4章 小悪魔のいけにえって邦題ならときめくわー。 1
ホテルを出る大樹を寒風が出迎える。時刻は午前四時を過ぎ、さすがに錦三も閑散としていた。
「こうなったらこうなったで、寂しいものがあるな」
寒々とした路地を一人で歩きながら、上着のチャックを襟元まで上げた。
懐に忍ばせた警棒の存在を確認する。逃走の際、警察署から再び拝借したものだ。
商店街はホテルに入る前に見た花屋のほかに、ドレスのお店も開いていた。
肩から胸元が露出している艶やかな衣装だった。色は紫や黒が多く、ラメやメタリックにやたらと輝いている。キラキラ、というよりギラギラといった印象だ。
興味本位で魅入っていると、
「いらっしゃい。新人さん?」
と店員に声をかけられ、慌てて逃げる。
「お嬢ちゃん、家出?」
唐突におっさんが話しかけてきたので、適当に返事をすると、
「お金足りてる?」
と切り出してきた。
はあ、なるほどな。警察呼ぶぞコラ。
こんな時間に歩いていると、そんな風に見られるのか。
……まあホントに家出同然というのが痛いところではあるが。
さっきまでは葵を引っ張っていた手前(案内役の葵がけん引される側と言うのもどうかと思うが)、気張っていた大樹だが、時間が経つにつれて夜の空気に臆してきた。
どこかで、酔っ払いの喧嘩らしき罵声が聞こえる。数十羽のカラスが、ガァガァとごみ袋の上を低空飛行している。無造作に置かれていると思った段ボールから、人の足が見えてギョッとした。路上が寝床の人らしい。
「これじゃ、散歩して落ち着くどころじゃないわ」
狙われている身でもあることだし、あまりフラフラするのも良くない。
大樹は踵を返すと、そこで運悪く、後ろから歩いてきた男と衝突してしまった。
「あ、すみませ──、」
「気をつけろバァカヤロォーッ!!」
怒鳴られた。
ちょっとぶつかっただけで怒鳴られた。
カチンッという音が脳内で響いた。
「なによ、あんたのほうこそちゃんと前向いて歩きなさいよッ!!」
と、大樹は怒鳴り返してしまった。
深夜だろうが気が滅入っていようが、人間、咄嗟には地がでるらしい。
「あンだとこのやろう」
デコをしわくちゃにして男が睨んでくる。
「あ……ッ」っと大樹は声を漏らす。
驚いたことにトラブルの相手は謎の男、ブギーマンだったのだ。
「やっべッ!! スドウタイキだ!!」
ブギーマンは舌打ちすると、一目散に逃げ出した。
「ま、待ちなさいよッ!!」
大樹は追跡する。
「あれー、予定と違うじゃねぇか。
まいったな。まーいーか!」
そんな独り言を漏らしながらブギーマンは走る。
「なによ、予定って!
やっぱりなにか知ってるのね!!」
「追いつけたら教えてやるよッ!」
「ふざけんなッ!!」
突然始まった深夜の奇妙な鬼ごっこは、一分足らずで一旦収束する。
ある路地でブギーマンを見失ったのだ。
「はぁ……はぁ……。
くっそぅ、あいつ、どこ行きやがった」
荒い息を宥めながら周囲を見回す。
さすがに住み慣れた名古屋だから、広い道に出れば元のホテルに戻れるくらいの土地勘はある。とはいえ隠れられそうな場所に見当を付けられるほどの知識はない。
ここまでか……そう呟いて少し歩んだところで、目の前に賑やかしい電飾が現れた。五車線ほどの道路、広小路通りの向こう側にある一軒のキャバクラ店だった。
その店にブギーマンがノコノコと入っていくのだ。
「見つけたァ……ッ!」
アドレナリン全開の大樹は猛然とその店へ突入していく。
扉を開け、鼻息を荒くして中へ!
「いらっしゃいま……えぇっ?」
想定外の来客に、出迎えてくれたボーイの声が裏返る。
シルバーアクセで飾ったスーツに、ワックスで髪を決めた軟派な男だった。
「ちょっとちょっと。
ここなんの店かわかってるの?」
紫がかった店内は間接照明で薄暗く、流行りのポップスが大音量で流れていた。
店内を覗く。広くはないが、いかんせん見渡しづらい。
「ねぇなんなの? 入店希望?」
「つい今入って来た男に会いたいんです」
「ムリムリ。帰って」
取りつく島もなしに言われるが、大樹は退かなかった。
「大事な用なの!」
「ダメだって!」
「えっと、ほら、あの人有名な映画監督なのよ! どうしてもサイン欲しいのよ!」
「いやしらないし。てか情に訴えるならもうちょっとなんかないの?」
「じゃあういろうあげるから! ほら!!」
「こわっ! なんでういろうそんなにいっぱい持ってんだよ!!
こいつキショッ!! 気持ち悪っ!!」
「あんだとこのチャラ男ォ!!」
「あのぉ~」
悶着する大樹とボーイの間に、一人のキャバ嬢が入ってきた。
「お客さんがぁ~、その子連れて来いっていってるんスけどォ」
「……」「……」
ちょっと睨み合い、余韻のあと、ボーイはしぶしぶ道を開けた。
*
「わーっはっは!
