオスは否定した。
「カリスは、そしてシュタイナー家はレオズィール王国の誇り高い騎士です。たとえ竜の神様であろうと、彼の、彼の血統の精神を疑うような言葉は聞き捨てなりません!」
「そ、そうです! カリスさんは優しい人ですよ、なのに……」
「口を慎みなさい! 人間風情がガイブルグ様に出過ぎた言動を!」
ルルイが杖剣を手に前へ出ようとするが、ガイブルグが片手で制する。ヘリオスは振り向き、アリウスへ同意を求める。
「アリウスだってそう思いますよね!?」
「…………」
「アリウス……?」
彼は何も答えない。友である彼ならば、真っ先にコノハやヘリオスに同意する筈なのに。
「2人とも、ありがとうございます。ただ、彼の言っている事が全部間違っているとは、僕からは言えないんです。それを知ってる、アリウスも」
「そう、だな。俺だってカリスが国に叛旗を翻すような奴じゃない事は分かってる。だがガイブルグが言っていたシュタイナーの血の話……」
だがそれ以上、アリウスは語らなかった。
今でも鮮明に思い出せる。ある遠征任務で見た、彼の姿。
血に塗れ、死体が転がる小さな村の中、槍を片手に持ったまま笑うカリスを。
── 終わったよみんな。帰ろう ──
あの時も、今と変わらない笑顔だった。その眼球が返り血に染まり、真っ赤だった事以外は。
「な〜にを他人事のように言ってるんだアリウス・ヴィスター。お前の魂だって血の味がしたぞ。シュタイナーの坊主とはまた違ってはいたが」
「って、そんな事よりもアリウス、今は君の用事が最優先だろ?」
「……あぁ。ガイブルグ、お前に聞きたい事がある……ん? んん!?」
アリウスは懐から例の本を取り出そうとする。が、見つからない。確かに入れた筈なのに。
「何を慌てている? ここにあるぞ」
ガイブルグはとぼけた顔で本をチラつかせた。どうやら頬を舐められた時に盗られた様だ。おちょくられている。
「お前……」
「先に言っておこう。俺が直接その呪いを解く事は出来ない」
「そんな……!」
その言葉に、コノハの表情が暗くなっていく。しかしガイブルグは本を振りながら話を続ける。
「まぁ待て、話は終わっていない。いいか、正確に言えば呪いの第1段階目は解けている。どうやって解いたのかは知らないがな。それで第2段階目だが、まずはその呪いの元が何にも取り憑いていない状態にしなけりゃならない。……今はゼオ・ライジアに取り憑いているんだな?」
何故それも知っているのか、と尋ねようとした時だった。
暗い空に澄んだ鳴き声が響く。そして空から蒼い鎧が降り立った。
「お前……!?」
「竜騎士、遅かったな」
竜騎士と思わぬ場所で再会したアリウスは声を上げる。対して他の3人は、突然現れた騎士に戸惑うしかなかった。
「何でそんなことを知っているのかと聞きたかったんだろう? 先に竜騎士から粗方の事情は聞いている」
「ガイブルグ、巫女達が動き始めている。余計な手出しはするなと警告したが、素直に聞くとは思えない」
「はぁ〜、あのアホたれ共……変に状況が拗れるとまずい事も知らないで」
ガイブルグは苦い表情をすると、アリウス達に告げた。
「時間がない、簡潔に言う。巫女共は呪いを解かずに直接魔剣を消滅させようとしている。だがアリウス・ヴィスター、お前はまだ呪いと繋がっている。そうなったらお前も道連れだ」
「あぁ……はぁっ!?」
「だからこそ、確実に呪いの元だけを引き抜け。それまでは適当に巫女共を利用して、隙を見て魔剣を引っこ抜くんだ。そうしたらあとは俺がやる」
と、話を聞いた竜騎士が前に出る。
「私も同行する」
「…………あんたが?」
警戒するアリウス。過去の件もあり、まだ彼を信じきれていない。そんな心情が声に含まれていた。
「あの呪いは危険だ。無茶な消し方をすれば必ずこの世界に何らかの爪痕を残すだろう。……青年、もはやこれは貴様だけの問題ではない。ユーラン・イルミラージュの世界の法則を崩しかねない事態だ。でなければ私も力を貸したりはしない」
「……少し安心した。だったら遠慮なく、あんたの力も利用させてもらう」
2人の間に張り詰める、奇妙な緊張感。それを感じ取ったコノハの背が震えた。
竜奏士と竜騎士。意志は似ている様で、根本的に違う事をコノハは理解している。その2人が協力しなければならないほどに、彼が受けた呪いは根深いもの。
杖剣を抱く手が、僅かに震えた。
続く
次回、ドラグニティズ・ファーム、
「征伐」




