約束
「引越そうと思うの」
「はあ、何いきなり?」
「いきなりじゃないよ。だってここって会社に遠いし、30になったから実家でたほうが
いいかなって。もう候補地きめてあるんだ。」
「…どこ?」
「東京都〇〇市、あそこきれいな並木道あるんだ。今のところほどじゃないけどけっこう気にいってるの。
だから駅の改札員も終りね」
「笑」
「なにその嫌な笑いは?」
「おまえ絶対つうか一生改札員だろ」
「はっ?」
「あそこにもあるぞ。駅。あそこは木が低いから隠れるのにいまいちなんだが周りに畑や田んぼが多いから人目につきづらいし東京へすぐだからな。プロがよく使用するとこだ」
「…」
「たしか人足りてなかったな」
「…」
「よかったな。経験者募集中だ。推薦してやるよ」
「けっこうです!」
「遠慮するな 笑」
さっきから私の側で笑い転げているこの男、海原渉とあったのは13歳の夏だった。
東京から1時間。電車で3回乗り換えて着くその駅はぽっかりと森のなかにいるかのような錯覚を覚えるほど緑豊かな団地がひろがっていた。
東京のグリーンベルト構想が唯一実現され残った地区で縦に美しいけやき並木がひろがり、横に桜並木が延びていた。
私の家はそのけやき並木に沿ったマンションにあり、窓から通りの美しい緑がみえた。
木々の隙間からもれる光が非常に綺麗でわたしはその景色が大好きだった。
そのためもっと早く家をでるつもりが、この歳まで実家暮らしをしてしまったのだ。特に実家が心地よいわけではなかったのだが。
彼と会ったのは13歳の夏で偶然夜中2時か3時ごろ一回起きてしまった私はたまたま窓の外をのぞいてみた。
視力が生まれつき悪いうえ、乱視がはいっている私の眼は信号や車のライトは花火のように光が花のようにひろがってみえ、点滅してみえる。生まれつき悪いので慣れっこのためその光の具合や色合いで何の光か判断がついてしまえるのだが、今わたしの目の前に見える光はみなれた光ではなかった。
車と車が走る間に確かに点滅している光がみえるのだが、車のライトの光ではないのだ。その光はちょっと首をかしげるもので思わず何か確認しようとベランダにでてみているとその光は車らしきもの、車に興味がないので最新の車かなと思えるような車から発されているものだった。
思わず見ているとちょうど目の前にその車から降りてきた家族のようにみえる人たちの中にいた少年と眼があった気がした。なにせあまりみえてないのですべて気がしたなのだが、その少年は私をみて眼を丸くし、口笛でも吹きそうな感じでおもしろそうに、にやっと笑ったように見えた。
「…」
私はその様子をぼーっと見ていたが彼は片手をあげて家族とともに去っていった。
気づいたときはなんだったんだあれはと思ったがまあいいかとそのまま寝て忘れた。
それから彼に会ったのは一週間後、中学のクラスに転校生としてあらわれたときだったが
まったく忘れていた私は「転校生か」と気にも留めずのんきにしていた。
これから自分に起こる心躍る冒険といいたいが、ファンタジーやSFは大好きだが、物語の主人公に向いてないと後から悟った私にしてみればやっかいごとの始まりだとも気づかずに。
彼とその話をしたのは3ヶ月後になった。
この話はなるべく避けたい出来事だった。というのも彼は私がまったく覚えてないことにいたくご立腹でいまでもことあるごとに持ち出しちくちくと私を非難するのだった。
「ひどいねまったく。けっこう衝撃の出来事だと思うんだけどさ。これっぽっちも思い出さないなんて。」
「すいません。眼が悪いのでちゃんとみえてなかった・・んで」
「俺、自分でいうのもなんだけどけっこう目立つ容姿だとおもうんだよね」
「…えー、はい」
「…」
「はい!」
「仮にもSF好きとかいっている人間がさ。自分に起こった出来事に全く関心ないっておかしいよな」
「…はい、すいません」
謝るのは好きではないというより自分に非がないかぎり基本謝りたくないのだが、処世術というものを私は彼から学んだ。しつこいというかうざいというか彼の性格に対抗するには自分からおれたほうがはやいのだと。
たとえ非がなくとも。
どうやら彼の説明によるとあのけやき通りは駅へ通じる道なのだそうだ。未来からのいわゆるタイムマシンの。まっすぐに伸び、けやきは大きく育っているので邪魔にならない。
あまり交通も激しくなく、突然車が空間からあらわれてもうまくごまかせるし東京からまあ近い。条件が揃っているそうだ。