ハァイ大樹ちゃんッ!!」
ブギーマンは嬢を両脇に抱え、酒をかっくらっていた。
半月状のソファーに腰掛け、顔を真っ赤にしてすっかり出来上がっている。
大樹がボーイと揉み合いをしている短時間によくもまあ……。
「うはは、いやあ、ナゴヤ嬢ってなよくいったもんだ。
でらべっぴんさんばかりだねぇー」
「やだぁ、えっちぃ」
「もー、タケちゃんったらぁ」
「……うっわ。ナニコレ」
恐ろしく気分を害する痴乱騒ぎに大樹は項垂れた。
追いかけ合いの果てがこれである。
……しかし、出てくるたびにキャラが違うな、この男……。
「まあ座りなよ。ロック飲む?」
「未成年だし。
和みに来たわけじゃないわ」
「なぁに、この娘?」
「タケちゃんの彼女?」
「やっだー、タケちゃんロリコン?」
「なんかマジメそうな娘ー」
キャバ嬢が口々に大樹を評する。
あーもー、黙ってろよ厚化粧共が。
「人払いしろよ。
つうかなんだそのタケちゃんて。
お前の名前?」
「あー?
俺の源氏名だよ!! ぎゃははははは!!」
タケちゃんの品のない笑い声にキャバ嬢達がきゃははと追従する。
ガシャンッ!!
大樹はテーブルを平手で叩いた。
そしてありったけの眼力をぶつける。
「──いいかげんにしろよ?」
急にシンっとなった空間に、BGMのラップが妙に響く。
背後に気配を感じる。ふりかえると、さっきのボーイが怖い顔で迫っていた。
「悪いけど、ちょっとこの娘とお話してていい?」
ブギーマンがそういうと、店の関係者は言葉なくその場を去って行った。
大樹は対になる席に座った。
「知ってる事話してもらえるんでしょうね?
どうして事件の直前に現場にいたの?
予定っていったい何なの?
あのコスプレ軍団と関係あるの?」
「まあ落ち着きなって」
ブギーマンはロックグラスを口に付けると、
「あんたは俺がこの事件の首謀者かなにかと勘違いしてるみたいだ。
残念だが違うね。俺はただの外野さ」
「冗談じゃない。
あんだけ知った風にして」
「逆に聞こう」
ブギーマンはにやり、っと笑った。
「あんたはこの事件に、妙な違和感を感じている。散々危ない目に遭って来たが、どうにも決定的な危機を感じない。
どうだ?」
疑問点を指摘され、大樹は頷いた。
「そんで、この〝怖いけど、怖いだけ〟の危機には親近感がある」
大樹はまた頷く。
「その親近感は何か──薄々気付いているんじゃないか?」
大樹はもう一度、ゆっくり頷いた。
確かに、この〝安全なスリル〟には、何度も触れてきた。だが、この考えはあまりにも突拍子が無い。
「言ってみろよ」
相手に促されて、大樹は口を開く。
「まるでこれは」
いかなるサウンドを持ってしても、いかなる特殊効果を持ってしても、
どんなに恐ろしい事件を目の当たりにしても──、
「ホラー映画そのものだわ」
──俳優たちは怪我をしない。
見ている客は、怪我をしない。
〝これはフィクションなのだ〟という、決定的な安心感──。
「ぐれェ──────トッ!!」
ブギーマンはパチパチと激しい拍手を奏でた。
「素晴らしいィ。良くこの短時間で〝現実がフィクション〟という答えを見つけた!」
「ほ……本気で言ってるの!?」
「結論付けるには抵抗がいるかもしれないが、しかし君は否定しきれない!
そう! これは即興のくせにパクリばかりの脚本で、地元を使ってロケをする、それはそれは酷い出来栄えの自主制作低予算活劇……まさしく、B級ホラー映画ッ!!」
「冗談じゃないわ! じゃあカメラはどこだって!? レフ板は!?」
「カメラも照明も、俳優には見えても登場人物に見えたりしないだろう?」
「私が……登場人物?」
「そう、君は監督に見初められて、この下らない映画の主人公にされてしまったのさ」
「か、……監督? 監督って誰よ」
「それはもちろん」
彼は人差し指を天に示して言った。
「ゴォォォォォォット!! 神様さッ!!」
「ふ……ふざけないでッ!! 神様なんて!」
……居ない、とは言えない。決して信心深いわけではないが、大樹はそういう家系に育ったのだ。幼い頃から叩き込まれた森羅万象の威信は心の深いところで根付き、大樹はその存在を常に感じている。
言い淀んだ大樹に向かって、ブギーマンはにやりとした。
「どうだい? 筋は通っているだろう?」
「反論するには話が飛び過ぎなだけよ。結局あんたは何なの!?」
「俺はこの映画の見物人、兼、しがないエキストラさ。
通行人Aで、若い刑事で、飲んだくれの男その1。
いやぁ、酷い映画だが、迫力だけはある。見物するには楽しいねぇ」
へっへっへっ、と笑って、ブギーマンが再び酒をあおる。
「いいわ。もしそうだと仮定して、そんなメタな話を登場人物にしていいの?」
「今はカメラが回ってないのさ。あんたは束の間の自由なんだ。
言っただろう? 〝予定と違う〟って。
即興にもそれなりの筋書きはあるんだぜ」
「その筋書きでは次はどうなるの?」
「そいつは言えねぇな。監督はあんたの素の反応をフィルムにしたいんだ」
「じゃあ、次にカメラが回るのはいつ?」
「さぁ。監督が起きたらじゃねぇの? 神様も寝るときは寝るからな」
「なら、最後に……」
大樹は一度言葉を区切った。ある意味、これはもっとも重要な質問だ。
「この映画で登場人物が死んだら、その俳優はどうなるの?」
「それは……アレだ。
〝撮影事故〟ってやつさ。
たまにあるだろ? ワイヤーが切れてスタントマンが死亡って」
またブギーマンがニヤニヤと笑う。
「どんなに怪我しないように工夫されてても、死ぬときは死ぬぜ。
まー、せいぜい気をつけな」
「なんなのよそれ……」
先ほど見た悪夢が、大樹の中で蘇る。
夢から醒めても逃げられない、底無し沼のような世界。
自分は未だあの夢から醒めていないのではないだろうか……?
