「大樹ちゃんは、本当にそれでいいの?」
中区栄、久屋大通公園。
またの名をセントラルパーク。
名古屋の中心にどんっと、長方形2キロメートルに渡って広がる巨大な公園だ。テレビ塔の足元に位置し、さらにその下には、地下鉄各線、名鉄瀬戸線の駅とショッピングモールの立ち並ぶ地下街があり、大勢の人や連日の様々なイベントに賑わっている。
少なくとも、それが大樹の知っている普段の栄の姿だった。
しかし今現在は地上にも地下にも人一人見当たらず、しんっと静まり返っている。
まるで名古屋の都市そのものが気絶してしまったようだった。
「土地を護る神が力を使い果たしたのだから、当然」
訝んでいる大樹にシロが答えてくれた。
「やっぱり、葵が倒れたから?」
シロが無表情で頷く。どういう理屈かは判らないが、ともかく、葵が倒れると名古屋中の人間がこつぜんと消えてしまうらしい。
「どうすればいいの?」
「……簡単。神体を見つける」
「どこにあるかわかってるの?」
「知らない」
なんじゃそりゃ。
「見つけるのはあなた。
それが元々のはじまり」
「そういえばそんなこと言ってたな……」
「車の運転できる?」
シロが訪ねてきた。
大樹は無免許、首を左右すると、シロは、
「そう」
っと呟いて方向を決めた。首をかしげて付いて行くと、着いた所は地下鉄の駅だ。
「電車は動くの?
みんな消えちゃったのに?」
大樹の質問に答えず、シロは久屋大通駅の改札を、切符も買わずに抜ける。
名城線のホームに降り立つと、程なくして、
『──まもなく金山方面、列車が参ります。白線の内側に……』
っと、いつものアナウンスが響いて本当に列車がやって来た。
客のいないその列車に、シロは迷わず乗り込む。
一体誰が運転してるのか。
大樹が運転席に目をやると、
「……ヨシ! 発進!!」
ブギーマンだ。制服を着て、安全指差呼称を抜かりなくしている。
やっぱりか。なんか、もう軽く慣れてしまった。
ガタン。ゴトン。列車は地下に掘られたトンネルを金山方面に走り始める。
「あんたたちは、私の敵じゃなかったの?」
葵を横に寝かせながら、大樹が言った。
「襲ったのは映画の役だから」
向かい合う席に座ったシロが答える。
「意見の違いがあるだけで、みんな同属。
本来葵に敵は居ない」
「じゃあユズって子は撃って大丈夫なの?
同属なんでしょ?」
「私はあなたを護るよう、葵から指示を受けているから。
ユズなら大丈夫。私たちにあなたたちで言う〝死〟の概念は無い。
彼女を足止めするにはああするしかなかった、それだけ」
よくわからないが、とりあえず、この子は敵ではないってことか。
「本当にこいつ、土地神なのね……」
シロは座席の隣に置いてあったクーラーボックスを引っ張り出しながら頷く。
未だ信じられないな。
神託を伝えに来てホラー映画にびっくりとか、おおよそ森羅万象の化身のやることとは思えない。アホかと。
「やおよろずも数が居れば、こんなやつも出て来るのね。
……こいつも十月には出雲大社にいくわけ?」
「毎年サボタージュ」
オイオイ大丈夫かよ名古屋。
「葵は出雲が嫌いだから」
シロはクーラーボックスの中から何かを取り出した。
四角い容器の赤味噌パックだ。
「どうするの、それ」
質問には答えずに、パックを開封する。
「まさか味噌のままもりもり食べるの?」
「違う」
今度はショットガンをいじり、中から薬きょうを取り出す。
そしてへらで丁重に赤味噌を詰め込み始めた。