未来の乗り物なら道路いらなくないかとつっこんだらある程度いるときがあるんだと馬鹿にしたように切り替えされた。「そうですか、知りませんでした」とそれ以上言われる前に謝った。
ちなみにいままで目撃されたことはないらしく、なぜ気づいたのかとずいぶん聞かれた。
視力が悪く光の点滅で判断しているといったら妙な顔になったが納得していた。
そこまで人は気づかないらしいが、確かにちょっと違うのだそうだ。
「そういう風に景色を見ている人間っているんだな」
彼はおもしろそうに笑い、聞いていた彼の家族もまた私を見ながら感心したようにうなずいた。
そのこともあり、改札員にスカウトされた。タイムマシンが通ったら合図を出すのだそうだ。面倒なのでむろん断った。もちろん理由は12時に寝る人間なので無理ですとよい子の返事をしておいたが、敵は上手だった。3年後、多少夜更かしが大丈夫になった頃ついに改札員になった。
むしろこの3年間このために夜更かしさせていたのかと疑いたくなる状況でごり押しされた。
視力が悪くて得したことは一度もない。面倒だし、幼い頃はからかわれた。めがねをかけているだけでまじめにみえるらしく、やりたくもない学級委員をやらされた。きわめつけにこれだ。しかし最終的にはいやだという意思をつらぬけなかった自分が一番悪いのだが。
いや彼の見事な策略に対抗できる能力がなかったともいうが・・認めたくなかったのでそこらへんはうやむやにしている。
「しかし、この街からでるとは思わなかったな。」
卒業後、未来と私が生きる現在を仕事で行き来している彼はこちらに来ると必ず私を散歩に誘った。なにするわけでもなく、ただ緑深いこの街を世間話しながら歩くのだ。それは毎年4回、季節の変わり目に行われる約束をしていない決まりごとで淡々と生きている私にとって大切な時間だった。
「なぜ?」
「お前、この街好きじゃん。まあ俺も気にいってるけど。なんつーの。都会でなく田舎でなく、よくある地方都市だけど、なんかここだけ異空間な街だよな。うまくいえないけどこの街だけ路線のなかにあってもなじんでないというか。お前に似てるな。」
驚いた。それは私が常々思っていたことで、この街だけ他の駅とは違って、この路線になじんでないと思っていたのだ。もちろんいい意味だが。
街を歩くのが好きな私は、電車に乗ると疲れて眠っていない限り、必ず窓から街の感じをみて、心に残る坂道や家、庭、並木道をみては途中下車して歩くのだ。目的はない。写真を撮る気もない。ただ心に気に入った景色を残すだけだ。自己満足というか単なる趣味だ。まったく自分の利益にならないが、本当の趣味とはそんなもんだと思う。
そして特になにがあるわけではないが昔から自分の心地よい居場所をチェックするくせがある。
そういえば誰かにその話をしたとき、「猫みたい」と笑われたがたしかにそのとおりだと思った。そしてその趣味を生かした眼でみてこの街は違うと常々感じていたのだ。
「私も自分がこの街から出て行くとは思わなかった。大人になったら実家をでるもんだと昔から思ってたんだけど、それってこの街から出るってことなんだよね。あらためて思うと確かにそうだよね」
「なんだそりゃ。実家でることは決めていてこの街から出ることは現実味がないってか。
普通反対だろ。」
「うーん。別に家族が嫌いなわけではないけど。街に対するほど思い入れがないというか。愛情いっぱいという家庭でないからかな。良くも悪くもマイペースな親だから。親の下にいる限り、当たり前だけど一対一に意見を通せないんだよね。あくまで自分の子供の意見と思われてて、子供と自分とは別の生き物だときちんと感じていないというか。
親に家賃がわりのお金は渡してるけど、生活面では頼っているし、しょうがないと思って割り切ってたけど、もともと自分の意見はいうほうだし、それで衝突して、こちらが折れてさ、ちょっと疲れてたんだ。」
「つまり子離れしてないというわけか。」
「なるほど、そういうのか。まあだから物理的に離れれば、関係もかわるだろうから。」
「まあそうだよな。離れてわかることもあるし。」
「渉もそう?」
「まあね。俺はかなり前にだけど」
「そっか。」
この街とお別れ。そう思うとこの景色すべてを記憶に残したいと思う。
春の美しい桜並木も、その桜並木よりも花がないのに美しいと思う5月の新緑のけやき通りを散歩する心地よさも、せみの鳴き声が響き渡る中、夏の日差しを遮り青々とした葉を気持ちよさそうに伸ばして成長する並木道を通り図書館へ行き、帰り道にお気に入りの本を借りてアイスを食べながら帰る子供の時からかわらない習慣の幸せを感じている景色を。