「あれ、おいおい、そんな暗い顔すんなよ。映画好きなんだろ?
大好きなホラー映画に絶賛出演中なんだぜ?」
「映画は観て楽しむもんよ。アトラクションは架空だから楽しいの。
だから何でもアリなのよ。勝手にリアルにして、楽しいわけ無いでしょう?」
「わはははっ! 真面目だな!
こいつは起きて見ている悪夢みたいなもんだぜ」
ブルゥゥン……!
店の中に、バイクが空ぶかししたような音が響く。
暴走族が走り回っているにしては音が近いような……。
「どうせ夢ならもっと楽しもうや!!
よぉーい」
ブルゥゥゥ……──、
「アクションッ!!」
その一声を合図に、ズバァンと壁を突き破って何かが飛び出してきた。
チェーンソーだ。
チェーンソーを持った少女だ。
リボンでまとめたツインテールに、まるくて無邪気そうな笑顔。
年齢は幼稚園児ほどで、フリルのついたピンクのエプロンを着て、肩かけのポシェットをさげている。お料理教室にでも行くような身なりだ。
刃渡りが自分の身長ほどのチェーンソーのトリガーを、ブルン、ブルンと小刻みに唸らせ、少女はブギーマンのテーブルにドン、と乗っかった。
そしてあぜんとする大樹と目が合うと、八重歯を見せてにこっと笑い、
「こーちんっ!」
と謎の単語を叫んでぐるんと回転した。
「あぶねぇッ!!」
なにせチェーンソーを持っている。
とっさに回避した大樹をすりぬけ、刃が一周する。
「ギャーッ!」
絶叫したのはブギーマンである。
刃に触れてしまって、頭がざっくりえぐれてしまったのだ。
店内に悲鳴が上がった。
「ばーうー♪」
少女は意に介さず、チェーンソーを振り回して踊り狂った。
いや少女が回っているのか、チェーンソーに振り回されているのかわからないが、とにかくうれしそうにはしゃぎながら凶悪なチェーンソーダンスを繰り広げる。
「ぎゃははっ!! バッキャロー! 俺をぶった切ってどうする!!
いてぇいてぇ、ぎゃーっはーは!
ちきしょうなんだこれ、ひゃはは、笑いがとまんねぇ!!」
なんだかもうめちゃくちゃである。
びちゃりっと、大樹の顔に汁が引っ掛かった。拭うと、真っ赤な肉片だった。
「うげぇぇ……」
おそらくブギーマンの頭の肉が、少女のダンスでばら撒かれているのだろう。
「こーちん、こーちんっ!!」
ギャイィィーッ!! ギャィィン!!
「うひぃ、なにがこーちんだ! このしょんべんたれが!!
NGだ!!
カットだ、カットしろこんなシーン!!
あひひひ、俺の頭がカットされちまったじゃねーか!!」
トンッ……と、唐突に少女のステップが止んだ。
そして大樹をじーっとと見つめた。
いつの間にかBGMも止み、ブギーマンの楽しげな虫の息だけが響き渡る。
「な……なに?」
恐ろしく嫌な予感がする。
少女は少し首をかしげると、にぱぁっと笑って大樹を指差した。
「こーちんだっ!!」
そう叫ぶとブルゥゥゥゥン!! と電ノコを唸らせて飛びかかってきたのだ。
「ひ、人違いよッ!!
てか誰だこーちんってっ!!」
まあまず話を聞く様子はないので、有無もなく逃走をはじめる。
「ギャーハァ───────────ッ!!」
ブギーマンがいっそう大きな笑い声をあげた。多分死んだ。が、気にしている余裕などない。
「ばーうぅ♪ こーちんこーちん!!」
少女はチェーンソーを高く掲げ、どこかの誰かを連呼しながら迫ってくる。
大樹は全速力で店を飛び出した。