6章 子供の遊びはここまでだッ! 1
数十分後、大樹と葵は栄にある喫茶店に落ち着いていた。
結局食べそびれた朝食のし直しである。
テーブルには、大樹のホットコーヒーとトースト、葵のカフェオレと小倉トーストがそれぞれ。
そしてサラダ、赤味噌汁、ゆで卵にプリン、ハーフバナナと半月状にカットされたオレンジ。
それらがずらりと並んでいる。
「ずいぶん豪勢なモーニングね」
っと大樹は赤味噌を吸う。
「この辺はモーニング合戦が激しいからねー」
っと葵がサラダに手をつける。
名古屋は、数十メートルを歩けば一軒の喫茶店にたどり着くほど、喫茶店の数が異常に多い。
東京大阪にくらべ喫茶店の生存率が高い故といわれるが、詳しい経緯は不明だ。
それだけの数がひしめけば当然発生するのがサービス合戦であり、その中でも喫茶店という性質上、モーニングの量、質で争う戦いは激化している。
もはやコーヒーとモーニング、どちらがサービスかわからないような状況の店は、一つの名古屋名物とも言える。
「モーニングにピラミッド状に積んだういろう出せば、絶対繁盛すると思わない?」
「思わないよ。
それ、モーニングじゃ無くなってるよ。
モーニングを食べに来たおじいちゃんとおばあちゃんが胃もたれしちゃうよ」
「うーんそうかぁ。喫茶店ってご老人の常連さんで成り立ってるもんね。
いいアイディアだと思ったけどなぁ」
「えーっと、山積みのういろうは若者でも受け付けないよ?
あと、ういろうは和菓子だから、コーヒーには合わないんじゃないかなぁ」
そんなことを言いながら、葵はあずきのたっぷり乗った小倉トーストにかじり付く。
「ほっぺたにあんこ付いてるわよ」
「え? うー……っと」
「そっちじゃなくて、右……あーも、ちょっとじっとしてなさい」
見かねた大樹が紙ナプキンで拭いてやる。
「よく朝から小倉トーストなんて食べれるわね。甘ったるくない?」
「え?
た、大樹ちゃん、さっきういろうを三本くらい食べてたよね?
しかも小豆ういろう……」
「ういろうは関係ないじゃない」
「ういろうのほうがよっぽど重いよ。
ときどき大樹ちゃんがすごく不可解だよ」
そう言って空になった皿をじっと見る。
「……小倉トースト、おかわりしていいかなぁ」
「人の事言えないじゃないの。好きにすれば?」
「えへへ」
「すみませーん、小倉トーストもう一枚くださーい!!」
葵が大声で注文すると、急に店内がざわつき始めた。
何事かと訝る。と、店員たちが大樹たちテーブルを囲んだではないか。
「うわわ……た、大樹ちゃん!」
「なに、なんなの!?」
そしてパパンッ!! とクラッカーが炸裂した。
「おめでとうございまーす!」
「あなたは当店で一万枚目の小倉トーストをご注文いただいたお客様です!」
「記念のお品物をご用意しておりますので、どうぞお受け取りください!!」
そう言ってラッピングされた巨大な箱を差し出してきた。
葵の顔がぱぁっと輝く。
「大樹ちゃん、ねえねえ、大樹ちゃんッ!!
ほらほら! 大樹ちゃんッ!!」
「うるせぇ名前を連呼すんな」
葵ははしゃぐあまりにわけがわからなくなっていた。
「ご同席の方にもプレゼントがございます」
「え。ほんと?」
「小倉トーストをご注文いただけなかった場合のサプライズですよ」
『小倉トーストモーニング半額チケット×10』
……いやがらせじゃねぇか。
「当店は、小倉トーストに大変自信を持っておりますので。
ぜひご賞味ください」
そういい残して店員たちは去っていった。
「最後に怨念じみたなにかが込められてなかったか?」
「うわー、何が入ってるんだろ?
開けていいかなぁ!