「……それ、火薬じゃないんだけど」
「知ってる。これは赤味噌」
……真顔で言われてしまった。
「え、ボケてるの?」
「違う。私は冗談が苦手」
「冗談じゃなかったらなお悪いんだけど。
散弾じゃなくて味噌ばら撒いてたの?」
「違う。でも間違いじゃない」
ガチャリ、と一発目を装てんして次の弾の作業にかかる。
「これは赤味噌酵素に含まれるエネルギー体〝ミソコンドリア〟を抽出して射撃する。
だから火薬の変わりに赤味噌が必要」
相変わらずの真顔でトンデモ科学を解説されてしまった。
「〝ミソコンドリア〟なんて人を馬鹿にしたエネルギー初めて聞いたんだけど」
「当然。
これは葵が映画のために考えた設定。
名古屋の中であれば、葵のコトワリが世界のコトワリ」
「アホか! こいつは神様かよ!」
「そう、神様」
「あー……そうだった。神様なんだよな」
「……今のは冗談?」
「違う、うっかり言っちゃっただけ」
そう、っと呟いてシロはまた作業に戻る。
ミソコンドリアとかお馬鹿な設定は一体なんのために作ったんだよ。
名古屋県とかモーテルとか、度々見たおかしい単語は全部こいつの仕業だったのか。
考えても見れば、必要なシーンで死体が転がっていないのも合点がいく。
元来葵はホラーがだいっ嫌いなのだから。
「葵のことはなんとなくわかったけど、あんたたちはなんなの?」
「葵は大蛇。私たちは葵に食べられてから、葵の管理をしている」
さっぱりわからん。そういえば葵は最後に「人身御供風情が」とか怖いこと言っていた気がするが……。シロは十分説明したと判断したようで、黙ってミソを詰めている。
あんまり喋るのは得意じゃない子のようで、やりにくい。
「むかーしむかし、いたずらをして天国を追い出された神様が居ました」
すると、絵本でも読んで聞かせるようなほんわかとした声で語りながら、一つ向こうの車両から女性客が乗り込んできた。桜色で、ふわりとしたくせのあるウェーブの髪に、落ち着いた笑顔と、ゆったりしたセーター、それ越しにもわかる豊かな胸。
大樹よりちょっと年上のお姉さんだ。
ふらっふらっとしたどこか危なっかしい感じに歩みながら、物語を続ける。
「地上に降りたその神様は、ある国で困っている人たちに出会います。
その国は八つの頭を持つ巨大な蛇に支配されていて、その蛇は毎年一人づつ、その国に居るお姫様を差し出せと人々を脅していました。もう七人のお姫様が食べられていて、この子で最後……その後はどうしたらいいのかと嘆いていたのです。
その神様は最後のお姫様を好きになってしまいました。
だから、神様は大蛇をやっつけることにしました」
「ヤマタノオロチ伝説……?」
実家の関係上、大樹はこの話をよく聞かされた。
『日本書紀』や『古事記』に記されている、日本創世神話の一つだ。
天を追放された神──スサノオノミコトが地上で、頭が八つもある蛇の怪物、ヤマタノオロチを打ち倒してクシナダヒメを救うヒロイックな伝説だ。
お姉さんはこくりと頷いて、シロの隣に座った。
「はじめましてでもありませんけど、はじめまして。
名前はね、えーっと」
「サクラ」
シロが言うと、お姉さんはそうそうっと手を叩いて頷いた。
「サクラさんって呼んでね。
あ、それから、うーんっと」
サクラさんはごそごそとセーターの内側に手をつっこみ、なにかを取り出す。
ジェイソンのホッケーマスクだ。
「この人の役をやってましたー」
と、いたずらしちゃってごめんね?
