5章 ハロウィンは28週後・・・(これはホント)
起きると、着衣を正した葵が三つ指ついていた。
「今朝がたはお見苦しいところを晒してしまい、大変失礼いたしました。
ひらにひらにお詫び申し上げます……なにとぞ寛大なご処置を……」
旅館の女将かお前は。
「お前意外と酒癖悪いんだな」
「ずいぶん前に痛い目を見て以来一滴も飲まないようにしていました」
「じゃあ飲むなよ」
「うぅ……。だって心配で、お酒でも飲まないと押し潰されそうだったんだもん」
「お酒好きなの?」
「実は大好きです」
「うわ、ホントに意外だわ……。
とにかく這いつくばるの止めろよ。悪いのは勝手に出て行った私なんだから」
そう言って促すと、顔をあげた葵は酷く妙な顔で大樹を見た。
「なによ」
「大樹ちゃんが優しい。普通ならここで、」
葵は立ち上がり、シャドーボクシングをしながら、
「『倍返ししなくては気がおさまらぁぁぁぁぁぁぁんッ!!』
……ってぶってくるのに」
「それ私のマネ? そんなに怒らせたいの? お前マゾ?
いいよご要望にお応えしてがっつり殴ってやろうか?」
「う、嘘です嘘です、大樹ちゃんの器の広さに感激です……」
ったく、と呟き、時計を見ると、午前十時を過ぎていた。
「とりあえず朝ごはんにしようか」
そう提案すると、葵がメニュー表を取り出してきた。
「ルームサービスがあるよ」
「へぇ。ラブホもルームサービスあるんだ」
カレーにチャーハン、丼もの……。
カラオケ店程度の種類だが、意外と豊富なメニューだった。
「どれにする?」
「まかせた」
葵は大樹の好みをだいたい知っているので、全面的に委任した。
はいさと軽く敬礼して、葵が備え付けの電話を弄る。
「……あれ」
ちょっとして葵は困ってしまった。
「どうしたの?」
「なんか、全然音しない……壊れてるのかな?」
葵は電話機を持ち上げると、ガンガン机にぶつけた。
そして受話器を取り、頷く。
「うん。やっぱり壊れてる」
「ああそうか、今のは直そうとしたのか。びっくりしたわ。
そしてたぶん、トドメ刺したのお前だよ」
「私、下まで行って注文してくる!」
「あ、ちょっと!」
ならいっそチェックアウトしてしまえばいいのに、葵は有無を言わさず飛び出していってしまった。
まあ行ってしまったもんはしょうがない。
……さて。葵が帰ってきたら、これからどうしようか。
大樹は着替えながら、そんなことを考え始めた。
ブギーマンの話を全て真に受けるわけではないが、一応の筋は通っている。
ただそれを葵に話すのはややためらっていた。
神様が造っている映画に出ている、なんて話をしても理解できると思えないし、それ以上に例えそれが真実だとして、じゃあどうすればいいのだろ?
余計な不安を煽るだけではないだろうか?
「いや、葵だって馬鹿じゃないし、やっぱり意見は求めたほうが……」
そのとき、ピンポーンっと部屋のチャイムが鳴った。
なんだろう。
ドアを開ける前に、はーいと応答してみる。
「ルームサービスです!」
「あれ、早いな」
葵とは行き違いになったのだろうか。
ドアを開けると、キャップ帽を目深にかぶった男性が、トレーを片手に立っていた。
ホテルのボーイというよりデリバリーピザの配達員のような出で立ちだった。
「ご注文の『ハロウィンパーティーセット』です」
……なにを頼んだんだあいつは。
「ハロウィンセットって、ハロウィンだいぶ先じゃない」
「そうっすね。今日が三月末日だから、あと七か月後っすね。
週換算でいうと二十八週後・・・っすね」
「いや聞いてないし。
てかなんの都合で週換算の数字を弾きだしたのよ」
「ウチはオールシーズンのイベントを用意してるんで」
「はぁ……」
よくわからないが、注文したのはこちらなので、文句は葵に言うべきだろう。
大樹が品物を受け取ると、男は、
「ありがとーござーっしたー!」
と言ってキャップを脱ぎ、深々と頭を下げた。
キャップをかぶり直し、にっとスマイル。
その顔を見て大樹は、げっ! っと声を上げた。
男はブギーマンだったのだ。
「あんた、死んだんじゃなかったの!?」
「いやっすねー、なんのことっすかー?」
ブギーマンは悪びれもなく新しいキャラを演じている。
「演劇やってる場合じゃないわよ! 私たちを解放しなさいよ!!」
抗議すると、ブギーマンは指先をチッチッチと躍らせて唇に当てる。
役に徹しろってか、冗談じゃない。
「いいかげんにしないと、実力行使に……、あ」
大樹は気づいた。こいつが現れたってことは、次の事件が始まるのだ。
ブギーマンの襟首を掴む。
「言いなさい! 次は何が来るの!?」
「あー、そーっすねー。どうなんっしょー」
「とぼけないで……、っ!!」
ブギーマンの背後に、ぬっと人影が現れる。
汚れた作業着に、死人のような肌の色でできた男という、不気味な被り物のマスク。
その四角ばった形と継ぎはぎだらけの皮膚から、日本人はフランケンシュタインの怪物をイメージしてしまうが、北米なら別の名前を挙げる。
その名は〝ブギーマン〟。
映画〝ハロウィン〟の殺人鬼、マイケル・マイヤーズのトレードマークでもある。
現れた次の刺客に、大樹が身構えると、
「あれー、お客さん、どうかしたんっすかー?」
とこちらのブギーマンが首をかしげた。
新たなブギーマンが包丁を振りかざし、その背中にドスリ。
「あーれー……」
風船から空気が抜けていくような声をあげて、ブギーマンが倒れる。
マイケルもどきは刺した包丁を引っこ抜くと、その骸を掴み、障害物でもどかすような無関心さで廊下の向こうに投げ捨てた。
マスクこそ不気味な男だが、なで肩で、バストも確認できる。
やはり女性がコスプレしているようだ。
とはいえ、何気なく大の男を持ち上げる腕力を持っている。
油断ならない。彼女は凶器を構えてぬらりと大樹に迫った。
大樹は後ずさる。ベットまで戻れば枕元に護身用の警棒があるが、そこまで黙って向かわせてくれるとは思えない。
どうにか気を惹かせるものはないだろうかと窺っていると、
「おまたせーっ!
