「護れもしない名古屋を、救おうだなんておこがましい!」
千九百年の歴史を誇り、神聖ながら都会の喧騒の中に佇む不思議な杜、熱田神宮。
国道から一歩踏み込めば、途端に別世界のように真逆の空間に変わってしまう。
うっそうと生い茂る木々から穏やかな空気が流れ、楠木などの深緑の香りがこの場所を満たしている。人々が消えても、ここだけは変わりなく有り続けていた。
そんな中を、西門から正参道を目指して、大樹は走る。
境内に敷き詰められた玉砂利がこすれ、ザックザックと足音を鳴らした。
手がかりがあるとすれば、まずは本宮だ。
そこでわかんなかったら、神頼みでも何でもしてやる。
神様がらみなんだから──期待してもいいだろう?
大樹は宝物館を左折して、新たな鳥居を潜り樹齢千年の大楠を横目に本宮へ急ぐ。
『まあまあ急いて急いて。
それでどうなさるおつもりですの?』
聞き覚えのある声が響く。
見ると、第三の鳥居の上にアカリが鎮座していた。
「あんた、葵はどうしたの!? 出雲にやってなんていないでしょうね!?」
『……葵? ああ』
何か合点がいったように、アカリは頷く。
『聞いてどうするんですの?
どのみち、〝あなたのせいで〟名古屋は消滅するのですわ』
「草薙の剣を見つければ解決じゃない!
私たちがケンカする理由は無いでしょ!?」
『では、名古屋に残って神体を護ってくれるのですね?』
「それは──……」
言いよどむ大樹に、アカリははぁっとため息をつくと、
『半端な覚悟が一番嫌いでしてよ!』
木々の陰から、ぬっと人影が現れる。
人の姿を象っているが、体は土でできていて、所々が不自然に盛り上がり、表情の伺えないのっぺりとした顔、全身に幾何学的な模様が刻まれている。
まるで古墳から出土する土偶だ。
2メートル弱の、人間と同等サイズの土偶が大樹を阻んだのだ。
『あなたをこれ以上進ませるわけにはいきませんわ』
言い様からしてこいつはアカリの傀儡のようだ。
「……なるほど」
大樹は警棒を構える。
「どうしても〝いかせたくない理由〟があるってことね」
『む……』
図星なのか、アカリは動揺を見せた。
これは意地でも通らないとな。
大樹はういろうを頬張り、気合を入れた。
「でやあああああああッ!!」
警棒を振りかざして、相手の頭上──から切り返し、籠手を狙う。
バキリっと土偶の腕がもげる、やったか!?
『無駄ですわ』
しかし相手の腕はビデオを巻き戻すようにするすると復帰してしまう。
「うげ……、再生すんのかよ……」
だがこちらも諦めるわけにはいかない。
再生するならバラバラになるまで打ち砕くまでだ!
大樹は再び吼えると、猛然と飛び掛った。
今度は頭上へ真っ向一撃ッ!
『無駄と申しておりますのに』
確実に入ったと思ったにもかかわらず、大樹は空振りしてしまった。
正面に相手が居ない、そう認識した瞬間、背中に衝撃が走る。
「ぐふッ!!」
吹き飛び、鳥居に叩きつけられた大樹は、体勢を取り戻す余裕もなく相手に拾い上げられ、空を見た次の瞬間背中から地面に激突した。
──一瞬で背中に回られて、殴られ、持ち上げられて地面に落下か。
激痛に喘ぎながら、やっとそこで何が起きたのか理解する。
ちきしょう、まいったな。
こいつすっげー強いぞ。
『やりすぎてしまいましたわ。なにせ場所が場所なので、力が強すぎて』
「うぅ……」
『いかに剣術に覚えがあるといえど、強い巫女とはいえど。
あなたは所詮、人間なんですのよ』
土偶は大樹の警棒を奪うと、ばきりとへし折った。
『鉄の棒一本でここまでやってきたのは、映画の演出と誰かの庇護があったからこそ。
冷静な分析力は認めますが、すでにレベルが違いますわ』
その通りだろう。彼女達は神の眷属。
本気になったら、一瞬でこのザマなのだ。
『ご理解頂けたら、あきらめてくださいな。
わたくしもこれ以上弱いものいじめはしたくないゆえ』
「……なめんなよ」
頭は打ってない。呼吸も落ち着いてきた。体は痛むが、そんなもん気合だ。
──立てるぞ。
大樹は、ゆっくり体を起こした。
「レベルが違うからって、勝ち負けが決まったわけじゃないでしょうが」
『ご冗談を』
やっと立ち上がったところで、相手が詰め寄り、下腹部に一撃。
鳩尾にぎりりと捻じ込まれた痛みと、酸っぱい胃酸が口に逆流する。
大樹はよろめくと、ばたりと地面に伏せ、そして悶絶する。
「うぐ……あ、ああ……」
気絶できればまだ救いがあるが、残念ながらそうはいかない。下腹部は打たれた衝撃を腹痛に変えて訴え、大樹はうめきながらいもむしのようにごろごろと転がった。
ちきしょう、死ぬわ。死ぬって……ッ!