みたいな調子であははと笑う。
「……ずいぶんキャラが違うんですけど」
「うん、そうだねー。怖い顔苦手だから、このお面があってよかったよ」
この人がどんな顔でトイレのドアをぶっ壊したのかむしろ見てみたいよ。
「それで、ヤマタノオロチがどうしたの?」
大樹が話を促すと、サクラさんは目を瞑って、歌うようにやさしく物語を続けた。
「神様は、知恵を振り絞って大蛇をやっつけます。
そして大蛇をばらばらに切り刻んでしまいました。
すると、大蛇の尻尾から不思議な剣が出てきたのです」
「アマノムラクモノ剣ね」
後に、草薙の剣と呼ばれることになる、日本でもっとも有名な聖剣だ。
大樹に相槌に、サクラさんはまたこくりと頷く。
「大蛇をやっつけた神様は、お姫様をお嫁さんにして幸せに暮しましたとさ」
簡略化された物語なら、ここでめでたしめでたし、終了のはずだ。
しかしサクラさんは、「──ところで」っと、話を続けた。
「先に飲み込まれた七人のお姫様達は、一体どうしたのでしょう?」
「……姫たち? ヤマタノオロチに飲み込まれたんじゃなかったの?」
「そうですねー。でもそこで死んでしまっていたなら、なぜ神様は大蛇をわざわざバラバラに切り刻んだのでしょうか?
一体なんのために?」
「まさか。
七人の姫を助け出そうとしたの?」
サクラさんはまたこくりとした。
「ってことは、スサノウノミコトは、七人の姫がまだ生きている可能性を知っていた」
「そう。七人の姫……いいえ、七人の巫女達は、ただ食べられたわけではなかったの。
互いが互いに力を合わせて、オロチを封じようとしていたの。
ある意味オロチに毒を盛っていたのね。
それは、八人目……伝承で言うクシナダヒメが合流することで完成するはずだった」
「ところがクシナダヒメはスサノウに見初められ、予定が狂ったのね」
「うん。結果おーらいだったんだけどね。
そして、オロチは負けを悟ったとき、七人の巫女に〝助けて〟とお願いをしたの。
倒されるぐらいなら、今ここで封じられたほうが良い、そう考えたんだって。
哀れに感じた巫女達は、オロチの改心を条件にその力を封じ剣に変えてあげた。
そして巫女達は剣の眷属として、同時に管理者として共に生きることに決めたの」
「それが私たち。サクラやアカリや、ユズ」
最後にシロが、事も無げに言った。
「あー、シロちゃん、いいとこどりはずるいんだ」
むぅっと拗ねた様子で、サクラさんがシロの頬を引っ張る。シロは動じずにやらせっぱなしにしていた。
一方の大樹は開いた口が塞がらない。
何この人たち、神話クラスって。
「え。ちょ、ちょっと待って!
あんたたちはヤマタノオロチを管理する眷属なのよね?
それで、管理してる神様って言ったら……」
サクラさんはふふっといたずらっぽい笑みを浮かべて答えた。
「うん。葵ちゃんはアマノムラクモノ剣の化身、かつてヤマタノオロチと呼ばれた大蛇が改心した神様なのよ」
「お……おいおいおいおい!」
大樹の実家が信仰している神道で言うならば、神様もかなりの数が居て、当然クラス、レベル、実力やバリエーションに差異がある。妖精や妖怪の類も神様としてカウントされるのだから、極論、その辺の石ころだって神様かその眷属の可能性がある。
だから大樹は、葵が神だとしてもどうせ知れているなと思っていたのだ。
ヤマタノオロチとかスケールが違う。
だからなんで神話クラスなんだよ。
「じゃあなに、私はヤマタノオロチを連日どついたりパシらせたりしてたわけ?」
「そうなの。びっくりねー」
「B級ホラーで泣き喚くヤマタノオロチのほうがびっくりだわ!
お前元ラスボスじゃねーか!
お前のほうがよっぽど怖いっつーの!」
べしっ!