ねぇねぇ開けていいかなぁ!?」
「何で私に確認するのよ。開けたらいいじゃない」
「えへへー」
葵は嬉しそうに、ばりばりと急いてラッピングを破く。
「落ち着きなさいよ」
葵があんまりはしゃぐのでこちらまでなんだか嬉しくなっていた。
そういえば、クリスマスとかになにかくれてやるとえらく喜んだな。
プレゼント事に目が無いのだろう。そういうところは本当に子供っぽい。
大樹の口元がほころぶが、品物に夢中の葵が気づくことは無かった。
ラッピングを剥がし終えた葵が、嬉々として中身を持ち上げる。
『焦げ萌え♪
小倉トーストたん等身大フィギュアDXセット』
空気が凍った。
なにかのアニメのキャラクターなのか、小倉トーストを頭に搭載した、三頭身でやたら目がキラキラしている美少女だ。
ウェイトレス服を着用し、脇を閉めて拳を口元に置くぶりっ子ポーズで、びっくりするほど揺るぎないスマイルをこちらに突きつけている。
「た、大樹ちゃん」
葵は凍結した笑顔でこちらを見た。
「あげる」「いらない」
即答。
「遠慮しないで」
「いらない」
「ほ、ほら、頭の小倉トーストがver.焦げトーストに変えられるよ?」
「そうか。いらん」
「顔も×の字に変わるんだって!
可愛いよ? 萌え萌えだよ?」
「ほー。そうか。いらん」
「間接が自在に動き、様々なポーズが再現可能!
別売の衣装でお着替えが出来ます!
DXセット限定、一緒にお風呂に入れるスクール水着同梱!!」
「うわー、ドン引きだわ。いらん」
「うぅ……」
葵はしおしおとうな垂れた。
「これを抱えて街の中歩けないよぉ……」
小恥ずかしい内容物も去ることながら、とにかくでかいのだ。
何を前提に等身大フィギュアとしているのかしらないが、箱だけでも百五十センチ強、本体はざっくり一メートルといったところか。
乳児を抱えるようなもんである。
さらに悪いことにラッピングを破いてしまったため、再包装も不可能である。
「どの客層をターゲットにしてるのよこの店は。
つっかえしちゃいなさいよ」
と大樹がいってやると、
「それもちょっともったいない気がするもん」
「じゃあ素直に引き取れ。一緒にお風呂に入るがいい」
「うえーんっ! 大樹ちゃんがつめたいよーッ!」
「ああ。うぜぇ……。
そもそもラッピングを破いたお前が悪いんだろうが」
「うー。どうしたらいいのかなぁ……」
とっとと返品してしまえばいいのに、葵は呻きながら頭を抱えてしまった。
勝手にしろ、と呟いて大樹は食事を終え、カットされたオレンジを口に入れた。
オレンジ……さっきの少女の髪の色も、こんな感じだったな。
……結局、あのオレンジ髪の少女はなんだったのだろうかわからずじまいだ。
なぜ全身鏡から葵を庇ったのだろうか。
それも含めて〝映画〟の演出だったのだろうか。
「……ねぇ。ホントにあの子のこと知らないの?」
「えー? あの子?」
「さっきホテルで襲ってきた……ブギーマンマスクの子」
「うん、しらない子だよ」
葵は気のない様子で返事をする。
ホテルを出てからこっち、ずっとこの調子である。
どうにも、葵のこの興味なさそうな態度も気にかかる。
「そんなことより小倉トーストたんだよ。
コレ本当にどうしたらいいんだよぉ」
「そんなことっておまえなぁ……」
「はぁ。この子の頭がういろうで、名前が『モチ萌え♪ ういろたん』だったらなぁ」
──ぴこーんっと大樹の頭のアンテナが立った。
「そしたらぜったい大樹ちゃんが引き取って毎晩一緒に……、
大樹ちゃん?」
「良いと思う」
「え、なにが」
「ういろたん、非常に良いと思う」
「顔、怖いよ」
「かじった程度で稚雑ながら、私の特殊メイク技術を駆使すれば、そのくらいの改造は可能だと思うのよ。
頭の小倉トーストをエポキシパテで盛り上げて、研磨すれば……、」
「はじめて聞いたよそのスキル。
不可解指数が秒単位で急上昇してるよ」
「あ、うん、断然良い。
それならスクール水着もすごく似合うと思わない?」
「思わないよ。
言ってる意味がぜんぜんわからないよ。
赤門通りに居る変なお兄ちゃんたちと同じオーラが出てるよ。
というか見境無さ過ぎるよ。
ういろうだったら何でもいいって節操無さ過ぎだよ。
あ、わかった。
禁句を口にした私が悪いんだね。
ごめんね? ホントにごめんね?」
「御託は良い。その子を寄越せ」
「い、いやだ……ッ!」
葵はフィギュアをぎゅっと抱きしめて断固拒否した。
「これを渡したら大樹ちゃんが取り返しのつかない人になっちゃうッ!!」
「よぉし、良い覚悟だ」
バキボキッ。大樹は指を鳴らす。
「表に出ろ。その子を賭けて決闘だ」
「その溢れんばかりの勇ましさはもうちょっと別のところで発散できないのッ!?」
不穏な空気が流れたそのとき、
ワーッ!