なにが〝大樹ちゃんは特別な力があるの〟……だよ。
全然通用しねえじゃねえか、くそったれ!!
なーにが〝東京いっちゃやだ〟だよ。人を悪者みたいに……ッ!
「うぅ……ぐぅ」
『驚きましたわ。まさかまだ立つとは』
そうか。
自分は今、立ち上がっていたのか。
意識が白くなりかけてて気づかなかった。
『ですが、立ったところで』
衝撃。もんどりうつ。
……もう何がなにやら。
気付いたら砂利と仲良く転がっていた。
「あが……っ!」
くそう。
お腹痛いな。たぶん顔は砂だらけだ。
泣きたいな。これ泣いていいかな。
だって、女の子だぜ?
あー、なんでこんなことやってんだろ。
そうだよ。あのバカだよ。
全部、ぜんぶ、
ぜぇぇーんぶあいつのせいだ!
あの時、あの映画館であいつと会ったりしなければ……ういろうをやらなければ、今頃円滑に東京に逃亡できてたんだよ。あの馬鹿が死ぬかどうかなんて知るか!
〝大樹ちゃんはそれでいいの?〟
〝その子は、あなたに嫌われたくなくて、たくさん足掻いたよ。
あなたに一緒に居て欲しいから〟
……くそ。くそったれ。
あー、悔しいな。
それでもあのバカに会いたいなんて。
……やっぱりあいつと居た一年が一番楽しかったんだよな。
『……よもやそれは、同情を誘っているわけではないですわね?』
大樹は立ち上がっていた。
泣きっ面で、患部を押さえながら、よろめいて立ち上がっていた。
『痛々しい限りですわ』
「……うるさい……。まだ終わってないんだ、かかってこいよ」
──だってしょうがないだろ?
負けたらもうあいつに会えないんだから。
あいつと一緒に居た名古屋が無くなっちまうんだから。
「早くしろよ。あいつが待ってるんだ」
『どうして前に進もうとするのですか?
あなたは名古屋に愛想をつかせたのではなかったのですか?』
「外のノウキンとおんなじことを聞くな。好きとか嫌いとかじゃないのよ。
名古屋がここにないと、葵が居てくれないと困る。それだけよ」
『結構。では神体を見つけてそのあとどうなさるおつもりで?』
「東京に行くわ。私は私の人生を歩む」
今度こそ、迷わず大樹は答えた。
『あいかわらず身勝手な。あなたは結局問題を先送りにしてしまうだけなのですよ。
あなたが神体を見つけても、奉る人間が居なければすぐまた葵は力を失う』
土偶は太い腕で大樹の襟首を掴み、ぎりりと持ち上げた。
『護れもしない名古屋を、救おうだなんておこがましい!』
「けっ! そのあとなんて知ったことか!!」
『なら何故そうまで救おうとする!?』
襟首がさらに閉まる。えずき、うっと大樹は声を漏らした。
「あんた、言ったわよね。
生まれも、生きた道も変えられないって。
血とは家とはそういうものだって。
……その通りだわ。私の生きた道ってやつは、結局この名古屋にある」
あんなに嫌いだった剣術の稽古が、大樹をここまで助けた。
大樹が生家に生まれなかったら、葵と出会うことは無かった。
大樹がホラー好きじゃなかったら、葵は大樹と別の関係を結んでいただろう。
──全て繋がっている。この名古屋で、何一つ変えても今の大樹は存在しない。
「だけど」
大樹は腕を伸ばし、相手の手を両手で掴み返す。
「これから生きる道は私が決める。
故郷を道に例えるなら、その助走のためにあるのよ、きっと。
名古屋が困ってるなら、助けてやるさ。
けれど私の道も歩ませてもらう。それが私にとってこの場所の意味なんだ!」
『それを身勝手と言っているのですわ!』
土偶が大樹を振り上げる。
──やられる……、ここまでかよッ!!
「葵……」
空を見上げ、大樹は呟いた。
〝一緒に東京で暮さない?〟
東京に行くと決めて、一度だけ葵にそう尋ねたことがある。
〝……、ごめんね。私、名古屋、離れられないから〟
ひどく辛そうな顔で、葵はそう答えた。
今考えたら、そりゃそうだ。
葵は名古屋の土地神なんだから、離れられるわけ無いだろう。
〝あっそ〟
そう短く言って、平気な顔をした。
〝別に、いいんだけどね〟
大樹の体が、ボールでも投げるように放り出される。
フリーフォール。
遠心力で無重力を感じる。
「あおいいいいいいいいいいいいいいッ!!」
大樹は叫んだ。
〝ホントに行っちゃうの??
寂しいよっ!〟
〝……そんなに名古屋が嫌なの?〟
〝たいきちゃん──東京行っちゃ、
やだ……〟
〝これ以上、大樹ちゃんに
嫌われたくないよッ!!〟
〝この子は私のモノだ。誰にも渡さないし、どこにも行かせるものか〟
違うんだよ。
葵だけが私を必要としてるんじゃない。
私には葵が必要なんだ。
どこにいったってそれだけは変わらないことを、あいつ、知らないんだ!
ギラリと太陽が輝いた。
それを見て、大樹は大地に落ちた。