ぢごくのモーテルソーセージってのがおいしそうだったから、おもわず注文してきたよー!」
葵だ。状況も知らずに浮かれて帰ってきたのだ。
マイケルもどきの気が反れる。今だ!
大樹は敵に背を向け、一気にベットへ飛び込んだ。
スプリングで体が激しくバウンドするが、かまわず枕に手を伸ばした。
ドスッとその進路を包丁が阻害する。
あとちょっとというところで相手が覆い被さってきたのだ。
「やばッ」
背面に馬乗りになったマイケルもどきが包丁を引き抜く。
今にも刺されんとする自分をドレッサーの鏡で観てしまい、大樹はぞっとした。
「大樹ちゃんから離れろッ!!」
葵が敵の頭に金属トレーをお見舞いする。
中身を派手に撒き散らしての一撃だったが、効果は薄かった。
敵の凶器が振り下ろされる。が、それは大樹に届かなかった。
大樹は体を捻り、枕を盾にしたのだ。
ならばもう一撃と包丁を引き抜こうとするが、そうは問屋が卸さない。
枕をくの字に曲げ、硬めのウレタンで刃を圧迫して抜けなくしてやったのだ。
「低反発マクラって馬鹿にしてたけど、結構便利だわ」
「こんのぉぉぉぉッ!!」
葵が気合十分にトレーを振りかざす。
面ではなく側面を使った攻撃が、今度こそ功を奏し、相手が揺らぐ。
その隙に大樹は警棒を持ってベットから脱出した。
「大樹ちゃんッ!」
葵の呼びかけに頷いて、出口を目指す。
そのすぐ側を大きななにかが飛来、かろうじて当たらずに壁に激突した。
ドレッサーだ。振り返ると、敵が今度は大型テレビを持ち上げて投げてきたのだ。
「ちょっと、マジで、つうかマイケルにそんな怪力描写無い……うひぃッ!!」
悲鳴をあげて浴室に飛び込む。
今しがた自分の居た場所を、巨大な凶器が駆けて、遠い場所で轟音を立てていた。
「ッ! 葵は!?」
葵が居ない。覗き見ると、葵は伏せて難を逃れていた。
ホッとため息をつく。が、直後に大樹の血の気が引いた。
葵のすぐ側にある2メートルほどの全身鏡が、ぐらりと傾いたのだ。
ずいぶん分厚くて重そうだ。挟まれたら無事ではすまないだろう。
「葵ッ!! 避けてッ!!」
葵は大樹の声に反応してこちらに注意したが、鏡は真後ろだ。
気づく様子は無い。間に合えッと唱えて大樹は浴室を飛び出した。
だが右足が前に出てくれなかった。挫いたのか、痛みで一瞬怯んでしまったのだ。
その体を押しのけて、マイケルもどきが駆けていく。
鏡が転倒──そのとき、葵に敵が覆いかぶさった。
鏡はマイケルもどきに叩きつけられた後、床に流れてガラス片を撒き散らす。
「……」
敵が葵を庇った。どういうことだ──?
マイケルもどきはゆっくり立ち上がると、ギロリとこちらに振り返った。
そしてブギーマンマスクを剥がす。
ショートボブで、透明感のある柑橘類のような色合いの髪が印象的な、自分と歳の変わらなさそうな少女だ。
可愛い顔のつくりをしているが、大樹を見つめるその眼は燃えるような殺意に満ちていた
大樹は身構えた。葵を助けた彼女だが、まだ油断はならない。
だが、彼女はくるりと振り返る。
どういうつもりか、そのままゆっくり退場していった。