と声を上げて店員たちが戻ってきた。
「小倉トーストたんのピンチだ!」
「僕らの小倉トーストたんを護れ!!」
「あいつよ! あの女が小倉トーストをういろうにするって!!」
「ゆ、ゆるせねぇ!」「やっちまおうぜ!!」
あっという間に再びテーブルが囲まれてしまう。
殺意が渦巻き、風の無い店内にふわりと気流が生まれた。
「へぇ、あんたたちが私の相手をしてくれるって?」
大樹が不敵に微笑む。
「オーケー。
ういろうの材料になりたい奴からかかってきな」
「なに、なんなの!? なにこの展開!?
この人たち何!?
なにがはじまってるのぉッ!!」
「殺せ! 殺せ! ころせぇ!」
「ペースト状にして、人肉小倉トーストにしてしまえ!!」
「それもう小倉トーストじゃないよぉッ!!」
──そのわずか数分後、大樹は溢れる人の山を背にしていた。
圧勝である。
圧倒的勝利である。
しかし大樹はそんなものにまったく興味を示さず、戦利品のフィギアを持ち上げて鼻歌を奏でていた。
「あー、わかっちゃった」
葵は呟いた。
「この人はとっくの昔にとりかえしつかないんだ」
なんだかさっぱりわからないが、とにかく目的のものを手に入れた大樹は恐ろしく満足そうに笑んでいた。
これを改造するのが楽しみでしょうがない。
「本当にこれでよかったのかなぁ……」
珍妙な突発イベントが終了し、片付けられていく店内で、葵が呻く。
「なによ。あんたがいらなくて、わたしが手に入れた。
丸く収まったじゃないの」
「丸いどころかガクガクに角ばってる気がするよ」
「結果オーライよ」
ふっふー♪ とハミングを一つ、大樹は中をあらためるべく開封する。
一緒に見ていた葵が、
「へぇ。フィギュアってこんなふうになってるんだ」
「私もはじめて見た」
「本当に改造なんて出来るの?」
「やるわ、やってみせるわ」
「け……決心は固いんだね」
「とーぜんよ」
大樹はういろうを銜えながら、イメージを測るべくいったん組み立て作業に入る。
組み立てると言っても、フィギュアはすでに完成品に近い製品で、とりかえのパーツを付けるか否かの状態なのであるが。
ふむ。やはりういろうが無くてはいまいちだ。
「……大樹ちゃん」
「なによ」
「ちゃんと小倉トースト頭につけてあげようよ」
「だって、これはういろうに改造予定よ。
意味ないじゃない」
「うぅ。
お願い、なんだかすごく可哀想になってきたんだよ」
「はぁ?」
さっきまでいらないとか言っていた癖に、なんなんだまったく。
あんまり懇願するから渋々と頭のパーツを取り付けてやる。
「はい、付けた。これで満足?」
「まあ、満足というか、その子の本懐を果たせたというか」
「じゃあもう取っちゃうわよ」
そう言って大樹が頭の小倉トーストに手をかけた。
ビリッ。
「いってっ!」
手に針を刺したような痛みが走る。
突然だから少々驚いてしまったが、静電気でも溜まっていたのだろう。
気を取り直して頭に近づく大樹の手を、ばしっと何かがさえきった。
フィギュアの……小倉トーストたんの腕だ。
「え」
そしてフィギュアの眼光が閃光を放ち、全体が電気を帯びたようにバリバリと輝く。
どんっという衝撃で、大樹の体はソファーに叩きつけられた。
店内の様々なものが浮かび、暴れ回る。
まるでポルターガイスト現象だ。