っと寝ている葵の頭をはたいてやる。
「なんかね、人体破損がダメっぽいよ。
ほら昔、自分がバラバラにされたから」
トラウマってやつか……。
わかるようなわからんような。
「まあ、大体の事情はわかった」
大樹はさっきのアカリ話と合わせ、
「力を失いつつあったヤマタノオロチは、私に神体を探して欲しいとお願いしに現れた。なのに、言いそびれた挙句、肝心の私が名古屋を出て行くといい始めた。慌てた葵は自分の眷属達と力を駆使して、名古屋を私の好きなB級ホラーの世界に変えてなんとか引き止めようとした。
……で眷属たちの意見が分かれたのね」
「そう、そして大樹ちゃんは要らないというユズちゃんやアカリちゃんに、怒った葵ちゃんは、さっき思わず最後の力を使ってしまったの。
それがアカリちゃんなりの、葵ちゃんを止める作戦だったんだけど」
「まんまと挑発に乗っちゃったわけか。
バカじゃない」
「大樹ちゃんが好きなの。割り切れないのは人間の女の子と一緒よ」
女の子と同じメンタル持ちとは、やっかいな神様である。
「それで、倒れた葵のために、今から神体を探さなくちゃいけない。
その神体って言うのが……」
「草薙の剣」
しばらく静かだったシロが言った。
「そりゃまた厄介な……」
草薙の剣。先の『日本書紀』と『古事記』に登場する、アマノムラクモノ剣が名を変えた伝説の剣だ。三種の神器の一つでもある。神話の世界以降も、源平合戦など歴史の狭間にたびたび姿を見せるので、実在したこと自体は間違いない。
問題は、今どこにあるのか、はたまた〝無いのか〟すら判らない点だ。
定義上は、名古屋の熱田神宮に奉られていることになっている。
ただし、千年以上に渡って誰もそれを確認していない。
見たものに祟りが降り注ぐとされて、畏れ触れられずにいたためだ。
また一説には壇ノ浦の戦いで海に沈んだとも言われる。
──そういうよくわからん剣を探して来いってさ。
「うちの実家の無くなったご神体も、それ絡みなのよね。
……はぁー」
がっくりと項垂れる。
結局、嫌だった実家の仕事を手伝わされる事になってしまった。
アカリの言うとおり、生まれはもう変えられないのだろうか?
「それは本当に私じゃないといけないの?」
思わず口をついてしまった。
するとサクラさんは、んーっと悩んで、
「絶対ってわけじゃないかも。
この場合大樹ちゃんは、単に感度が良いってだけだから。
剣を探すだけなら、また年月をかければもっといい人が出てきたかもしれない。
…………でもね」
「大樹ちゃんは、本当にそれでいいの?」
「おうちのことも、オロチ神も、人の消えてしまった名古屋も。
今ここで大樹ちゃんが頑張らなくても、たぶん、なんとかうまく良くと思う。
おうちは親戚の人が継げばいいし、土地神ならすぐに代わりが現れるわ。
だけどね。葵ちゃんは……大樹ちゃんのお友達は、今、そこで気を失っているよ。
その子は、あなたに自分を探して欲しくて、あなたに嫌われたくなくて、たくさん足掻いたよ。あなたに一緒に居て欲しいから。
誰でもない、須藤大樹ちゃんに見つけて欲しかったから」
「…………」
「大樹ちゃん。生まれも、生きた道も、どんな大きな運命も。
向き合うのは、いつもあなただと思う。
私はアカリちゃんみたいに賢くないから、難しいことは言えないけど」
サクラさんは言葉を区切っていった。
「葵ちゃんは、今、そこにいるんだよ」
「……わかってる」
葵の頬に触れ、「借りるぞ」っと呟いて、おさげの先にあるリボンを解く。
「こいつ、泣き虫だし、頭は悪いし、挙句神様だって事を言わなかったし、嘘までついたし、要領の悪さは側に居るとイライラしてたまに本気でむかつくけど」
大樹は自分の髪を纏め、葵のリボンでポニーテールに直した。
わかってる。悪いのは葵だけじゃない。
一番最初は、自分の居場所から目を逸らし続けていたのは、うやむやのままに名古屋から出て行こうとしたのは、だれでもない大樹自身だ。
「……葵は私の友達だ。
だからこいつが助けて欲しいときは、私が必ず助けてやる」
そこに実家も名古屋も神様も、どんなしがらみも関係ない。
いるのは葵と大樹だけだ。
「うん、それがいいと思う」
サクラさんは頷いてくれた。