高層ビルがないため、美しい夕焼けが団地の間から圧倒するほどの迫力でみえ、毎日のことなのに毎回痛いほどの切なさをともない胸にせまる感覚を、マンションの屋上に上るとまわりが緑の海になっておりその独特の景色に飽きることなく見続け一日が終わってしまったことも。雪が降った日の朝はあたり一面見事な雪景色になっており、別の街にいるような感覚におちいったことも。
私の眼というカメラで私の頭のなかの記憶装置に映像として、その時々の気持ちと一緒にすべて。手元にのこる絵でも写真でもなく心の中に。
「でもさ。次の引越し先がらしいよな」
「えっ?」
「お前らしい。選んだ街の感じがすごくらしいってこと」
「わたしも思った。決めたのってたった一瞬なんだ。この街がいいって。降りた瞬間にわかって、部屋みた瞬間にここにしますって。もう少し家賃が安いとよかったんだけど、もうここだって、動かせなかった。」
「そっか」
渉は優しく笑って私をみた。
「うん」
夕焼けが辺りを染め上げた。いくつかの国や地域に旅行へ行ったことはあるけど、もちろん美しい夕焼けをみて感動したりしたけど、いつだって泣きたくなるぐらい切なくなる痛さをもって迫る夕焼けはここだけだ。この街だけだ。なぜだかなんてわからない。いろいろ理由を考えたりしたことも、あったが思いつかなかった。
「渉」
「何」
「もう会えない?」
「そうだな。俺もこれから忙しいしな。〇〇市だと俺の管轄じゃなくなるから、」
「そっか…。」
「さみしい?」
「うん、さみしい」
「…。」
「なに?」
「めずらしく素直じゃん。」
「私はいつも素直です。」
「へえ。 まあ、俺もそろそろ腰をすえて仕事をしようかなと思ってるからさ。」
「えっいままで遊んで仕事してたの?」
「ちがうっつうの。定住してする仕事ってこと」
「…。じゃあ、もう2XXX年に戻ってこちらの時代にこないってこと?」
「お前に察しろっていっても無駄だよな。頭悪くないくせに」
「?」
「はあ。」
「観察員としてこの時代で生きることにしたので、一緒に生きようかってこと」
「…。」
「聞いてる?」
「…。ほんとに?えっほんとに?」
「ほんとに。返事は?」
「・・・。嬉しい。すごく嬉しい。えっでも私引っ越すよ。違約金払うのやだし。」
「・・・。お前は妙なところで現実主義だよな。今その話をする流れではないだろ」
「ごめん。…。やり直すよ。すごい嬉しいえっと・・。」
「いやもういい。わざとらしいし。まあらしいけど。」
あきれたように、苦笑しながら、彼は私を見下ろし言った。
「仕事でさ。いろんな時代にもいったし、いろんな場所にも行った。もちろんここよりも快適なところもあったし刺激的なところもあった。もっと住みやすい時代も。でも俺はいつも帰ろうと思ったのはここだった。俺が生まれたとこでもないし何があるわけでもないただの地方都市なのに帰るという言葉をいうとこの並木道とお前と散歩する時間を思い出す。不思議だよな。だから…。」
「だから?」
「だから、ここで、お前の隣で生きようって決めた。いろいろ制約があるけど、帰る場所はここだと。」
「うん…。」
いつもふざけた彼の思わぬ言葉になにもいえなかった。ただひたすら馬鹿みたいにうなずくだけ。もっとうれしいという気持ちを言葉にして伝えたかったのに肝心なとこで全く言葉にできなかった。
いつも並んで歩いていただけだったが、はじめて彼が私の手をとり繋いだ。いままでそんなことすらしていなかったのにいきなり一緒に生きようだなんて全く今どきらしくない。でも、彼とは生きる時代が違いすぎて、約束なんてできなかった。いつでも会ってじゃあまたと手を振るときにお互い次の約束は絶対しなかった。次に会えるかどうかわからない。そんな守れない約束なんてできるはずもなかった。そして私は叶えられるかわからない約束をただ待ち続けることができるほど強くなかった。
夕焼けがあたり一面を完全に染め上げた。いつも美しいと感じるこの瞬間が、今日はいろんな感情が入っているせいか、ただただ涙があふれた。
彼はそんなわたしをみて、笑って、手で涙をぬぐった。
これからのことなんて全くわからない。
ただ今日からは、彼の隣で生きていく未来を思い描くことができる。
彼の帰る場所が私と同じ場所になる。
それだけで、幸せだと思うのだ。