「うわわ、大樹ちゃんっ!」
「なによ、今度はなんなのよぉっ!!」
二人が怯える最中、ポルターガイストは静かに沈下していく。
なにが起こったのかわからずに、店内がシンッと静まり返っていた。
『あら。お人形役とは聞いてましたけど、思ったのとはちょっと違いましたわ』
それを破ったのは、アニメ調の可愛らしい声だった。
フィギュアだ。小倉トーストたんがしゃべったのだ。
「うげぇ……」
動く人形……今度はチャイルド・プレイのチャッキーとでも言うのか。
ついにこの映画、マジな超常現象に発展してしまったぞ。
「た、祟りじゃぁ!」
「小倉トーストたんの祟りじゃあ!」
先ほどの店員たちがわらわらと集まり、小倉トーストたんを崇め始める。
マジでこの店はどういう経営方針なんだ。
『なんですの、この方々は』
ホントなんなんだろうね。
小倉トーストたんは突然現れた偶像崇拝者達を気だるそうに一瞥したが、すぐに興味を無くし、こちらに向いた。
そして腕を組み、強気な態度で、
『葵さん、お遊びはここまでですわ』
葵の名前を呼び、見知った様子で声をかけたのだ。
「知り合いなの……?」
「……」
葵は返事をしない。小倉トーストたんは続けた。
『その子は失格。それがユズと私の答えですわ』
「イヤだ」
すっと葵が立ち上がった。
「私は大樹ちゃんじゃなきゃ、イヤだ」
「ねぇ……なんの話をしてるの?」
「大樹ちゃん」
葵は大樹の手を引く。
「逃げるよッ!!」
「ちょっとちょっとッ!! どうなってるのよ、説明して!!」
『逃がしませんわ』
がしゃーんっと、ガラスを突き破って何かが飛び込んできた。
さっきのオレンジ髪の少女だ。
大樹と葵の前に立ちはだかると、すごい形相で睨み付けて、
「葵から離れろォォォォォォッ!!」
床にボルトで固定されたテーブルを引き抜き、ぶん投げてきた。
「ひぃぃ!!」
体を伏せて回避。が、ほっとするまもなく、背後から殺気を受ける。
小倉トーストたんが包丁を構えて斬りかかって来たのだ。
咄嗟に、手元にあったスポーツバックを盾にする。
ズバっとそれが裂かれ、中身のういろうが零れ落ちる。
「小倉トースト風情がァ、」
大樹は懐に入れていた警棒を構え、
「ういろう様になんてことすんのよッ!!」
カウンターを小倉トーストたんに見舞った。
予想外の一撃だったらしく、敵は簡単に吹き飛ぶ。
すぐさま振り返る。オレンジ髪の少女が追撃のテーブルを構えたところだった。
やばいな。あれを投げさせて、次の隙に反撃が善策か。
そう判断して身構えたところで、目の前を何かが遮った。
葵だ。
両手を大の字に広げ、大樹を庇うように立ったのだ。
「ユズ、やめて」
葵のその一言に相手は動揺し、動きが止まる。
『──なにをしておりますのッ! 葵を捕まえなさい!!』
小倉トーストたんの指示でハッとなり、再びテーブルを構えなおした。
だがもう遅い。
相手に詰め寄った大樹が、警棒を翻してわき腹に叩き込んだ。
「ふぐっ!」
ユズという少女は呻いて前のめりになる。
とにかく逃げよう。大樹と葵はアイコンタクトを一つ、店の外へと駆け出した。
「栄はそんなモーニング激戦区じゃねーよ」
というコメダコーヒー臭のする方々のつっこみを禁止します。
一宮までワープする展開は、さすがにちょっと。。。